私だった時間の終わりに〜あなたの愛はまだありますか?

月山 歩

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2.侍女

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「やっと目を開けたわね。」

 シルビアが薄くまぶたを持ち上げると、そこは見慣れない天井の梁の低いこぢんまりとした部屋だった。
 体の下の寝具は板のように硬く、体をわずかに動かしただけで背骨に痛みが走る。
 布団は硬く、起き上がることも難しいほどの狭さだった。

「ここは?」

「何言ってるの?
 あんたの部屋でしょ?」

 侍女は呆れたように肩をすくめ、ため息を落とした。

「えっ?」

 この狭く息苦しい空間が、私の部屋だなんて理解できない。

「悪いけど早く起きて、シルビア様の居室に行ってくれない?
 私、あんたの分の仕事もして、もうクタクタなの。」

「…どういうこと?」

 問い返した時には、侍女の姿はすでになかった。

 渋々身を起こそうとして、ふと視界に入った自分の体に息が止まる。
 腕は丸く膨らみ、お腹も足も柔らかく丸い。

「えっ、どうして?」

 思わず目を見開きながら、ムチムチとした弾力のある自分の体を震える手で確かめる。

 これは私の体じゃない。
 大きな肉の感触、これはビアンカの体だわ。

 何故こんなことに?
 混乱のまま、体を触ったり、手足を動かしてみたりした。

 嫌、私の体はどうなったの?
 このあり得ない状況に胸の奥が冷たくなる。
 私はどうしたら良いの?

 そう言えば、「シルビア様の居室に行くように。」とさっきの侍女は言っていた。
 だったら、とりあえずそこに行くしかないわ。
 私の体を取り返さなければ。

 どうにか起き上がると、そばにかけられていた侍女の制服に腕を通し、私の居室に急ぐ。
 けれど、予想以上にビアンカの体は重く、歩くだけでも一苦労な上、廊下を進むたび、床板がきしむ。

 どうして彼女はこうなるまで、食べ続けたのかしら?
 絶対に間違いだわ。

 額から汗が流れ、背中に張りついた布が冷たい。
 ようやく自分の居室にたどり着くと、ドアを大きく押し開ける。
 すると、マティアスと偽物の私が手を繋ぎ、見つめ合っていた。

「しぃっ、ドアは静かに、開けなさい。」

 部屋の隅に立つ侍女長が、鋭い視線で私を制した。
 マティアスは、一瞬こちらをチラリと見たが、すぐに何ごともなかったように視線を外す。

 その冷えた反応に驚き、唖然とする。
 彼が私から目を逸らすなんて、今まで一度もなかったのに。

 マティアスは私がまるで空気であるかのように偽物の私に向き直り、彼女の耳元で囁いている。
 私以外の女性とのその距離の近さが、刃のように心に刺さった。

 私はここにいるのに。
 どうして気づかないの。
「あなたが愛しているのは、私でしょう?」
 心の中で叫ぶが彼には届かない。

 手を繋ぐ二人の間に割って入ろうと足を踏み出すと、隣に並ぶ侍女長に睨まれ、それ以上彼らに近づけないように足先を踏みつけられる。

「痛いわ。」

「だったら、黙って立ってなさい。」

 反発する視線を向けるが、彼女の威圧に押し返される。

「これ以上言うことを聞かないなら、つまみ出すわよ。」

 その一言で私は壁際に立ち尽くすしかなかった。
 だって、今はマティアスに私だとわかってもらう方が大事だもの。

 けれど、彼はその後、一切こちらを見ることなく、偽物の私に話しかけ続ける。

 マティアスが私以外の人にあんな風に近づいている姿を見るのが苦しい。
 何故私が彼から離れ、ポツンと壁際に立たないといけないの。

 そして、マティアスに囁かれている私の偽物は誰?
 ビアンカなの?

 今すぐ目の前の二人に駆け寄って真実を伝えたいけれど、侍女長の制止がなくとも、今の私の体はビアンカのものだとわかっている。

 だから、実際二人に割って入ったとして、マティアスが私だとわかってくれると思えない。
 だって、彼はさっき興味がなさそうに目を逸らしたもの。

 何がどうなったのかは分からないけれど、とにかくまずはビアンカと思われる私の偽物と話すのが先決かも。

 けれど、目覚めたばかりで大きな体を支えている私は、これ以上立ち続けることができなかった。

 やがて視界が揺らぎ、血の気が引いていくと、支えを失った体は重く傾き、そのままゴロンと床に転がる。
 冷たい床の感触を最後に、再び意識を失った。






 そして、再び目覚めたのは、先程の侍女の部屋の粗末なベッドの上だった。

 もしかしたらさっきの出来事は悪い夢で、元の体に戻っているのではないかという甘い期待を持っていた私は、すぐに打ち砕かれる。

「無理させてごめんね。
 さっき、私にあんたの世話をしたら、給金を弾んでくれるって、侍女長が約束してくれたの。
 だからあんたはゆっくり休んで良いわ。」

 そういうと、侍女は気まずそうに口元を歪めて笑った。

「なんでも、あんたがまた意識を失ったことを、オーティス侯爵様に知られたそうなの。
 侍医をつけてまで快方に向かわせたのに、水の泡だと大層お怒りのご様子で。」

「そうなんですか?
 ところで、あなたは…?」

「何言ってんの。
 私はルイザよ、忘れたの?
 あんた頭もぶつけたんだね、しょうがないわ。」

「水を…。」

 するとルイザは素焼きのコップを差し出した。

「ほら、これ飲んで。
 でもあんたを抱き起こすなんてできないわよ。」

 確かに今の私の体は大きく柔らかく、布団に沈み込むほど重い。
 女性が一人で抱き起こすのは、無理だろう。

 私は腕を下について体を横に転がし、どうにか上半身を起こした。
 受け取った水を喉に流し込むと、乾いた体に冷たさが染み渡る。

 さっきは目覚めた後、一度も水すら飲まず、壁際に立っていたんですもの倒れて当然だわ。
 そう思いながら、侍女の仕事の過酷さを思い知る。

「あのう、鏡を。」

「えっ?
 どこにあるの?」

「さあ…。」

「さあって、自分の部屋でしょう、忘れたの?
 …もうしょうがないわね。」

 ルイザはため息をついて部屋を出ていき、やがて小さな手鏡を持って戻って来た。

 震える手で鏡を受け取り、恐る恐る覗き込む。
 そこに映っていたのは、かつてのシルビアの顔ではなかった。
 丸く張った頬、幅の広い顎、小さな茶色い瞳、紛れもなくビアンカだった。
 自慢の美貌と細身の姿は消え、マティアスが美しいと愛した私は、もう私のものでない。

 自分の姿を失ったことで、同時にマティアスの愛も失ったことがよくわかった。
 今の私は彼にとって空気のような存在であることも。













 


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