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令嬢ラクーンは聖女様の力を盗んでしまったので、護衛のフォックスと裏で奔走する

結 令嬢ラクーン、愛す。

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 座り込んで暫く経った頃、重たい目蓋を擦ったなら、立ち上がり屋敷の敷地外へと駆け出す。

 過去形になんか出来ないわ。貴方を誰かに譲ったりしない。ずっと私のよ。

 門を潜って左右を見回しても、彼の姿はもうない。
 でも、王女の所へ行くと言っていた。それなら最後の神殿に続く港町に行けば会えるはず。
 私は走り出した。港町は隣だから、私の屋敷から遠くない。ひたすら街道を駆け抜ける。不思議と体は軽かった。


 とはいえ、流石に走り切る体力は無くて。歩いたり、走ったりを繰り返す。何度も何度も。道中親切な人に水分を恵んでもらって、また歩き出した。
 最後の神殿が雪の中じゃなくて良かったと心から思っている。



 港町の入り口には、太陽が天辺に昇った頃に着いた。肩で大きく息を整える。乱れた呼吸で肺が苦しい。

 そんなことよりも。フォックスはどこ? どこにいるの?

 周囲を見渡していれば「間も無く出航!」という張り上げた声が響いた。
 嫌な予感が全身を巡る。最後の一踏ん張りだと、足を急かして。

 港に到着すると、人々が一つの船に手を振っていた。いってらっしゃいと。頑張れと。あれに聖女が乗っているのは明らかだった。
 フォックスも、乗っちゃったの? ここからじゃ分からないわ。
 船はどんどんと小さくなっていく。
 行かないで。離れないで。私のフォックスを奪わないで。

「いや……いやよ……」

 唇から声が漏れる。こんな声じゃあ、フォックスに届かない。
 私は、海の果てにも届くくらいの声で、叫んだ。

「フォックスーッ! 私の、フォックスーッ!」

 周りが驚いてこちらを見ている。そんなの知ったこっちゃないわ。

「貴方は私のなんだから! 他のところに行っちゃだめーーっ!!」

 海を巡って彼方まで届くように。喉を枯らして。

「ずっと! 私の傍に居て!」

 今まで当たり前の日常だったそれを、希う。

「フォック」
「お嬢様。流石に少し、恥ずかしいのですが……」

 背後から耳朶に聞き馴染んだ声が聞こえた。
 振り返ると、耳を朱色に染めた男がいる。

「フォックス!」

 勢いそのまま私は彼を抱き締めた。

「ごめんなさい! 私が悪かったわ! 貴方はそうするしかなかったのに、酷いことを言って傷付けてしまったわ!」

 腕の中に閉じ込めた相手は目を見開いてから、困ったように私の背中に手を回す。避けられぬように恐る恐ると。

「俺こそ、ごめんなさい。意地を張りました。……泣かせたいわけではないんです」

 気付けば私の瞳からは涙が溢れ出していた。きっと涙の栓がおかしくなってしまったの。

「もう、船に乗っちゃったかと思ったわ」
「まさか。俺は貴方以外に尽くすつもりはありませんよ。世界が滅亡したとしてもね。……あれは、売り言葉に買い言葉、と言いますか……俺も自分の幼稚さに呆れているんです」

 フォックスは苦虫を噛んだ顔をしているから、思わず笑みで応えてしまう。



「……はっ! どうしよう! 聖女様が行っちゃったわ! 祈りが間に合わない……!」

 フォックスの体ををどんと離して、出航した船を改めて視線で追った。だいぶ小さくなっている。

「今回は諦めて、後で祈っておけばいいのでは?」
「後で行くにしても、海の神殿には船が無いといけないし……あそこまで船を出して貰うのは怪しすぎるわ……。海流も乱れていて誰も近付かないところだもの……」

 定期便があるわけではない。どうしたって向かうには人目につく。
 聖女様にしても、今回だけ神殿は光りませんでしたは、絶対におかしい。失敗したと思われたら聖女様に申し訳ないし、ゆくゆく盗人の私に辿り着いてしまうかも。どうしたら……。

「……お嬢様。雪の神殿は覚えていますか?」
「あ、うん。外から祈った……」
「精霊と接触すると授かった加護が強くなるんですよ」

 肩車の祈りを想起する。あれにそんな効果があったなんて……。

「それでも、神殿まですごく遠いのよ?」
「何とかなりそうでやってみて、本当になんとかしてきているじゃないですか。お嬢様は」
「……うん。うん! そうね! なんとかするしかないんだもの!」

 やるしかない!
 私はフォックスの手を取ると路地裏まで引っ張った。接触ね。接触。私は両手を広げて、ああ、あああ、そのまま固まってしまう。

「……お嬢様?」
「……その、……照れるわ……。破廉恥よ……」
「先程抱き締め合ったばかりじゃないですか」
「そうだけど……」

 面映さから頰に含羞の色をのせて、横を向いてしまう。顔を向き合わせるのが恥ずかしい。今更込み上げてくる。羞恥心。

「……お嬢様。もう、二度と、俺を避けないでくださいね」
「え? ええ、それはもちろ、きゃっ」

 フォックスが私の腰に手を回して、抱き寄せてくる。思わず小さく声が出た。拒絶じゃない、単純な驚きと照れ。それは相手にも伝わっているみたいで、フォックスの両腕が離れていくことは終ぞなかった。
 ああ、合わさった体から鼓動が伝わる。熱を感じる。精霊なのにね。

「……お嬢様。祈りを」
「あ、そうね! そうよね!」

 胸の中にすっぽり収まって落ち着いてしまっていたわ。
 慌てて両手を組むと、祈りを捧げる。

 これ以上なく浮ついた私の心は、きっと世界全てを晴れやかにする。
 私の大事な人がいつまでも平和に暮らせるように。ずっと私の傍に居られるように。
 聖女様はみんな、そんなことを考えて祈っていたのかしら。
 ……祈りって、愛ね。
 海の彼方に光が満ちる。







 それから、私たちがどうなったかといえば。
 国に居ると障りがあるから、私はフォックスと旅に出ることにした。世界にはまだ精霊の加護を必要としている所もあるかもしれないし。いつだって堂々と傍に居たいしね。
 不便なことは多いけど、いつも通り、何とかしているわ。


「ねえ、フォックス。どうして貴方は私を気に入ったの? 精霊姿の時に助けたから? それだけ?」
「それもありますが……それだけだったら、良い人間だなって思った程度でしょうね」
「他に何かあったの?」
「……忘れたなら、教えません」
「えーっ!?」


「貴方がくれたものは、俺が全てを捧げるに等しいものです」








 それはまだ、ラクーンが幼い頃の話。
 傷付いた生き物の手当てをして、頭をゆっくりと撫でていた。
 生き物がくるると喉を鳴らしている。
 ラクーンはうふふと笑った。

『寂しいの? ……私が、愛してあげようか』


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