恋した相手は貴方だけ

白乃いちじく

文字の大きさ
17 / 43
本編

第十六話 聖印の乙女

しおりを挟む
 ノックの音が響き、レイチェルは腰掛けていた華美なソファから立ち上がった。レイチェルが今いる部屋は神殿で用意されたものだが、あまりの豪華さに、そわそわと落ち着かない。煌びやかなシャンデリアにふかふかの絨毯。天蓋付きのベッド。どう見ても王侯貴族のそれである。
 ここ、神殿よね……
 レイチェルは戸惑いを隠せない。

 ――あなた様は聖印の乙女ですから。

 案内してくれた神官は、そう言って笑った。
 これで当然ですと言いたげだったけれど……
 ブラッドは護衛士としてあてがわれた部屋へ案内されている最中なので、今ここにいるのはレイチェル一人である。どうしても落ち着かない。

 ゆったり寛ぐはずのソファにさえ、緊張気味に腰掛けていたところなので、ブラッドが来てくれたのなら助かった、そんな思いでレイチェルが気軽にドアを開ければ、そこには蜂蜜色の髪をした立派な衣装の男性が立っていた。近衛兵を二名つれている。

 レイチェルは目をぱちくりさせた。
 高位貴族なのだということは、雰囲気で分かった。レイチェルが萎縮する中、蜂蜜色の髪の男性はゆったりとした仕草で口を開いた。

「ご機嫌よう、君は……レイチェル・ホーリーだな?」

 じろじろと眺める視線が不躾である。値踏みをするような眼差しだ。

「え? あ、はい……」
「私はこの国の第二王子、ランドールだ」

 レイチェルは心底驚いた。

「あ、は、初めまして! レイチェル・ホーリーと申します。以後お見知りおきを!」

 レイチェルは頭を下げて挨拶をした。平民である彼女にとって、第二王子など雲の上の人だ。そんな人が一体何の用だろう? レイチェルがそう思っていると、鷹揚にランドールが言った。王子という身分故か、やはりどこか高圧的である。

「顔を上げたまえ。今回は君にお願いがあってね。一週間後に開催される夜会があるんだが、そのエスコートをさせて欲しい」
「え?」
「聖印の乙女は私の婚約者にふさわしい、そう思わないか?」

 そう言って蜂蜜色の髪をした第二王子は、蕩けるような笑みを浮かべた。

「あの……なんのお話……」
「私が君に結婚を申し込んでいる。第二王子である私が、だ」

 ふんぞり返らんばかりで、レイチェルはぽかんとなってしまう。いや、身分差を考えるとこれで普通なのかもしれないけれど……

「初めてお会いしましたが……」
「そうだな? だが、聖印の乙女ならば、私の結婚相手としてふさわしい。なにせ女神エイルの代理人だ。この先、聖女として認定されれば、大神官に次ぐ地位を与えられるだろう。第二王子である私との結婚も可能……」
「いえ、あの、ですから! 私にその気はまったくありません!」
「……私のどこが不満だ?」

 ランドールは王族特有の整った顔に不快の色を浮かべた。ハンサムだが、ブラッドとはまったく違うタイプである。ブラッドは女性のように柔らかい容姿だが、ランドールはその逆で逞しいハンサム顔だ。ブラッドはほっそりしているが、ランドールは肩幅が広くガッチリしている。

「あ、あの……貴族であれば、政略結婚は珍しくもないのでしょうが、私は……平民、です。愛する人と結婚がしたい、です」
「私を愛すればいい」

 ランドールがきっぱりと言う。話が通じない。レイチェルは閉口した。断るはずがないというのは自信のあらわれなのか、傲慢なのか……。確かに王子の求婚を断る人はいないのかもしれないけれど、レイチェルは嫌だった。高圧的な物言いにどうしても萎縮してしまう。

 ――レイチェルが聖印の乙女だと分かって、神殿に引き取られそうになった時はびっくりしたよ。

 後々になって、父が困ったようにそう言って笑った。
 レイチェルが聖印の乙女だと認知されたのは、王都の神殿で洗礼を受けた時だ。集まった神官達がどよめいたことを、レイチェルは覚えている。洗礼に反応し、自分の胸にあった聖なる印が輝いたのである。

 ――どうしても娘を取られたくなくて、一緒に暮らしたいって踏ん張ったよ。でも、なによりも、レイチェルが私達と一緒にいたいって、わんわん泣いたことが大きかったんだろうね。

 そう言って父は嬉しそうに顔をほころばせた。
 神官達は女神エイルを崇拝している。その女神様に選ばれた乙女に無体を働くなどもってのほか、そう考えたらしい。
 話し合った結果、レイチェルが十六才となり、聖女と認定されるまでは聖印の乙女であることを口外しないことを条件として、大神官はレイチェルが村で暮らすことを認めた。

 一つは王家に知られれば、聖印の乙女を強引に囲い込もうとするだろうということ。そしてもう一つは、聖印の乙女を狙う不埒な輩が現れないとも限らない。その二つを懸念した大神官の手によって、レイチェルの両親は誓約させられた。彼女が聖女として神殿に入るまで、聖印の乙女であることを誰にも明かさないと。

 私が神殿に入ったので、王家にも聖印の乙女の事が伝わったのね……
 それにしても、動きが素早い、レイチェルはそう思ってしまう。
 ランドールがきっぱりと言った。

「君に似合うドレスと装飾品を贈ろう。では、また後ほど」
「いえ、あの! 困ります!」

 返事を待たずに王子ランドールは立ち去った。こちらの意向など関係ないとでも言うように。レイチェルがソファにぼすりと座り込み、ぼうっとしていると、聞き覚えのある声が間近で聞こえた。

「どうした?」

 レイチェルがはっとし、顔を上げると、直ぐ傍にブラッドの顔がある。いつの間に……慌てて身を引いた。顔がきっと赤い。

「ノックは、しないんですね?」
「君がして欲しいなら、そうする」
「そ、そうですね。出来れば……」

 着替えなどしている間に入ってこられると困るもの。

「何かあったか?」
「あ、それが……」

 先程の一件を話せば、ブラッドが不快そうに顔をしかめた。

「君はどうしたい?」
「断りたい、です」

 途端、今度はブラッドの顔が嬉しそうにほころび、とくんと心臓が波打った。やだ、本当に私、どうしちゃったんだろう……

「なら、断ればいい」
「聞いてもらえませんでした」

 かなり強引だったことを話すと、ブラッドが思案する。

「第二王子を地の果てに捨ててきてもいいんだが……」
「それは止めてください、お願いします」

 レイチェルが止めた。本当にやりかねない。

「君は聖女として二年間ここで問題なく働きたい、そうだな?」
「はい」
「君さえよければ俺と婚約しないか? 男避けに」

 え……

「で、でも!」
「大丈夫、仮だから」

 ブラッドがにっと笑う。
 仮……

「言ったろう? 君が嫌がることはしないよ。結婚も君がどうしても嫌だというなら、諦めるから。君が結婚したい相手を見つけるまでの仮、な?」

 笑うブラッドの顔はあくまで優しい。でもと、レイチェルは俯いた。
 もの凄く失礼な事をしている気がしてしまう。これだとブラッドさんを利用するってことになるもの。自分に好意を示してくれている彼を、とことん利用するみたいで嫌だ……

「ランドール王子殿下がそれで納得するかしら?」

 ふっとそんな疑問が、レイチェルの口を突いて出る。そうよ、王族だもの。ブラッドさんとの婚約を認めない、なんて簡単に出来そう。
 ブラッドがにやりと笑った。

「せざるを得ないさ。誓約がある」
「誓約?」
「魔王討伐の報償を俺は受け取らなかった。はっきりいって領地だの爵位だの、いらねーっての。何が悲しゅうて人間の領民の面倒なんかみなくちゃならないんだよ? なので、欲しいものがあった場合、その報酬として一つ要求することが出来る。アウグストの奴が、当時の国王と魔法で誓約させてあるから、覆すことは出来ないよ。覆せば王族そのものに打撃が行く。ただし、聖印の乙女を娶るとなると、もちろん本人の希望がないと駄目だろうけど」
「魔王討伐の報酬……」
「そ、俺、あれに参加してるから」

 ブラッドがにっと笑い、レイチェルは目を見張った。

「え、え、えぇええええええ! も、もしかして、ブラッドさん、魔王討伐に参加した四大英雄の一人、だったんですかぁ? ブラッドさん魔族ですよね? 魔王はブラッドさんにとって王ですよね? 一番偉い方ですよね?」
「ははは、まぁ……」

 さっと目をそらされる。

「仲間から責められませんでした? 大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫、文句がある奴は返り討ちにするから」
「それ、大丈夫って言いませんよ、もう……」

 レイチェルはため息混じりにそう言った。目の前のブラッドの端正な顔をまじまじ見てしまう。
 本当に、何て言うか、変わった人、いえ、変わったヴァンパイアだなと思う。十一年間も村を守ってくれた彼が、魔王討伐までしていたとは知らなかった。

「もし、一週間後の夜会に出席するなら、俺がエスコートするよ」
「いえ、でも、あの……」
「それも嫌?」

 ブラッドの顔が曇ったように見え、ずきりと胸が痛む。
 そんな顔、しないで欲しい。悲しそうな顔をされるともう……

「そうじゃ、なくて……」

 レイチェルは口ごもる。どう、説明すれば良いのか分からない。

「ブラッドさんは、私にとって大事な大事なお兄さん、いえ、友達なんです。付き合って欲しいって言われた返事だって、まだ、正式にしていません。これってとっても失礼だと思います。けど、適当な返事もしたくなくて、もうちょっともうちょっとって先延ばしにしているところに、男よけの婚約なんて……嫌なんです。ブラッドさんをとことん利用するみたいで……」
「俺は君と一緒にいられるから嬉しいんだけどな?」
「でも!」
「他にいい手があるなら聞くけど?」

 それは……

「ない、です……」

 不承不承レイチェルはそう答えた。
 結局押し切られちゃった。ブラッドさん、ごめんなさい……そして、ありがとう。

しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

大人になったオフェーリア。

ぽんぽこ狸
恋愛
 婚約者のジラルドのそばには王女であるベアトリーチェがおり、彼女は慈愛に満ちた表情で下腹部を撫でている。  生まれてくる子供の為にも婚約解消をとオフェーリアは言われるが、納得がいかない。  けれどもそれどころではないだろう、こうなってしまった以上は、婚約解消はやむなしだ。  それ以上に重要なことは、ジラルドの実家であるレピード公爵家とオフェーリアの実家はたくさんの共同事業を行っていて、今それがおじゃんになれば、オフェーリアには補えないほどの損失を生むことになる。  その点についてすぐに確認すると、そういう所がジラルドに見離される原因になったのだとベアトリーチェは怒鳴りだしてオフェーリアに掴みかかってきた。 その尋常では無い様子に泣き寝入りすることになったオフェーリアだったが、父と母が設定したお見合いで彼女の騎士をしていたヴァレントと出会い、とある復讐の方法を思いついたのだった。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。 無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。 彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。 ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。 居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。 こんな旦那様、いりません! 誰か、私の旦那様を貰って下さい……。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

処理中です...