モブなのに巻き込まれています ~王子の胃袋を掴んだらしい~

ミズメ

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番外編置き場

公爵令嬢の憂鬱(前)

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•「◇閑話 公爵令嬢と護衛」の続き
• アナベルのおはなし。前後編です。

ーーーーーーー



「どうしてそんなところに……アナベル様、どうぞそのまま飛び降りてください」

 木登りをして、そこから降りられなくなった私に向けられた彼の優しい微笑みも、差し伸べられた手の大きさも、抱き留められたときの温かさも。今でもまだ、覚えている。
 私の幼い日の、大切な思い出――。



 ◇


『アナベルは、これからどうするの?』

 真っ直ぐに自分の目を見てそう尋ねて来た親友の言葉を、アナベルは頭の中で何度も思い返す。
 留学していた隣国の学園を卒業し、領地に戻ったアナベルは、半ば宙ぶらりんな状態だ。

 アナベルにその言葉を投げかけた友人は、隣国の公爵令嬢で、かねてから婚約していた王子と来年にはそのまま何事もなく婚姻し、王太子妃となるだろう。
 彼女が真面目に王妃教育に取り組んでいたことは近くで見ていたアナベルも知っているし、それより何より、彼女の婚約者である王子が誰よりも彼女を好いている。

 幼い頃は俺様な性格で何かと親友のバーベナを困らせていた王子だったが、今では立派に――まあ多少嫉妬深いところはあるけれど、問題ないだろう。

 問題は――。

「……どうしたものかしらね」

 自室の机の上に並べられているのは、沢山の釣り書――どこぞの貴族子息たちの絵姿付きの調書だ。
 未だに婚約者がいないアナベルは、これからどこか嫁ぎ先を見つけなければならない。

 公爵家の長女ではあるが、いずれこの家を継ぐのはアナベルではなく従兄弟のレグルスで、さらに彼の伴侶には義理の妹となったミラがいる。

 アナベルはため息をつきながら、とりあえずパラパラとその紙をめくる。


「お嬢様、焦らずとも、きっといいご縁がありますよ」

 アナベルにそう声をかけてくれるのは、幼い頃からずっと一緒にいる侍女のレーナだ。
 主人が気乗りしない事を薄々感じ取っているのだろう。

「……私、小さい頃からバーベナと一緒で、ずっと一緒にいたいって思ってたの。だから隣国に留学して、そのままあっちに居着くつもりで……」

 アナベルが残りたいと言えば、両親はその望みを叶えただろう。むしろ今までずっとそう言ってきたのは他でもない自分だ。
 バーベナの両親である隣国の公爵家も手を貸してくれただろうから、あちらで生活することも容易だった。

 なのに、戻って来てしまったのだ。
 親友の言葉は、そんなアナベルの迷いに気づいてのことだったのだろう。心の柔らかいところにグサリと刺さって、二の句が継げなくなってしまった。

「ここには私の居場所はないのに……」
「まあお嬢様、そんな事はございませんよ! 奥様も旦那様も、ゆっくりしなさいと言っていたではありませんか。私もずっとお仕えします」
「ありがとう、レーナ」

 微笑んだはずが、それも少し強張ってしまっていたのだろう。
 アナベルを見つめるレーナの顔には心配の色が増すばかりだ。

 まだレグルスもミラも学園での生活があるし、卒業してすぐにこの家を継ぐということはないだろうから今すぐ追い出される事はないとは思う。
 だが、彼らの邪魔にならぬよう、早めに身の振り方を決めておきたいというのがアナベルの心情だ。

(……素敵な殿方と出会って、お父様とお母様のようになりたいと思っていたのに、何事もなく卒業してしまったわ)

 アナベルはあっという間に過ぎ去った隣国の学園生活のことを思い返す。
 バーベナと、王子のフリード、騎士のフェリックス。
 ほとんど4人で過ごした日々はとても楽しかった。
 だけど、こと恋愛面に関しては、全くもって何もなかった。

 アプローチを受けた事もあったが、脳裏によぎるのは憧れのあの人ばかりで、無意識につい比較してしまっている自分がいた。

「そうだわ、この中からレーナが適当に見繕っておいてくれない? 毒に強くて、長生きしそうで健康そうな人」
「お嬢様!」
「少し、散歩してくるわね」


 咎める口調のレーナを置いてアナベルは部屋を出る。

 そうしてたどり着いた庭園で、見つけたのは、幼い日によじ登った樹木だった。
 9歳の時よりも身長が伸びたアナベルにとって、降りられなくなった場所は思ったよりも低かった。
 ここで困っている時に、シリウスに見つけてもらって手を伸ばしてもらったのだ。

「あの時……セイも今の私と同じ16歳だったのよね。随分と大人に見えたっけ……」

 絵本の王子様に憧れていた少女にとって、その出来事はあまりにも鮮明で、目が眩むようだった。
 物腰柔らかで、端正な顔立ちの騎士のことはすぐに好きになった。
 従弟のレグルスの護衛のために訪れていた青年を、庭園での遊びに付き合わせたのも幼さ故の勢いというものだろう。

「……レーナに言った条件に、"黒髪"を追加しようかしら」

 そんな呟きを漏らすくらいには、未だに初恋の彼に囚われているのかもしれない。
 
 以前、港町でデートのように過ごせたのは、とてもいい思い出だ。
 木の幹にもたれかかりながら、アナベルはそっと瞳を閉じた。


 ◇



 暫く経って、領地に父であるジークハルトが戻ってきた。
 そして家族での食事の後、執務室に呼び出されたアナベルは少し緊張しながら両親の前に立った。

「……アナベル。婚約者選定のための釣り書を取り寄せたそうだな」
「ええ。私も将来のことを決めようと思いまして」
「……それで、決まったのか?」

 父の口調は嗜めつつも優しいものだった。
 勝手に釣書を取り寄せたことは、やはり露見してしまっている。
 
 アナベルが「いいえ」と返事をすると、次に口を開いたのは母のアンナだ。

「アナベル。しばらく自由に過ごしてみてどうだったかしら? やりたい事は見つかった?」
「……お母さま。知っていたのですか」
「当然でしょう。あなたの事だもの」

 一緒に公爵邸で過ごしている間にアンナがアナベルに何も聞かなかったのは、敢えての事だったらしい。

「アナベル、あなたさえ良ければ……なのだけど。将来的に、私の薬園を継いでもらえないかしら」
「……え?」
「あなたはずっと隣国に行きたがっていたから言い出せなかったけれど、今は迷っているのでしょう? もしここに残るのならば、是非あなたにやってもらいたいわ」
「お母さまはどうされるのです」

 アナベルがそう尋ねると、母は父と顔を見合わせて、ふふ、とふたりで微笑み合う。
 母の薬園。この領地で殆どを過ごしたアナベルにとって、それはまたとない申し出だった。昔から入り浸って、アンナに次いで薬草に詳しい自信はある。

「……公爵領をレグルスたちに引き継いだら、子爵位を賜る予定だ。それで暫くふたりで隠居しようと思っている。ーーああ。私たちがアナベルの代わりに隣国に行くのもいいな。アンナの祖国でもあるし」
「ふふ、それはいい考えですね」

 アナベルの心臓はどきどきと強く打つ。
 もしこの話が実現すれば、アナベルが隣国へ移住することは叶わない。だけれどこの胸の高鳴りは、不安ではなく確かに期待が込められたものだ。

「お父さま、お母さま! 私にやらせてください!」

 やりたいこと、やるべき事を見つけたアナベルは、すぐさまそう答えていた。

「ああ。それで、アナベル。釣書を取り寄せたという事は、結婚の意思はあるという事だな?」
「え? あ、いえ、それはもうーー」
「丁度良かった。お前だけここに残していくのは不安だからな。伴侶を得るのがいいだろう。幸い、お前の希望はレーナから聞いている。身体が丈夫な……黒髪の男だったな。早速、手配している」
「ふえっ、あの、お父様、私、別に結婚を急いでいる訳では……」
「先方には連絡してある。お前がレーナに見繕うように言ったのだろう。今更取り消せない」
「……っ、はい」

 状況は変わったが、先に動いてしまったのは他でもない自分アナベルだ。
 分かるな?とジークハルトに鋭い視線を向けられ、アナベルは唇を噛みしめながらこくりと頷いたのだった。
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