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第五話
激昂、結構格好悪い
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マリセウスは思わず足を止めた。
「結婚が怖い」?その言葉の意味が理解できなかった彼は父親に振り向いた。
「それはどういう意味でしょうか?」
「いいや、そのまんまの意味だが。普通にビビってるんだろうなって。」
「ビビる理由なんかあるわけないでしょう?」
怖がる理由なんてあるわけがない。長年の溝は確かにあるが、マリセウスはヘルメスなら努力をして王太子妃、そしていずれかは王妃に相応しい淑女になれると確信している。そのためなら全力でサポートもするし妃教育も本人のペースでやらせたいと思っている。だからこそ最低でも二年の猶予が欲しい。諸外国の思惑や国内貴族の牽制からだって彼女を守り通す事を惜しまない。
「先程も申し上げた通り、我が妃となるヘルメス嬢を廃する動きがあれば私が叩き潰します。それが諸外国だろうと我が国の臣下であろうと、そのつもりです。」
マリセウスは改めて胸を張って公言するが、
「いやいや、そういう『王太子殿下』としての意味じゃあなくてな?『ひとりの男』としてビビってるんだろって話。」
「……は?」
「だってお前、ヘルメス・カートン嬢と出会って劇的に変わったのはいいけれども、異性とまともに付き合ったことがないじゃないか。」
デュランは息子の今日までの行いを知っている。息子はあまりにも一途が過ぎて、ヘルメス以外の異性には興味関心がなく王家主催の夜会でも公爵家などの令嬢ともダンスを踊ろうとしない……行き過ぎた潔癖にも似たくらいに硬い意志があった。
そのせいで一時期は『もしや男色なのでは』と噂がされ、面白おかしく広まってしまった事もあり、それを聞いた息子は「同性愛者に失礼とは思わないのか?」と憤怒して噂に関わった家に社会的制裁をくわえた事例があった。おかげで意図せず王家の信頼は確固たるものとなったが。
話は脱線したが、息子は他人とのコミュニケーションは仕事以外ではもっぱら……いや、もはや壊滅的に苦手なのだ。少年時代に通っていた騎士学校で出来た友人が一人しかいなかった。幼い頃は愛嬌があったが、あの日を境にマリセウスは他人に対して恐れを抱くようになったのが大きい。そんな中で出会った少女が転機になったのは本当に奇跡と呼ばざる得ない。
「異性との距離の取り方が極端すぎるだろ。如何に惚れた相手だからと言って、どうやって接していいのかもわからない。今後の生活も一変する。これがビビらずにいられるか?」
「ですが、」
「はぁーあ……これじゃあヘルメス・カートン嬢が居た堪れない。こんな甲斐性無しとイヤイヤ夫婦になるのだからなぁ……。」
「……今なんて言った親父?」
「ん?イヤイヤ夫婦になる?」
大きなため息とオーバーに落胆した仕草をした父親を見たマリセウスは、カチンと来た。いや寧ろブチンと切れた、ドカンと爆ぜたのが相応しい。何年もマリセウスの傍にいたジークが「あ。」と怒りに一瞬に到達したのが見てわかり、そのジークの小さな声にテレサも気がついて早々にソファから離脱する。それと同時にマリセウスは「はぁあああ!!??」と怒気の籠った声を発しながら座っている父親に詰め寄った。
「イヤイヤなわけあるかっ!いいか、ヘルメスがどれだけ思い悩んでいたと思ってるのか知ってるのか!!私の身分も理解して!自分が故郷に戻れなくなるのも考えて!今後の立場も変わることも受け入れて!それでも私の傍がいいと言ってくれたんだぞ!!」
ローテーブルを壊さんとばかりに拳で何度も叩きつけるマリセウスに若干引き気味になってデュランは、
「あ、うん……でもビビってるお前には相応しくないよね?」
と一言。それを捲し立てるようにさらにヒートアップする。
「はぁっ!?ビビってねぇし!!私はヘルメスを愛している!!彼女が隣に居ればなんだって出来るし四六時中愛情を注ぐわ!!じゃあなってやろうじゃねぇか!!今すぐ夫婦になってやろうじゃねぇか!!!」
「え~?本当に~?」
「なってやらぁ!!今月中に結婚式と披露宴だろ!?やってやらぁ!!今更謝ったって遅えからなクソ親父ぃーっ!!!!」
*****
「……で、マジで婚礼することになってしまった。」
「やっすい挑発に乗りすぎですよ殿下。」
外邸、王太子殿下執務室。
山積みにされた書類が三つほどある机に頭を抱えている王太子殿下に、補佐のジークの辛辣な一言に老年の側近・ネビルを筆頭に他数人の側近達は同調してウンウンと頷いた。
「それにしても、そんな凄い剣幕でお怒りになる殿下の様子を見てみたかったです。」
「ネビル、揶揄うのはやめてくれ……。」
「いいえ、殿下が長年想いを募らせた人の為にお怒りになったのでしたら、それはとても喜ばしい事ではありませんか。」
ネビルは丸眼鏡を外してほんのり出ていた涙を拭っている様子を、「ああ、感慨深いのだろう」とその場にいた全員が同じ気持ちになった。
大袈裟だと思われがちだがネビルはマリセウスが五歳の頃からの付き合いなのだから、そんな側面を持ち合わせるようになった王太子殿下に感激を受けるのも無理はない。嬉しゅうございます~……とそのうち脱水症状になるほど号泣しそうだから話題をすぐに変えようと、
「しかし、弱った。今月末……サンラン国から王都に到着するまで普通ならどのくらいかかる?」
「ずびっ!え、ええ。カートン伯爵領からならば、馬車でも一週間以上はかかります。」
「……いや待て、ヘルメスは私の婚約者だからアレが使えるな?」
「はい。ただ、サンラン国の者のみを乗車させるのは厳禁となっております。」
「うーん、ならばこうするか。引っ越しだから荷物が重くて多い。神海騎士団を派遣してそれに乗車してもらうというのは?」
「スレスレですが、王太子殿下の婚約者……つまり要人の護衛も兼ねていらっしゃるので問題はありませんね。」
大きめなコルクボードに適当な白紙を貼り付けて、それに計画を書き込んでいく。あれこれと思案を巡らせて、どのような流れ、動線の確保、必要日数をほど細かく書き込みながらマリセウスは提案しつつ、最適な意見を側近たちも上げていき、ものの数分ではあったが即席の最善策を作り上げてメリット、デメリットを理解した上で最速プランが完成した。
「これで行くか、よし。善は急げだ!ジークはシグルドをここに呼んできてくれ。ネビル、手紙を大至急出すから早馬の準備を。」
「はっ。メルキア帝国の大使館とサンラン国大使館とでリレー速達を準備して参ります。」
「それと君は、挙式のプランを数通りほど練ってきてくれ。最低でも三つがいい。」
「かしこまりました。」
「それとそちらの君は針子と仕立て屋の手配を。私とヘルメスの型があるはずだから挙式と披露宴用のタキシードとドレスの準備を頼む。」
「わかりました、ただちに。」
「あとは……そうだ、そちらの君はナタリアに伝えておいてほしい。離宮の一室を婚礼までヘルメスに生活して貰うので、そちらを整えてほしいと。部屋は好きに任せるとも伝えてくれ。」
「はっ、ただちに。」
婚礼の用件を託して、他の数人の側近達には通常業務の指示も促す。集落の教会の建設、工事の許可、インフラ整備や税収の問題……多くの事を交えながらマリセウスは一番最初に仕上げたのは、ヘルメスとそのご両親への手紙だった。
予定していた段通りをすっ飛ばして突然の婚礼になった事への詫びの手紙。
挙式のプランや結婚式と披露宴のドレス選びもそうだが、こちらに到着してからの生活も準備していることと、そんな慌ただしい中で妃教育も同時進行させてしまう過酷なスケジュールを強いてしまった事への謝罪文も別紙に添えた。
それら数枚を綺麗に折って封筒に入れると同時に、国王陛下からの使いがやってきた。マリセウスが手紙を送るだろうとわかった両親は、ヘルメス宛に一枚だけ書いたそうだ。
恐らくは突然の婚礼に対する詫びだろうと思ったので、その書かれていた内容を確認せずにそれも同封して封印をした。それから少しして、早馬の準備が出来たのでそれを配達員に託して手放した。
配達員と入れ違いで、今度は新しい案件のものを抱えた臣下が入ってくる。あれこれ話しているとまた別の案件も舞い込んでくる。別件の執務が完了報告を聞くと別件の問題も入ってくる。
マリセウスの執務室は毎日がこのように目まぐるしいのが日常であった。
それから数時間も経てば、すっかり日も暮れていた。
疲労困憊する側近達に礼を言って解放させると、自分も内廷に戻り夕食を済ませる。その後はいつもなら少し運動をするのだが、残念ながら今日はそんな時間はないのでとっとと湯浴みを済ませることとなる。
それが終わると自室に戻ると、ようやく一人の時間になった。いつもなら少し仕事を持ち込んで翌日の事を練るが、今日はそんな気分にはなれなかった。
「…………結婚かぁ。」
まだ少しだけ先だと思っていたのに、突然夢がひとつ叶うこととなり、本当は少し喜んでいた自分がそこにいた。
短いながらも柔らかそうな黒髪、雲一つない青空のような瞳、情熱的で真っ直ぐで、だけども淑女になりきれてない、そんな少女に恋をして愛を尽くしたい……年甲斐もなく夢心地の中にマリセウスはいた。
高揚とした気分で普段からケチくさく少量で呑んでいる酒を普段の倍、ロックグラス半分に入れて水割りを作ると一口。
普段、臣下や側近達からは「堅物」「仕事人間」「鉄人」と揶揄されているほどマリセウスは厳格かつ生真面目な人間だ。その男が自室でひとり、頬を緩ませて浮かれているのだ。他の人間には絶対に見せられないくらいのゆるさ、暗殺者がいたらあっさり殺されてしまうくらいに無防備だ。
「結婚かぁ~……!」
ロックグラスを空にして、呑んだ分だけの水の飲み干してベッドに倒れ込むと多幸感が全身をめぐった。
ひと月後にはどんな生活が始まるのだろうか、期待もあれば不安も勿論ある。愛しい彼女と生涯を共に出来るなんて夢のようだ。これで笑顔になるなと言う方が無理という話だ。
明日は執務を早めに終わらせて曾祖父と祖母の墓前に報告に行こう。そう決めたマリセウスはベッドサイドの明かりを黒光石を使って落として、甘い気持ちを胸につまらせたまま眠りについたのであった。
ここまでが四月一日の話。
突然の婚礼の手紙がヘルメスの元に届いたのはその二日後である。
「結婚が怖い」?その言葉の意味が理解できなかった彼は父親に振り向いた。
「それはどういう意味でしょうか?」
「いいや、そのまんまの意味だが。普通にビビってるんだろうなって。」
「ビビる理由なんかあるわけないでしょう?」
怖がる理由なんてあるわけがない。長年の溝は確かにあるが、マリセウスはヘルメスなら努力をして王太子妃、そしていずれかは王妃に相応しい淑女になれると確信している。そのためなら全力でサポートもするし妃教育も本人のペースでやらせたいと思っている。だからこそ最低でも二年の猶予が欲しい。諸外国の思惑や国内貴族の牽制からだって彼女を守り通す事を惜しまない。
「先程も申し上げた通り、我が妃となるヘルメス嬢を廃する動きがあれば私が叩き潰します。それが諸外国だろうと我が国の臣下であろうと、そのつもりです。」
マリセウスは改めて胸を張って公言するが、
「いやいや、そういう『王太子殿下』としての意味じゃあなくてな?『ひとりの男』としてビビってるんだろって話。」
「……は?」
「だってお前、ヘルメス・カートン嬢と出会って劇的に変わったのはいいけれども、異性とまともに付き合ったことがないじゃないか。」
デュランは息子の今日までの行いを知っている。息子はあまりにも一途が過ぎて、ヘルメス以外の異性には興味関心がなく王家主催の夜会でも公爵家などの令嬢ともダンスを踊ろうとしない……行き過ぎた潔癖にも似たくらいに硬い意志があった。
そのせいで一時期は『もしや男色なのでは』と噂がされ、面白おかしく広まってしまった事もあり、それを聞いた息子は「同性愛者に失礼とは思わないのか?」と憤怒して噂に関わった家に社会的制裁をくわえた事例があった。おかげで意図せず王家の信頼は確固たるものとなったが。
話は脱線したが、息子は他人とのコミュニケーションは仕事以外ではもっぱら……いや、もはや壊滅的に苦手なのだ。少年時代に通っていた騎士学校で出来た友人が一人しかいなかった。幼い頃は愛嬌があったが、あの日を境にマリセウスは他人に対して恐れを抱くようになったのが大きい。そんな中で出会った少女が転機になったのは本当に奇跡と呼ばざる得ない。
「異性との距離の取り方が極端すぎるだろ。如何に惚れた相手だからと言って、どうやって接していいのかもわからない。今後の生活も一変する。これがビビらずにいられるか?」
「ですが、」
「はぁーあ……これじゃあヘルメス・カートン嬢が居た堪れない。こんな甲斐性無しとイヤイヤ夫婦になるのだからなぁ……。」
「……今なんて言った親父?」
「ん?イヤイヤ夫婦になる?」
大きなため息とオーバーに落胆した仕草をした父親を見たマリセウスは、カチンと来た。いや寧ろブチンと切れた、ドカンと爆ぜたのが相応しい。何年もマリセウスの傍にいたジークが「あ。」と怒りに一瞬に到達したのが見てわかり、そのジークの小さな声にテレサも気がついて早々にソファから離脱する。それと同時にマリセウスは「はぁあああ!!??」と怒気の籠った声を発しながら座っている父親に詰め寄った。
「イヤイヤなわけあるかっ!いいか、ヘルメスがどれだけ思い悩んでいたと思ってるのか知ってるのか!!私の身分も理解して!自分が故郷に戻れなくなるのも考えて!今後の立場も変わることも受け入れて!それでも私の傍がいいと言ってくれたんだぞ!!」
ローテーブルを壊さんとばかりに拳で何度も叩きつけるマリセウスに若干引き気味になってデュランは、
「あ、うん……でもビビってるお前には相応しくないよね?」
と一言。それを捲し立てるようにさらにヒートアップする。
「はぁっ!?ビビってねぇし!!私はヘルメスを愛している!!彼女が隣に居ればなんだって出来るし四六時中愛情を注ぐわ!!じゃあなってやろうじゃねぇか!!今すぐ夫婦になってやろうじゃねぇか!!!」
「え~?本当に~?」
「なってやらぁ!!今月中に結婚式と披露宴だろ!?やってやらぁ!!今更謝ったって遅えからなクソ親父ぃーっ!!!!」
*****
「……で、マジで婚礼することになってしまった。」
「やっすい挑発に乗りすぎですよ殿下。」
外邸、王太子殿下執務室。
山積みにされた書類が三つほどある机に頭を抱えている王太子殿下に、補佐のジークの辛辣な一言に老年の側近・ネビルを筆頭に他数人の側近達は同調してウンウンと頷いた。
「それにしても、そんな凄い剣幕でお怒りになる殿下の様子を見てみたかったです。」
「ネビル、揶揄うのはやめてくれ……。」
「いいえ、殿下が長年想いを募らせた人の為にお怒りになったのでしたら、それはとても喜ばしい事ではありませんか。」
ネビルは丸眼鏡を外してほんのり出ていた涙を拭っている様子を、「ああ、感慨深いのだろう」とその場にいた全員が同じ気持ちになった。
大袈裟だと思われがちだがネビルはマリセウスが五歳の頃からの付き合いなのだから、そんな側面を持ち合わせるようになった王太子殿下に感激を受けるのも無理はない。嬉しゅうございます~……とそのうち脱水症状になるほど号泣しそうだから話題をすぐに変えようと、
「しかし、弱った。今月末……サンラン国から王都に到着するまで普通ならどのくらいかかる?」
「ずびっ!え、ええ。カートン伯爵領からならば、馬車でも一週間以上はかかります。」
「……いや待て、ヘルメスは私の婚約者だからアレが使えるな?」
「はい。ただ、サンラン国の者のみを乗車させるのは厳禁となっております。」
「うーん、ならばこうするか。引っ越しだから荷物が重くて多い。神海騎士団を派遣してそれに乗車してもらうというのは?」
「スレスレですが、王太子殿下の婚約者……つまり要人の護衛も兼ねていらっしゃるので問題はありませんね。」
大きめなコルクボードに適当な白紙を貼り付けて、それに計画を書き込んでいく。あれこれと思案を巡らせて、どのような流れ、動線の確保、必要日数をほど細かく書き込みながらマリセウスは提案しつつ、最適な意見を側近たちも上げていき、ものの数分ではあったが即席の最善策を作り上げてメリット、デメリットを理解した上で最速プランが完成した。
「これで行くか、よし。善は急げだ!ジークはシグルドをここに呼んできてくれ。ネビル、手紙を大至急出すから早馬の準備を。」
「はっ。メルキア帝国の大使館とサンラン国大使館とでリレー速達を準備して参ります。」
「それと君は、挙式のプランを数通りほど練ってきてくれ。最低でも三つがいい。」
「かしこまりました。」
「それとそちらの君は針子と仕立て屋の手配を。私とヘルメスの型があるはずだから挙式と披露宴用のタキシードとドレスの準備を頼む。」
「わかりました、ただちに。」
「あとは……そうだ、そちらの君はナタリアに伝えておいてほしい。離宮の一室を婚礼までヘルメスに生活して貰うので、そちらを整えてほしいと。部屋は好きに任せるとも伝えてくれ。」
「はっ、ただちに。」
婚礼の用件を託して、他の数人の側近達には通常業務の指示も促す。集落の教会の建設、工事の許可、インフラ整備や税収の問題……多くの事を交えながらマリセウスは一番最初に仕上げたのは、ヘルメスとそのご両親への手紙だった。
予定していた段通りをすっ飛ばして突然の婚礼になった事への詫びの手紙。
挙式のプランや結婚式と披露宴のドレス選びもそうだが、こちらに到着してからの生活も準備していることと、そんな慌ただしい中で妃教育も同時進行させてしまう過酷なスケジュールを強いてしまった事への謝罪文も別紙に添えた。
それら数枚を綺麗に折って封筒に入れると同時に、国王陛下からの使いがやってきた。マリセウスが手紙を送るだろうとわかった両親は、ヘルメス宛に一枚だけ書いたそうだ。
恐らくは突然の婚礼に対する詫びだろうと思ったので、その書かれていた内容を確認せずにそれも同封して封印をした。それから少しして、早馬の準備が出来たのでそれを配達員に託して手放した。
配達員と入れ違いで、今度は新しい案件のものを抱えた臣下が入ってくる。あれこれ話しているとまた別の案件も舞い込んでくる。別件の執務が完了報告を聞くと別件の問題も入ってくる。
マリセウスの執務室は毎日がこのように目まぐるしいのが日常であった。
それから数時間も経てば、すっかり日も暮れていた。
疲労困憊する側近達に礼を言って解放させると、自分も内廷に戻り夕食を済ませる。その後はいつもなら少し運動をするのだが、残念ながら今日はそんな時間はないのでとっとと湯浴みを済ませることとなる。
それが終わると自室に戻ると、ようやく一人の時間になった。いつもなら少し仕事を持ち込んで翌日の事を練るが、今日はそんな気分にはなれなかった。
「…………結婚かぁ。」
まだ少しだけ先だと思っていたのに、突然夢がひとつ叶うこととなり、本当は少し喜んでいた自分がそこにいた。
短いながらも柔らかそうな黒髪、雲一つない青空のような瞳、情熱的で真っ直ぐで、だけども淑女になりきれてない、そんな少女に恋をして愛を尽くしたい……年甲斐もなく夢心地の中にマリセウスはいた。
高揚とした気分で普段からケチくさく少量で呑んでいる酒を普段の倍、ロックグラス半分に入れて水割りを作ると一口。
普段、臣下や側近達からは「堅物」「仕事人間」「鉄人」と揶揄されているほどマリセウスは厳格かつ生真面目な人間だ。その男が自室でひとり、頬を緩ませて浮かれているのだ。他の人間には絶対に見せられないくらいのゆるさ、暗殺者がいたらあっさり殺されてしまうくらいに無防備だ。
「結婚かぁ~……!」
ロックグラスを空にして、呑んだ分だけの水の飲み干してベッドに倒れ込むと多幸感が全身をめぐった。
ひと月後にはどんな生活が始まるのだろうか、期待もあれば不安も勿論ある。愛しい彼女と生涯を共に出来るなんて夢のようだ。これで笑顔になるなと言う方が無理という話だ。
明日は執務を早めに終わらせて曾祖父と祖母の墓前に報告に行こう。そう決めたマリセウスはベッドサイドの明かりを黒光石を使って落として、甘い気持ちを胸につまらせたまま眠りについたのであった。
ここまでが四月一日の話。
突然の婚礼の手紙がヘルメスの元に届いたのはその二日後である。
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