怪異探偵の非日常

村井 彰

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失せ物探しは専門外

1話 普通の依頼

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  町屋を改装した個人病院と、全国チェーンのコンビニに挟まれた細い路地。駅からバイト先へ向かう途中にあるこの道こそが、出勤の最短ルートであることに、早坂はやさか奏太そうたは最近になってようやく気がついた。それまでは約半年もの間、馬鹿正直に表通りを通っていたのだ。
  何度か試してみたが、この道を通るかどうかで到着に十分程度の差が出る。遅刻しそうになって走ったあの時もその時も、この道の存在を知っていれば……と思わないでもないが、こればっかりは仕方ない。
  というのも、この町には妙に入り組んだ細い道が多く、迂闊に足を踏み入れたが最後、目的地とは違う訳の分からない場所に出てしまうリスクが高いからだ。
  この近道に気がついたのも、以前暇を持て余していた時に、少し寄り道をしてみたのがきっかけだった。ようするに偶然である。

  コートのポケットに両手を突っ込んで、早坂は寒さに身を縮めながら、狭い道を足早に進んで行く。
  大学での講義が終わったのが今から三十分ほど前のこと。直後に確認したスマホは、雇い主である井ノ原いのはらけいからのメッセージを通知していた。
  それに気づいた瞬間、すぐに開いて見たトーク画面に映し出されたのは、『今すぐ来い』という一言だけ。いつものことである。
「いっつも急に呼び出すんだもんなあ……俺にも都合とかあるっつーのに……」
  ぐるぐる巻きにしたマフラーの下でブツブツと文句を言いつつ、早坂は辿り着いた事務所の階段に足をかけた。
  一階に古い仏具店、二階に井ノ原の事務所が入った無骨なコンクリートの建物に入っていくと、薄汚れた階段の壁に『↖霊障相談』という、やる気のない貼り紙がされているのが見える。もはやそのどれもが、早坂にとっては見慣れた光景だった。
「おはようございます」
  そう声をかけながら、事務所の扉を開ける。
  早坂が一歩足を踏み入れると、応接スペースのソファにふんぞり返ってコーヒーを飲んでいた井ノ原と目が合った。テーブルの上には、スティックシュガーの残骸が五本ほど転がっている。
「やっと来たか」
  無愛想に呟いて、井ノ原が立ち上がる。その動きに合わせて、ひとつに束ねていた黒い長髪が、肩の上をさらりと流れた。
「言っときますけど、これでも講義が終わってすぐに来たんですからね。……それで、今日はどこに行くんですか?心霊スポットですか、事故物件ですか。明日も一限目からあるんで、あんまり遠方だと……」
「今回は俺一人でいい。その間、お前には別件の仕事を任せる。そのために呼んだんだよ」
  ソファの背もたれに掛けてあった灰色のコートを手に取って、井ノ原は反対の手で小さい紙切れを手渡してきた。
「別件って、俺だけでやるんですか?」
  想定外の言葉に、思わず渋い声が出てしまう。
  井ノ原という霊媒師の元で働くようになって、それなりの時間が経つものの、早坂に出来るのは幽霊の類を見ることだけ。やたら取り憑かれやすいという嫌な特技はあるが、除霊などといった派手でそれっぽい仕事は、未だ井ノ原にしか出来ないのだ。
  だというのに、そんな自分に一体なんの仕事を任せようというのか。顔を顰める早坂を見て、井ノ原は小さく鼻で笑った。
「心配しなくても、これはお前一人でも……いや、むしろお前にしか出来ない仕事だよ」
  そう言って、井ノ原は早坂に渡した紙切れの端を、指先でピシッと弾いた。そしてその先をこう続ける。
「なにしろ、今回の依頼は猫探しだからな」
「…………化け猫ですか?幽霊ですか?」
「ごく普通の、生きた猫だよ。見てみろ」
  井ノ原に言われ、ついさっき手渡された二枚の紙切れに目を落とす。一枚は、座布団の上に寝そべる巨大な白い猫の写真。もう一枚は、その猫のプロフィールと思われる情報が書かれたメモの切れっ端だった。『 わらび・オス・十一才。好物はチーズ。暗い所を好む』らしい。
「ほんとだ、ただの猫だ。なんかデカいけど。なんでこんな普通の探偵みたいな仕事がウチに来るんですか」
  早坂が訊ねると、井ノ原は軽く肩をすくめて真下を指差した。
「下の仏具屋の婆さんだよ。あの婆さん、俺のことなんでも屋かなんかだと思ってんだ。ここに事務所を構えてすぐの頃も、『爺さんの形見の万年筆が見当たらないから探してくれ』だとか言ってきて、店中家探しさせられてな。まあ、結局見つからなかったわけだが」
「あ、一応探してあげたんですね」
  案外優しいところもあるんだな、と思ったのだが、井ノ原は馬鹿馬鹿しそうに鼻を鳴らして言った。
「そりゃその分の金はしっかり貰ったからな。見合った金が出るなら大抵のことはやるさ」
  そうだった。こいつが対価も無しに人助けをするはずがなかった。
「まあいいですけど……でも俺、猫探しの経験なんてないですよ」
「そんなもん気にする必要はない。見ての通り太りきった年寄り猫だ。たいして遠くにも行けないだろうし、この辺を一通り探して見つからなきゃそこで切り上げていい」
  言いながら、井ノ原は手に持っていたコートを羽織って事務所の扉に手をかけた。黒いスーツとダークグレーのニット、踵の高い黒いブーツという、相変わらず彩度の低い格好をしている。
「夜には戻るが、終わり次第施錠して帰っていい。報告書は残しとけよ」
「分かりました」
  早坂が軽く頷いたのを見て、井ノ原はさっさと事務所を出ていった。硬い足音が遠ざかって行くのを聞き届けて、早坂は再び手元の写真に目を落とす。
  本業とは全く関係のない依頼ではあるが、それでも初めて早坂一人に任された仕事だ。しかも幽霊の類は今回関係ない。怖い思いをしなくていいのなら、早坂としてはむしろ大歓迎である。
「……よし、やるか」
  そう呟いて自分に気合いを入れると、早坂は猫の写真をコートのポケットにしまって、事務所を後にした。


  使い込まれて色あせたピンクの猫じゃらしを片手に、早坂は冬の町を歩く。デスクの上に置かれていたこれが、わらびの好きなおもちゃらしい。
  閑静な住宅地をてくてく歩いていると、身を切るような冷たい風に吹かれて、猫じゃらしに着いた鈴がチリンと可愛らしい音を鳴らした。こんな寒い中、家に帰れないでいるのは可哀想だ。早いうちに見つけてやりたいと思うのだが。
「こんなでっかい猫、この辺にいたら気づきそうなもんだけどなあ」
  井ノ原から預かった写真の猫は、綿がへたれて平らになった座布団から巨体を盛大にはみ出させて、気持ち良さそうに眠っている。恐らく人間の赤ん坊とか小型犬よりも大きいだろう。
  そもそも最近では野良猫自体の数も減っているし、こんな目立つ猫が近所にいるなら出勤の際に見かけていそうなものである。
(……いや、そうとも言い切れないか?)
  早坂は足を止めて、民家の隙間にある細い路地に目を向けた。
  この町には、こういった地図に載っているかも怪しいような、細い道がかなり多い。井ノ原のメモによればわらびは暗い所を好むようだし、裏道に入り込んでいるなら見つからないのも無理はない。
(ってことは、つまり……こういう道を片っ端から見て行かなきゃいけないってことだよな)
  目の前に伸びる道は大人ひとり通るのがやっとの広さで、その先はどこへ続いているのかも分からない。いや、そもそもどこにも繋がっていない確率の方が高い。
  これは、思っていたより厄介な仕事になりそうだ。
  井ノ原が早坂ひとりに任せてきた理由が、少し分かったような気がした。

  *

「わらび~……お前、わらびか?ちょっとこっちおいで」
  そして約一時間後。早坂はブロック塀に挟まれた隙間に顔と猫じゃらしを突っ込んで、探し猫の名を呼んでいた。
「わらび…………あっ」
  その名を呼ぶこと数回。わらびかと思われた猫は、俊敏な動きで塀の遥か向こうへと走って逃げてしまった。だが本物のわらびなら、あんな機敏な動作は出来ないだろう。色は白かったがシルエットも細身だったし、恐らくただの野良猫だったようだ。
「また空振りか……」
  ため息を吐いて、隙間から顔を離す。その瞬間、道に立ち止まって早坂に不審げな目を向けていた中年女性と、ばっちり目が合ってしまった。
  しばしの間、気まずい沈黙が流れる。
「あ、えっと……猫!猫を探してるんです!」
  聞かれてもいない言い訳をして、右手の猫じゃらしをアピールしつつ、早坂は慌てて踵を返した。通報されて仕事が出来ませんでした、なんて報告書を残したら、後で井ノ原に物理的に絞られてしまう。
(まあでも、そりゃ怪しいよな……)
  猫じゃらしを持った身長百八十センチ超の大男が自宅の壁に張り付いている様子を目にしたら、普通は警察を呼ぶだろう。平和な仕事だと思ったが、想定していなかった危険が多すぎる。
  このまま、何のあてもなく探し続けるだけでいいのだろうか。
  冬の太陽は儚い。時刻はまだ午後五時前だが、周囲にはすでに夜の気配が漂い始めている。完全に日が暮れてしまえば、今より捜索は困難になるだろう。
  井ノ原はほどほどで切り上げていいというようなことを言っていたが、もう一度日を改めて探しに出るべきではないのか。ともかく一度、井ノ原に確認を入れてみよう。電波の届く場所に居てくれればいいのだが。
  そう思って、猫じゃらしを持ったままの手でポケットのスマホを取り出そうとした時。
「あっ」
  コートのボタンに引っかかってしまったらしく、猫じゃらしに着いていた鈴が千切れて地面に転がった。
「やば、ちょっと」
  咄嗟に屈んで手を伸ばそうとするも、鈴はチリチリと軽やかな音をたてながら、どんどん転がって脇道の奥へと入り込んでいく。まずい。猫を見つけられなかったうえに預かり物まで破損させたなんて、いくらなんでも依頼主に申し訳が立たない。
「待てって、言ってるだろ!」
  言ったところで鈴に通じるわけがないのだが、早坂が苛立ち混じりに声を上げた直後、鈴は打ち捨てられたクッションのような物にぶつかって、ようやくその動きを止めた。
「はあ、良かった。直せるかなこれ……」
  ひとりでボヤきながら、鈴を拾いあげようと早坂が手を伸ばす。
  その瞬間、薄汚れたクッションが鋭い目つきで早坂を睨みつけてきた。
「うわあっ?!」
  なんだこいつは、化け物か幽霊か妖怪か。早坂が慌てて距離を取ると同時に、クッションが「ブミィ」と不細工な声で鳴いた。
「…………猫?」
  はっとして、ポケットにしまっていた写真を取り出す。間違いない。写真より薄汚れているが、目の前にいるこれはクッションではない。早坂が探していた猫、わらびだ。
「こんなところに居たのか、わらび……あっ、逃げるなよ。怖くないからな」
  なるべく優しい声で呼びかけながら、わらびを怯えさせないように、出来る限り体を小さくして近づく。しかし早坂の心配をよそに、わらびはあっさりと早坂の手の中に収まった。
「なんだ、おとなしいなお前。なんで逃げたりしたんだか」
  巨大な猫を両手でしっかりと抱えて立ち上がる。まるで米袋を抱いているような重量感だ。
「おっも……」
  そう呟いて、辺りを少し見回す。わらびが居た場所は、どうやらうどん屋か何かの裏口だったらしい。目の前の通気孔から、香ばしいカツオ出汁の匂いが漂ってくる。
「お前、もしかして腹減ってたのか?おばあさんからおやつ預かってるぞ」
  猫じゃらしと共に置かれていたひと口サイズのチーズを取り出し、わらびの鼻先に近づけてやる。わらびはピンク色の鼻をヒクヒクと動かしたかと思うと、黙ってパカッと口を開けた。そしてそのままピクリとも動こうとしない。
「こいつ……」
  なんて怠惰なやつなのだろうか。そんなんだから米俵みたいになるんだぞ。
  しかし、そんな事を言ったとて猫に通じるはずもない。仕方なく早坂は個包装を開けて、そのだらけきった口の中に、チーズを一欠片放り込んでやった。
  しばらくむぐむぐと口を動かしていたわらびだったが、好物を食べ終えて満足したのか、短く「ブミ」と鳴いて目を細めた。ゴツい見た目ではあるが、こう見るとなかなか愛嬌がある……かもしれない。
「甘やかされてんなあ、こいつ。まあいいや。さっさと帰って、おばあさんにちゃんとしたご飯食べさせて貰えよ」
  そうして早坂は再び大きな猫を抱え直し、来た道を戻ろうと振り返った。のだが。
「………………なんで?」
  あまりのことに、一瞬何も考えられなくなった。
  来たはずの道が、ない。
  そんな馬鹿な。ここは表通りからほんのちょっと奥に来ただけの、たいして長くもない一本道だったはずだ。どう考えても来た道を見失うような場所ではない。
  だというのに、何度見ても、行くべき道の先はブロック塀に塞がれている。誰が見ても間違いない、完全な袋小路だ。
「あー……そうだ、スマホ。スマホの地図アプリを見よう。そしたら帰れるだろ。だってこの辺、ウチの事務所の近くだし」
  虚ろな声で自分に言い聞かせながら、片手でポケットのスマホを取り出す。そうだ、面倒をかけるなと怒られるかも知れないが、スマホがあれば井ノ原に助けを求めることだって出来る。文明の利器って素晴らしいな。
  期待を寄せつつ、早坂はスマホの画面を開いた。しかし、そこに表示されていたのは『圏外』の無情な二文字。
「なんっっで、こんな町中で圏外になるんだよ!!」
  張り詰めていたものが一気に崩壊し、気づいた時には叫んでいた。そのままの勢いでスマホを地面に叩きつけそうになったが、それだけはどうにか理性で堪える。まだ契約して一年しか経っていないのに、破壊したら泣きを見るのは自分だ。
「普通の依頼って言ったのに、なんでこうなるんだよ……」
  少し冷静になると、今度は絶望感がひしひしと体に染みてくる。
  もう認めるしかない。この状況は明らかに異常だ。そして普通では説明のつかない現象には、たいてい怪異の類が関わっている。
  けれど、それが分かったところで早坂に為す術はない。早坂に出来るのは、霊的なモノを見ることだけ。その上、そういったモノに取り憑かれやすいという、この状況ではマイナスにしかならなそうな特技まである。どうしよう。どうしたらいい?
「そうだ。井ノ原さんだったら、こういう時どうするか……」
  咄嗟に思い浮かべたのは、皮肉屋な上司の顔だった。
  早坂とて伊達に半年も霊媒師の助手なんてやってきたわけではない。技術は上の者から盗めばいいのだ。
  そう思って少し考えてみたが、頭に浮かんできたのは、いつものムカデもどきを呼び出し、目の前のブロック塀を破壊して脱出する井ノ原の姿だった。ダメだ、なんの参考にもならない。
  深々とため息を吐いた早坂の腕の中で、わらびが「ブニ」と小さく鳴いた。そういえば、あんなに騒いでしまったのにわらびは大人しいなと、ふと視線を下ろして見る。
  ずっしりと重い猫は顔だけを横に向けて、やけに真っ直ぐな目で、ある一点を見つめていた。
「わらび?」
  その瞳にどこか不思議な色を感じて、思わず視線の先を辿る。
  その向こうに続いているのは、早坂が入ってきたのと反対側。ここよりさらに細くなった路地の奥だった。そちらの方は行き止まりではなく、どこか別の通りへと繋がっているらしい。
(どこかって、どこだよ……)
  わらびを支える手に、嫌な汗が滲んできた。
  まるで何かに誘い込まれているようで、道の先を見つめれば見つめるほど、嫌な予感はがりが募る。けれど、ここで立ち尽くしていても、どうにもならないのも確かだ。
  自分は井ノ原とは違う。化け物のペットなんていないし、怪異を祓う力もない。だから、少しでも可能性があるのなら、その先に進んでみるしかないのだ。

  踏ん張った足にぐっと力を込めて、早坂は一歩、路地の向こうへと足を踏み出した。
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