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第二十話
新規開拓
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「本当に……すみませんでした。」
「いえ、こちらも大変失礼なことをしてしまいまして……。」
ヘルメスがアイアンクローをするマリセウスに向かって、『そんな乱暴なことする人は嫌いです!』と思わず言ってしまってものだから、まるでこの世の終わりかのように萎んでしまい、その間に店員ふたりは(痛い所を摩りながら)冷静さを取り戻してやらかしてしまった事を受け止めた。
ヘルメス達は店内に案内されて席につき、今は彼らの謝罪を受けつつマリセウスもまた謝罪している。それから謝罪の応酬を何往復かしているが、一向に終わる気配がない。
「素人相手に本気のアイアンクローをしてしまったのは、本当に申し訳なく……。治療費は必ずお支払いします故に……。」
「いえ、こちらこそ……お客様が来てくださったあまりに、勢い余ってお連れの方を転ばせてしまいまして……。私共も必ず治療費はお支払いします……。」
すみません……すみません……のラリーがまだ続く。空気もどんよりとしており、誰も楽しめないテニスでも見ているかのような気分にさえなる。
たまらず間に割って入り、空気を変えようとヘルメスは話を変える。
「それにしても、素敵なお店ですね?海も臨めて丘の緑も眺められる立地のいい場所にあるのもいいですし!」
「あ、ありがとうございます。ですが。」
と、女性の方の店員が話に乗る。
自分達もこの景色が好きで、どちらも眺められるように設計してもらい店を建ててもらったのはいいが、経営としてはそれが過ちとなったと言う。
ここまでの道のりは坂を登り、これがまた体力を使うわけだ。発注した材料など届けてもらうのも一苦労であり卵や野菜は自作農園でなんとかなるがそれ以外の材料運搬が問題だ。おかげで配送してくれる業者にも嫌われている場所となっている。客足が遠のくというより、『客なんていらない』などと思われても仕方ないくらいにアクセスが不便なのだ。
「それに美術館内のレストランテはお値段は張りますが、見栄えもよくて美味しいですから……わざわざウチに来る人なんて早々にいなくて。」
「すみません……そんな理由もあって、お二人が来てくれたのに、舞い上がってしまって……。」
結局、話は元の場所に戻ってきてしまった。ああ、どうりで……と思うと同時にヘルメス自身は静かな場所なので結構いいとは思っている。坂道を登るのは苦ではないが、両家の顔合わせに向いているのかと言われれば改めて考えさせられてしまう。
「あー……その、折角なのでお茶をいただいてもよろしいでしょうか?」
だが今はそれどころではなかった。この負の循環を断とうとヘルメスは話を逸らすことを諦めなかった。
手にしたお品書きの飲み物が書かれているメニューを見ると、予想よりもラインナップは充実していた。
果汁ジュースはもちろん、その上にアイスクリームを乗せるフロートと呼ばれるものに目が行く。
近年、氷結石を用いて料理やお菓子づくりに使われているものの、飲食店で使われるのは未だに珍しい。ヘルメスは卵(黄身の部分だけだったかな?)と生クリームと砂糖、それと牛乳と聞くとケーキを作る材料と変わらないのにそれを冷やして固めるだけであんなに甘くて美味しいものが出来るなんて不思議だと、口にした当初は思っていた。
でも今食べたらきっと止まらなくなる。夕食にも響くだろうが残念ながら我慢することとして、王道に紅茶をもらおうとそちらに目を移す。すると、こちらも種類が多い。使う茶葉の種類が、というよりフレーバーだ。なんと果物を使った紅茶がたくさんある。こんなのは初めてだ。持ち前の好奇心で凝視していると、不思議なものが並ぶ中で一際気になるものを見つけた。
「レモンティー?」
紅茶にレモンを入れるのかと、ちょっと考えづらいものがそこにはあった。
「あ、はい。こちらはレモンの酸味と爽やかな風味の紅茶です。茶葉はクセのないニルギリというものを使用してます。」
へぇ~、となるヘルメス。実のところ、彼女は紅茶が少し苦手ではあった。茶葉のクセが強いので一時期は砂糖を入れて飲んではいたのだが、今度は甘味が強くなりすぎてなかなか進まないという経験をしたのだ。故にお茶会に誘われたら飲むよりも食べるを先決していたのだ。
紅茶独特のあの風味さえなければ、など考えていた彼女は「もしかしたらこれなら」と思ったに違いない。ヘルメスはこれをお願いします、と頼んだ。
「ほら、マリス様も何かお飲みになった方がいいですよ?」
「あ、うん。しかし……コーヒーを扱っているのには驚いたな。」
コーヒー豆を輸入してきた当の本人がここにいる。
未だにどうしたら一般的に認知されるか、そして如何にして誰にでも手にしやすくて淹れやすくするにはどうすればいいのか。取り扱っているのはグリーングラス商会系列の飲食店、上流階級御用達のレストランテや茶葉を扱う店などに陳列されているが、専用器具一式を用意して一杯を飲むのに時間がかかりすぎているのが問題。もっと手軽にすれば誰にでも飲めるというのに……あのアロマの香りはとても落ち着くから、出来れば広めたいとマリセウスはアイディアを募っているのだが、どれもこれも手軽さから程遠い案ばかりが届くのにモヤモヤしていた。
それを思い出していたのか、眉間に皺が寄っていたらしく、周囲は少し凍りついていた。その空気に気がついてハッとなりメニューから目を離した。
「申し訳ない。ええっと、コーヒーをいただきたいのですが、お時間はかかりますよね?」
「い、いえ。すみません。コーヒーでしたらすぐにお出し出来ますよ。」
マリセウスの問いに、男性店員は即答する。
「いやはや、ご無理なさらず。淹れるのに時間がかかる代物でしょうに……。」
「いえいえ、本当に三分ほどで淹れられますので。」
「……あの、豆を挽くところからですよね?」
「豆は、挽きませんよ。」
男達の問答を見守っていたヘルメスはここで気がついた。
ハンクスにやってきたばかりの頃、国王と王妃の謁見後に彼の執務室でコーヒーを一杯作る過程を見ている。それはよく覚えていて、お互いにどうすればもっと簡略化出来るのだろうかと頭を悩ませていたあの日だ。
煎られた豆は挽き方によって風味が異なる故に繊細に、粉末状になったそれを湯でこすのも丁寧に。……店員の言っているそれは、工程がないように感じられた。ヘルメスは問おうと思うと同時に、同じことを思ったマリセウスが先に問いかけた。
「申し訳ありませんが、私もちょっとはコーヒーに対して造詣があるのですが……豆を挽かないとは?」
「す、すみません。ちょっと語弊がありましたね。実は既に挽いているものがありますので。」
「それだと保存が大変ではありませんか?」
「確かに大変でした。光に当たらない風通しのいい場所を確保出来たのは運が良くて……。」
あとは温度と湿度も気をつけないと、と男性店員は苦労話をちょくちょく口にした。
その苦労を聞けば、とてつもない努力をしたのではなかろうか。
「ですが、さすがにすぐには淹れられませんよね?」
「いえ。もうフィルターに入れていますので、あとはカップに付けて湯を注ぐだけですし。」
「……もしかして、フィルターに入れたまま保存を?」
それは衛生的にどうなのだ?そんな表情を思わずしてしまったために、男性店員はすぐさま反応した。マリセウスはどうも眉間に皺を寄せるアクションをすると周囲を怯えさせてしまうらしく、本人もそれが短所と自負しているが矯正が難しいようだ。
一瞬ピリっとしたそれに気押されるように男性店員は「じ、実物をお持ちしますので!お待ちください!」と命乞いにも似たような声で厨房へと早歩きで向かった。
そして速度を落とさずにコーヒーが入っているであろう、フィルターを手にして戻ってきた。
「こ、こちらが当店で使用しているドリップ式のものです。」
「イメージしていた物より小さい、ですね。この付いている台紙のようなものはなんですか?」
「はい。専用のカップに取り付けて、湯を注ぎやすくするためです。」
これは実践したほうが説明しやすいのでは?と女性店員が助言すると、彼もまた頷き、今度は彼女が厨房へと向かう。銀のトレイにはコーヒー専用カップと湯の入ったポットも乗せられていた。
それらを受け取った彼はテーブルにカップを置く。そしてフィルターの台紙部分の中央を開いた。糊付けされているらしく、「パリィ」という音と共にフィルターの口は開かれた。台紙の一部分に僅かな折り目があり、彼はそこを谷折りにする。その向かい側にも似たようなものがあり同じく折り込む。上から見ると、その形は砂時計に似ていた。そしてそのまま、カップのフチに差し込んだ。よく見ればカップの厚さに合わせた切り込みがある。するとどうだろう、ドリップ作業で見慣れたそれに酷く似ている。
普通のドリップは円錐状のカップをコーヒーカップの上に乗せて……などの手順がある。それ以前に豆を挽く作業もあるから面倒なのだが、今マリセウス達が見ているのはそれすらない。フィルターがカップの中に入っている形式だ。まるでティーポットの茶漉しに茶葉を入れているようなそれに酷く驚いた。
あとは普通のドリップと同じで、少量の湯で粉末を二十秒ほど蒸らし、それから中央を円を描くように二度ほど分けて注いでいった。十分に淹れ終わると、フィルターを取り出して最後の一滴になるまで落とす。
挽いてすぐに淹れたそれとは大差のない香りがあたりを包み、見たことのない作業にヘルメスとマリセウスは好奇心が抑えられなかった。
「……大変失礼した。まさかこんな保存とドリップがあったなんて、とても驚いた。」
「い、いえ。私も説明不足でしたので。」
「ちなみに、これを発案したのはどなたですかな?」
「あ、私です。」
「え。」
男性は恐縮したように頭を下げた。あまりにも暇だったので……と一言付け足して。
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