オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第三十四話

曇天

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 その頃ヘルメスは自室でぼんやりとしていた。
 ぼんやり、とは語弊があるのかもしれないがなるべく先程のことを深く考えないようにしようと努めている。それでも隙があればその言葉が脳内でリフレインしてしまう……まるでウトウトと眠れそうなのに、僅かな音を立てられて入眠を妨げられているようなものに似ている。

 他人に打ち明ければ少しは楽になるのだろうが、内容が内容なだけあり、このまま一人で抱えてしまえば誰も彼を悪くは見ないはず。逆を言えば自分が夫を疑ってしまっている証拠なのだろうとヘルメスは葛藤した。

 ……マリス様はそんな事をするはずがない。
 それは今のマリセウスだからであって、過去のマリセウスを何も知らないから言えるのだとヘルメスは気づいていた。
 過去の彼を知りたいとは思っていた。だけども、それは彼にとって勇気のいる行動なのも知っている。今回のことを問うてもいいものか、それで夫は口を開いてくれるのだろうか。不安が不安を呼び、せっかくぼんやりしていたのにまた始めから戻ってしまったのだった。
 また改めて瞑想じみた真似をして忘れ去ろうと心がけたとき、扉をノックする音で現実に引き戻されてしまった。ヘルメスは何も考えずに入室の許可を与える。

 「ヘルメス。外で倒れたと聞いたよ、大丈夫かい?」
 「……マリス様。」

 今一番会いたくて、だけども顔を合わせづらい人が尋ねてきた。
 ヘルメスはソファから立ち上がって頭を下げようとするも「座ってて?」と制止され、そのままソファに戻される。

 「申し訳ありません。少し疲れていたようでして……しばらくすれば元気になりますよ。」
 「……私には、そうは見えないけれど。」

 優しく穏やかな声がチクリと刺さる。
 ソファに腰をかけることなくマリセウスは心配そうにヘルメスを見つめていた。いつもなら大好きな夫の顔を見つめられるのに、今はそれが出来ずに俯いてしまっている。なんて失礼な事をしているのだろうと自虐の念を出すが、周囲は待ってはくれない。

 「すまない。二人になりたいから外してくれないか?」

 王太子妃付の侍女たちがそれを聞くと直ぐ様に部屋を出る。最後に退出するナタリアは振り向いて頭を下げ、再び顔を上げるとマリセウスが少し曇った表情をしているのが目に入った。
 だがそれ以上何も口には出せない。彼女が退室すると、ついに二人だけになった。

 「……こうやって部屋で二人きりになるのは、私がカートン邸で気絶した時以来かな?」
 「そう、ですね……。」

 あの日、自分が贈ったドレスを彼女が袖を通して目の前に現れてくれた時。あまりの美しさに胸のみならず脳天を直撃するような衝撃だった。
 たった一ヶ月前の出来事のはずなのに、まるで二年ほど経ったみたいにほんの少し昔の思い出に感じてしまう。きっと一月の間でお互いを理解し、自分自身も成長をした証拠なのだろう。

 「隣、いいかな?」
 「……はい。」

 対面で座らず、敢えてヘルメスの隣を選んだ。そちらのほうが彼女の不安を和らげると思っての行動なのだが、マリセウス自身も胸中の不安を和らげるのに必要だったからだ。

 実の所、グラットンが何を吹き込んだのかマリセウスにはわかっている。しかもピンポイントに理解しているのだ。
 それをヘルメスに知られてはいけないとは思っていない。しかし出来れば自分の口から過去を話さないといけない事なのに、勇気も持てずに結婚式の間際になっても語ることは出来なかった。なんという臆病者なのだろうかと自虐するも、自虐している間も時間が流れていく。
 マリセウスにとってそれは、悲しくもある愚かな過ちであり、信じてはいるものの妻は自分を軽蔑したりはしないだろうか……後ろ向きに考えてしまい、恐怖心が色濃くなってしまうのだ。

 「……何か、言われたのだろう?」

 だがそれでも、進まないといけない。意を決してマリセウスは切り込んだ。

 「知っていたのですか?」
 「すまない、ジライヤ将軍から聞いたんだ。君が座り込む直前に……何者かに耳打ちされたって。」

 敢えて『グラットン』の名前は出さなかった。本来なら夫の因縁ある相手は共有すべきであろうが、彼奴に限らず反王太子派はいる。特定の人物を批判するようなことは、ヘルメスの前ではしたくはないのだ。

 「別に、大袈裟なことではありませんよ。私が少し弱かっただけですから。」
 「その弱さを吐き出したっていいじゃないか。」

 私だって弱いんだ、その一言を付け加えるべきか少し戸惑ったが結局は口には出来なかった。だからこそ弱い、その弱さに甘えてしまうのに罪悪感が募っていく。砂時計が下に落ちていき砂に埋もれていくように、いつまでもひっくり返すことが出来ない甘ったれなのだとマリセウスは自虐した。

 夫が臆病者なのをヘルメスは知らない。
 隣に腰掛けてくれている優しくて大きな紳士だと信じている。……いつも自分の手に添えてくれる、温かい手が人を殺そうとした手だと信じたくなかったのだ。
 仮にこれが真実だったのなら嫌悪感を抱くだろうか?それともただただ悲しくなってしまうだろうか?その先を進んだ感情がなんなのか想像出来ない。

 (嫌だ……怖い……。)

 真実か否かが。
 顔を上げて彼の眼を見て吐き出すのが、こんなにも勇気がいるものかとヘルメスは胸が重くなった。
 人前式のときに感じたマリセウスに対しての違和感だって嘘をついてその場をやり過ごしていた。隠し事は悪い事かもしれないが、切り出さなければ穏やかに過ごせる事だってある。……だが約束した。
 何かあれば話し合い、二人で乗り越えていく。この言葉が如何に覚悟がいる約束であるか、今ようやく理解できたのだ。あまりにも遅すぎるだろうと自責に駆られるが、気づいたのが今でよかったのかもしれないとも捉えられる。

 「……ヘルメス?」

 信じているなら踏み込むべきだろう。
 私は彼の手をとって、生涯を共にしたい、隣にいたい。

 小さな手を重ねて安心感を与えようとするが、それと同時にようやく初めて顔を合わせてくれた。

 綺麗な青空の色をした瞳が不安で揺れている。

 太陽のような金色の瞳も何かに怯えていた。

 「……私は、弱いです。貴方のことを信じているのに、急に怖くなって。」
 「うん。」
 「マリス様……私、言われたんです。」

 肖像画が売られているお店で貴方の小さな肖像画を買って持ってました。それを見た男性が耳打ちしてきたのです。

 「……昔、マリス様は一人の少年を殺そうとしたって。」

 ヘルメスは息が詰まるように言葉を出した。
 ──……全身から血の気が引いた感覚にマリセウスは『わかっていた事なのに』、恐怖が蘇る。
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