忘却都市 ~君との愛に溺れたい~

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)

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「さて、停戦も解除されて今日の午後から再びの開戦だ! ――と言いたいところだが、暫しの間が開いた所為で我らのトップである特級国民様と相手方の特級国民様は飽きられた様である。でだ、最後に何か面白い趣向を凝らして一つやってくれと……そう御命じになられていてな。」

 今回この隊を現場で仕切る最上位の上官であるキース=ビリンガム中尉は、嵐が過ぎ去ったと知るや否や自身の天幕の前に全員を集めてこう告げた。
 趣向を凝らして一つ、とは―――自分たちに一体何をやらせる気なんだと皆が皆不安がった。
一人一人の不安は波の様に周囲に伝わっていき、誰かの不安は感じた本人の不安と合わさって大きくなり、それが徐々に拡張していってざわつきとなっていった。

「ええい、静まらんかっ!」

 ビリンガム中尉の一喝でざわつきはピタリと止まった。

「それで……だ。何をするかだが―――。」

 目の前に整列する軍人らをビリンガム中尉はグルリと見渡し、たったそれだけの仕草が軍人たちの空気をピリリと締めつけた。

「上との協議の結果、あちらの隊とこちらの隊で五人ずつばかし選出して殴り合いの乱闘をさせるということになった。武器は無しだが防具も無しだ。寒い中で最低限度の服を着てという事になる。本当は裸でというお達しが特級国民様の方から出たのだが……さすがにそれだと一歩も動けずに両軍ともに死んでしまうからな。どうやら我らの鍛え抜かれた肉体を見たいという事らしい……。」

 肉体を見たい――さすが特級国民とも言うべき欲望に忠実な人間の発想だなと樹は思った。
 何百年前と違ってこの世界はもう氷の世界とも言うべきところだ。
 そんな中を裸で外に出ろだなんて、外に広がる死の世界を知らない者の狂気の沙汰でしかない。

「食に恵まれ、性に狂った特級国民らしい発言だな……。」

 樹はそう呟き、見えない会ったことも無い殿上人らを鼻で笑ってやった。
 特級国民というものはどういうものなのかというのは、忘却都市育ちの樹だって見たことなくてもよく知っているつもりだ。
 世間的に下級国民たちに広がったイメージは『肥えた醜いケダモノ』―――その言葉が全てだった。
 ある程度出世すれば、擦り寄っていって富のおこぼれに与ろうとする恥知らずな卑しい者もいるが……樹はそういう者も含めて身分が上の人間を嫌っていた。

「俺はただダニーと………。」

「―――と、後は……エイデン樹。初日からかなりの戦果を挙げていたようだし、お前にしよう。以上だ。では準備し、明朝になったらその五人はこの場所に一度集合せよ。他の者は撤退の準備だ。解散っ!」

 選出した五人の名前を挙げると、ビリンガム中尉はさっさと後ろにある自身の天幕の中へと入っていった。

「なっ―――! えぇっ!! 俺が!?」

 その驚きたるや、雷に打たれたかの様な衝撃を感じた。
 武器を持たないからと言って死の危険がそれほど低くなったわけでもない。

「神はなんと意地悪な事か……。」

 樹はそうぼやかずにはいられなかった。
 散り散りに自分の天幕の中へと去っていく仲間たちは自分でなくて良かったと口々に話しており、安堵感を纏うそれらの背中が樹は嫉ましかった。
 ただでさえダニエルとのことで頭がいっぱいで、樹は足取り重くさっきまで居た自分の天幕へと歩みを進めた。
 と、そこへビリンガム中尉の腰巾着であるアーロン=アストリー少尉が肩をポンと叩いてきた。

「しょ、少尉っ!」

 樹にとっては五つ以上も階級が上の上官に突然呼び止められたことにビクリと身を震わせ、丸まっていたのを瞬時にピンと背筋を伸ばした。

「武勲が認められたようで良かったなぁ、エイデン。」

「ハッ!」

「これも……俺がお前のことを見てやっていたからだ。勿論、栄誉ある代表の五人に選ばれたのも俺が進言したからだ。ありがたく思えよ。これで生き残れば一つ二つは階級を上げられるかもしれんぞ――。」

 アストリー少尉はニタリと下品に笑みを浮かべ、樹に向かって舌舐めずりをした。
 そして口を樹の耳にまで近づけると、囁く様にしてこう言ったのだった。

「日本人の血の混じるお前の可愛い顔が明日には歪んでしまうのは忍びないが――お前が目立ったのが悪い。若い蕾も摘んだが物足りなくてな……。俺としてはキレイな今日の内にまたお前と夜を共にしたいのだ。だから――待っているぞ。」

 自分よりも若い連中が多く居る今回の戦争でまさかと耳を疑った。
 その言葉に身を凍らせている樹のことなんてお構いなしにスッとアストリー少尉は離れ、鼻歌を歌いながら去っていった。
 愛するダニエルとの仲が気まずい今、明日自分がどうなるか分からないのに命令とはいえ樹はダニエルから離れたくはなかった……。
 だがアストリー少尉には樹が軍に入って最初の頃に夜を共にし、手解きを受けてそれなりの恩もあるし全く嫌かと言えばそうではない。
 それどころか少し年齢を重ねてしまった自分が閨に呼ばれたことに喜びさえあった。
 その状況に自分以外の男に手を付けられることを拒絶する嫉妬心のあまりダニエルの体中にマーキングをし、その所為で危険に晒す事となってしまったのにあまつさえ自分はダニエルに肌を触れられる事を拒んで何をしているのかと―――。

「ハハッ………。自己嫌悪も甚だしいな。」

 樹はダニエル以外への気持ちを打ち消す様に頭をグシャグシャと掻き、意を決してダニエルの待つ天幕の中へと帰った。

「ただいま。」

「………。」

 明らかに起きているにも拘らず、ダニエルからの返事は無かった。
 他の天幕に居る友人の所にでも行ったのだろう、この天幕に帰って来ているはずのあの二人は居なかった。
 久しぶりに二人きりになったというのにそこには沈黙しか存在せず、重々しい時間だけが流れていった。

「――なぁ、ダニエル。起きているんだろ?」

「………。」

 再び沈黙で返されたが、樹は躊躇することなくダニエルが寝ている隣へと座った。

「まだ―――怒っているのか?」

「―――怒ってない……。」

「怒っているだろう……。いや、責めるつもりはないんだ。俺が全面的に悪いんだから………。ただ―――。」

 樹の言葉に、体を天幕の外側に向けてそっぽを向いて寝ていたダニエルはガバリと起き上がった。

「悪いって思っているなら! ――思っているなら何で、僕が『放っておいて』って言っても掴まえてくれなかったの? 僕は――僕は不安なんだよ………。」

 弱弱しげにボロボロと涙を溢すダニエルの姿に、樹は胸が苦しくなった。

「ごめん……本当にごめん………。」

 樹はダニエルをギュッと抱き締めた。

「ダニエルの体に――あんなことをすれば危険な目にあうかもしれないって事ぐらいは分かっていたんだ。なのに欲望が抑えられずに予期していた通りダニエルが大怪我を負ってしまって……。正直後ろめたかった。」

「うん……。」

「それに―――。」

「それに?」

「ダニエルを守れなかったこともだけど、ダニエルが知らない間に俺も上官の閨に………。こんな穢れた体をどうしても愛するダニエルに触られたくなくって――。虫のいい話だって分かっている。でも、どうしても自分で自分が許せなくってさ………。」

 明日の事、そしてダニエルの純粋な涙を目の前で見て樹は全てを打ち明けた。

「そ――っか。うん。そうだよね……。樹だって………ね。上の命令には逆らえないのが軍隊だし――――。」

「そう……なんだ。それで今夜も呼ばれていて―――。」

「今夜?」

 そこで樹はダニエルに先程聞いた話と、代表の五人に選ばれたという事を話した。

「――でな、閨での事とか色々教えてくれた恩人でもあり俺の……初めてのひとでもあるアストリー少尉が、キレイなのはこれが最後かもしれないからって俺を所望されて……。」

 ダニエルは樹から発せられた『初めて』という突如聞かされた言葉に目を見開き、止まっていた涙が今度は自然とツーっと頬を伝う様に流れていった。
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