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お嫁様は辺境伯に前世を語る3
しおりを挟むマーガレットは息を呑むと、目の前に差し出された、剣の柄を握ってそれをゆっくりと引き抜いた。
そして、鞘を地面下ろして付けた手をそのままに、首を垂れた辺境伯の左肩に、剣の刃先を向ける。
「主たる我、マーガレット・ウェルナンシアがヴォーレン・バウセラム ミストロイア辺境伯爵に命じます。」
「はっ」
「今後、この国の辺境地を変わりなく治めてください。
国境沿いの辺境地にて変わりなくとは、難題である事を知っております。
けれど若年にしてその役割を継承した貴方は、それを現在既にやって退けている。貴方には力がある。
その力でどうか王子を、この国をこの先も支えて欲しい。それが、私の望みです。」
マーガレットの言葉を受けると、辺境伯は口上を述べた。
「ー・我は清廉たる国に霊鳥の恩恵を受け、生を賜りし光の僕。辺境の地にて長きに渡り国境を守りし剣と騎士の魂全てと共に忠誠を我が主、マーガレット・ウェルナンシアに捧げる事を此処に誓う。」
儀式の口上を述べ終わると、辺境伯は鞘を再びマーガレットに向ける。マーガレットは剣をゆっくり鞘へとおさめた。
パチンと鞘に収まりきった音がして、2人の間には静かな風が吹いた。
「…ごめんなさい。」
マーガレットは共に行きたいと言う辺境伯の言葉に対して、主として下した命が国に留まる事だったことについての謝罪の言葉を述べた。
「いえ、貴方の騎士として認めてくださったのですから。それで充分です。
ですからこれからは、ヴォーレンとお呼びください。我主。」
ペリドットの瞳は何の曇りもなく淀みもない。爽やかで、人懐っこい笑みを浮かべた。〝主〟と言われると中々照れくさい。
此処まで真剣に忠誠を誓われたのは初めてだ。正直言うと嬉しい。王族としては喜ばずにはいられない。
「…ヴォーレン様で良いですか?」
「はい!わたしも、妃殿下ではなくマーガレット様とお呼びしてもよろしいですか?」
「それは、どちらでも…」
未だ慣れない様子のマーガレットは、話題をかえようとヴォーレンに先程気になった事を聞いてみた。
「ヴォーレン様は何故、私がこの地を去ると思ったのですか?」
「マーガレット様がその目にこの地の景色を焼き付けようとしていたからです。」
たったそれだけで…。
驚いているマーガレットに、辺境伯は聞いた。
「僭越ですが…王子殿下には話されたのですか?」
「いえまだ…何故そんな事を?」
「いえ、何となく。あのお方が貴方を安易に手放すと想像が出来ませんでしたので…」
この時辺境伯は、宰相の庭園での王子が自分を牽制した事を思い出していた。
「……。」
「それに、何故そんな事をする必要が有るのですか?殿下は間違いなく妃殿下を愛しておられます。」
「辺境伯様には、何でもお見通しなのですね……けれど、だからこそ怖いのです。」
「え?」
「愛が、いつか消え行くかもしれないから、愛する程に、側に居るのが怖いのです。」
「……。何故そんな…王子は信じられませんか?」
「いいえ、王子は、信じています。でも王子が争えない力が働く事もあるでしょう。それは偶然に見えて必然として。」
「……?」
「…ヴォーレン様。信じては貰えないかもしれませんが、私には、前世の記憶があるのです。」
「前世?」
少し間をおいて、マーガレットはゆったりとした口調で語り始める。
「私は前世、身体が弱く病気がちでした。
18の年頃になったときには…。入院生活となりました。調子の良い時は家に帰れましたが、もう永くは生きられず、元の生活は無理だと悟り、ただ時が過ぎるだけの日々でした。」
「……。」
「そんなある日女の子が、私に本をくれたのです。
お菓子をくれたお礼に、宝物にしていた本をくれると。
私の性格に似ている人物が出て来る面白い本があるからと。それは、女性なら誰もが知っている、短い物語の恋愛小説でした。」
「恋愛小説、ですか。どんな役柄の人物に似ていると言われたのですか?」
「…その女の子が言っていたのは、物語で恋の障害となる役柄でしたが、皆から終始好かれていると言う、ちょっと珍しい…役でした。」
「……。それは…何というか。普通そう言う役柄は嫌われますもんね。それで、その小説が何か、あるんですか?」
「その女の子は言ったのです。『私はこの小説のヒロインになるから、おねえちゃんはこの王子様のお妃をして。そうしたらきっと、来世も会えるよ。』と。」
辺境伯が、そこで息を呑んだのがわかった。一体マーガレットが、何の話を始めたのか、今の言葉で分かったのかもしれない。
「まさか……。信心深い者でも恩恵が無い者もいる中で、小さな女の子の…あり触れた願いが、何故叶えられたんだ…?」
「その病院は毎朝お祈りの時間というものがあって。
願い事をしてから途切れず、毎朝願うと神様が願いを叶えてくれると言う…
病気の子供達に少しでも希望を持たせたかった医院長先生が言った言葉を、素直な女の子は信じて毎朝、熱心に何かをお祈りしていました。」
「…素直な、女の子だったんですね…。幼子だったんですか?」
「女の子は、まだ私よりも若年の子供でした。私が出会った時はまだ10歳。
生まれてからずっと病院から出た事のないその女の子は、『物語の様な恋をしたい』と私に良く話していました。
彼女は、小説の主人公が恋を成就させる年齢と同じ、12歳を迎えた頃、亡くなりました。
自分の命が永くない事を、私同様に悟っていたのでしょう。
その小説は彼女の切実な祈りで、夢で、希望だったのです。
来世こそ、恋をするのだ。と。」
「……。マーガレット様は…」
辺境伯の問いに、マーガレットは頷いた。
「私も、彼女が亡くなって程なくしてから。生を終えました。
終えた、筈でしたが。
神様が女の子の願いを聞いたのか。
私は新たに生を受けました。
女の子の言っていた、恋の障害として。」
川のせせらぎが、優しく耳をくすぐった。
ヒロインと茶会を重ねる中であの女の子のようだと言う事柄が何度か重なり、〝確信〟になった時、同時に女の子が本をくれた事を思い出した。
彼女は間違いなく、あの小柄な女の子。
神様が、女の子の願いを聞いたのだとしたら、この世界にある強制力はどう働くのか。
単純に考えた時、小説の様な恋愛を彼女に与えるだろう。その為に彼女の願いを聞いたのだから。
多少ずれがあり遅くなったとしても。
ユリシア様が、あの女の子であると分かった瞬間。
神様が女の子の願いを聞いたことで自分がマーガレットに転生した事を私は確信した。
ー・だけど、もう少しの間でいい。
あと、少しだけ。私だけが王子を愛し愛される事を、赦してはくれないだろうか。
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