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2巻
2-2
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でも、私にとっては日本で当たり前のようにあった菓子や料理をこの世界で作り上げることは、とても革新的で素晴らしいことである一方、非常に危険な側面もあるとバートリッジ公爵たちに聞かされた。
その料理人以外にも私の技術を手中に収めようとして、レシピを盗んだり、私に危害を加えようとしたりする輩がいるかもしれない、ということだった。
なので、食堂で新メニューを出すときは、必ずイザルさんが料理を配膳することにしている。同じように『一番星』ではドミニクさんがその役割を担ってくれている。
これは私の身を守るために、両親を交えて話し合われ、決定したことだった。
そういう理由で、私はこうして壁に隠れて念を送っている。
「なんだ、この卵は……ふわふわで、チーズがとろりと溶けて……そこにトマトソースの酸味がっっっ!」
「コメとやらは初めて食べたが、美味いもんだな!」
イザルさんに運んでもらったのは、先ほどのチキンピラフの上にとろとろ卵のオムレツをのせたオムライス。日本では定番の洋食のひとつだ。
ちなみにそのオムライスは、チーズ入りのオムレツを焼いたあとにお皿に盛ったご飯の上にのせて、真ん中をナイフで切って開くタイプのもの。
しっかり焼いた卵で巻くタイプもいいけれど、こちらのほうが卵がふわとろで、私は好きだ。中のチーズがとろけて、さらにとろとろのダメ押しである。
(よかった……ひとまず満足してもらえたみたい)
どうやら騎士団のお客さんの反応は上々だ。私はほっと胸を撫で下ろした。
お米料理がこのままこの世界でも受け入れてもらえたらいいな、と思う。
お米の販路拡大は、私にとっても非常に嬉しいことだ。広まれば、新たな料理の幅も広がるし、新しい料理が至るところで生まれるかもしれないもの。
「玉子が花みたいで綺麗ですね……これは……!」
美味い美味いとオムライスをかき込むガタイのいい人たちに交じって、青髪の少年が目を丸くしているのが見えた。
私と同じくらいの年齢に見えるその人は、いつもこうして騎士団の方々とご飯を食べに来てくれている。
接客のときに関わるくらいだけれど、この集団は食堂によく来るので、もう顔馴染みだ。
その青髪の少年はわいわい賑やかに食べる先輩騎士さんたちと比べると口数は少ないけれど、ご飯を食べて嬉しそうにしているのは見ていて伝わってくる。今も美味しそうにオムライスを頬張ってくれているので、ひと安心だ。
「ミラちゃん。ご予約のお客様が到着したよ。まっ、いつものあの子なんだけどね。上に通しているから、料理を届けておいで。そのまま休憩していいから」
「ありがとうございます」
後ろからリタさんの声がかかったため、私は偵察をやめて厨房に戻ることにした。
きっとスピカだ。私はささっとオムライスをもうひとつ作ると、トレイに盛りつけたそれを持って、彼女が待っているであろう二階の個室へと急いだ。
「ミラ!」
部屋の扉を開けると、輝く金の髪に愛らしい桃色の瞳、お忍びなので控えめではあるだろうが、華やかなワンピースに身を包んだ美少女が嬉しそうに私を迎え入れた。
彼女こそ、この世界が舞台である乙女ゲームのヒロイン、スピカである。
「いらっしゃい、スピカ」
「それが……例の? わあああ、早く食べたあいっ」
「今回も自信作だよ。さあ、食べよう」
私が運んできたオムライスを見てキラキラと目を輝かせるスピカを誘って、私たちは四人がけのテーブルに腰を下ろした。
彼女にはお米が手に入ったことを、事前に手紙で報告していた。だから今日この料理を作るタイミングに合わせて、わざわざ食堂を訪れてくれたのだ。
わかるよ、スピカ。お米があるなんて、一大事だもんね。
「ご飯……‼ とろとろオムライス……‼」
早速オムライスをひと口頬張った彼女は、頬に手をあててとろけるような表情をしている。気に入ってもらえたようで、何よりだ。
ご飯にはしっかりトマトと食材の味が染み込んでいて風味豊かだし、そこに卵の柔らかい甘みとチーズのとろける塩味が加わって、えも言われぬ美味しさだ。そしてどこか、懐かしくもある。
「今日、アークツルスさんは一緒じゃなかったんだね」
一緒になってオムライスを食べながら、私はスピカに尋ねた。
彼女がこうしてお忍びで外出するときは、必ずアークツルスさんが送り迎えしている。
彼が来ないのは珍しいので不思議に思っていると、スピカは一度スプーンを止めて答えてくれる。
「実は今日、王城でお茶会があるらしくて、お兄様はそっちに行ってるの」
「へえ、そうなんだ。スピカは行かなくてもいいの?」
「わたしはまだ参加しなくていいってお兄様が言うからまだ一度も参加したことないんだよね。まあ正直お茶会なんかよりも、ミラのご飯のほうが優先だし!」
力強く握りこぶしを作るスピカに「ありがとう」とお礼を言いながら、私は少し過保護な彼女の義兄の姿を頭に浮かべた。
スピカよりも淡い色味のさらさらの金髪に、どこまでも見透かすような青い瞳。中性的な美貌を持つその人――アークツルス・クルトも、乙女ゲームの攻略対象者のひとり。
彼はクルト伯爵の縁戚の子供で、幼少の頃に跡取りのいなかった伯爵夫妻のもとに養子として引き取られたそうだ。
だから、スピカとは血の繋がりはない。
あとから伯爵家に引き取られたスピカとの関係が悪くならないのか老婆心ながら心配していたのだけれど、幸いなことにスピカは伯爵家で父と義兄から大変可愛がられているらしい。それにとても安心したことを覚えている。
(それにしても、お茶会かあ。なんだかすごいな、やっぱり)
貴族社会において、成人ではない子息たちは夜会ではなくお茶会で社交をする。それは前世で読んだ小説から得た知識だ。そうしてそれは、この世界にも当てはまるようだった。
前世の感覚だと、まだ子供なのに社交だなんて大変だなあ、と思う。
でもこの世界での成人は十五歳なのだ。つまり、来年の春に誕生日を迎えたら私とスピカも成人ということ。あまりに早すぎて、なんだか不思議な感じがする。
「そういえばさ、ミラはレオ様とは最近会ってるの?」
この国の特産品である緑茶をすすりながらスピカが聞いてきたので、私は最近のことを思い返してみた。
……そういえば、ここのところレオとは会っていない、かもしれない。
「手紙のやりとりはしてるけど、よく考えたらこの頃はこの店にもあんまり来てないかも。忙しいんだろうね」
私は少し考えたあと、思ったままにそう答えた。
「ふうん、そっかあ~。……手紙のやりとりしてるとかレオ様可愛い……」
「え?」
スピカの言葉が聞き取れなくて首を傾げると、彼女は「なんでもない」とにまにました。なんだろう。気になる。
「えーっとまあ、今日はお兄様と一緒でお茶会に出席してるんだと思うわ。王城で開催ってことは、当然王子様であるレオ様たちもいるんだろうし」
こほん、とわざとらしく咳払いをしたあと、スピカはそう言って残りのオムライスを食べ進める。
そう。私の友人であるレオは、この国の第二王子だ。
出会ったときはその事実を知らなかった。初めて聞かされたときは流石の私も思考が停止してしまったことを思い出す。
王子が友人だなんて恐れ多いけれど、いろいろとあって、今はその関係に落ち着いている。
高貴な立場である彼だけれど、時々この店には訪れていた。でも、最近は忙しいらしくて、全然顔を見ていない。
ふたりで他愛もない会話をしながらオムライスを食べ進めていると、コンコンというノックの音がした。
そのあとに聞こえたのは、ゆるく間延びした声。
「スピカちゃんにミラちゃん、イザルだけど、少しお邪魔してもいいかな~」
私とスピカは顔を見合わせたあと、「どうぞ」と返事をする。
部屋に入ってきたのは、イザルさんだけではなかった。
「……食事中に申し訳ありません。失礼します」
イザルさんの後ろに見えたのは、青髪の若い騎士様。先ほどまで階下で食事をしていたはずの少年だった。
入室してきた彼の射るような鋭い眼差しは、なぜか私に向けられている。普通に怖い。
「こんにちは。いつもご来店ありがとうございます」
戸惑いながらぺこりとお辞儀をすると、騎士様も会釈を返してくれる。
(なんだろう……私に用事……? もしかして、オムライスの苦情……?)
不安に思いながらイザルさんに視線を移すけれど、彼はいつもどおりの柔和な笑みを浮かべるばかりだ。
すると突然、隣にいたスピカが大きく目を見開いて、私に詰め寄ってくる。
「……ちょっと、ミラ! いつの間にカストルとも知り合ってたの⁉」
「えっ?」
声量は抑えているため、きっとイザルさんたちには聞こえていないだろうけれど、ものすごい勢いだ。私はきょとんとしてしまう。
「カストル? あの青髪の人のこと?」
「そうよ! 前に言ったじゃない。『寡黙で真面目な女嫌いの騎士キャラ』! ……攻略対象者だよ、あの人もっ」
スピカと同じように声を潜めて尋ねると、彼女からは興奮気味にそんな言葉が返ってきた。
寡黙で真面目で女嫌いの騎士。それは以前スピカがつらつらと教えてくれた、とある攻略対象者の特徴だ。
以前スピカにこの乙女ゲーム世界について教えたもらってメモしたのだけれど、残念ながらその紙はなくしてしまった。けれどそれを正直に話すと、スピカは再度それを手紙にしたためてくれたので、その情報はよく確認している。
私は思わず騎士様を一瞥して、それからまたスピカに視線を戻した。
騎士様は居心地が悪そうなむっつり顔のままだ。
(まさか、また自然に攻略対象者に出会っているパターンがあったなんて……)
先ほどまで、彼に対する認識は食堂の常連さんだったはずなのに。
私はモブなのに、なぜか攻略者たちと自然に出会ってしまっている。
「……なんかタイミング悪かったかな?」
こそこそ話している私たちを見て、イザルさんは困ったように頭を掻いている。
何やらぶつぶつと呟いているスピカをそのままに、私は慌てて入り口にいるふたりに近づいた。
「あっ、いえ、大丈夫です。どうかしましたか?」
「こいつがちょっとミラちゃんに話があるらしくて」
イザルさんは、隣の騎士様の肩に手を置く。
「話ですか?」
「そう。ほら、カストル」
イザルさんに促され、青髪の彼は私に再度軽く会釈をしてから口を開いた。
「食事をしているところに割り入ってしまい、恐縮です。俺の名はカストル・クリューツ。王国の騎士団に所属しています」
どこか怒っているようにも見える顔のまま、彼ははきはきとした口調で私に告げる。表情の変化がない分、少しだけ怖く感じてしまう。
本当に、スピカが言ったとおり、カストルという人物だったようだ。
これまで知らずに客として接してはいたが、こうして自己紹介をされたのは初めてのことなので、私は思わず気を引き締める。
「ミラ・ヴェスタです。クリューツ様……お話とはなんでしょう」
「俺に対して、敬称は不要です。あなたはレグルス殿下をレオと呼んでいると聞き及んでいます。シリウスさんとも親しいのでしょう。そうであれば俺にもそうしてください。年齢も同じなので、敬語もいりません」
「えっ、で、でも……」
スピカに以前聞いた話では、攻略対象の男性キャラクターたちはほとんどが貴族や王族ではなかっただろうか。
確かにレオとは友人だし、セイさん……もといシリウスさんとも気軽に話している。だからといって平民の私が貴族のご子息である騎士様と気安く話すわけにはいかない、と思う。
どう対応すべきかたじろいでいると、上から「ミラちゃん」と優しい声が降ってきた。イザルさんだ。
「大丈夫だよ。このカストル、実はレグルス殿下の護衛騎士なんだ」
「そうなんですか? ということは、セイさんと同じ……?」
「そうそう。最近正式に任命されたんだけどね。だからまあ、主である殿下や先輩騎士であるセイよりも敬っているような話し方はやめてほしいってことだと思うよ。まったく、カストルは相変わらずだなあ。そんな怖い顔してたらミラちゃんたちがおびえちゃうだろ」
「……それは、申し訳ありません」
イザルさんにばしりと背中を叩かれて、騎士様はバツの悪そうな顔をする。
その様子を見て、ふたりも気の置けない間柄なのだと理解した。
なるほど。ではこの騎士様もセイさんのように、これからレオと共にいることが増えるのだろう。
「それでは、カストルさんと呼ばせてもらいますね」
「……」
少しだけ彼の片眉がぴくりとつり上がった。
いろいろと考えた結果、思い切って言ってはみたものの、これは正解ではないらしい。
さんづけも、敬語もダメってことなのだろう。
「じゃあ、カストルと呼んでもいい?」
再度敬語をなくしてカストルに話しかけてみる。
すると、見た目の変化は乏しいけれど、騎士様――改めカストルの表情が満足そうなものになった気がする。
「はい。問題ありません」
本当は、問題大アリだと思う。レオと友人であるせいで、いろいろ歪んでしまっている。とりあえず、人目につくところではふたりを呼び捨てにしないよう心がけよう。
「よっし。じゃあお互い自己紹介も終わったところで、俺は下に戻るね。オムライスの注文がすごくってさ~。んじゃカストル、用事が終わったらお前もさっさと戻ってこいよ」
私たちの様子を見守っていたイザルさんは、颯爽とその場を離れた。
私とカストルと、離れたところにいるスピカだけが部屋に取り残される。
「ミラ嬢。少しこちらに来てもらってもいいでしょうか」
一瞬の静寂があったあと、カストルは私にそう言った。例の私への話とやらなのだろう。全く内容に見当がつかないけれど彼がちら、とスピカを一瞥したのを見て、ここではできない話なのだろうと察した。
「大丈夫です」と答えると、スピカを部屋に残してふたりで廊下に出ることになった。スピカは未だに思案顔をしていた。
「これをお渡しします」
人気のない廊下でカストルから手渡されたのは、二つ折りにした小さな紙だった。封もされていないし、メモのように見える。
「ええと……読んでもいいんだよね?」
そう問いかけると、青色の頭がこくりと動いた。どうやらそれでいいらしい。
不思議に思いながら、その紙を開く。
(……わあ! レオからだ)
走り書きのように文字が並んだ紙には、『あとで必ず行く』という内容が書かれていた。最後には差出人の名もあり、そこには確かに、『レグルス』という彼の名が刻まれている。
「今日は王城で茶会が開かれています。俺が騎士団の先輩たちとここに来ることを言ったら、レオも来たがっていました。ですが、第一王子につかまって抜けられなかったので、君に言付けを頼まれました。直接これを渡してほしいと」
私がその手紙に目を通していると、カストルが朗々と状況を説明してくれる。
なるほど、これはレオが時間がない中で慌てて書いたものらしい。いつもはきちっとして美しいレオの筆致が、少し乱れている。
(わざわざそんな言付けをしてくるなんて、レオも随分律儀だなあ)
彼が来たときのために、もう一度オムライスを作る準備をしておかなくては。やっぱり出来立てが美味しいもんね。
思わず笑顔になりながら段取りを考えていたとき、私ははたと気がついてしまった。
「あれ? お茶会がまだ終わっていないなら、カストルも……」
「……俺は、抜けてきました。今日は護衛としてではなく参加者のひとりだったので。あんな場所にずっといるなんて無理です」
何か思い出したのか、髪色のように青ざめたカストルは、ぶるりとその体を震わせた。
カストルのことを女嫌いだと、スピカは言っていた。
凛として整った顔立ちに、鍛えられているであろう体躯。貴族子息であり、将来有望な騎士ともなれば、世の肉食女子が放ってはおかないだろう。勝手な推察だけれど。
カストルがここに来るときはいつも騎士団の先輩たちと一緒だったし、リタさんや私とは必要最低限ではあるが言葉を交わしていたから、これまで女嫌いとは思わなかった。
だけど本人にとっては、深刻なことなのかもしれない。
「……君と殿下は」
「はい?」
カストルを観察していると、彼の空色の瞳とぱっちり視線が合ってしまった。てっきり逸らされるかと思ったが、そのままだ。
途中で言葉を遮ってしまったので首を傾げて続きを待ったが、「いや、なんでもない」と言葉を濁されてしまった。
どうしたのだろう。
「それでは、用件が済んだので、俺はこれで――」
「あ! ちょっと待って」
立ち去ろうとしたカストルを、私は呼び止めた。この機会に是非とも聞きたいことがある。
「カストルはさっき、オムライスを食べてたよね。どうだった? これまでにお米を食べたことはあった? 初めて? 食感が気持ち悪いとかはなかったかなぁ? 食べてみて、芯が残っていたりしなかった?」
「――っ、近い、ので!」
オムライス、特にお米の感想が聞きたくて、身を乗り出すようにしてぐいぐい質問攻めにすると、カストルは慌てて私から距離をとった。
「あ、ごめんねカストル。つい」
女の人が苦手だというのに配慮が足りなかった。でもここで引き下がるわけにはいかない。
初めての料理を出したあとはやはりお客さんの反応が気になるもの。特に今日はお米の初お披露目だったのだからなおさら。
私が気合いの入った目でじいっと見つめていると、カストルは観念したように感想を教えてくれた。
「……美味しかった、と、思います。初めての食感で、つぶつぶとしていましたが、悪くなかったです。上にのっていた玉子ともよく合っていたし、あとを引く美味さがあった……と。まだ全部は食べていませんが」
その回答で、私は大切なことに気がついてしまう。
全部食べてない、って言ったよね?
「まだ食事中だったの⁉ ほら、早く戻らないと。ご飯は冷めたら美味しくないよ!」
「待て、引っ張るのは……!」
「あっ、ごめん……! でも、美味しかったならよかった」
急いで戻ってもらおうと咄嗟に彼の袖を引っ張ってしまった。慌てて手を離して謝る。
そうだった。こういうのはきっと苦手なはず。
ちらりとカストルの表情を窺うと、先ほどのような青ざめた顔をしていなくて安堵する。
前のめりになってしまったことを反省しつつ、カストルからいい感想をもらえたことについつい笑顔になってしまう。嬉しい。
「ふふ、レオも気に入ってくれるといいなあ」
そうこぼしてしまったのは、ほとんど無意識だったと思う。
「……そう、ですね。では、俺はこれで」
「あ、そうだ、カストル。最後にもうひとつお願いがあるんだけど」
立ち去ろうとしたカストルを、私は再び引き止めた。不思議そうな彼に、私ははっきり伝える。
「カストルも、私に対して敬語を使うのはやめてほしい。勿論敬称もなしだよ? 同じ年なんでしょ、私たち。それに私は、いち平民に過ぎないんだし」
「いや、でも、それは……」
「ね? じゃないと私も敬語にするんだから」
もごもごと歯切れの悪いカストルに、私は圧力を込めた笑顔で詰め寄る。せめてそうしてもらわないと困る。
「……っ、わかった。わかったから! ミラと呼ぶ。敬語も使わない!」
カストルは少しだけ焦ったような表情を浮かべたあと、私の申し出を承諾した。そして「失礼する」と言い残して、バタバタと階段のほうへと消えていく。
その後ろ姿を見送ったあと、私は部屋に戻ってスピカと食事を続けることになった。
「――ふわあ、お腹いっぱあい」
「流石に食べすぎじゃない?」
「いいのいいの、だいじょーぶ。たまにしか来られないんだから、食べためとくのっ」
貴族令嬢らしからぬ食べっぷりを見せたスピカは、大きく伸びをする。今はオムライスの他にいくつか揚げ物を追加で食べた上、今はデザートにミルフィーユを食べ終えたところだ。
これで彼女がお腹を壊したら、私はアークツルスさんに怒られてしまうのではないだろうか。
そんなことを考えながら一緒にお皿の片付けをしていると、また扉がノックされる。
「はいはーい」
そろそろスピカのお迎えが来たのかもしれない。
そう思って扉を開くと、目の前には外套のフードを被った人がふたり並んでいた。
「ミラ! 今日は間に合ったか⁉」
勢いよく口を開いたのは、私から見て左にいた人物。
「レオ、慌てすぎです」
それを右にいる長身の人物がやんわりと窘める。
一瞬驚いてしまったが、ふたりの姿もやりとりも、私にはとても馴染みがあった。
「いらっしゃい。ふふ、今回は大丈夫。ちゃんとレオの分はとっておいてあるから。あっ、勿論セイさんの分もありますよ。それにちょうど、新しいお菓子もあるよ」
「……本当か! よかった。兄上たちを振り切った甲斐があった」
私の前にいるのは、レオとセイさんだ。私が答えると、ふたりの顔に安堵の表情が浮かぶ。
このやりとりがなんだか故郷の町で出会った頃のようで、私は思わず笑ってしまった。
確か初めてのときは、レオが『たまごのうどんが食べたい』って言って厨房に来たけど食べられなかったんだよね。それに翌々年の収穫祭で私たちがやっていた焼き鳥の屋台にも来てくれたけど、あのときはお肉が売り切れだったっけ。
私とふたりは、五年前にあの小さな町で偶然出会った。うちの宿屋にふたりが宿泊したのがきっかけだ。
当初の私はふたりを本当の兄弟で旅人だと思っていたし、ふたりもそのように振る舞っていた。
だけど実は、レオとセイさんはこの国の第二王子とその側近の騎士だった。
そしてさらにこのふたりも、スピカの話によれば、件の攻略対象者なのだという。
「……ミラ、いつまで笑ってるんだ」
「ふふ、ごめ……なんだか、いろいろと思い出しちゃって」
外套のフードを脱いだレオは、少し決まりが悪そうに口を尖らせる。珍しい銀の髪がキラキラと眩しい。
出会った頃は同じくらいだった目線は、今では少し見上げるほどになった。
私の変化といえば髪が伸びたくらいだけれど、レオは随分と大人びた気がする。
「レオは昔から何かと食べ損ねることが多いですからね。タイミングが悪いというかなんというか……本当に、レオらしいです」
「セイ、どういう意味だ」
セイさんもフードを脱いだ。さらりとした黒髪が露わになる。
いつもどおりにこにこと笑っていて、レオをさらっとからかう様子は、本当の兄のようだ。
その微笑みの下では、きっと私と同じことを思い出しているのだろう。
私は和やかな気持ちになりながら、レオに声をかける。
「すぐに用意するね。待っててもらってもいいかな。あっ、でも、この部屋は今はスピカが……」
「あ、わたしだったら全然大丈夫! ミルフィーユももうひとつ食べたいし」
お忍びのお客さん用のこの部屋にいてもらうべきか迷っていると、スピカの明るい声がした。どさくさに紛れて、デザートをおかわりしようとしている。
彼女と目が合うと、てへりと可愛い顔をされてしまった。まったくもう。
そしてスピカはてきぱきとふたりの席を用意する。
「レグルス殿下、シリウス様、こちらにどうぞ」
「クルト伯爵令嬢。すまない、邪魔する」
「いつも申し訳ないです」
レオとセイさんは口ではそう言いつつも、迷いなく部屋に入ってくる。
私がリタさんの食堂での新メニュー開発を始めてから三年、スピカとレオたちは案外この食堂で居合わせることが多かったため、もうすっかり慣れたものだ。
その料理人以外にも私の技術を手中に収めようとして、レシピを盗んだり、私に危害を加えようとしたりする輩がいるかもしれない、ということだった。
なので、食堂で新メニューを出すときは、必ずイザルさんが料理を配膳することにしている。同じように『一番星』ではドミニクさんがその役割を担ってくれている。
これは私の身を守るために、両親を交えて話し合われ、決定したことだった。
そういう理由で、私はこうして壁に隠れて念を送っている。
「なんだ、この卵は……ふわふわで、チーズがとろりと溶けて……そこにトマトソースの酸味がっっっ!」
「コメとやらは初めて食べたが、美味いもんだな!」
イザルさんに運んでもらったのは、先ほどのチキンピラフの上にとろとろ卵のオムレツをのせたオムライス。日本では定番の洋食のひとつだ。
ちなみにそのオムライスは、チーズ入りのオムレツを焼いたあとにお皿に盛ったご飯の上にのせて、真ん中をナイフで切って開くタイプのもの。
しっかり焼いた卵で巻くタイプもいいけれど、こちらのほうが卵がふわとろで、私は好きだ。中のチーズがとろけて、さらにとろとろのダメ押しである。
(よかった……ひとまず満足してもらえたみたい)
どうやら騎士団のお客さんの反応は上々だ。私はほっと胸を撫で下ろした。
お米料理がこのままこの世界でも受け入れてもらえたらいいな、と思う。
お米の販路拡大は、私にとっても非常に嬉しいことだ。広まれば、新たな料理の幅も広がるし、新しい料理が至るところで生まれるかもしれないもの。
「玉子が花みたいで綺麗ですね……これは……!」
美味い美味いとオムライスをかき込むガタイのいい人たちに交じって、青髪の少年が目を丸くしているのが見えた。
私と同じくらいの年齢に見えるその人は、いつもこうして騎士団の方々とご飯を食べに来てくれている。
接客のときに関わるくらいだけれど、この集団は食堂によく来るので、もう顔馴染みだ。
その青髪の少年はわいわい賑やかに食べる先輩騎士さんたちと比べると口数は少ないけれど、ご飯を食べて嬉しそうにしているのは見ていて伝わってくる。今も美味しそうにオムライスを頬張ってくれているので、ひと安心だ。
「ミラちゃん。ご予約のお客様が到着したよ。まっ、いつものあの子なんだけどね。上に通しているから、料理を届けておいで。そのまま休憩していいから」
「ありがとうございます」
後ろからリタさんの声がかかったため、私は偵察をやめて厨房に戻ることにした。
きっとスピカだ。私はささっとオムライスをもうひとつ作ると、トレイに盛りつけたそれを持って、彼女が待っているであろう二階の個室へと急いだ。
「ミラ!」
部屋の扉を開けると、輝く金の髪に愛らしい桃色の瞳、お忍びなので控えめではあるだろうが、華やかなワンピースに身を包んだ美少女が嬉しそうに私を迎え入れた。
彼女こそ、この世界が舞台である乙女ゲームのヒロイン、スピカである。
「いらっしゃい、スピカ」
「それが……例の? わあああ、早く食べたあいっ」
「今回も自信作だよ。さあ、食べよう」
私が運んできたオムライスを見てキラキラと目を輝かせるスピカを誘って、私たちは四人がけのテーブルに腰を下ろした。
彼女にはお米が手に入ったことを、事前に手紙で報告していた。だから今日この料理を作るタイミングに合わせて、わざわざ食堂を訪れてくれたのだ。
わかるよ、スピカ。お米があるなんて、一大事だもんね。
「ご飯……‼ とろとろオムライス……‼」
早速オムライスをひと口頬張った彼女は、頬に手をあててとろけるような表情をしている。気に入ってもらえたようで、何よりだ。
ご飯にはしっかりトマトと食材の味が染み込んでいて風味豊かだし、そこに卵の柔らかい甘みとチーズのとろける塩味が加わって、えも言われぬ美味しさだ。そしてどこか、懐かしくもある。
「今日、アークツルスさんは一緒じゃなかったんだね」
一緒になってオムライスを食べながら、私はスピカに尋ねた。
彼女がこうしてお忍びで外出するときは、必ずアークツルスさんが送り迎えしている。
彼が来ないのは珍しいので不思議に思っていると、スピカは一度スプーンを止めて答えてくれる。
「実は今日、王城でお茶会があるらしくて、お兄様はそっちに行ってるの」
「へえ、そうなんだ。スピカは行かなくてもいいの?」
「わたしはまだ参加しなくていいってお兄様が言うからまだ一度も参加したことないんだよね。まあ正直お茶会なんかよりも、ミラのご飯のほうが優先だし!」
力強く握りこぶしを作るスピカに「ありがとう」とお礼を言いながら、私は少し過保護な彼女の義兄の姿を頭に浮かべた。
スピカよりも淡い色味のさらさらの金髪に、どこまでも見透かすような青い瞳。中性的な美貌を持つその人――アークツルス・クルトも、乙女ゲームの攻略対象者のひとり。
彼はクルト伯爵の縁戚の子供で、幼少の頃に跡取りのいなかった伯爵夫妻のもとに養子として引き取られたそうだ。
だから、スピカとは血の繋がりはない。
あとから伯爵家に引き取られたスピカとの関係が悪くならないのか老婆心ながら心配していたのだけれど、幸いなことにスピカは伯爵家で父と義兄から大変可愛がられているらしい。それにとても安心したことを覚えている。
(それにしても、お茶会かあ。なんだかすごいな、やっぱり)
貴族社会において、成人ではない子息たちは夜会ではなくお茶会で社交をする。それは前世で読んだ小説から得た知識だ。そうしてそれは、この世界にも当てはまるようだった。
前世の感覚だと、まだ子供なのに社交だなんて大変だなあ、と思う。
でもこの世界での成人は十五歳なのだ。つまり、来年の春に誕生日を迎えたら私とスピカも成人ということ。あまりに早すぎて、なんだか不思議な感じがする。
「そういえばさ、ミラはレオ様とは最近会ってるの?」
この国の特産品である緑茶をすすりながらスピカが聞いてきたので、私は最近のことを思い返してみた。
……そういえば、ここのところレオとは会っていない、かもしれない。
「手紙のやりとりはしてるけど、よく考えたらこの頃はこの店にもあんまり来てないかも。忙しいんだろうね」
私は少し考えたあと、思ったままにそう答えた。
「ふうん、そっかあ~。……手紙のやりとりしてるとかレオ様可愛い……」
「え?」
スピカの言葉が聞き取れなくて首を傾げると、彼女は「なんでもない」とにまにました。なんだろう。気になる。
「えーっとまあ、今日はお兄様と一緒でお茶会に出席してるんだと思うわ。王城で開催ってことは、当然王子様であるレオ様たちもいるんだろうし」
こほん、とわざとらしく咳払いをしたあと、スピカはそう言って残りのオムライスを食べ進める。
そう。私の友人であるレオは、この国の第二王子だ。
出会ったときはその事実を知らなかった。初めて聞かされたときは流石の私も思考が停止してしまったことを思い出す。
王子が友人だなんて恐れ多いけれど、いろいろとあって、今はその関係に落ち着いている。
高貴な立場である彼だけれど、時々この店には訪れていた。でも、最近は忙しいらしくて、全然顔を見ていない。
ふたりで他愛もない会話をしながらオムライスを食べ進めていると、コンコンというノックの音がした。
そのあとに聞こえたのは、ゆるく間延びした声。
「スピカちゃんにミラちゃん、イザルだけど、少しお邪魔してもいいかな~」
私とスピカは顔を見合わせたあと、「どうぞ」と返事をする。
部屋に入ってきたのは、イザルさんだけではなかった。
「……食事中に申し訳ありません。失礼します」
イザルさんの後ろに見えたのは、青髪の若い騎士様。先ほどまで階下で食事をしていたはずの少年だった。
入室してきた彼の射るような鋭い眼差しは、なぜか私に向けられている。普通に怖い。
「こんにちは。いつもご来店ありがとうございます」
戸惑いながらぺこりとお辞儀をすると、騎士様も会釈を返してくれる。
(なんだろう……私に用事……? もしかして、オムライスの苦情……?)
不安に思いながらイザルさんに視線を移すけれど、彼はいつもどおりの柔和な笑みを浮かべるばかりだ。
すると突然、隣にいたスピカが大きく目を見開いて、私に詰め寄ってくる。
「……ちょっと、ミラ! いつの間にカストルとも知り合ってたの⁉」
「えっ?」
声量は抑えているため、きっとイザルさんたちには聞こえていないだろうけれど、ものすごい勢いだ。私はきょとんとしてしまう。
「カストル? あの青髪の人のこと?」
「そうよ! 前に言ったじゃない。『寡黙で真面目な女嫌いの騎士キャラ』! ……攻略対象者だよ、あの人もっ」
スピカと同じように声を潜めて尋ねると、彼女からは興奮気味にそんな言葉が返ってきた。
寡黙で真面目で女嫌いの騎士。それは以前スピカがつらつらと教えてくれた、とある攻略対象者の特徴だ。
以前スピカにこの乙女ゲーム世界について教えたもらってメモしたのだけれど、残念ながらその紙はなくしてしまった。けれどそれを正直に話すと、スピカは再度それを手紙にしたためてくれたので、その情報はよく確認している。
私は思わず騎士様を一瞥して、それからまたスピカに視線を戻した。
騎士様は居心地が悪そうなむっつり顔のままだ。
(まさか、また自然に攻略対象者に出会っているパターンがあったなんて……)
先ほどまで、彼に対する認識は食堂の常連さんだったはずなのに。
私はモブなのに、なぜか攻略者たちと自然に出会ってしまっている。
「……なんかタイミング悪かったかな?」
こそこそ話している私たちを見て、イザルさんは困ったように頭を掻いている。
何やらぶつぶつと呟いているスピカをそのままに、私は慌てて入り口にいるふたりに近づいた。
「あっ、いえ、大丈夫です。どうかしましたか?」
「こいつがちょっとミラちゃんに話があるらしくて」
イザルさんは、隣の騎士様の肩に手を置く。
「話ですか?」
「そう。ほら、カストル」
イザルさんに促され、青髪の彼は私に再度軽く会釈をしてから口を開いた。
「食事をしているところに割り入ってしまい、恐縮です。俺の名はカストル・クリューツ。王国の騎士団に所属しています」
どこか怒っているようにも見える顔のまま、彼ははきはきとした口調で私に告げる。表情の変化がない分、少しだけ怖く感じてしまう。
本当に、スピカが言ったとおり、カストルという人物だったようだ。
これまで知らずに客として接してはいたが、こうして自己紹介をされたのは初めてのことなので、私は思わず気を引き締める。
「ミラ・ヴェスタです。クリューツ様……お話とはなんでしょう」
「俺に対して、敬称は不要です。あなたはレグルス殿下をレオと呼んでいると聞き及んでいます。シリウスさんとも親しいのでしょう。そうであれば俺にもそうしてください。年齢も同じなので、敬語もいりません」
「えっ、で、でも……」
スピカに以前聞いた話では、攻略対象の男性キャラクターたちはほとんどが貴族や王族ではなかっただろうか。
確かにレオとは友人だし、セイさん……もといシリウスさんとも気軽に話している。だからといって平民の私が貴族のご子息である騎士様と気安く話すわけにはいかない、と思う。
どう対応すべきかたじろいでいると、上から「ミラちゃん」と優しい声が降ってきた。イザルさんだ。
「大丈夫だよ。このカストル、実はレグルス殿下の護衛騎士なんだ」
「そうなんですか? ということは、セイさんと同じ……?」
「そうそう。最近正式に任命されたんだけどね。だからまあ、主である殿下や先輩騎士であるセイよりも敬っているような話し方はやめてほしいってことだと思うよ。まったく、カストルは相変わらずだなあ。そんな怖い顔してたらミラちゃんたちがおびえちゃうだろ」
「……それは、申し訳ありません」
イザルさんにばしりと背中を叩かれて、騎士様はバツの悪そうな顔をする。
その様子を見て、ふたりも気の置けない間柄なのだと理解した。
なるほど。ではこの騎士様もセイさんのように、これからレオと共にいることが増えるのだろう。
「それでは、カストルさんと呼ばせてもらいますね」
「……」
少しだけ彼の片眉がぴくりとつり上がった。
いろいろと考えた結果、思い切って言ってはみたものの、これは正解ではないらしい。
さんづけも、敬語もダメってことなのだろう。
「じゃあ、カストルと呼んでもいい?」
再度敬語をなくしてカストルに話しかけてみる。
すると、見た目の変化は乏しいけれど、騎士様――改めカストルの表情が満足そうなものになった気がする。
「はい。問題ありません」
本当は、問題大アリだと思う。レオと友人であるせいで、いろいろ歪んでしまっている。とりあえず、人目につくところではふたりを呼び捨てにしないよう心がけよう。
「よっし。じゃあお互い自己紹介も終わったところで、俺は下に戻るね。オムライスの注文がすごくってさ~。んじゃカストル、用事が終わったらお前もさっさと戻ってこいよ」
私たちの様子を見守っていたイザルさんは、颯爽とその場を離れた。
私とカストルと、離れたところにいるスピカだけが部屋に取り残される。
「ミラ嬢。少しこちらに来てもらってもいいでしょうか」
一瞬の静寂があったあと、カストルは私にそう言った。例の私への話とやらなのだろう。全く内容に見当がつかないけれど彼がちら、とスピカを一瞥したのを見て、ここではできない話なのだろうと察した。
「大丈夫です」と答えると、スピカを部屋に残してふたりで廊下に出ることになった。スピカは未だに思案顔をしていた。
「これをお渡しします」
人気のない廊下でカストルから手渡されたのは、二つ折りにした小さな紙だった。封もされていないし、メモのように見える。
「ええと……読んでもいいんだよね?」
そう問いかけると、青色の頭がこくりと動いた。どうやらそれでいいらしい。
不思議に思いながら、その紙を開く。
(……わあ! レオからだ)
走り書きのように文字が並んだ紙には、『あとで必ず行く』という内容が書かれていた。最後には差出人の名もあり、そこには確かに、『レグルス』という彼の名が刻まれている。
「今日は王城で茶会が開かれています。俺が騎士団の先輩たちとここに来ることを言ったら、レオも来たがっていました。ですが、第一王子につかまって抜けられなかったので、君に言付けを頼まれました。直接これを渡してほしいと」
私がその手紙に目を通していると、カストルが朗々と状況を説明してくれる。
なるほど、これはレオが時間がない中で慌てて書いたものらしい。いつもはきちっとして美しいレオの筆致が、少し乱れている。
(わざわざそんな言付けをしてくるなんて、レオも随分律儀だなあ)
彼が来たときのために、もう一度オムライスを作る準備をしておかなくては。やっぱり出来立てが美味しいもんね。
思わず笑顔になりながら段取りを考えていたとき、私ははたと気がついてしまった。
「あれ? お茶会がまだ終わっていないなら、カストルも……」
「……俺は、抜けてきました。今日は護衛としてではなく参加者のひとりだったので。あんな場所にずっといるなんて無理です」
何か思い出したのか、髪色のように青ざめたカストルは、ぶるりとその体を震わせた。
カストルのことを女嫌いだと、スピカは言っていた。
凛として整った顔立ちに、鍛えられているであろう体躯。貴族子息であり、将来有望な騎士ともなれば、世の肉食女子が放ってはおかないだろう。勝手な推察だけれど。
カストルがここに来るときはいつも騎士団の先輩たちと一緒だったし、リタさんや私とは必要最低限ではあるが言葉を交わしていたから、これまで女嫌いとは思わなかった。
だけど本人にとっては、深刻なことなのかもしれない。
「……君と殿下は」
「はい?」
カストルを観察していると、彼の空色の瞳とぱっちり視線が合ってしまった。てっきり逸らされるかと思ったが、そのままだ。
途中で言葉を遮ってしまったので首を傾げて続きを待ったが、「いや、なんでもない」と言葉を濁されてしまった。
どうしたのだろう。
「それでは、用件が済んだので、俺はこれで――」
「あ! ちょっと待って」
立ち去ろうとしたカストルを、私は呼び止めた。この機会に是非とも聞きたいことがある。
「カストルはさっき、オムライスを食べてたよね。どうだった? これまでにお米を食べたことはあった? 初めて? 食感が気持ち悪いとかはなかったかなぁ? 食べてみて、芯が残っていたりしなかった?」
「――っ、近い、ので!」
オムライス、特にお米の感想が聞きたくて、身を乗り出すようにしてぐいぐい質問攻めにすると、カストルは慌てて私から距離をとった。
「あ、ごめんねカストル。つい」
女の人が苦手だというのに配慮が足りなかった。でもここで引き下がるわけにはいかない。
初めての料理を出したあとはやはりお客さんの反応が気になるもの。特に今日はお米の初お披露目だったのだからなおさら。
私が気合いの入った目でじいっと見つめていると、カストルは観念したように感想を教えてくれた。
「……美味しかった、と、思います。初めての食感で、つぶつぶとしていましたが、悪くなかったです。上にのっていた玉子ともよく合っていたし、あとを引く美味さがあった……と。まだ全部は食べていませんが」
その回答で、私は大切なことに気がついてしまう。
全部食べてない、って言ったよね?
「まだ食事中だったの⁉ ほら、早く戻らないと。ご飯は冷めたら美味しくないよ!」
「待て、引っ張るのは……!」
「あっ、ごめん……! でも、美味しかったならよかった」
急いで戻ってもらおうと咄嗟に彼の袖を引っ張ってしまった。慌てて手を離して謝る。
そうだった。こういうのはきっと苦手なはず。
ちらりとカストルの表情を窺うと、先ほどのような青ざめた顔をしていなくて安堵する。
前のめりになってしまったことを反省しつつ、カストルからいい感想をもらえたことについつい笑顔になってしまう。嬉しい。
「ふふ、レオも気に入ってくれるといいなあ」
そうこぼしてしまったのは、ほとんど無意識だったと思う。
「……そう、ですね。では、俺はこれで」
「あ、そうだ、カストル。最後にもうひとつお願いがあるんだけど」
立ち去ろうとしたカストルを、私は再び引き止めた。不思議そうな彼に、私ははっきり伝える。
「カストルも、私に対して敬語を使うのはやめてほしい。勿論敬称もなしだよ? 同じ年なんでしょ、私たち。それに私は、いち平民に過ぎないんだし」
「いや、でも、それは……」
「ね? じゃないと私も敬語にするんだから」
もごもごと歯切れの悪いカストルに、私は圧力を込めた笑顔で詰め寄る。せめてそうしてもらわないと困る。
「……っ、わかった。わかったから! ミラと呼ぶ。敬語も使わない!」
カストルは少しだけ焦ったような表情を浮かべたあと、私の申し出を承諾した。そして「失礼する」と言い残して、バタバタと階段のほうへと消えていく。
その後ろ姿を見送ったあと、私は部屋に戻ってスピカと食事を続けることになった。
「――ふわあ、お腹いっぱあい」
「流石に食べすぎじゃない?」
「いいのいいの、だいじょーぶ。たまにしか来られないんだから、食べためとくのっ」
貴族令嬢らしからぬ食べっぷりを見せたスピカは、大きく伸びをする。今はオムライスの他にいくつか揚げ物を追加で食べた上、今はデザートにミルフィーユを食べ終えたところだ。
これで彼女がお腹を壊したら、私はアークツルスさんに怒られてしまうのではないだろうか。
そんなことを考えながら一緒にお皿の片付けをしていると、また扉がノックされる。
「はいはーい」
そろそろスピカのお迎えが来たのかもしれない。
そう思って扉を開くと、目の前には外套のフードを被った人がふたり並んでいた。
「ミラ! 今日は間に合ったか⁉」
勢いよく口を開いたのは、私から見て左にいた人物。
「レオ、慌てすぎです」
それを右にいる長身の人物がやんわりと窘める。
一瞬驚いてしまったが、ふたりの姿もやりとりも、私にはとても馴染みがあった。
「いらっしゃい。ふふ、今回は大丈夫。ちゃんとレオの分はとっておいてあるから。あっ、勿論セイさんの分もありますよ。それにちょうど、新しいお菓子もあるよ」
「……本当か! よかった。兄上たちを振り切った甲斐があった」
私の前にいるのは、レオとセイさんだ。私が答えると、ふたりの顔に安堵の表情が浮かぶ。
このやりとりがなんだか故郷の町で出会った頃のようで、私は思わず笑ってしまった。
確か初めてのときは、レオが『たまごのうどんが食べたい』って言って厨房に来たけど食べられなかったんだよね。それに翌々年の収穫祭で私たちがやっていた焼き鳥の屋台にも来てくれたけど、あのときはお肉が売り切れだったっけ。
私とふたりは、五年前にあの小さな町で偶然出会った。うちの宿屋にふたりが宿泊したのがきっかけだ。
当初の私はふたりを本当の兄弟で旅人だと思っていたし、ふたりもそのように振る舞っていた。
だけど実は、レオとセイさんはこの国の第二王子とその側近の騎士だった。
そしてさらにこのふたりも、スピカの話によれば、件の攻略対象者なのだという。
「……ミラ、いつまで笑ってるんだ」
「ふふ、ごめ……なんだか、いろいろと思い出しちゃって」
外套のフードを脱いだレオは、少し決まりが悪そうに口を尖らせる。珍しい銀の髪がキラキラと眩しい。
出会った頃は同じくらいだった目線は、今では少し見上げるほどになった。
私の変化といえば髪が伸びたくらいだけれど、レオは随分と大人びた気がする。
「レオは昔から何かと食べ損ねることが多いですからね。タイミングが悪いというかなんというか……本当に、レオらしいです」
「セイ、どういう意味だ」
セイさんもフードを脱いだ。さらりとした黒髪が露わになる。
いつもどおりにこにこと笑っていて、レオをさらっとからかう様子は、本当の兄のようだ。
その微笑みの下では、きっと私と同じことを思い出しているのだろう。
私は和やかな気持ちになりながら、レオに声をかける。
「すぐに用意するね。待っててもらってもいいかな。あっ、でも、この部屋は今はスピカが……」
「あ、わたしだったら全然大丈夫! ミルフィーユももうひとつ食べたいし」
お忍びのお客さん用のこの部屋にいてもらうべきか迷っていると、スピカの明るい声がした。どさくさに紛れて、デザートをおかわりしようとしている。
彼女と目が合うと、てへりと可愛い顔をされてしまった。まったくもう。
そしてスピカはてきぱきとふたりの席を用意する。
「レグルス殿下、シリウス様、こちらにどうぞ」
「クルト伯爵令嬢。すまない、邪魔する」
「いつも申し訳ないです」
レオとセイさんは口ではそう言いつつも、迷いなく部屋に入ってくる。
私がリタさんの食堂での新メニュー開発を始めてから三年、スピカとレオたちは案外この食堂で居合わせることが多かったため、もうすっかり慣れたものだ。
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