もう騙されない私になる――相談できなかった50代、はじめての再出発――

あめとおと

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第4話 知らない人のやさしい声

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 次の日、由紀は朝から落ち着かなかった。

 特別な予定はない。

 パートも休み。

 それなのに、何かに追い立てられているような気がした。

 テーブルの上にはスマートフォン。

 画面には、昨夜の通話履歴。

 ――一秒。

 その数字を見るたび、胸が少しだけざわつく。

「……今日、もう一回」

 誰に言うでもなく呟いた。

 言葉にしないと、やめてしまいそうだったから。

 コーヒーを淹れる。

 いつもより薄くなった気がしたが、味は分からなかった。

 時計は午前十時を指している。

 相談窓口の受付時間。

 由紀は椅子に座り、背筋を伸ばした。

 なぜか、怒られない姿勢を取ろうとしている自分に気づき、小さく苦笑する。

「怒られるわけ、ないのにね……」

 それでも怖かった。

 番号を押す。

 発信。

 呼び出し音。

 一回。

 二回。

 三回。

 切りたい衝動が込み上げる。

 そのとき。

『お電話ありがとうございます。消費生活センターです』

 落ち着いた女性の声が、耳に届いた。

 優しかった。

 思っていたよりずっと、普通の声だった。

 由紀の口が開く。

 けれど声が出ない。

「……あ、あの」

 喉が乾く。

 言葉がまとまらない。

 電話の向こうの相手は、急かさなかった。

『はい、大丈夫ですよ。ゆっくりで』

 その一言で、胸の奥が揺れた。

 責める気配が、まったくない。

「……その、私……たぶん……詐欺、で……」

 途中で声が震えた。

 情けなくて、恥ずかしくて、消えてしまいたくなる。

 沈黙が落ちる。

 ――やっぱり変な人だと思われた。

 そう感じた瞬間。

『お電話くださって、ありがとうございます』

 予想していなかった言葉が返ってきた。

 由紀は瞬きをした。

「……え?」

『勇気がいったと思います。まず、かけてくださってよかったです』

 責められなかった。

 呆れられもしなかった。

 むしろ、感謝された。

 胸の奥に溜まっていた何かが、一気に揺らぐ。

 由紀は気づけば、ぽつりぽつりと話し始めていた。

 SNSで知り合ったこと。

 投資と言われたこと。

 振り込んだ金額。

 連絡が途絶えたこと。

 うまく説明できている自信はなかった。

 何度も言葉に詰まり、同じことを繰り返した。

 それでも相手は、

『はい』
『分かりました』
『大丈夫ですよ』

 と、静かに聞き続けてくれた。

 話し終えたころには、手の震えが少し収まっていた。

『同じような相談は、実はとても多いんです』

 その言葉に、由紀は息を止めた。

「……多い、んですか」

『はい。佐倉さんだけではありませんよ』

 その瞬間。

 視界がぼやけた。

 涙だと気づくまで、少し時間がかかった。

 泣くつもりなんてなかったのに。

 電話口で泣くなんて、恥ずかしいのに。

 止まらなかった。

『大丈夫です。今できることを一緒に整理していきましょう』

 一緒に。

 その言葉が、胸に静かに落ちた。

 すぐにお金が戻るわけではない。

 状況が劇的に変わるわけでもない。

 それでも。

 「一人ではない」と初めて思えた。

 通話が終わったあと、部屋は同じはずなのに少し違って見えた。

 由紀はしばらく椅子に座ったまま、深く息を吐く。

「……怒られなかった」

 それが、信じられなかった。

 ノートを開く。

 今日の文字は、迷わなかった。

 『ちゃんと話せた』

 少し考えて、もう一行。

 『聞いてもらえた』

 ペンを置いたとき、由紀は気づく。

 胸の奥にあった重たい石が、ほんの少しだけ小さくなっていることに。

 外を見ると、昼の光が窓いっぱいに広がっていた。

 カーテンは、もう閉めようとは思わなかった。



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