銀色の年代記(クロニクル)~番外編 アルファポリス版 AI校正ver

安倍由里子

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バルーダ王国編

③〈番外編─その瞳に映るものは その3〉

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さて、元王妃が立ち上がって、血に染まった布の引かれた台の真ん中まで歩を進める。
元王妃は背筋を伸ばし、小柄なのにどこから出しているのだろうかという大きな声で、広場の皆に語り掛ける。
これは元王妃の遺言とされ、後世まで延々と語り継がれるものとなったのであった。

「皆の者っ! 我が死んでも、この国は残る!
いつか、ヴォルフ王子を王として平和な国を作れ!
わたくしは、慈愛に満ちた素晴らしき国民を持つ、このバルーダ王国の元王妃として死ねることを、誇りに思う! われは死しても、魂は残らん! 
常にそなた達と共に、この国の平安を祈り続けんことを、この場にて誓おう!!」

自分は天界へは行かない──永遠に民と一緒にいると言いたいのだろうか。
その毅然きぜんとした態度に、広場中がすすり泣きに包まれる。
それを言い終わると、元王妃は卿の近くに膝をついて座り、胸の前で手を組んで甘えるように微笑んで卿を見つめた。

「王妃さま、申し訳ございません」

皆に聞こえないくらいの小声で卿はそう言うと、背後に回り込み、元王妃を羽交い絞めのような格好で抱え込んだ。

バルーダ夫人と言うのは、彼も貴族として抵抗があるらしい。
黒のスカーフは震える手で、元王妃の首へと巻かれていく。
卿のすすり泣く声に気がついた元王妃は、少し振り返って満面の笑みを浮かべた。
彼女がふと見ると、胸元にガラスで封をした大ぶりのペンダントが卿の胸に下げられているのを見てとった。

中に金色の『』が入っている。

それを見た元王妃は、まなじりに涙を浮かべ、安心したように彼に体を預けた。
そして、まるで恋人のように甘えるような小声で囁く。
あまりに小さな声だったので、2人だけにしか聞こえない、その愛らしい声。

「あなたの手で果てるなら⋯⋯⋯わたくしに、心残りなどありませんわ……ティラ?」
『ティラ』とは、ジェリックス卿の愛称である。
その瞬間、卿がはじかれたようにその場に伏して大声で泣いた。
しかし、それをとがめる者は誰もおらず、早くしろとか遅いとかヤジるものなど誰一人としていない。
突然泣き出したようにしか見えない卿の姿を、固唾かたずを飲んで皆は見つめていた。

元王妃は側まで近寄ると、赤ちゃんをあやすかのような手つきで泣き続ける卿の背中をとんとんっと叩いた。
やがて泣き声が止まると、両手を取って自分の首元までゆっくりと持って行った。
重ねられたその手が、首元できゅっと締められるように動く。
その間も、慈愛に満ちた微笑ほほえみが崩されることは無い。

「卿、さぁ」
その声に促され、彼は決意したかのように大きくうなずいた。
そうして、元王妃の両手を握りなおして、かすかにほほえんだ。
元王妃も、慈悲深い笑みで返した。
それを見た卿は、袖で涙を拭うと、祈りを捧げるかのように手を胸の前で組んだ姿勢となった王妃を、再び卿は抱き込む。

元王妃は、目を大きく見開く。

そして広場の先のはるか遠くを、笑みを浮かべながら見つめ続けた。
卿は黒いスカーフを、ゆっくりと、しかし強い力で左右に引いていった。

彼女の瞳には今、何が映っているのだろう。

この瞬間、彼女の心にある『』とは何なのだろう?

沈黙が広場全体を覆う。

皆、声も無く涙を浮かべながらその気高い元王妃の姿を見守っている。
彼女は2、3度痙攣けいれんし、この上なく幸せな笑みを浮かべたまま倒れこんだ。
首切り役人がその死を確認し、瞳を閉じさせる。

享年18歳。
だが、今度は歓喜の声をあげるものは誰もいなかった。

いや、誰も声を出すことすら、忘れていたと言った方が近いだろう。
横たわる元王妃の姿を呆然ぼうぜんと見ていた卿の肩を、サーリフが叩いた。
そして卿を見て深くうなずいたその行為が、『元王妃が死んだ』と言いたいのかは分からない。
卿はしゃがみこんで元王妃の首からスカーフを丁寧に外すと、それで自分の目をおおう。
女官たちや神官たちがその間に、用意していたひつぎに元王妃を運び入れた。

次は自分の番だとばかりに、卿はうなじをかき上げる。
首を切れと、言わんばかりの態度。
サーリフはそれに答えず、声を張り上げる。

「みんなっ、道を作れっ!」
その声に民衆がさぁっと左右に分かれると、広場の真ん中に道が出来る。

「王妃さまと、こいつの男気に免じて、こいつは『』だっ! いいなっ!?」

サーリフは何故か、『この女』『バルーダ夫人』とは言わなかった。
しかし、自分たちを苦しめた王政の頂点の妃であった、アレイシアに対して何故か『王妃さま』と言う尊称そんしょうを使ったのである。
一度はバルーダ夫人と言う蔑称べっしょうを使いながらも。
それに対して、広場からも何故か異議は上がらない。

「異議なしっ!!」

「王妃さまは、『神の手』で神殿へと参られた!!」
広場のあちこちから、大きな同意の声が次々と上がった。
卿はスカーフを首までずらすと、聞いたことが信じられないと呆然と立ち尽くしている。

「もう一度聞くぞ!! 王妃さまは、『神の手』によって天界へと召された。そうだなっ!?」

「その通りだっ!!」
サーリフが同意を求めるかのように大声で叫ぶと、広場から次々と同意の声があがる。
『神の手』とは『』の意味である。
貴人の処刑の際に、ごくまれに身分が低いものがその執行を行うことがある。
人々がその者に対してまだ温情があれば、貴人の名誉を守るために『神の代理によって命をうばわれた』と言うことにしてもらえるのだ。
その為、その存在は無とされ、処刑した人物は全ての罪に問われない。
儀式や儀礼を重んじるこの世界では相応しくないものがその行為を行うと、罪になることもあるからである。

広場は、再び喧騒けんそうに包まれる。

「早く行けっ、気が変わらないうちに⋯⋯⋯⋯上手く逃げ切れよ」

最後の方は、卿の耳元でつぶやかれた言葉。
広場では『神の手』と認められたとは言え、公式には卿は指名手配犯。
知らない民衆に捕まれば、今度こそ助けることは出来ない。
なおも戸惑っていると、すごみのある声が飛んでくる。

「気が変わるぞ」
その声に首にずらしたスカーフを落ちないように急いで巻き付けた卿は、手で押さえながら帽子を深く被りなおす。

そうして、無言で足早に去っていった。
その後を、従者らしい男が必死で追いかけていく。
その後姿を、サーリフをはじめ広場中の民衆が見つめていた。
全員かは分からないが、心配そうな瞳を投げかけて。
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