もう騙されない私になる――相談できなかった50代、はじめての再出発――

あめとおと

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第9話 書いて、消して、また書いて

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 ブログを読んでからというもの、由紀の頭の中には同じ考えが浮かんでいた。

 ――私も、書けるだろうか。

 思うだけなら自由だ。

 誰にも知られない。

 けれど、その考えはなぜか落ち着かなかった。

 まるで心の奥を軽く叩かれているみたいに、何度も浮かんでは消える。

 夕食の後、食器を洗い終えた由紀は、いつもより少し長くスマートフォンを見つめていた。

 検索欄に文字を打つ。

「ブログ 始め方」

 表示された解説ページを開く。

 無料。

 匿名可。

 スマートフォンでも投稿できます。

「……できるんだ」

 思っていたより、ずっと簡単そうだった。

 登録画面を開く。

 ニックネーム入力。

 そこで指が止まった。

 名前。

 何を書けばいいのか分からない。

 本名は怖い。

 でも、適当な名前をつけるのも落ち着かない。

 しばらく悩んで、結局画面を閉じた。

「やっぱり無理……」

 声に出すと、少し安心した。

 やらない理由ができたから。

 けれど、その夜。

 ノートを書こうとしたとき、ペンが止まった。

 いつもは自然に出てくる言葉が出てこない。

 代わりに浮かんだのは、あのブログの文章だった。

『あなたは一人じゃないです』

 あの一文。

 あれを書いた人も、きっと怖かったはずだ。

 最初から勇気があったわけじゃない。

 それでも書いたから、自分は救われた。

 由紀はゆっくりスマートフォンを手に取った。

 もう一度、登録画面を開く。

 ニックネーム欄。

 少し考えて、打ち込む。

 「まだ途中」

 入力してから、恥ずかしくなった。

「変かな……」

 でも、消さなかった。

 今の自分に一番近い言葉だったから。

 記事作成画面が開く。

 真っ白な画面。

 カーソルが点滅している。

 何を書けばいいのか分からない。

 文章なんて得意じゃない。

 うまく書こうとすると、指が止まる。

 しばらく悩んだあと、由紀は考えるのをやめた。

 ノートを書くときと同じように。

 ただ、事実を書く。

『今日、初めて相談窓口に電話しました』

 それだけ打つ。

 読み返す。

 あまりにも普通の文章だった。

 上手でもないし、感動もしない。

 削除ボタンに指が伸びる。

 ――こんなの、誰も読まない。

 そう思った瞬間、ふと気づく。

 自分が救われたブログも、特別な文章ではなかった。

 ただ、正直だった。

 由紀は小さく息を吸う。

 もう一行だけ書き足す。

『怖かったけれど、怒られませんでした』

 胸が少し熱くなる。

 さらに続ける。

『もし迷っている人がいたら、電話してみても大丈夫かもしれません』

 書き終えた。

 短い文章。

 三分もかからなかった。

 投稿ボタンが画面の下にある。

 赤い文字。

 押せば、誰かに見える。

 世界につながる。

 指が震える。

 心臓が速くなる。

「……まだ、いいかな」

 由紀は保存ボタンを押した。

 公開ではなく、下書き保存。

 画面に「保存しました」と表示される。

 それだけなのに、大仕事を終えた気分だった。

 スマートフォンを置き、ノートを開く。

 ゆっくり書く。

 『文章を書いた』

 少し迷って、続けた。

 『まだ公開してないけど』

 そして、小さく笑った。

 完璧じゃなくていい。

 できるところまででいい。

 今日の自分は、昨日より少し進んでいる。

 それで十分だった。

 窓の外では、夜の空気が静かに流れている。

 由紀は電気を消し、布団に入った。

 眠る前、ふと思う。

 明日。

 もしかしたら――。

 投稿できるかもしれない。




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