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4.マティアスと侍女
しおりを挟む夕暮れ時に、歩き疲れたシルビアはやっと邸にたどり着いた。
門番の許しを得て、さらに広い敷地内を進むと、ちょうどマティアスと私の偽物がエントランスで話をしていた。
帰ったらすぐにビアンカと話し合いたいと思ったけれど、今は彼がそばにいるから話せない。
二人を横目に遠回りして裏口に進もうとしていると、柱の影に身を寄せた私にも聞こえるような張り詰めた声が耳に届く。
「シルビア、ここ最近ずっとおかしいよ。
僕がなんか嫌なことをした?」
マティアスは彼女の手を取ろうとして途中で止めると、打ちひしがれたようにその手で顔を覆う。
偽物の私が一歩彼から退いたからだ。
「違うの。
でも、手を繋いだり、抱き寄せたりするのはもうやめて。」
彼女の拒絶に周りの者達や風までもがなりをひそめ、庭の木々の葉音さえ消えた。
「どうして?
いつもしていたことなのに。」
「でも、…いけないことだわ。」
さらなる戸惑いが彼の顔に広がる。
「今までそんなことを言ったことはないよな?
好きな男ができたのか?
だから、僕にもう触れられるのは嫌になったとか?」
「違う、違うけど。
申し訳なくて…。」
「誰に?」
マティアスの声が低く沈む。
「誰に申し訳ないんだ。
やっぱり男だろ?
それしか考えられない。」
「ごめんなさい、もう帰って。」
そう告げると私の偽物は、彼の腕を振り払い邸の中へ消えて行った。
見守る周りの者達は、彼への雑な扱いに誰もが驚いた。
かつての私は、彼一人を置き去りにしたことなど皆無だったから。
「…、こんなはずじゃなかったのに。」
取り残された彼が、苦しげに邸を見つめて、頭を抱えている。
その様子を、誰もがどうにもできず遠巻きに見つめていた。
だから、皆と同じように何くわぬ顔で通り過ぎようとすると、何故か彼の視線と真正面でぶつかった。
「君、シルビアの侍女だよね?」
声をかけられ動けずにいると、彼は迷いなくこちらへ歩み寄ってきた。
「はい、ビアンカと申します。」
夕暮れの光を背にしたその姿が、少し疲れて見えて切なくなる。
「体調は大丈夫?
この前、突然倒れただろう?」
「覚えてらしたんですか?」
「女性が突然倒れたんだ、もちろん覚えているよ。」
「私のことなど、気にならないと思ってました。」
「シルビアの身の周りの世話をしてくれているビアンカは、僕にとっても大切な存在だよ。
いつも感謝しているんだ。」
「ありがとうございます。」
「知っているとは思うけれど、実は最近、彼女と僕はうまくいっていないんだ。
原因をいくら考えても、思い浮かばない。
だから、シルビアのことで教えてほしいのだが、事故があった前後に何か彼女に起こったことってあるかい?
事故自体は大したこともなく、特に傷もないから大丈夫だと、オーティス侯爵から聞いているんだけれど、本当は彼女に大きな傷ができたとか?
君もあの時、彼女と一緒にいたんだよね?」
彼は少し言い淀み、声を落とした。
令嬢が結婚前に傷者になることは破談になるほどの大事だ。
オーティス侯爵の指示で、そのことを隠しているから、シルビアの様子がおかしくなった可能性があると考えているらしい。
「はい、事故の時に一緒におりました。
でも彼女に傷はないと私も聞いています。
それ以外、私にはわかりません。」
彼から視線を逸らした。
本当のことを言えない現実が、喉に重く詰まる。
それに今は、マティアスが私以外の人のことを心配する姿は見たくない。
そう思い、話を切り上げようとした。
けれど、立ち去ろうとした私を、彼の声が引き止める。
「待ってくれ。
頼むから話を聞かせてほしい。
シルビアに内緒で会ってる男はいない?
どうしても教えてほしいんだ。」
彼の必死な眼差しを、むげにできない自分がいる。
「シルビア様は浮気するような方ではありません。」
沈黙の後、彼は小さく笑った。
「ごめん、そうだよな。
彼女の態度が信じられなくて、思わずそんなことを言ってしまった。
シルビアはそんな女性じゃない、本当に君のいう通りだよ。」
マティアスは少し落ち着いて来たようで、先ほどの焦ったような振る舞いから、穏やかないつもの表情へ戻って行った。
彼なりに態度がおかしくなったシルビアについて、理由を探して悩んでいるのだろう。
でも私自身まだ混乱の中にいて、どうなるのかわからない。
とにかく今は時間がほしい。
「シルビア様の望む通り、少し距離を置いてみたらいかがですか?
失礼ですが、マティアス様はシルビア様に触れすぎです。」
これまでも散々言われて来た指摘に、彼は苦笑する。
「はは、そうだね。
彼女に触れていると安心するし、幸せを感じるんだ。」
その言葉に、胸が締めつけられる。
私もそうだった。
けれど今は、いくら私の姿だとしても、私以外の人に触れてほしくない。
「でも、シルビア様が困っておられます。」
その中に嫉妬が混ざっていることを認めたくなくて、責めるように彼を見つめていることに気づかない。
「わかった、態度を改めるよ。
彼女にこれ以上嫌われたくないからね。
でも、本当に何があったんだろう?
僕達は確かに親密過ぎるけど、それはシルビアも許してくれていたことなんだ。
それが急にこんなことになるなんて。
彼女を失ったら、僕はどうやって生きていけば良いんだ?」
ぽつりと呟いた一言に、言葉が見つからない。
けれど、何とか慰めたくて、私は口を開いた。
「それは…、わかりません。
けれど、できることをするしかないと思います。」
「ありがとう、君は正直だね。」
「そうではないんですけど…。」
今の私は秘密だらけ。
でもやはりマティアスが好きだから、落ち込む彼を見ていると、慰めたくて、ついつい話をしてしまう。
「ねぇ、また今度、話を聞かせてくれるかい?
最近のシルビアは僕の知らないことばかりでね。
正直、戸惑っているんだ。」
「そう、…ですよね。」
私も心の底から戸惑っているし、私を知っているがゆえに、偽物の私と接することになったマティアスも戸惑って当然だ。
「良かった。
シルビアを良く知る僕の味方が一人できた。
僕はね、絶対にシルビアを失いたくないと思っているんだ。」
そう切なそうに話すマティアスを見つめると、彼は私を見て悲しそうに笑った。
彼を慰めるために、私のピアノを聴かせてあげたいと思うけれど、ビアンカはピアノが弾けないのだ。
そうなると、どうやって彼を癒したら良いのかわからない。
「甘味を召し上がってはいかがですか?」
「えっ?」
彼は驚いたように瞬きをする。
「シルビア様が本当はマティアス様は甘い物が好きだとおっしゃっていたから。」
彼は少しだけ笑った。
「そうか、甘いものか?
隠しているつもりだったんだけどな。
男の方が甘いものが好きだとは、言えなくてね。
ほら、シルビアはモリカが好きだろう?
甘すぎる物は苦手なんだ。
そうか…、知っていたか、恥ずかしいな。
だとしても、シルビアはまた会ってくれるかなぁ、不安だよ。」
「落ち着かれたら、また、お会いすると思います。」
「だといいんだけど…。」
「弱気にならないでください。
未来は変えることができますよ。」
「はは、そうだね。
また頑張るよ。」
「その意気です。」
やがて馬車に近づくと、彼は乗り込む直前、振り返った。
「じゃあ、また。」
その言葉は、まっすぐ私に向けられた。
「はい、お気をつけてお帰りください。」
彼の乗った馬車が動き出す。
夕闇の中へ消えるまで、私は動けず見送った。
好きよ、マティアス。
解決策は何一つ見つけてないけれど。
声にならない想いだけが、胸の奥で静かに揺れていた。
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