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最終話ー12
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――王都オルキデーアの上空に黒の塊が出来ると、4ヵ所ある避難所へと移動途中だった民衆から叫喚が響き渡った。
王都の中央に立ち、民衆を避難所へ誘導していたルフィーナが、黒の塊を見上げて絶句する。
(嘘でしょう……何この数? 数百、数千どころじゃない、きっと十万匹近くはいる…! こんなの、いくら陛下たちだって……!)
辺りを見回して、マサムネの猫4匹の姿を探した。
(陛下やベルさんが、レオーネ国に援軍要請を出したはず。まだなの、タロウさんたちは…!? わたしやお兄ちゃん、アレックス、シルビーのバッリエーラじゃ、100枚あったって足りない……!)
付近に、フェデリコとアドルフォ、オルランド、ティート、アレッサンドロ、エルネスト、アラブの7人がテレトラスポルトで現れた。
「良かった、無事かルフィーナ!」
「うん、お兄ちゃん。それより、もちろんレオーネ国には援軍要請を出したんでしょう? まだ来ないの?」
「ああ、まだだが、今頃テンテンがレオーネ国へ辿り着いているはずだ」
ルフィーナが「そう」と小さく安堵の溜め息を吐いた後、7人の顔を見回す。
「でも待って、これだけ? あとは宮廷の守備に残ったの? コラード陛下たちがまだ着いてないってこと?」
「着いてないっていうか、来ないよ」
と第四王子ティートが返すと、ルフィーナが「え?」と小首を傾げた。
「妻子や国民を守るために船に乗らないで、サジッターリオに残って、戦って、そして殺されたんだ……コラード兄上も、レンツォ兄上も、リナルドも」
「そ…そんな……!」
衝撃を受けたルフィーナが口を塞いだ傍ら、ティートが天を仰いで「なるほどね」と言った。
「そりゃコラード兄上とレンツォ兄上、リナルドが3人で掛かっても敵わないわけだ。なんだよこの数、おかしいだろ…! 早く皆を助けなきゃっ……!」
「待て、ティート」
とフェデリコが止めた。
黒の塊を見つめながら、眉を顰める。
「なんだか少し様子がおかしくないか……? 彼らは何故まだ襲って来ない?」
「ああ、おかしいな」
とアドルフォが続いた。
「目的は人間に復讐することもあるんだろうが、それ以外にも何か目的があるのか?」
「え?」
とメッゾサングエの3人が、目を凝らして黒の塊を見つめる。
「あれ…? 何か探してる……?」
「そんな感じがします、母上。彼ら王都のあちこちを見て、何を探してるんだろう」
「王都のあちこちっていうか……避難所に逃げていく人間を見ていないか?」
とアラブが言うと、王太子オルランドがその顔を見た。
「それって、ピピストレッロは『誰か』を探しているってことです? まさかその『誰か』が船に乗ったから、わざわざここまで追い駆けて来たとか?」
「分かりませんが……もしその『誰か』が船に乗っていなく、被害がサジッターリオの王都だけで済んでいたんだとしたら、大迷惑な人だ。自分のしたこと分かってるのか。見つかったら大逆罪に処してもいいくらいだ」
フェデリコの三男エルネストが「あっ!」と黒の塊を指差した。
「ピピストレッロが散らばっていくよ! いよいよ人間を襲う気なんだ!」
「皆さん、手を繋いでください!」
とルフィーナが声を上げた。
すぐさま一同が従うと、アラブが5枚掛けたバッリエーラに追加してもう10枚ずつ掛ける。
「タロウさんたちが来るまで、これで間に合えばいいのですが……!」
「ありがとうございます、ルフィーナ王妃陛下。もうそろそろ来てくれる頃でしょうし、充分です」
と言いながら、フェデリコがピピストレッロたちが散らばっていく方向を見極める。
「一番大きい避難所――学校のある方向へ飛んでいくのが多いな」
「民衆がより多く移動していくからか? やはり『誰か』を探しているのかもな。学校前は大公閣下と俺が行こう」
とアドルフォが「アラブ」と言うと、それは2人を町の北東に位置する学校の校庭へと送り届けた。
すぐに戻って来ると、ティートがこう言った。
「おれとエルネストは、セレーナさんのパン屋まで送ってアラブ将軍! きっと女子供が怖くて泣いてるから、早く!」
アラブが承知して、その2人を町の北西に位置する2つ目の避難所――セレーナのパネッテリーア前へと送り届ける。
そしてまた戻ってくると、今度はルフィーナがこう言った。
「オルランド殿下とアレックス、お兄ちゃんの3人で残りの2つの避難所――教会と病院を守って! 教会と病院は道路を挟んで向かい合ってるから、なんとか3人で協力し合えるでしょう?」
「ああ、大丈夫だ。ルフィーナはどうするんだ? 宮廷へ戻るのか?」
「わたしは逃げ遅れた人を助けて来る! 大丈夫、タロウさんたちが来るまで、皆のところにも治癒・バッリエーラを掛けて回るから!」
と、ルフィーナがテレトラスポルトでその場を後にすると、アラブも残りの2人を連れて、学校から南下した先にある3つ目と4つ目の避難所――教会と病院に移動した。
――その頃、宮廷の大手門から王都を見下ろしている4人――フラヴィオ・ムサシ・ジルベルト・ガルテリオ――は、狼狽を通り越して唖然としていた。
「あの……伯父上、ピピストレッロの数に対し、明らかにこっちの人数が足りないのですが。特に学校へ向かっていくピピストレッロが多過ぎる」
「ああ、ガルテリオ。この状況だと、フェーデとドルフが学校の防衛に回ったとは思うが……まずいな。二人がいても、国民を守り切れぬかもしれん」
「奴らをこっちにもおびき寄せようぜ。二、三匹を兄貴が矢で射ればこっちにも気付くだろ」
「しかしジル、それはそれで少し不安でござるよ。何故なら、宮廷にはたくさんのサジッターリオ国民が避難しているでござるから――」
「じゃー、うちの国民を見殺しにしろって言うのかよ兄貴」
「そうではござらぬよ」
とムサシ・ジルベルト兄弟が揉め始めたとき、背後から「こうしましょう」と家政婦長ピエトラの声が聞こえた。
4人が振り返るとその姿の他、ベルもいた。
「宮廷がピピストレッロに襲撃されていない今のうちに、サジッターリオ国民をプリームラまで避難させるのです。どうやらピピストレッロは、ここ王都に蝟集して、プリームラ町の方へはまだ行っていないようですから」
「そうしましょう、伯父上。その方が僕たちだって戦闘に集中出来る」
「そうだな。すぐにそうしてくれ」
とフラヴィオが言うと、ピエトラが承知して宮廷の中へと戻っていった。
その指示に従い、宮廷の中に詰め寄せていたサジッターリオ国民が、兵士の護衛の下、密やかに搦手門から出てプリームラ町へと移動していく。
その一方で、王都と空を交互に眺めているベルが、呆然自失としていた。
(何これ……)
想像の域を遥かに超えて巨大な黒の塊――無数のピピストレッロたち。
それは4ヵ所にある避難所を中心に王都全域に散開し、舞い降り、阿鼻叫喚の世界を造り上げていく。
もともと感じていた不安が膨張し、身体が小刻みに震えた。
「アモーレ」
とフラヴィオが呼ぶと、「ノ」と返したベルが、その胸に飛び込むようにしがみ付いた。
「まだ何も言っていないぞ」
「私はプリームラに行きません。ここに残ります」
「ベル――」
「嫌です、絶対に行きません! 私はフラヴィオ様の傍にいるのです!」
とベルが声高になると、フラヴィオが「分かっている」と抱き締めて宥めた。
「そなたは行くなと言いたかったのだ。天使軍の問題児その2は、目を離した隙に何をするか分からんからな。遠くへ行かれたら、逆に不安で戦えぬのだ。でも宮廷から出ては駄目だぞ? 良いな?」
「スィー」
宮廷の中から、天使たちや幼子たち、シャルロッテたちが出て来た。
それらもまた王都を眺め、暫時呆然とする。
「何これ……この世の終わり? ならワタシたちも家族のいるこっちに残るわ」
と、ベラドンナ。
「ああ、天使軍の問題児その1もそうしてくれた方が有難い。だが、後は――」
「やだ」
とサルヴァトーレが震えながらフラヴィオにしがみ付いた。
「ト…トーレ、プリームラに行かない……」
「トーレ――」
「やだ! トーレ、行かない! 父上たちと、家族と一緒にいる!」
とサルヴァトーレが泣き出すと、アヤメが「大丈夫や」と口を開いた。
「ウチたちのことは心配せんといてや、フラビー陛下。せやかて、タロウたちがそろそろ来てくれるで」
「それはそうだが……」
と困惑するフラヴィオの目前に、何を言ったところで聞く耳を持たないだろう顔々が並んでいた。
それ故に「分かった」と仕方なく承知したとき、町の方から絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
そこにいた一同が大手門から飛び出し町を見下ろすと、3匹のピピストレッロに囲まれている民衆の母娘が見えた。
ムサシが咄嗟に矢筒の中から3本の矢を取り出す。
「よろしいでござりまするか、陛下!」
「サジッターリオ国民がまだ避難途中かもしれないが、止むを得ん! 打て、ムサシ!」
ムサシが「スィー!」と返すなり3本の矢を同時に放った傍ら、天使たちや幼子たち、シャルロッテたちが急いで宮廷の中へ戻っていく。
「レオ」とフラヴィオが呼び止めた。
「おまえは強い。将来、余やフェーデの力を上回るかもしれないと思うほどだ。虫一匹殺せないほど心優しいおまえにとって、命を奪うことは人一倍――いや、二倍、三倍恐ろしいことだろう。しかし今、家族も国民も命の危機に晒されている。勇気を出して、戦ってくれると助かる」
「――……ごめんなさい」
と小さな震え声で返したそれは、宮廷の中へと逃げるように駆け込んで行った。
「伯父上!」とガルテリオに呼ばれてフラヴィオが振り返ると、大量のピピストレッロがこちらへと飛んで来るのが見えた。
「上手くピピストレッロを分散出来ました! これで学校はマシになるかと!」
「おまえたち、裏庭を頼んだぞ! 避難中のサジッターリオ国民に被害が出ないよう気を付けろ!」
ムサシ・ジルベルト兄弟とガルテリオが「スィー」と裏庭へと駆けて行った一方、『下の中庭』で構えたフラヴィオの周りには、兵士たちや武装した使用人たちが集まってくる。
「おまえたちは飛んでいるピピストレッロを矢で射落としてくれ。と言っても、タロウたちが来るまで無理をしては駄目だ。危なくなったら防御に徹しろ。炎が飛んで来たら、宮廷や中庭の壁を盾に出来るはずだ。良いな? おまえたちにはバッリエーラが掛かっていないのだから」
「スィー」
フラヴィオの前方に、三匹のメスのピピストレッロが舞い降りてきた。
「来た」
と剣を構えたが、流れる黒髪が世にも美しく、一瞬目を奪われる。
月光に照らされた肌は蒼く見えるほど白く、豊かな曲線美を描いている身体と相まって、一見磁器で作られた芸術作品のようにも見えた。
対照的に闇に溶け込みそうに真っ黒なコウモリの翼を持ち、白と黒の中に浮かぶ鮮やかな紅の唇が、妖艶な花のように映る。
同様に、月光を反射して光っている瞳も赤く、深く、透明で、一点の穢れも傷も無い最高級のオルキデーア石が嵌め込まれているようで、それは何かを探すようにフラヴィオたちを見渡して動いている。
「――…美しいな……殺すのが惜しいほどに。またそなたらは、とても純粋で、穢れなき心を持っているのだとレオが言っていた。悪いのはあくまでも人間で、それを殺すのは不合理だとも言った。本当にそうだな。申し訳ない、本当に……」
ピピストレッロたちの手の平に火の玉が現れ、兵士・使用人たちが「陛下!」と狼狽した手前、フラヴィオが目にも留まらぬ速さで抜剣した。
「申し訳ない」
ピピストレッロの首が3つ宙を舞い、灰となって大地の上に崩れ落ちる。
「来たぞ! 打て!」
空から集団で襲い掛かってきたピピストレッロに向かい、真っ先にフラヴィオが剣を一振りして虚空を切る。
すると集団の前列が、瞬発的に身体を翼で覆って防御した。
横にスパッと傷付いた翼に、間を置かず矢の嵐が降り注いでいくと、ウン十匹単位で落下してくる。
それらが大地に着くや否や、フラヴィオに灰にされていく一方で、矢を放つ兵士・使用人たちに向かって炎が降り注ぐ。
「避けろ!」
矢庭に宮廷内に飛び込んでいく者。
ここ『下の中庭』と『中の中庭』を遮る壁のアーチに駆け込んでいく者。
後者のひとりが躓いてしまい、後続を巻き込んで転倒していく。
「――危ない!」
と咄嗟の判断で、宮廷内にいた使用人たちが窓から空に向かって矢やナイフを放ち、フラヴィオが空に向かって剣を振るう。
だが、
(間に合わない)
誰もがそう思ったとき、転倒した者たちの前に真っ赤な炎が瞬間移動したように見えた。
しかしそれは炎ではなく、炎のような色をした髪だった――
「――シルビー!」
顔色無しになって駆け出したフラヴィオの目線の先、小さな両手を天へと翳し、大きく息を吸い込んだシルヴィア。
「ピオッジャ・ディ・グワリーレ!」
と魔法を唱えると、その髪が紅蓮の炎のように逆立った。
(宮廷のみんなは、わたしが守るのよ!)
その小さな身体と転倒した者たちを、炎が飲み込んでいく。
それとほぼ同時に、光の雨が降り注いでいった。
フラヴィオが炎に飛び込み、シルヴィアを腕に抱えて救い出す。
その一瞬に、バッリエーラが2枚割れる音が響いた。
その直後、攻撃を食らったことでピピストレッロたちの炎が弱化して消失し、その身体が落下してくると、宮廷の中から家政婦長ピエトラと料理長フィコが飛び出してきた。
「陛下、助太刀致します」
「六連輪切り円舞!」
とフィコが、その剛腕で特大包丁を振り回してピピストレッロの首を派手に跳ね飛ばし。
それを補助するように、ピエトラが宮廷中から集めてきた大量のコルテッロを弾丸のような威力でぶっ放す。
「助かるぞ、第二の母上と父上よ…! もはや強すぎて、職業何だったか忘れるな……!」
フラヴィオの腕の中、シルヴィアが「みんな!」と先ほど転倒した者たちに顔を向けた。
「大丈夫だった!? 生きてる!?」
「え…ええ……大丈夫です。誰ひとり、死者は出ておりません……」
と、ぽかんとしてシルヴィアを見る顔々があった。
「よくやった、シルビー! なんという、勇気よ!」
とフラヴィオに抱き締められたシルヴィアが嬉しそうに笑った後、「急いで」と言いながらフラヴィオにバッリエーラを2枚掛けた。
その場にいる兵士・使用人たちに手を繋いでもらい、それらにもバッリエーラを1枚ずつ掛ける。
戦っているピエトラとフィコのところにはテレトラスポルトで飛んで、一瞬でバッリエーラを5枚ずつ掛けて来ると、フラヴィオの下へ戻ってきた。
「支援はわたしに任せて、安心して戦って父上!」
と親指を立てた次女の頭を「分かった」と撫でたフラヴィオが、ピエトラとフィコの下へと急ぐ。
シルヴィアは、宮廷の廊下で腰を抜かし掛けている天使たちに「大丈夫よ」と余裕の笑顔を見せると、フラヴィオたちの後方に立って援護射撃している兵士・使用人を背にして立った。
空のピピストレッロたちの様子を眺めながら、仁王立ちする。
「さあ、みんなも安心して戦って!」
戸惑いの声が返ってきた。
「あ…あの、どうして私たちの命を……?」
「どうしてって……どうして? わたしの仕事は、宮廷のみんなを守ることよ。それにそうじゃなかったとしても、目の前で仲間が危険に晒されていたら助けるのは当たり前のことでしょう?」
フラヴィオが「シルビー!」と言った。
振り返ると向かってくる炎が見え、シルヴィアが再び「ピオッジャ・ディ・グワリーレ!」と治癒の雨を兵士・使用人たちに降らせていく。
バッリエーラが割れたものには、すぐにまたそれを掛けた。
「みんな、ぼうっとしてないで、どんどん矢を放って! 大丈夫よ、わたしが必ず守るから!」
承知した兵士・使用人たちが、浮遊するピピストレッロたちに向かって矢を放つ。
涙声が聞こえてきた。
「シルヴィア殿下、これまでの私たちの無礼の数々をお許しください……!」
「命をお助けいただき、ありがとうございました……!」
振り返って兵士・使用人たちの顔を一瞥し、シルヴィアが「スィー」と満面の笑みを見せた頃――
王都の中央に立ち、民衆を避難所へ誘導していたルフィーナが、黒の塊を見上げて絶句する。
(嘘でしょう……何この数? 数百、数千どころじゃない、きっと十万匹近くはいる…! こんなの、いくら陛下たちだって……!)
辺りを見回して、マサムネの猫4匹の姿を探した。
(陛下やベルさんが、レオーネ国に援軍要請を出したはず。まだなの、タロウさんたちは…!? わたしやお兄ちゃん、アレックス、シルビーのバッリエーラじゃ、100枚あったって足りない……!)
付近に、フェデリコとアドルフォ、オルランド、ティート、アレッサンドロ、エルネスト、アラブの7人がテレトラスポルトで現れた。
「良かった、無事かルフィーナ!」
「うん、お兄ちゃん。それより、もちろんレオーネ国には援軍要請を出したんでしょう? まだ来ないの?」
「ああ、まだだが、今頃テンテンがレオーネ国へ辿り着いているはずだ」
ルフィーナが「そう」と小さく安堵の溜め息を吐いた後、7人の顔を見回す。
「でも待って、これだけ? あとは宮廷の守備に残ったの? コラード陛下たちがまだ着いてないってこと?」
「着いてないっていうか、来ないよ」
と第四王子ティートが返すと、ルフィーナが「え?」と小首を傾げた。
「妻子や国民を守るために船に乗らないで、サジッターリオに残って、戦って、そして殺されたんだ……コラード兄上も、レンツォ兄上も、リナルドも」
「そ…そんな……!」
衝撃を受けたルフィーナが口を塞いだ傍ら、ティートが天を仰いで「なるほどね」と言った。
「そりゃコラード兄上とレンツォ兄上、リナルドが3人で掛かっても敵わないわけだ。なんだよこの数、おかしいだろ…! 早く皆を助けなきゃっ……!」
「待て、ティート」
とフェデリコが止めた。
黒の塊を見つめながら、眉を顰める。
「なんだか少し様子がおかしくないか……? 彼らは何故まだ襲って来ない?」
「ああ、おかしいな」
とアドルフォが続いた。
「目的は人間に復讐することもあるんだろうが、それ以外にも何か目的があるのか?」
「え?」
とメッゾサングエの3人が、目を凝らして黒の塊を見つめる。
「あれ…? 何か探してる……?」
「そんな感じがします、母上。彼ら王都のあちこちを見て、何を探してるんだろう」
「王都のあちこちっていうか……避難所に逃げていく人間を見ていないか?」
とアラブが言うと、王太子オルランドがその顔を見た。
「それって、ピピストレッロは『誰か』を探しているってことです? まさかその『誰か』が船に乗ったから、わざわざここまで追い駆けて来たとか?」
「分かりませんが……もしその『誰か』が船に乗っていなく、被害がサジッターリオの王都だけで済んでいたんだとしたら、大迷惑な人だ。自分のしたこと分かってるのか。見つかったら大逆罪に処してもいいくらいだ」
フェデリコの三男エルネストが「あっ!」と黒の塊を指差した。
「ピピストレッロが散らばっていくよ! いよいよ人間を襲う気なんだ!」
「皆さん、手を繋いでください!」
とルフィーナが声を上げた。
すぐさま一同が従うと、アラブが5枚掛けたバッリエーラに追加してもう10枚ずつ掛ける。
「タロウさんたちが来るまで、これで間に合えばいいのですが……!」
「ありがとうございます、ルフィーナ王妃陛下。もうそろそろ来てくれる頃でしょうし、充分です」
と言いながら、フェデリコがピピストレッロたちが散らばっていく方向を見極める。
「一番大きい避難所――学校のある方向へ飛んでいくのが多いな」
「民衆がより多く移動していくからか? やはり『誰か』を探しているのかもな。学校前は大公閣下と俺が行こう」
とアドルフォが「アラブ」と言うと、それは2人を町の北東に位置する学校の校庭へと送り届けた。
すぐに戻って来ると、ティートがこう言った。
「おれとエルネストは、セレーナさんのパン屋まで送ってアラブ将軍! きっと女子供が怖くて泣いてるから、早く!」
アラブが承知して、その2人を町の北西に位置する2つ目の避難所――セレーナのパネッテリーア前へと送り届ける。
そしてまた戻ってくると、今度はルフィーナがこう言った。
「オルランド殿下とアレックス、お兄ちゃんの3人で残りの2つの避難所――教会と病院を守って! 教会と病院は道路を挟んで向かい合ってるから、なんとか3人で協力し合えるでしょう?」
「ああ、大丈夫だ。ルフィーナはどうするんだ? 宮廷へ戻るのか?」
「わたしは逃げ遅れた人を助けて来る! 大丈夫、タロウさんたちが来るまで、皆のところにも治癒・バッリエーラを掛けて回るから!」
と、ルフィーナがテレトラスポルトでその場を後にすると、アラブも残りの2人を連れて、学校から南下した先にある3つ目と4つ目の避難所――教会と病院に移動した。
――その頃、宮廷の大手門から王都を見下ろしている4人――フラヴィオ・ムサシ・ジルベルト・ガルテリオ――は、狼狽を通り越して唖然としていた。
「あの……伯父上、ピピストレッロの数に対し、明らかにこっちの人数が足りないのですが。特に学校へ向かっていくピピストレッロが多過ぎる」
「ああ、ガルテリオ。この状況だと、フェーデとドルフが学校の防衛に回ったとは思うが……まずいな。二人がいても、国民を守り切れぬかもしれん」
「奴らをこっちにもおびき寄せようぜ。二、三匹を兄貴が矢で射ればこっちにも気付くだろ」
「しかしジル、それはそれで少し不安でござるよ。何故なら、宮廷にはたくさんのサジッターリオ国民が避難しているでござるから――」
「じゃー、うちの国民を見殺しにしろって言うのかよ兄貴」
「そうではござらぬよ」
とムサシ・ジルベルト兄弟が揉め始めたとき、背後から「こうしましょう」と家政婦長ピエトラの声が聞こえた。
4人が振り返るとその姿の他、ベルもいた。
「宮廷がピピストレッロに襲撃されていない今のうちに、サジッターリオ国民をプリームラまで避難させるのです。どうやらピピストレッロは、ここ王都に蝟集して、プリームラ町の方へはまだ行っていないようですから」
「そうしましょう、伯父上。その方が僕たちだって戦闘に集中出来る」
「そうだな。すぐにそうしてくれ」
とフラヴィオが言うと、ピエトラが承知して宮廷の中へと戻っていった。
その指示に従い、宮廷の中に詰め寄せていたサジッターリオ国民が、兵士の護衛の下、密やかに搦手門から出てプリームラ町へと移動していく。
その一方で、王都と空を交互に眺めているベルが、呆然自失としていた。
(何これ……)
想像の域を遥かに超えて巨大な黒の塊――無数のピピストレッロたち。
それは4ヵ所にある避難所を中心に王都全域に散開し、舞い降り、阿鼻叫喚の世界を造り上げていく。
もともと感じていた不安が膨張し、身体が小刻みに震えた。
「アモーレ」
とフラヴィオが呼ぶと、「ノ」と返したベルが、その胸に飛び込むようにしがみ付いた。
「まだ何も言っていないぞ」
「私はプリームラに行きません。ここに残ります」
「ベル――」
「嫌です、絶対に行きません! 私はフラヴィオ様の傍にいるのです!」
とベルが声高になると、フラヴィオが「分かっている」と抱き締めて宥めた。
「そなたは行くなと言いたかったのだ。天使軍の問題児その2は、目を離した隙に何をするか分からんからな。遠くへ行かれたら、逆に不安で戦えぬのだ。でも宮廷から出ては駄目だぞ? 良いな?」
「スィー」
宮廷の中から、天使たちや幼子たち、シャルロッテたちが出て来た。
それらもまた王都を眺め、暫時呆然とする。
「何これ……この世の終わり? ならワタシたちも家族のいるこっちに残るわ」
と、ベラドンナ。
「ああ、天使軍の問題児その1もそうしてくれた方が有難い。だが、後は――」
「やだ」
とサルヴァトーレが震えながらフラヴィオにしがみ付いた。
「ト…トーレ、プリームラに行かない……」
「トーレ――」
「やだ! トーレ、行かない! 父上たちと、家族と一緒にいる!」
とサルヴァトーレが泣き出すと、アヤメが「大丈夫や」と口を開いた。
「ウチたちのことは心配せんといてや、フラビー陛下。せやかて、タロウたちがそろそろ来てくれるで」
「それはそうだが……」
と困惑するフラヴィオの目前に、何を言ったところで聞く耳を持たないだろう顔々が並んでいた。
それ故に「分かった」と仕方なく承知したとき、町の方から絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
そこにいた一同が大手門から飛び出し町を見下ろすと、3匹のピピストレッロに囲まれている民衆の母娘が見えた。
ムサシが咄嗟に矢筒の中から3本の矢を取り出す。
「よろしいでござりまするか、陛下!」
「サジッターリオ国民がまだ避難途中かもしれないが、止むを得ん! 打て、ムサシ!」
ムサシが「スィー!」と返すなり3本の矢を同時に放った傍ら、天使たちや幼子たち、シャルロッテたちが急いで宮廷の中へ戻っていく。
「レオ」とフラヴィオが呼び止めた。
「おまえは強い。将来、余やフェーデの力を上回るかもしれないと思うほどだ。虫一匹殺せないほど心優しいおまえにとって、命を奪うことは人一倍――いや、二倍、三倍恐ろしいことだろう。しかし今、家族も国民も命の危機に晒されている。勇気を出して、戦ってくれると助かる」
「――……ごめんなさい」
と小さな震え声で返したそれは、宮廷の中へと逃げるように駆け込んで行った。
「伯父上!」とガルテリオに呼ばれてフラヴィオが振り返ると、大量のピピストレッロがこちらへと飛んで来るのが見えた。
「上手くピピストレッロを分散出来ました! これで学校はマシになるかと!」
「おまえたち、裏庭を頼んだぞ! 避難中のサジッターリオ国民に被害が出ないよう気を付けろ!」
ムサシ・ジルベルト兄弟とガルテリオが「スィー」と裏庭へと駆けて行った一方、『下の中庭』で構えたフラヴィオの周りには、兵士たちや武装した使用人たちが集まってくる。
「おまえたちは飛んでいるピピストレッロを矢で射落としてくれ。と言っても、タロウたちが来るまで無理をしては駄目だ。危なくなったら防御に徹しろ。炎が飛んで来たら、宮廷や中庭の壁を盾に出来るはずだ。良いな? おまえたちにはバッリエーラが掛かっていないのだから」
「スィー」
フラヴィオの前方に、三匹のメスのピピストレッロが舞い降りてきた。
「来た」
と剣を構えたが、流れる黒髪が世にも美しく、一瞬目を奪われる。
月光に照らされた肌は蒼く見えるほど白く、豊かな曲線美を描いている身体と相まって、一見磁器で作られた芸術作品のようにも見えた。
対照的に闇に溶け込みそうに真っ黒なコウモリの翼を持ち、白と黒の中に浮かぶ鮮やかな紅の唇が、妖艶な花のように映る。
同様に、月光を反射して光っている瞳も赤く、深く、透明で、一点の穢れも傷も無い最高級のオルキデーア石が嵌め込まれているようで、それは何かを探すようにフラヴィオたちを見渡して動いている。
「――…美しいな……殺すのが惜しいほどに。またそなたらは、とても純粋で、穢れなき心を持っているのだとレオが言っていた。悪いのはあくまでも人間で、それを殺すのは不合理だとも言った。本当にそうだな。申し訳ない、本当に……」
ピピストレッロたちの手の平に火の玉が現れ、兵士・使用人たちが「陛下!」と狼狽した手前、フラヴィオが目にも留まらぬ速さで抜剣した。
「申し訳ない」
ピピストレッロの首が3つ宙を舞い、灰となって大地の上に崩れ落ちる。
「来たぞ! 打て!」
空から集団で襲い掛かってきたピピストレッロに向かい、真っ先にフラヴィオが剣を一振りして虚空を切る。
すると集団の前列が、瞬発的に身体を翼で覆って防御した。
横にスパッと傷付いた翼に、間を置かず矢の嵐が降り注いでいくと、ウン十匹単位で落下してくる。
それらが大地に着くや否や、フラヴィオに灰にされていく一方で、矢を放つ兵士・使用人たちに向かって炎が降り注ぐ。
「避けろ!」
矢庭に宮廷内に飛び込んでいく者。
ここ『下の中庭』と『中の中庭』を遮る壁のアーチに駆け込んでいく者。
後者のひとりが躓いてしまい、後続を巻き込んで転倒していく。
「――危ない!」
と咄嗟の判断で、宮廷内にいた使用人たちが窓から空に向かって矢やナイフを放ち、フラヴィオが空に向かって剣を振るう。
だが、
(間に合わない)
誰もがそう思ったとき、転倒した者たちの前に真っ赤な炎が瞬間移動したように見えた。
しかしそれは炎ではなく、炎のような色をした髪だった――
「――シルビー!」
顔色無しになって駆け出したフラヴィオの目線の先、小さな両手を天へと翳し、大きく息を吸い込んだシルヴィア。
「ピオッジャ・ディ・グワリーレ!」
と魔法を唱えると、その髪が紅蓮の炎のように逆立った。
(宮廷のみんなは、わたしが守るのよ!)
その小さな身体と転倒した者たちを、炎が飲み込んでいく。
それとほぼ同時に、光の雨が降り注いでいった。
フラヴィオが炎に飛び込み、シルヴィアを腕に抱えて救い出す。
その一瞬に、バッリエーラが2枚割れる音が響いた。
その直後、攻撃を食らったことでピピストレッロたちの炎が弱化して消失し、その身体が落下してくると、宮廷の中から家政婦長ピエトラと料理長フィコが飛び出してきた。
「陛下、助太刀致します」
「六連輪切り円舞!」
とフィコが、その剛腕で特大包丁を振り回してピピストレッロの首を派手に跳ね飛ばし。
それを補助するように、ピエトラが宮廷中から集めてきた大量のコルテッロを弾丸のような威力でぶっ放す。
「助かるぞ、第二の母上と父上よ…! もはや強すぎて、職業何だったか忘れるな……!」
フラヴィオの腕の中、シルヴィアが「みんな!」と先ほど転倒した者たちに顔を向けた。
「大丈夫だった!? 生きてる!?」
「え…ええ……大丈夫です。誰ひとり、死者は出ておりません……」
と、ぽかんとしてシルヴィアを見る顔々があった。
「よくやった、シルビー! なんという、勇気よ!」
とフラヴィオに抱き締められたシルヴィアが嬉しそうに笑った後、「急いで」と言いながらフラヴィオにバッリエーラを2枚掛けた。
その場にいる兵士・使用人たちに手を繋いでもらい、それらにもバッリエーラを1枚ずつ掛ける。
戦っているピエトラとフィコのところにはテレトラスポルトで飛んで、一瞬でバッリエーラを5枚ずつ掛けて来ると、フラヴィオの下へ戻ってきた。
「支援はわたしに任せて、安心して戦って父上!」
と親指を立てた次女の頭を「分かった」と撫でたフラヴィオが、ピエトラとフィコの下へと急ぐ。
シルヴィアは、宮廷の廊下で腰を抜かし掛けている天使たちに「大丈夫よ」と余裕の笑顔を見せると、フラヴィオたちの後方に立って援護射撃している兵士・使用人を背にして立った。
空のピピストレッロたちの様子を眺めながら、仁王立ちする。
「さあ、みんなも安心して戦って!」
戸惑いの声が返ってきた。
「あ…あの、どうして私たちの命を……?」
「どうしてって……どうして? わたしの仕事は、宮廷のみんなを守ることよ。それにそうじゃなかったとしても、目の前で仲間が危険に晒されていたら助けるのは当たり前のことでしょう?」
フラヴィオが「シルビー!」と言った。
振り返ると向かってくる炎が見え、シルヴィアが再び「ピオッジャ・ディ・グワリーレ!」と治癒の雨を兵士・使用人たちに降らせていく。
バッリエーラが割れたものには、すぐにまたそれを掛けた。
「みんな、ぼうっとしてないで、どんどん矢を放って! 大丈夫よ、わたしが必ず守るから!」
承知した兵士・使用人たちが、浮遊するピピストレッロたちに向かって矢を放つ。
涙声が聞こえてきた。
「シルヴィア殿下、これまでの私たちの無礼の数々をお許しください……!」
「命をお助けいただき、ありがとうございました……!」
振り返って兵士・使用人たちの顔を一瞥し、シルヴィアが「スィー」と満面の笑みを見せた頃――
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