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第2章
未完成①
サファイアの瞳が僅かに見開かれた。
湿り気のある冷えた夜だけれど、ささやかながらにそよ風が柔らかな白金の髪をゆらしている。真剣な表情が端正な顔をより際立たせていた。
「ない」
バンリは即答にも近い早さで答え、澱みなくリディアを見据えている。その強い眼差しがあまりに真剣で、息を呑むほどに真直ぐで嘘はない。
全てが乙女ゲームどおりに行くわけでは無いことはわかったけれど、楽観視出来るほどただ純粋に根拠もなく信用出来る経験もしていない。
それでも今のバンリに、疑惑の持ちようもなかった。
「そう…だよね。
ごめんね。
セレイア王国であったことを聞いたのに、まだこんなことを確認して」
「いや。謝るのはわたしだ。
説明しただけですぐに信用できるほど、セレイア王国でリディがした経験は生優しいものじゃないだろう」
生まれてから全ての時間をかけ着実に培ってきた信用が、ミミルが現れてたった数ヶ月も持たずに、原因もわからず、故に改善のしようもなく、あっけなく崩れて孤立してゆく。
それまで信頼を築いてきた者達全てから、あっさりと嫌悪されて辱められてゆくのは、どれ程の絶望を心に刻んだのだろう。
その中にーー自分がいた事を知っている、事情を説明されたところで、それなら仕方がなかった、信用出来る。と切り替えられるものでは無い。
バンリの表情に、リディアはハッとして慌てて大きく手を振った。
「違うのよ、いや全て違うと言うわけでもないのだけれど…私がバンにまだ伝えて無いことがあるの」
これは信用してなかったから言えなかったのではない。
ミミルが来るまで、周りに相談して言う必要性を感じないほどに、満たされた日々を送れていた。
だから自分が前世、異世界の日本と言う国に住んでいて、ここが乙女ゲームの世界であることは誰にも伝えたことがなかったに過ぎない。
今はその乙女ゲームを知っているからこそ、どの様な強制する力が働いたにせよ、バンリが攻略対象者にいたということが、殊更に気になったから念の為の事実確認として質問したのだ。
トラビア王国に来てからのバンリを見てきて、説明を聞いてもなお全く信用が出来ないからではない。
でも、その質問がバンリに自責の念を抱かせてしまった。
「わたしに、言っていないこと?」
「そう。あの…すごく突拍子もなくて。
それこそ私の正気を疑うかもしれないけど…」
そう、突然こんな話をしても、バンリは私の正気を疑うのかも知らない。
色んなことがあって、私がおかしくなったと思われるかもしれないけど、自責に駆られてこんな表情をされているよりもその方がずっと良い。
「私、前世の記憶があるの」
緊張ぎみにそう伝えると、バンリは瞼をまたたいてきょとんとした顔になる。
(そうだよね、真剣な話から突然変な事を言い始めたと思うよね…)
「前世の記憶?」
「それもこの世界とは文明も価値観も違う、異世界の記憶。
だけど、私はこの世界を乙女ゲームというもので知っているの」
「乙女ゲーム…?」
単語の意味を咀嚼しきれなかったのか、バンリは小さく首を傾げる。
(ぁあ…。私はバンに何を言わせているのだろう)
「乙女ゲームって言うのはね…」
♢♢♢
「……」
「……」
乙女ゲームについて、一通りの説明を終えてから、私が先ほど質問した意図を添えて話し終えると、バンリは考え込む様に指を折り曲げて唇に手を当て黙り込んでしまった。
「その……私がトラビア王国へ逃げてきたのは、つまり、このゲームを知ってたから先入観もあったの。
でも、バンがミミルに魅了されていなかったなら私は断罪もされなかったかもしれないし、王位継承権を放棄させるほどにバンリを苦しめる事もなかったかもしれない。
ましてや奴隷になんて…」
「……」
「だから、私の方こそ。突然死を偽って消えてごめんなさい」
頭を下げようとしたリディアを止めるように、右頬に手を添えられた。
「ーーいや。違う。
リディは頭を下げる必要はない、むしろあの時点でリディにはそれ以外、生き残れる術はなかった」
バンは手を離して、視線を下げた。
「え?」
「恐らくリディがあの時点で逃げたから、父は魅了にかからず済んだのかもしれない」
「どういうこと?」
「確かに、セレイア王国の王族は無効化魔法に適性があり、それで魅了がされることはなかった。ーーだけど……」
バンリはそこで一度、口を継ぐんだ。
「セレイア王国の王太子教育で1番重視されているのが、無効化の力を鍛えることだと、リディは知っているだろう?」
「うん」
魔法は勿論のこと、この世界には呪術や精霊の加護、神器なる神の力さえ存在している。
そんな世界で一国の王が健全に諸外国に足元を見られない様渡り合っていくには、目に見える武力や攻撃から国を守る備えや力の保持も必要だが、1番重要なのは内側を操られないことだ。
しかしこれが難しく、どんな守護魔法でも綻びはあるし、それにより滅びの道を歩ませられる国もあるとか。
だが、セレイア王国が諸外国からさほど影響を受けず、平和を維持してこれたのは、セレイア王国の王族が諸外国に存在するどんな魔法使いよりも、無効化魔法に特化した適性があり、加えてその力を持つ賢王が揺らがずに国を主導してこれたからだ。
故にセレイア王国の王太子教育に最重要科目として、無効化魔法は王から直接指導を受ける。
「わたしには無効化魔法の他に雷を初めとした、天候魔法に適性があり、これは有事の際、攻撃として使えるから鍛錬する様にしてきた。
けれど、次代の王として、矛になりうる天候魔法よりもその数倍は無効化魔法に時間を割いてきた」
「そう…だね」
そう…無効化に特化して適性があるからと言って、簡単に無効化魔法が使えるわけではない。
どの様な魔法も何度も実践して鍛え上げなければ、魔法を使えることはなく、王となるには誰よりもこの力を付けなければならなかったバンリは、物理的な攻撃魔法、呪術、精霊の加護をはじめ、精神的な攻撃も受けて来たし、無効化魔法が未熟な幼少の時には大きな怪我を負って何日も寝込んだ事も数えられないほどにある。
それでも、与えられた課題を彼は一度も逃げる事も愚痴も言うこともなく続けて来た。
勿論、無効化魔法の鍛錬があるからと他の王太子教育に手を抜くこともない。
全てはーーセレイア王国の賢王になるために。
(私は、その姿を見て来た)
だから、あの時、私はそんな彼を側で支えたいと思った。
説明をしながら、バンリは手の平に小さら雷電の渦を作る。
「こんな風に、攻撃魔法の様に目に見えるものでは無いから分かりずらいかもしれないが。
無効化魔法が使えるからと言って一概に全てを無効化出来るわけではない。
無効化魔法の力よりも上回られた時は、無効化されないんだ」
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