名前を捨てた王女と、踊り子の恋― 人形王女の選択 ―

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第3話 その光を、失わないために(アデル視点)

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孤児院で育つ子どもは、大きく分けて二種類いる。

泣くことを覚えなかった子と、泣くことをやめてしまった子だ。

俺――アデルは、たぶん前者だった。

親の顔も、声も、温もりも、何一つ覚えていない。だから悲しむことも、恨むこともなかった。ただ、ここにいる。それだけが、俺の始まりだった。

---

## ◆

「ほら、アデル。ちゃんと並びなさい」

「はーい」

孤児院の中庭。俺は言われた通り列に並びながら、胸を少し高鳴らせていた。隣の子が服の裾を引っ張っていて、後ろの子が小声で歌っている。

今日は、王城から慰問が来る日だった。

正直に言えば、最初はどうでもよかった。貴族なんて、遠い世界の人間だ。俺たちを見下ろすか、同情するか、そのどちらかだと思っていた。

――あの日までは。



馬車が止まり、扉が開いた瞬間。

俺の世界は、音を立てて変わった。

先に降りてきたのは、優しそうな女の人。金色の髪を結い上げて、白いドレスを着ている。あとで知ったが、女王陛下だった。

その隣から、ひょこっと顔を出した少女。

「わあ……!」

目を輝かせて、辺りを見回していた。

金色に近い淡い髪が陽の光に透けて、まるで光の輪みたいだった。少し高い声で、何か母親に話しかけている。そして、何より――感情が、そのまま表に出ている顔。

「ねえねえ、お母さま! ここ、広いね!」

「そうね。たくさんのお友達がいるわよ」

「本当!?」

あまりにも無邪気で、あまりにも"普通の女の子"で。

俺は、その場で立ち尽くした。

あの子が、王女だなんて。

そんなはずがないと思った。



「あなた、名前は?」

気づけば、彼女が目の前に立っていた。真っ直ぐこっちを見ている。少し首を傾げて、笑っている。

「……アデル」

声が、少しかすれた。

「アデル! 私はエレオノーラ!」

その瞬間だった。

胸の奥が、ひどくあたたかくなったのは。

まるで、太陽を飲み込んだみたいに。

---

## ◆

それから、彼女は何度も孤児院に来た。

俺は、彼女が来る日を指折り数えるようになった。月に一度だけ。でもその一日のために、俺は他の日を生きた。

彼女は、いつも俺を見つけてくれた。

「アデル! 今日も踊る?」

「もちろん!」

音楽がなくても、俺は踊った。回って、跳ねて、転びそうになって、笑う。他の子たちが見て笑って、拍手してくれる。

彼女も笑った。

それが、たまらなく嬉しかった。

---

「どうして、踊るの?」

ある日、彼女が聞いた。息を切らしながら、俺の隣に座って。

「楽しいから?」

「うーん……それもあるけど」

少し考えて、俺は答えた。

「見てる人が、元気になる気がするんだ」

「素敵!」

その一言で、俺は何でもできる気がした。空だって飛べる気がした。

――今思えば、あれはもう、恋だったのだと思う。

子どもなりの、不器用で、どうしようもなく真っ直ぐな。

でも、確かに"恋"だった。

---

## ◆

変化に気づいたのは、俺の方が先だった。

いつものように現れた彼女は、前よりも、静かだった。

「……エレオノーラ?」

「……あ、アデル」

微笑んではいた。でも、それは前と違った。

作られたみたいな、少しだけ遅れて動く表情。

「どうしたの?」

「……なんでもないわ」

その「なんでもない」が、胸にひっかかった。声の調子も、少し高すぎる。まるで、誰かに聞かれているみたいに。



次に来た時、彼女は踊らなかった。

その次は、俺の名前を呼ばなかった。

ただ、遠くから微笑むだけ。まるで、俺が知らない誰かになってしまったみたいに。

――そして、来なくなった。

---

## ◆

「王女さまのお母さまが、亡くなったんだって」

大人たちの話を、偶然聞いた。

胸が、ぎゅっと締めつけられた。

あの人が、いなくなった?

あの、優しい女王が?

それからしばらくして、慰問は正式に中止になった。理由は、「王女の教育が忙しくなったから」。

――嘘だ。

俺は、分かっていた。

あの子は、"何かを奪われている"。

笑顔も、声も、自由も。全部、誰かに奪われている。

---

夜、俺は一人で庭に出た。月が出ていた。

「……どうすればいいんだ」

声に出しても、答えは返ってこない。

でも、何もしないなんて、できなかった。

あの光を、このまま消させるわけにはいかない。
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