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第2話
電脳街の亡霊
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台北の夏は、湿度との戦いだ。
午後2時。太陽は真上から容赦なく照りつけ、アスファルトからは陽炎が立ち上っている。
MRT(地下鉄)忠孝新生駅を降りてすぐ。俺たち――厳と湊の目の前には、巨大な「電脳の迷宮」が広がっていた。
光華商場(グアンファシャンチャン)。
「台北の秋葉原」とも称されるこのエリアは、正規のPCショップが入る近代的なビル「光華デジタル新天地」と、その周辺の路地に寄生するように広がる無数のジャンク屋、電子部品店、怪しげな修理屋が混在する、カオスな空間だ。
「……すごい。熱気が違う。」
湊がサングラスを少しずらし、ひしめき合う看板を見上げた。その瞳が、久しぶりに少年のように輝いている。
逃亡生活の緊張感とは違う、自分の「ホームグラウンド」に帰ってきたという高揚感だ。
「はしゃぐなよ、湊。ここは観光地じゃない。」
「分かってるよ。でも、見てよ厳。あそこの店、旧式のサーバーラックが山積みだ。あっちは軍事規格のコネクタを扱ってる……!」
厳は周囲を警戒しながら、興奮気味に早歩きする湊の背中を追った。
黒龍会の林(リン)老婆から与えられたミッション――大陸系マフィアのサーバーへの侵入。それを遂行するには、市販のノートPCでは力不足だ。
湊が必要としているのは、複数の仮想マシンを同時に走らせても悲鳴を上げないモンスターマシンのパーツと、足がつかない特殊な通信機材。
それらを「表のルート」を使わずに調達しなければならない。
「……厳、こっち。ビルの裏手の路地へ行くよ。」
「おい、表のビルじゃないのか?」
「表で買ったら、防犯カメラに顔が残るし、カード履歴も残る。……本物は、もっと深い場所に埋まってるんだ。」
湊が案内したのは、八徳路の電気街から一本入った、薄暗い路地だった。
頭上には無数の配線がスパゲッティのように絡まり合い、エアコンの室外機から水滴が垂れてくる。
その一角にある、看板もない小さな店。店の前には、マザーボードや冷却ファンが無造作に段ボールに放り込まれている。
「……你好。パーツを探してるんだけど…」
湊が片言の中国語と英語を混ぜて店主に話しかける。
無精髭を生やした店主は、面倒くさそうに顔を上げると、湊が差し出したメモ――必要なスペックが書かれた紙――を一瞥し、鼻で笑った。
『……坊主。ゲームでも作る気か? こんなハイスペックなGPU、この店にはないよ。』
『あるでしょ。……奥の棚、下から二段目の箱。それと、ドイツ製の産業用ルーターも見せて。』
湊が怯まずに指差すと、店主の目が鋭くなった。
ただの観光客ではないと悟ったのだろう。店主は無言で奥へ引っ込み、埃を被った箱を持ってきた。
「……やるな。目利きは確かだ。」
厳が背後で囁く。湊はニヤリと笑い、現金の札束をカウンターに置いた。
交渉成立。
だが、店を出て路地を歩き始めた時だった。
「……厳」
「ああ。気づいてる」
厳が声を低くする。
尾行だ。
3人。いや、4人か。一般人を装っているが、足運びが素人ではない。距離を保ち、視線を合わせずに追ってくる。
黒龍会の監視役か、それとも敵対する大陸側の手の者か。
「……撒くぞ。次の角を右だ。」
「待って。」
湊が足を止めた。
視線の先には、路地の突き当たりにある、シャッターが半分閉まったガレージのような店。
その軒先で、1人の少年がパイプ椅子に座り、ボロボロのノートPCを叩いていた。
フードを目深に被り、歳は10代後半だろうか。周囲の喧騒から切り離されたように、指先だけが高速で動いている。
「……あの子」
湊が何かに引かれるように、その少年に近づこうとする。
「おい、湊!」
「……Wi-Fiが飛んでる。すごく強力な……しかも、暗号化コードが独特だ。」
ハッカー同士だけが感知できる、特殊な周波数。
湊が少年の前で立ち止まると、少年は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
フードの下から覗いた瞳は、死んだ魚のように濁っていながら、底知れない知性を宿していた。
「……Japanese?(日本人か?)」
少年が掠れた英語で呟く。
「……You are leaking packets. Too noisy.(パケットが漏れてるよ。うるさいな)」
「……!」
湊が息を呑む。
この少年は、湊が今持っているスマートフォンが、外部と通信しようとしている微弱なシグナルを「うるさい」と言い当てたのだ。それはつまり、俺たちが何者かに追跡(トラッキング)されていることを示唆していた。
「……誰だ、お前。」
厳が少年の前に立ちはだかる。
少年は興味なさげに厳を一瞥すると、画面に視線を戻した。
「……『李(リー)』。……あんたたちのスマホ、GPSが埋め込まれてるよ。バッテリーの裏。」
厳と湊は顔を見合わせた。
黒龍会の車に乗せられた時か。あるいは、アパートに侵入された時か。
「……外せるか?」
「簡単だ。……でも、タダじゃやらない。」
李と名乗った少年は、ニヤリと口角を歪めた。
「……その袋の中身。NVIDIAの最新チップだろ? 俺のジャンク品と交換なら、助けてやる。」
ふざけた提案だ。湊が大金をはたいて手に入れた虎の子のパーツだ。
だが、湊は迷わなかった。
「……いいよ。交換だ。」
「おい湊!」
「GPSが生きてたら、隠れ家がバレる。それに……この子のPC、ただのジャンクじゃない。中の基盤、独自に改造してある。」
湊は袋を少年に渡し、代わりに少年が足元から放り投げた、塗装の剥げた武骨な端末を受け取った。
「……Deal(取引成立)。……追っ手は西側の出口に先回りしてる。東の細道から抜けろ。」
李はそう言うと、再び自分の世界へと没入していった。
厳と湊は教えられた通り、東の路地へと走った。
複雑に入り組んだ迷路のような道を抜け、ようやく大通りに出た時、背後の路地から男たちの怒号が聞こえてきたが、もう姿は見えない。
タクシーを拾い、隠れ家とは別の方角へ走らせる。
車内で、湊は李から受け取った端末を開いた。
「……どうだ、掴まされたのはゴミか?」
「ううん。……すごいよ、厳。」
湊の指がキーボードを叩く。画面に次々とコードが流れる。
「これ、見た目はボロいけど、中身は化け物だ。……軍用の暗号解読アルゴリズムがプレインストールされてる。それに……」
湊は画面の片隅に表示された、小さなアイコンを指差した。
それは、黒い龍のマーク――黒龍会のエンブレムによく似ていたが、どこか意匠が違っていた。龍の目が、赤く泣いているように見える。
「……あの少年、ただのジャンク屋じゃない。黒龍会とも、大陸とも違う……『第3の勢力』かもしれない…」
厳は窓の外を流れる台北の街並みを睨んだ。
湿った風が、これから始まる長い嵐を予感させる。
たった1回の買い物で、これだけの火種を拾うとは。この街の闇は、想像以上に深くて広い。
「……面白くなってきたな。電脳街(ここ)には、亡霊が住んでいるらしい。」
「……うん。でも、僕たちも幽霊みたいなものだよ。……亡霊同士、仲良くできるかな?」
湊は手に入れた「武器」を抱きしめ、不敵に笑った。
その横顔は、昨夜の愛に濡れた表情とは違う、戦士の顔つきに戻っていた。
最初のピースが、今、カチリと音を立てて嵌まった。
午後2時。太陽は真上から容赦なく照りつけ、アスファルトからは陽炎が立ち上っている。
MRT(地下鉄)忠孝新生駅を降りてすぐ。俺たち――厳と湊の目の前には、巨大な「電脳の迷宮」が広がっていた。
光華商場(グアンファシャンチャン)。
「台北の秋葉原」とも称されるこのエリアは、正規のPCショップが入る近代的なビル「光華デジタル新天地」と、その周辺の路地に寄生するように広がる無数のジャンク屋、電子部品店、怪しげな修理屋が混在する、カオスな空間だ。
「……すごい。熱気が違う。」
湊がサングラスを少しずらし、ひしめき合う看板を見上げた。その瞳が、久しぶりに少年のように輝いている。
逃亡生活の緊張感とは違う、自分の「ホームグラウンド」に帰ってきたという高揚感だ。
「はしゃぐなよ、湊。ここは観光地じゃない。」
「分かってるよ。でも、見てよ厳。あそこの店、旧式のサーバーラックが山積みだ。あっちは軍事規格のコネクタを扱ってる……!」
厳は周囲を警戒しながら、興奮気味に早歩きする湊の背中を追った。
黒龍会の林(リン)老婆から与えられたミッション――大陸系マフィアのサーバーへの侵入。それを遂行するには、市販のノートPCでは力不足だ。
湊が必要としているのは、複数の仮想マシンを同時に走らせても悲鳴を上げないモンスターマシンのパーツと、足がつかない特殊な通信機材。
それらを「表のルート」を使わずに調達しなければならない。
「……厳、こっち。ビルの裏手の路地へ行くよ。」
「おい、表のビルじゃないのか?」
「表で買ったら、防犯カメラに顔が残るし、カード履歴も残る。……本物は、もっと深い場所に埋まってるんだ。」
湊が案内したのは、八徳路の電気街から一本入った、薄暗い路地だった。
頭上には無数の配線がスパゲッティのように絡まり合い、エアコンの室外機から水滴が垂れてくる。
その一角にある、看板もない小さな店。店の前には、マザーボードや冷却ファンが無造作に段ボールに放り込まれている。
「……你好。パーツを探してるんだけど…」
湊が片言の中国語と英語を混ぜて店主に話しかける。
無精髭を生やした店主は、面倒くさそうに顔を上げると、湊が差し出したメモ――必要なスペックが書かれた紙――を一瞥し、鼻で笑った。
『……坊主。ゲームでも作る気か? こんなハイスペックなGPU、この店にはないよ。』
『あるでしょ。……奥の棚、下から二段目の箱。それと、ドイツ製の産業用ルーターも見せて。』
湊が怯まずに指差すと、店主の目が鋭くなった。
ただの観光客ではないと悟ったのだろう。店主は無言で奥へ引っ込み、埃を被った箱を持ってきた。
「……やるな。目利きは確かだ。」
厳が背後で囁く。湊はニヤリと笑い、現金の札束をカウンターに置いた。
交渉成立。
だが、店を出て路地を歩き始めた時だった。
「……厳」
「ああ。気づいてる」
厳が声を低くする。
尾行だ。
3人。いや、4人か。一般人を装っているが、足運びが素人ではない。距離を保ち、視線を合わせずに追ってくる。
黒龍会の監視役か、それとも敵対する大陸側の手の者か。
「……撒くぞ。次の角を右だ。」
「待って。」
湊が足を止めた。
視線の先には、路地の突き当たりにある、シャッターが半分閉まったガレージのような店。
その軒先で、1人の少年がパイプ椅子に座り、ボロボロのノートPCを叩いていた。
フードを目深に被り、歳は10代後半だろうか。周囲の喧騒から切り離されたように、指先だけが高速で動いている。
「……あの子」
湊が何かに引かれるように、その少年に近づこうとする。
「おい、湊!」
「……Wi-Fiが飛んでる。すごく強力な……しかも、暗号化コードが独特だ。」
ハッカー同士だけが感知できる、特殊な周波数。
湊が少年の前で立ち止まると、少年は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
フードの下から覗いた瞳は、死んだ魚のように濁っていながら、底知れない知性を宿していた。
「……Japanese?(日本人か?)」
少年が掠れた英語で呟く。
「……You are leaking packets. Too noisy.(パケットが漏れてるよ。うるさいな)」
「……!」
湊が息を呑む。
この少年は、湊が今持っているスマートフォンが、外部と通信しようとしている微弱なシグナルを「うるさい」と言い当てたのだ。それはつまり、俺たちが何者かに追跡(トラッキング)されていることを示唆していた。
「……誰だ、お前。」
厳が少年の前に立ちはだかる。
少年は興味なさげに厳を一瞥すると、画面に視線を戻した。
「……『李(リー)』。……あんたたちのスマホ、GPSが埋め込まれてるよ。バッテリーの裏。」
厳と湊は顔を見合わせた。
黒龍会の車に乗せられた時か。あるいは、アパートに侵入された時か。
「……外せるか?」
「簡単だ。……でも、タダじゃやらない。」
李と名乗った少年は、ニヤリと口角を歪めた。
「……その袋の中身。NVIDIAの最新チップだろ? 俺のジャンク品と交換なら、助けてやる。」
ふざけた提案だ。湊が大金をはたいて手に入れた虎の子のパーツだ。
だが、湊は迷わなかった。
「……いいよ。交換だ。」
「おい湊!」
「GPSが生きてたら、隠れ家がバレる。それに……この子のPC、ただのジャンクじゃない。中の基盤、独自に改造してある。」
湊は袋を少年に渡し、代わりに少年が足元から放り投げた、塗装の剥げた武骨な端末を受け取った。
「……Deal(取引成立)。……追っ手は西側の出口に先回りしてる。東の細道から抜けろ。」
李はそう言うと、再び自分の世界へと没入していった。
厳と湊は教えられた通り、東の路地へと走った。
複雑に入り組んだ迷路のような道を抜け、ようやく大通りに出た時、背後の路地から男たちの怒号が聞こえてきたが、もう姿は見えない。
タクシーを拾い、隠れ家とは別の方角へ走らせる。
車内で、湊は李から受け取った端末を開いた。
「……どうだ、掴まされたのはゴミか?」
「ううん。……すごいよ、厳。」
湊の指がキーボードを叩く。画面に次々とコードが流れる。
「これ、見た目はボロいけど、中身は化け物だ。……軍用の暗号解読アルゴリズムがプレインストールされてる。それに……」
湊は画面の片隅に表示された、小さなアイコンを指差した。
それは、黒い龍のマーク――黒龍会のエンブレムによく似ていたが、どこか意匠が違っていた。龍の目が、赤く泣いているように見える。
「……あの少年、ただのジャンク屋じゃない。黒龍会とも、大陸とも違う……『第3の勢力』かもしれない…」
厳は窓の外を流れる台北の街並みを睨んだ。
湿った風が、これから始まる長い嵐を予感させる。
たった1回の買い物で、これだけの火種を拾うとは。この街の闇は、想像以上に深くて広い。
「……面白くなってきたな。電脳街(ここ)には、亡霊が住んでいるらしい。」
「……うん。でも、僕たちも幽霊みたいなものだよ。……亡霊同士、仲良くできるかな?」
湊は手に入れた「武器」を抱きしめ、不敵に笑った。
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