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バルーダ王国編
③〈番外編─その瞳に映るものは その2〉
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元王妃はごくりと喉を鳴らしてその書類を見ていたが、やがて震える手でゆっくりとそれを受け取った。
そして、険しい顔のままの元王妃はそれを真っ二つに破り、羽ペンを折ってその場へと放り投げる。
「アレイシア様っ!?」
女官たちの絶叫に近いような、叫び声。
広場の民衆からは、憐みにも近いため息が数々漏れた。
「一度は神が結び付けた婚姻ならば、私は最後まで陛下の妃です。
どんなことがあろうとも、喜んで死を受け入れましょう」
震える声で、かすかな笑みを口元に浮かべる元王妃。
彼女だって、『神の御許』へとは言わなかった。
首と胴が離れれば、天界へと行けないのはこの世界の常識だ。
それでも、元国王と運命を共にする。
責任感の強い、信仰に篤い元王妃らしい選択であった。
「そう言うだろうと思ってたぜ。残念だな、バルーダ夫人よぉ?」
結果は分かり切っていたとでも言いたげに、サーリフがペンと紙を拾い上げる。
バルーダ夫人─それが今の彼女に与えられた名前だ。
サーリフは、破られた『それ』を高々と掲げると、民衆へと呼びかけた。
「皆っ! バルーダ夫人は離婚を拒否した! よってっ!」
首を切ると言いかけた声を遮って、広場のどこかから男の叫び声が聞こえてきた。
「首は切るなっ! 他でやれっ!」
その声は一瞬の間を置いて、さざ波のように広場全体に広がっていく。
「そうだっ!」
では、何があるのだろう?
斬首はこの世界の処刑方法の中で、一番残酷とされている。
何かの生き物に食わせたり、身を裂くような刑では、身分の低いものへの処刑方法になるが、そちらを選ぶ者も少なくない。
なぜなのか?
首が胴から離れるのは、天界へ行けないとされる最も恐れられることであるのは、この世界の絶対的な常識である。
身分が高いほど、『首が残る』処刑方法を選んでもらえる特権がある。
それ以外は、決してありえない。
しかし、国民を苦しめた圧政の象徴であった夫は、『ありえない方法』で処刑された。
彼女だって斬首と決まったはずだ。
では、いったい他に何が⋯⋯?
王や王妃とは、神や猊下の次に最も高貴な存在であるはずなのに。
それ以外、いったい何があると言うのだろう。
「皆の者っ!」
元王妃が声を張り上げると、広場は静まり返った。
「そなたらの思い、ありがたく思う! だが、私は先の陛下と同じでよろしい!」
人々は静まり返って元王妃の声を聞いていたが、しばらくの沈黙の後、大きな声が上がった。
「キュセルだっ!」
貴人の処刑方法には、賜薬かキュセルでの絞殺もあるのだが、広場の誰かがそれを思い出したらしい。
「こ、これ。使いなよっ! キュセルじゃないけどさ」
1人の女が防寒用に巻いていたスカーフを解くと、頭上に掲げて振り回した。
その途端、広場にいただろう女たちが一斉にスカーフを外す。
人々でひしめき合って身動き取れない会場で、人から人へとそのスカーフは運ばれる。
そして、あっという間に血の少しでもついていない一角へと積み上げられた。
台の上にいる人々には、驚きのあまり言葉も無い。
その中で一番上等そうなスカーフを選んで、手・口・目を縛ろうとするが元王妃は拒否した。
作法には反するが、この国を最後まで見ていたいと主張したのだ。
もちろん、反対するものなど誰もいなかった。
やがてもう一度、最後の告解が許可された。
それを済ませた元王妃は、心残りが無いと言った顔でひざまづいた。
しばらく元王妃の顔色を窺っていたサーリフが、遠慮がちに叫ぶ。
「誰か身分の高い奴、いねぇかっ?」
貴人を絞殺するには、素材は必ずキュセル。
それ以外だと、屈辱的とされる。
キュセルとは地上で言うところの絹に相当する。
それに貴人を処刑するには、素材以外にも身分の高い処刑役人や、儀式としての決まりも必要なのだ。
元々、低身分の者が高位の者に触れてはいけない暗黙の了解もある。
今は何もかも足らないが、少しでも処刑方法を守って死なせてやりたいと願うサーリフの心に対して、異を唱えるものは誰もいなかった。
しかし、応じるものなどいるはずもない。
おそらく、身分の高い者は何人か隠れて処刑を見物しているに違いないが、出れば自分の身が危うい。
貴族や高位の者は、殺されるか国外逃亡していたし、王と親しかった王党派と呼ばれる人々の中には指名手配をかけられる者もいた。
貴族でなくても高位、金持ちと言うだけでも日頃の恨みの鬱積からか、殴り殺される者も多かった。
「では」
沈黙の中、苦しいうめき声を発したサーリフがスカーフを取ろうと腰を曲げた時、人々の中から男の声があがった。
人々に押し出されるように、全身黒づくめで深い大きめの帽子をかぶり、長いスカーフを首に巻いた男が上へと押し上げられる。
一見、喪服姿の商人か墓守にしか見えない格好の男が帽子を取ると、広場から大きなどよめきがあがった。
「お、お前はっ!?」
サーリフ自身も驚きで、それ以上言葉にならない。
そう、親王党派であり、元国王夫妻に最も近しい者として第一級の指名手配をかけられて逃亡中であった、ジェリックス卿だった。
彼には高額の懸賞金もかけられており、議会を始め国中が血眼になって探していた人物でもあった。
「まぁ! なぜ、卿!?」
どんな時も常に生気のない瞳をしていた元王妃も、彼を見た途端、さすがに相好を崩して目頭を潤ませる。
上から下まで卿を眺めまわすと、サーリフはその手に握っていたスカーフを押し込むように握らせる。
「⋯⋯⋯⋯お前がやれ」
卿は渡されたスカーフを手に震えていたが、元王妃の微笑みを見て決意したかのようにうなずくと、スカーフをサーリフへと返した。
訝しがるサーリフの前で自分のしていた黒い長いスカーフを首から取ると、彼の前へと突き出す。
「⋯⋯⋯キュセルだ」
サーリフが無言で、了承したと言わんばかりに大きくうなずいた。
卿がゆっくりと彼女に近づくと、少しお待ちくださいと言って元王妃が立ち上がった。
やはり、止めるものなど誰もいない。
そして、険しい顔のままの元王妃はそれを真っ二つに破り、羽ペンを折ってその場へと放り投げる。
「アレイシア様っ!?」
女官たちの絶叫に近いような、叫び声。
広場の民衆からは、憐みにも近いため息が数々漏れた。
「一度は神が結び付けた婚姻ならば、私は最後まで陛下の妃です。
どんなことがあろうとも、喜んで死を受け入れましょう」
震える声で、かすかな笑みを口元に浮かべる元王妃。
彼女だって、『神の御許』へとは言わなかった。
首と胴が離れれば、天界へと行けないのはこの世界の常識だ。
それでも、元国王と運命を共にする。
責任感の強い、信仰に篤い元王妃らしい選択であった。
「そう言うだろうと思ってたぜ。残念だな、バルーダ夫人よぉ?」
結果は分かり切っていたとでも言いたげに、サーリフがペンと紙を拾い上げる。
バルーダ夫人─それが今の彼女に与えられた名前だ。
サーリフは、破られた『それ』を高々と掲げると、民衆へと呼びかけた。
「皆っ! バルーダ夫人は離婚を拒否した! よってっ!」
首を切ると言いかけた声を遮って、広場のどこかから男の叫び声が聞こえてきた。
「首は切るなっ! 他でやれっ!」
その声は一瞬の間を置いて、さざ波のように広場全体に広がっていく。
「そうだっ!」
では、何があるのだろう?
斬首はこの世界の処刑方法の中で、一番残酷とされている。
何かの生き物に食わせたり、身を裂くような刑では、身分の低いものへの処刑方法になるが、そちらを選ぶ者も少なくない。
なぜなのか?
首が胴から離れるのは、天界へ行けないとされる最も恐れられることであるのは、この世界の絶対的な常識である。
身分が高いほど、『首が残る』処刑方法を選んでもらえる特権がある。
それ以外は、決してありえない。
しかし、国民を苦しめた圧政の象徴であった夫は、『ありえない方法』で処刑された。
彼女だって斬首と決まったはずだ。
では、いったい他に何が⋯⋯?
王や王妃とは、神や猊下の次に最も高貴な存在であるはずなのに。
それ以外、いったい何があると言うのだろう。
「皆の者っ!」
元王妃が声を張り上げると、広場は静まり返った。
「そなたらの思い、ありがたく思う! だが、私は先の陛下と同じでよろしい!」
人々は静まり返って元王妃の声を聞いていたが、しばらくの沈黙の後、大きな声が上がった。
「キュセルだっ!」
貴人の処刑方法には、賜薬かキュセルでの絞殺もあるのだが、広場の誰かがそれを思い出したらしい。
「こ、これ。使いなよっ! キュセルじゃないけどさ」
1人の女が防寒用に巻いていたスカーフを解くと、頭上に掲げて振り回した。
その途端、広場にいただろう女たちが一斉にスカーフを外す。
人々でひしめき合って身動き取れない会場で、人から人へとそのスカーフは運ばれる。
そして、あっという間に血の少しでもついていない一角へと積み上げられた。
台の上にいる人々には、驚きのあまり言葉も無い。
その中で一番上等そうなスカーフを選んで、手・口・目を縛ろうとするが元王妃は拒否した。
作法には反するが、この国を最後まで見ていたいと主張したのだ。
もちろん、反対するものなど誰もいなかった。
やがてもう一度、最後の告解が許可された。
それを済ませた元王妃は、心残りが無いと言った顔でひざまづいた。
しばらく元王妃の顔色を窺っていたサーリフが、遠慮がちに叫ぶ。
「誰か身分の高い奴、いねぇかっ?」
貴人を絞殺するには、素材は必ずキュセル。
それ以外だと、屈辱的とされる。
キュセルとは地上で言うところの絹に相当する。
それに貴人を処刑するには、素材以外にも身分の高い処刑役人や、儀式としての決まりも必要なのだ。
元々、低身分の者が高位の者に触れてはいけない暗黙の了解もある。
今は何もかも足らないが、少しでも処刑方法を守って死なせてやりたいと願うサーリフの心に対して、異を唱えるものは誰もいなかった。
しかし、応じるものなどいるはずもない。
おそらく、身分の高い者は何人か隠れて処刑を見物しているに違いないが、出れば自分の身が危うい。
貴族や高位の者は、殺されるか国外逃亡していたし、王と親しかった王党派と呼ばれる人々の中には指名手配をかけられる者もいた。
貴族でなくても高位、金持ちと言うだけでも日頃の恨みの鬱積からか、殴り殺される者も多かった。
「では」
沈黙の中、苦しいうめき声を発したサーリフがスカーフを取ろうと腰を曲げた時、人々の中から男の声があがった。
人々に押し出されるように、全身黒づくめで深い大きめの帽子をかぶり、長いスカーフを首に巻いた男が上へと押し上げられる。
一見、喪服姿の商人か墓守にしか見えない格好の男が帽子を取ると、広場から大きなどよめきがあがった。
「お、お前はっ!?」
サーリフ自身も驚きで、それ以上言葉にならない。
そう、親王党派であり、元国王夫妻に最も近しい者として第一級の指名手配をかけられて逃亡中であった、ジェリックス卿だった。
彼には高額の懸賞金もかけられており、議会を始め国中が血眼になって探していた人物でもあった。
「まぁ! なぜ、卿!?」
どんな時も常に生気のない瞳をしていた元王妃も、彼を見た途端、さすがに相好を崩して目頭を潤ませる。
上から下まで卿を眺めまわすと、サーリフはその手に握っていたスカーフを押し込むように握らせる。
「⋯⋯⋯⋯お前がやれ」
卿は渡されたスカーフを手に震えていたが、元王妃の微笑みを見て決意したかのようにうなずくと、スカーフをサーリフへと返した。
訝しがるサーリフの前で自分のしていた黒い長いスカーフを首から取ると、彼の前へと突き出す。
「⋯⋯⋯キュセルだ」
サーリフが無言で、了承したと言わんばかりに大きくうなずいた。
卿がゆっくりと彼女に近づくと、少しお待ちくださいと言って元王妃が立ち上がった。
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