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ジェイクの覚え書き
⑤〈番外編─ジェイク・ド・クレロールの覚え書き その4〉
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知識があったとはいえ、聞くと見るとでは大違い。
視覚に訴えるその光景は、悲惨そのものであった。
何度か酸っぱいものが込み上げてきたが、ちらりと見ると姫さまは、女性の身で気丈にも耐えていらっしゃる。
手を固く太ももの前で握りしめながら、青白い顔色のまま、泣かないように目を大きく見開いて。
それに私が残ると言った時、礼を仰られた。
全身で安心したような態度を取られておられた、姫さま。
やはり、私が残って姫さまは喜んでおられるのだろう。
長や補佐がおられない今、私が姫さまを守らなくてはならない。
(このようなことで、吐いていてどうなるのだ)
私は、自分を叱咤激励した。
姫さまは席を立たれようとして止められ、こらえきれずに手を振り払い、穴を掘りきって中へ入った元神官長さまの頭をかき抱くようにして、命乞いをなさった。
結果が変わらないことは分かりきっているだろうに、それでも姫さまは命乞いをなさるのだ。
何と、慈愛に満ち溢れた方であられることか。
神殿本部の長官の方々や、猊下に対して、何と姫さまは「人殺し」と罵しられた。
その方々は激高しておられたが、猊下は顔色1つ変えられない。
人殺し───。
これは盲点だった。
神官は上の命に従うのが絶対。
掟を破った場合、神官独自の法によって裁かれるのが常識。
悪いのは掟を破る、本人の資質である。
神の使いたる資格が無い故の、罪だ。
その責任は自分で取って、その身をもって神にお詫びを示すのが当たり前である。
そう聞かされてきたし、私自身もそう思い込んでいた。
だが、神も仰っている。
『そなたの祈り、悩み、苦しみは全て我が幸福である。
そなたに関わる、全ての恨みを捨てよ。
そなたの敵は、友である。
全ての者を慈しめ。
我とそなたは、同一のものなり』
神官としての責任とは言うが、命令を下して人の命を奪っているのだ。
いったい、どのような感情で他人を死へと向かわせるのだろう。
私情なのだろうか?
掟を破ったからと言う理由で、神のご意志では無く、神官個人の感情で、命を奪うことを決めているのではないか?
それは本当に神殿のためになり、ひいては神の、御心に本当にかなっているのだろうか───私は少なくとも、『それ』に疑問を持った。
しかし、姫さまの感情は神殿本部の方々には通じない。
元神官長さまに、土がかけられていく。
もう終わりだ。
頭にかかる砂を見て、私は目頭を潤ませた。
その時であった、白い光が姫さまから発せられて辺りを包み込んだのは。
何が起こったのか、分からなかった。
次に気がついた時、姫さまのお言葉が私の耳に聞こえてきた。
姫さまは、猊下の椅子に背を向けるように立ち、慈愛の表情を浮かべてナシームさまを見下ろしていた。
そこらにあった灯りの光が姫さまを照らし、その光は神々しく見えた。
まさに、女神そのものの微笑。
その女神は、ナシームさまに向かってこう告げられた。
「元リドリア王国神官長、ナシーム・デ・サダルカよ。『銀の娘』より、そなたに、死の口づけを与えましょう」
皆や私は、目と耳を疑った。
神官なら、いやこの世界の者ならば知らない者はいない、女神伝に出てくる『死の口づけ』
長になさったアレを、今ここでなさると仰るのか。
気休めではと思った私は次の瞬間、ありえない奇跡を見ることになった。
姫さまがナシームさまの上にかがんで、恐らく口づけをされたのであろう。
私の位置からは遠すぎて、細かい所までは見えなかったが、ナシームさまは口づけられた箇所から崩れていった。
空気が歪み、闇に溶けるように砂となって散ったのだった。
私は驚くと同時に、失礼だが興奮していた。
生きた伝説を、この目で拝見したのだ。
姫さまは、元敵であったナシームさまの魂をお救いになった。
やはり姫さまは、『女神伝』に記された慈愛溢れる、『銀の娘』に相応しいお方なのだ。
憎い敵であったとしても、決して憎しみだけの心では接しておられない。
私は、感激で涙が止まらなかった。
姫さまは猊下と睨み合い、しばらくして猊下の膝の上に乗られて、ゆっくりと口づけをされようとなさった。
一連の動作を、私や長官や他の方々は固唾を飲んで見守るしかない。
猊下が、手を出すなと仰ったから。
やっていることは卑猥だが、神官に対してとか、誰が見ても決して赤くなるような光景では無かった。
猊下も、砂になられるのだろうか?
結局、すんでのところで姫さまはお止めになられ、神殿本部の方々は安堵のあまり、脱力して全員その場へと座り込まれた。
腹が立った姫さまは、恐らく全身で怒りをぶつけられたのに違いない。
ちなみに猊下を砂にしたとして、姫さまはその後の事を考えておられたのだろうか?
答えは恐らく、否。
何も考えてはいないはずだ。
本当に肝が据わっていると言うのか、無鉄砲と言うべきか。
しばらくして長が私を迎えに来られ、その後姿に猊下は後で褒美を与えると仰った。
もちろん、すでにベールは深く被りなおされておられる。
長の耳打ちに私は礼をして、その場を後にする。
姫さまを残していく、一抹の不安を感じて。
廊下の角を曲がり、部屋へと帰ると、補佐が真っ青な顔をしてお待ちだった。
補佐の所には、リドリアの珍しい食べ物が届けられていた。
私を見ると、補佐は涙を流して力強く抱きしめてくださった。
長より顛末を聞いておられたのだろうが、上の方というものは通常、感情を表に出すことは無い。
地位が上がるほど、神官とは『そういうものだ』と教育もされる。
それなのに、泣くほどということは、よほど私のことを心配しておられたに違いない。
私は慣れない場所で迷っただけだとされ、処分は無かった。
この件に関しては長も何も仰らず、よくぞ姫さまを守りきったとお褒め下さった。
補佐に対しては、ジェイクを労わるようにと声をかけて去っていかれた。
視覚に訴えるその光景は、悲惨そのものであった。
何度か酸っぱいものが込み上げてきたが、ちらりと見ると姫さまは、女性の身で気丈にも耐えていらっしゃる。
手を固く太ももの前で握りしめながら、青白い顔色のまま、泣かないように目を大きく見開いて。
それに私が残ると言った時、礼を仰られた。
全身で安心したような態度を取られておられた、姫さま。
やはり、私が残って姫さまは喜んでおられるのだろう。
長や補佐がおられない今、私が姫さまを守らなくてはならない。
(このようなことで、吐いていてどうなるのだ)
私は、自分を叱咤激励した。
姫さまは席を立たれようとして止められ、こらえきれずに手を振り払い、穴を掘りきって中へ入った元神官長さまの頭をかき抱くようにして、命乞いをなさった。
結果が変わらないことは分かりきっているだろうに、それでも姫さまは命乞いをなさるのだ。
何と、慈愛に満ち溢れた方であられることか。
神殿本部の長官の方々や、猊下に対して、何と姫さまは「人殺し」と罵しられた。
その方々は激高しておられたが、猊下は顔色1つ変えられない。
人殺し───。
これは盲点だった。
神官は上の命に従うのが絶対。
掟を破った場合、神官独自の法によって裁かれるのが常識。
悪いのは掟を破る、本人の資質である。
神の使いたる資格が無い故の、罪だ。
その責任は自分で取って、その身をもって神にお詫びを示すのが当たり前である。
そう聞かされてきたし、私自身もそう思い込んでいた。
だが、神も仰っている。
『そなたの祈り、悩み、苦しみは全て我が幸福である。
そなたに関わる、全ての恨みを捨てよ。
そなたの敵は、友である。
全ての者を慈しめ。
我とそなたは、同一のものなり』
神官としての責任とは言うが、命令を下して人の命を奪っているのだ。
いったい、どのような感情で他人を死へと向かわせるのだろう。
私情なのだろうか?
掟を破ったからと言う理由で、神のご意志では無く、神官個人の感情で、命を奪うことを決めているのではないか?
それは本当に神殿のためになり、ひいては神の、御心に本当にかなっているのだろうか───私は少なくとも、『それ』に疑問を持った。
しかし、姫さまの感情は神殿本部の方々には通じない。
元神官長さまに、土がかけられていく。
もう終わりだ。
頭にかかる砂を見て、私は目頭を潤ませた。
その時であった、白い光が姫さまから発せられて辺りを包み込んだのは。
何が起こったのか、分からなかった。
次に気がついた時、姫さまのお言葉が私の耳に聞こえてきた。
姫さまは、猊下の椅子に背を向けるように立ち、慈愛の表情を浮かべてナシームさまを見下ろしていた。
そこらにあった灯りの光が姫さまを照らし、その光は神々しく見えた。
まさに、女神そのものの微笑。
その女神は、ナシームさまに向かってこう告げられた。
「元リドリア王国神官長、ナシーム・デ・サダルカよ。『銀の娘』より、そなたに、死の口づけを与えましょう」
皆や私は、目と耳を疑った。
神官なら、いやこの世界の者ならば知らない者はいない、女神伝に出てくる『死の口づけ』
長になさったアレを、今ここでなさると仰るのか。
気休めではと思った私は次の瞬間、ありえない奇跡を見ることになった。
姫さまがナシームさまの上にかがんで、恐らく口づけをされたのであろう。
私の位置からは遠すぎて、細かい所までは見えなかったが、ナシームさまは口づけられた箇所から崩れていった。
空気が歪み、闇に溶けるように砂となって散ったのだった。
私は驚くと同時に、失礼だが興奮していた。
生きた伝説を、この目で拝見したのだ。
姫さまは、元敵であったナシームさまの魂をお救いになった。
やはり姫さまは、『女神伝』に記された慈愛溢れる、『銀の娘』に相応しいお方なのだ。
憎い敵であったとしても、決して憎しみだけの心では接しておられない。
私は、感激で涙が止まらなかった。
姫さまは猊下と睨み合い、しばらくして猊下の膝の上に乗られて、ゆっくりと口づけをされようとなさった。
一連の動作を、私や長官や他の方々は固唾を飲んで見守るしかない。
猊下が、手を出すなと仰ったから。
やっていることは卑猥だが、神官に対してとか、誰が見ても決して赤くなるような光景では無かった。
猊下も、砂になられるのだろうか?
結局、すんでのところで姫さまはお止めになられ、神殿本部の方々は安堵のあまり、脱力して全員その場へと座り込まれた。
腹が立った姫さまは、恐らく全身で怒りをぶつけられたのに違いない。
ちなみに猊下を砂にしたとして、姫さまはその後の事を考えておられたのだろうか?
答えは恐らく、否。
何も考えてはいないはずだ。
本当に肝が据わっていると言うのか、無鉄砲と言うべきか。
しばらくして長が私を迎えに来られ、その後姿に猊下は後で褒美を与えると仰った。
もちろん、すでにベールは深く被りなおされておられる。
長の耳打ちに私は礼をして、その場を後にする。
姫さまを残していく、一抹の不安を感じて。
廊下の角を曲がり、部屋へと帰ると、補佐が真っ青な顔をしてお待ちだった。
補佐の所には、リドリアの珍しい食べ物が届けられていた。
私を見ると、補佐は涙を流して力強く抱きしめてくださった。
長より顛末を聞いておられたのだろうが、上の方というものは通常、感情を表に出すことは無い。
地位が上がるほど、神官とは『そういうものだ』と教育もされる。
それなのに、泣くほどということは、よほど私のことを心配しておられたに違いない。
私は慣れない場所で迷っただけだとされ、処分は無かった。
この件に関しては長も何も仰らず、よくぞ姫さまを守りきったとお褒め下さった。
補佐に対しては、ジェイクを労わるようにと声をかけて去っていかれた。
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