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第4話
1.泡沫(うたかた)の休日
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翌朝、湊は厳に叩き起こされ、有無を言わさず車に押し込まれた。
ハンドルを握っているのは、いつもの運転手ではない。厳自身だ。
組長が自らハンドルを握るなど、異例中の異例である。
「げ、厳さん、どこへ行くんですか....?」
「黙って乗っていろ。少し頭を冷やしたい。」
厳はサングラス越しに前だけを見据えている。
首都高を抜け、車は山間の道を走っていく。やがて到着したのは、地図にも載っていないような山奥の隠れ家的な温泉旅館だった。
「『離れ』を借り切った。ここなら誰も来ない。」
通された部屋は、渓谷を見下ろす露天風呂付きの客室だった。
静寂。聞こえるのは川のせせらぎと、鳥の声だけ。
東京の喧騒も、霧島の冷たい視線も、ここにはない。
夜になり、2人は岩造の露天風呂に浸かっていた。
湯気が白く立ち上る中、厳が湯船に体を沈めると、背中の「鴉と牡丹」の刺青が、湯に濡れて鮮やかに浮き上がった。
それは恐ろしくも美しい、生きた絵画のようだった。
「...背中、流します。」
湊がおずおずと申し出ると、厳は無言で背を向けた。
手桶で湯をかけ、タオルで広い背中を撫でる。筋肉の鎧に覆われたその背中には、無数の古傷が刻まれていた。
銃痕、刃物の跡、この男が潜り抜けてきた死線の数だ。
「...俺の肌なんぞ触っても、面白くはないだろう。」
「そんなこと、ありません。」
湊は指先で、厳の肩にある牡丹の花弁をなぞった。
「厳さんの背中は、大きくて...少し悲しいです。」
「悲しい、か...。」
厳が鼻で笑う。
「ヤクザの背中を見て泣きそうな顔をするのは、世界広しといえど、お前くらいだ。」
厳が振り返り、濡れた手で湊の頬を掴んだ。
湯気越しに見る厳の瞳は、いつもの鋭さが消え、どこか蕩けるように甘い。
「湊。....今この瞬間だけは、忘れろ。」
「え?」
「組のことも、霧島のことも、俺がヤクザだと言うことも。....今はただの男と男だ。」
厳が湊の腰を引き寄せ、自身の膝の上に乗せる。
湯の中で肌が密着する。熱い。お湯の熱さなのか、厳の体温なのか分からないほどに。
「ここには俺たちしかいない。誰に遠慮する必要もない。」
そう囁かれると、湊の心にあった不安の氷が溶け出していくのを感じた。
誰かに見られる恐怖も、いつか終わるかもしれない絶望もない。ただ、好きな人と肌を合わせる幸せだけがある。
それは、明日には消えてしまうかもしれない、泡沫の夢のような時間。
「...好きです、厳さん。」
「ああ。...知ってる。」
重なる唇は、いつもの血の味ではなく、優しい湯の香りがした。
月明かりの下、2人は互いの存在を確かめ合うように、何度も、何度も口付けを交わした。
この平穏が、嵐が来る前の最後の静けさだとは、まだ知らずに...。
ハンドルを握っているのは、いつもの運転手ではない。厳自身だ。
組長が自らハンドルを握るなど、異例中の異例である。
「げ、厳さん、どこへ行くんですか....?」
「黙って乗っていろ。少し頭を冷やしたい。」
厳はサングラス越しに前だけを見据えている。
首都高を抜け、車は山間の道を走っていく。やがて到着したのは、地図にも載っていないような山奥の隠れ家的な温泉旅館だった。
「『離れ』を借り切った。ここなら誰も来ない。」
通された部屋は、渓谷を見下ろす露天風呂付きの客室だった。
静寂。聞こえるのは川のせせらぎと、鳥の声だけ。
東京の喧騒も、霧島の冷たい視線も、ここにはない。
夜になり、2人は岩造の露天風呂に浸かっていた。
湯気が白く立ち上る中、厳が湯船に体を沈めると、背中の「鴉と牡丹」の刺青が、湯に濡れて鮮やかに浮き上がった。
それは恐ろしくも美しい、生きた絵画のようだった。
「...背中、流します。」
湊がおずおずと申し出ると、厳は無言で背を向けた。
手桶で湯をかけ、タオルで広い背中を撫でる。筋肉の鎧に覆われたその背中には、無数の古傷が刻まれていた。
銃痕、刃物の跡、この男が潜り抜けてきた死線の数だ。
「...俺の肌なんぞ触っても、面白くはないだろう。」
「そんなこと、ありません。」
湊は指先で、厳の肩にある牡丹の花弁をなぞった。
「厳さんの背中は、大きくて...少し悲しいです。」
「悲しい、か...。」
厳が鼻で笑う。
「ヤクザの背中を見て泣きそうな顔をするのは、世界広しといえど、お前くらいだ。」
厳が振り返り、濡れた手で湊の頬を掴んだ。
湯気越しに見る厳の瞳は、いつもの鋭さが消え、どこか蕩けるように甘い。
「湊。....今この瞬間だけは、忘れろ。」
「え?」
「組のことも、霧島のことも、俺がヤクザだと言うことも。....今はただの男と男だ。」
厳が湊の腰を引き寄せ、自身の膝の上に乗せる。
湯の中で肌が密着する。熱い。お湯の熱さなのか、厳の体温なのか分からないほどに。
「ここには俺たちしかいない。誰に遠慮する必要もない。」
そう囁かれると、湊の心にあった不安の氷が溶け出していくのを感じた。
誰かに見られる恐怖も、いつか終わるかもしれない絶望もない。ただ、好きな人と肌を合わせる幸せだけがある。
それは、明日には消えてしまうかもしれない、泡沫の夢のような時間。
「...好きです、厳さん。」
「ああ。...知ってる。」
重なる唇は、いつもの血の味ではなく、優しい湯の香りがした。
月明かりの下、2人は互いの存在を確かめ合うように、何度も、何度も口付けを交わした。
この平穏が、嵐が来る前の最後の静けさだとは、まだ知らずに...。
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