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第一話
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「メア・ドーナ・アボートゥム・エイウス・サーナ・ヴルネラ」
手の中の光が患者の中に吸収されて行き、無事に傷が塞がったことを確認して、一息をつく。
「治癒魔法は終わりました。痛みはまだありますか?」
治癒魔法を受けに来ていた騎士に問いかける。騎士は傷があった右腕を試しに何度か動かしたあと、首を横に振った。
「いえ、問題ありません。エマ様、ありがとうございます」
「様づけはよしてください。今の私はただの治癒魔法師のエマ。それ以上でもそれ以下でもありませんから」
「ですが、エマ様はフォルモーサ公爵家の……」
騎士が途中で言葉を途切れさせる。それは故意にではなく、人為的なものだった。
「お嬢様がこう言っていますので、どうかその言葉は胸の内にお納めください」
黒を基調とした侍従服に身を包んだ男性が、エマと騎士の間に割って入ったからだ。
「ウィリー、いいのよ。下がって。騎士様、確かに私はフォルモーサ公爵家の出ではありますが、十八歳となった二年前にその肩書きは私自身の意思によって捨ててしまいました。私の今の肩書きは王国騎士団専属の治癒魔法師です。令嬢に対する接し方ではなく、同僚として気楽に接してくださいませ」
二年もこうしたやりとりを何十人、何百人という人数としてきた。その度にエマがウィリーと呼ぶ男性、ウィリアム・ワトソンが庇ってくれるのも、お決まりの定形文を口にするのも、今ではすっかりと慣れてしまった。
騎士は、それでも何か言いたそうにしていたが、口を噤んで頭を下げてくる。
「……では、『聖女』であるエマ様に、こうして礼をさせてください」
それは同僚に礼として下げるものではなく、騎士として最高位の礼の仕方だった。騎士が頭を上げ、部屋をあとにする。その姿が扉を閉めたことで見えなくなったことを確認すると、エマはため息をついた。
「お嬢様、こちらをお飲みください」
「ありがとう、ウィリー」
「いいえ」
ウィリアムが手渡してきたのは、ミルクと砂糖がたっぷり入った温かい紅茶だった。口に含めば、柔らかな甘さが口内に広がる。
部屋の窓から見る外は、雲一つない青空が広がっていた。紅茶を半分ほど飲み終えたところで、机にティーカップを置き、窓の近くへと歩いていく。鍵を慣れた手つきで開錠し、窓を開けると春の温かな風が部屋に入ってきた。風が癖のない亜麻色の髪を弄ぶかのようにエマの傍を通り過ぎていく。風で乱れた髪を整えようとしたとき、一房だけ真っ白に染まってしまった髪が視界に入り、悲しい気持ちになる。
そんなエマの心情を察したのか、ウィリアムが自然な手つきで腰まであるエマの髪を、いとも簡単にポニーテールにしてしまった。
「この方が風で髪が乱れる心配もございませんので」
さすがフォルモーサ公爵家令嬢として生まれたその日から、ずっとエマに仕えてくれた侍従だと感心してしまう。しかしそれと同時に申し訳なさも感じてしまう。
「ねぇウィリー?」
「何でしょう、お嬢様。ちなみに、ミアカーナ様かリカルド様に仕えてもいいというお話は聞き飽きたので、違うお話でしたら受け付けます」
ミアカーナとリカルドはエマより二つ年下の双子の兄妹だ。リカルドに至ってはフォルモーサ公爵家の後継ぎでもある。フォルモーサの名を捨てたエマよりも、よほど将来性があるというものだ。
(それにミアカーナも――)
「私についてきても何の得もないのよ? フォルモーサの名を捨て、レオナルド殿下の婚約者としての地位も返上した、ただのエマなのだから。それに私の体は……」
窓の外に広がる青空のような瞳を、レオナルドは綺麗だと会う度にいつも褒めてくれた。ウィリアムもお嬢様によくお似合いの色だと嬉しそうに口にしていた。けれどその色は五年前の誕生日に前触れもなく失うこととなった。空を見上げる度に思い知らされてしまう。もう青空のような綺麗な色は、エマの瞳にはないのだということを。
窓ガラスに薄っすらと映る自身の顔。その顔についている瞳の色は青ではなく、金色だった。
「お嬢様、私はフォルモーサ公爵家に仕えてきましたが、それはあくまでも雇用主の話。私の忠誠心は公爵家当主ではなく、お嬢様にいつもあるのです。ですからここに私がいることも私の意思。ご当主にも許可を得て、こうして傍にいるのです。お嬢様が心配されることは何もございません」
フォルモーサの名を捨てたとしても、父からしてみればエマは自身の子。罪を犯して名を捨てたわけではない。むしろ魔力過多症という病気が原因で名を捨てただけなのだから、父が心配するのも当然といえる。給金もフォルモーサ家からきちんと支給されているのだろう。けれどウィリアムは、父が右腕にしたいくらいだと零すほどに優秀な人材だった。そんな人物がエマについていては、宝の持ち腐れだと思ってしまうのだ。
青空からウィリアムへと視線を移す。濃い紫色の一対の瞳が真っすぐとエマに向けられていた。きちんと揃えられた赤褐色の髪は春の風ごときでは乱れもしない。
「ワトソン君、相変わらず変なところで頭が固いのね」
エマは時折、おふざけのようにウィリアムをワトソン君と呼ぶ。これは小さい頃にはまっていた小説に出て来た主人公の名前で、エマお気に入りのキャラクターでもあった。その頃からずっと冗談を言い合うときだけその名前を呼んでいた。
「これは私の性格ですので。頭の固い侍従を使いこなせるのは貴女しかいませんよ、エマ様」
ウィリアムもこれについては気に入っているのか、注意どころか嬉しそうに会話に乗ってくれる。その証拠にその時の会話だけはお嬢様ではなく、名前を呼んでくれていた。
手の中の光が患者の中に吸収されて行き、無事に傷が塞がったことを確認して、一息をつく。
「治癒魔法は終わりました。痛みはまだありますか?」
治癒魔法を受けに来ていた騎士に問いかける。騎士は傷があった右腕を試しに何度か動かしたあと、首を横に振った。
「いえ、問題ありません。エマ様、ありがとうございます」
「様づけはよしてください。今の私はただの治癒魔法師のエマ。それ以上でもそれ以下でもありませんから」
「ですが、エマ様はフォルモーサ公爵家の……」
騎士が途中で言葉を途切れさせる。それは故意にではなく、人為的なものだった。
「お嬢様がこう言っていますので、どうかその言葉は胸の内にお納めください」
黒を基調とした侍従服に身を包んだ男性が、エマと騎士の間に割って入ったからだ。
「ウィリー、いいのよ。下がって。騎士様、確かに私はフォルモーサ公爵家の出ではありますが、十八歳となった二年前にその肩書きは私自身の意思によって捨ててしまいました。私の今の肩書きは王国騎士団専属の治癒魔法師です。令嬢に対する接し方ではなく、同僚として気楽に接してくださいませ」
二年もこうしたやりとりを何十人、何百人という人数としてきた。その度にエマがウィリーと呼ぶ男性、ウィリアム・ワトソンが庇ってくれるのも、お決まりの定形文を口にするのも、今ではすっかりと慣れてしまった。
騎士は、それでも何か言いたそうにしていたが、口を噤んで頭を下げてくる。
「……では、『聖女』であるエマ様に、こうして礼をさせてください」
それは同僚に礼として下げるものではなく、騎士として最高位の礼の仕方だった。騎士が頭を上げ、部屋をあとにする。その姿が扉を閉めたことで見えなくなったことを確認すると、エマはため息をついた。
「お嬢様、こちらをお飲みください」
「ありがとう、ウィリー」
「いいえ」
ウィリアムが手渡してきたのは、ミルクと砂糖がたっぷり入った温かい紅茶だった。口に含めば、柔らかな甘さが口内に広がる。
部屋の窓から見る外は、雲一つない青空が広がっていた。紅茶を半分ほど飲み終えたところで、机にティーカップを置き、窓の近くへと歩いていく。鍵を慣れた手つきで開錠し、窓を開けると春の温かな風が部屋に入ってきた。風が癖のない亜麻色の髪を弄ぶかのようにエマの傍を通り過ぎていく。風で乱れた髪を整えようとしたとき、一房だけ真っ白に染まってしまった髪が視界に入り、悲しい気持ちになる。
そんなエマの心情を察したのか、ウィリアムが自然な手つきで腰まであるエマの髪を、いとも簡単にポニーテールにしてしまった。
「この方が風で髪が乱れる心配もございませんので」
さすがフォルモーサ公爵家令嬢として生まれたその日から、ずっとエマに仕えてくれた侍従だと感心してしまう。しかしそれと同時に申し訳なさも感じてしまう。
「ねぇウィリー?」
「何でしょう、お嬢様。ちなみに、ミアカーナ様かリカルド様に仕えてもいいというお話は聞き飽きたので、違うお話でしたら受け付けます」
ミアカーナとリカルドはエマより二つ年下の双子の兄妹だ。リカルドに至ってはフォルモーサ公爵家の後継ぎでもある。フォルモーサの名を捨てたエマよりも、よほど将来性があるというものだ。
(それにミアカーナも――)
「私についてきても何の得もないのよ? フォルモーサの名を捨て、レオナルド殿下の婚約者としての地位も返上した、ただのエマなのだから。それに私の体は……」
窓の外に広がる青空のような瞳を、レオナルドは綺麗だと会う度にいつも褒めてくれた。ウィリアムもお嬢様によくお似合いの色だと嬉しそうに口にしていた。けれどその色は五年前の誕生日に前触れもなく失うこととなった。空を見上げる度に思い知らされてしまう。もう青空のような綺麗な色は、エマの瞳にはないのだということを。
窓ガラスに薄っすらと映る自身の顔。その顔についている瞳の色は青ではなく、金色だった。
「お嬢様、私はフォルモーサ公爵家に仕えてきましたが、それはあくまでも雇用主の話。私の忠誠心は公爵家当主ではなく、お嬢様にいつもあるのです。ですからここに私がいることも私の意思。ご当主にも許可を得て、こうして傍にいるのです。お嬢様が心配されることは何もございません」
フォルモーサの名を捨てたとしても、父からしてみればエマは自身の子。罪を犯して名を捨てたわけではない。むしろ魔力過多症という病気が原因で名を捨てただけなのだから、父が心配するのも当然といえる。給金もフォルモーサ家からきちんと支給されているのだろう。けれどウィリアムは、父が右腕にしたいくらいだと零すほどに優秀な人材だった。そんな人物がエマについていては、宝の持ち腐れだと思ってしまうのだ。
青空からウィリアムへと視線を移す。濃い紫色の一対の瞳が真っすぐとエマに向けられていた。きちんと揃えられた赤褐色の髪は春の風ごときでは乱れもしない。
「ワトソン君、相変わらず変なところで頭が固いのね」
エマは時折、おふざけのようにウィリアムをワトソン君と呼ぶ。これは小さい頃にはまっていた小説に出て来た主人公の名前で、エマお気に入りのキャラクターでもあった。その頃からずっと冗談を言い合うときだけその名前を呼んでいた。
「これは私の性格ですので。頭の固い侍従を使いこなせるのは貴女しかいませんよ、エマ様」
ウィリアムもこれについては気に入っているのか、注意どころか嬉しそうに会話に乗ってくれる。その証拠にその時の会話だけはお嬢様ではなく、名前を呼んでくれていた。
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