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四
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しおりを挟むエドワード 後編
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――誰かに呼びかけられている声が遠くに聞こえる。とても柔らかく、優しい声。
(僕は……生きているのか?)
エドワードがゆっくりと目を開けると、宝石のように美しい翡翠の瞳が心配そうに彼を見下ろしていた。
初めて見るのにどこか懐かしい。
そんな不思議な感覚が胸に宿る。
「気がつきましたか?」
「あ、れ……僕は……?」
「あ、無理はなさらないでください。……そう、ゆっくり」
慌てて起き上がろうとしたが、体に力が入らない。
声も掠れてしまっている。
ここはどこかの海岸だろうか。彼女に支えてもらいながらようやく半身を起こすと、見たことのない海辺が眼前に広がっていた。
周囲には板切れが打ち上げられており、やはり船が難破したことは間違いない。
だが、魔力切れの上に体力も尽きていたはずの自分がなぜこうして無事なのかが分からず、エドワードは茫然としていた。
「あなたが助けてくださったのですか……?」
目の前の修道女の装いをした女性にそう問いかけると、優し気な笑みで返される。
確かにあのときエドワードは死を覚悟した。だがこうして生きていて、四肢もある。
誰かが助けてくれない限り、無事では済まなかったはずなのだ。
(それに……彼女から感じるこの柔らかな力は……)
じっと見つめると、彼女は困った顔をする。
「いいえ。あなたを助けた方は、わたしがここに来る前に立ち去ってしまいました」
そしてそのまま、彼女は右手の人差し指をあの岩陰に向けた。
その言葉につられてエドワードが海辺に視線を向けると、人がいるはずもない海にある岩陰から、確かに金色の髪が風に揺れていた。
「今は事情があっておふたりを引き合わせることは出来ませんが、絶対にあなた様の元に彼女を連れていきます。だから、待っていてあげてくださいね」
修道女は笑みを崩さない。荒れ狂う嵐の海からエドワードを救った恩人はこの女性ではなく、あの岩陰にいる人物ということなのだろう。
「では、まずは修道院でお休みいただきますね? 立てますか?」
そう彼女が言った途端、ぶわりと温かな魔力がエドワードを包み込んだ。
驚いて目を見開くも、修道女は何食わぬ顔でエドワードの肩の下に身体を入れてぐっと持ち上げる。
成人男性をこの華奢な女性が持ち上げるという事実にも驚いたが、この女性が魔力持ち、それもかなりの魔力量を有する人物であることに気づいたのは、やはりエドワードも同じ種類の人間だからだろう。
――そして、彼女と共に立ち上がった瞬間。
エドワードは体が軽くなったことを感じた。戒めのように、枷のようにつけられていたあの腕輪が、ない。
どんなに外そうとしても外れなかった、あの呪いのような腕輪。
彼女に支えられている左手の手首にはめられていたはずのそれが、跡形もなく消えていた。
(そうか。この柔らかな魔力は……浄化の力か)
どくん、とエドワードの心臓が跳ねる。
今まで何かが欲しいと思ったことはなかった。どこか空虚で、つまらない毎日だった。
(……この人と共にあれたら)
そんな気持ちが心の底から湧いてくる。
修道院でしばらく療養したエドワードは、城に戻ると先に城に飛ばしていたライルや同乗していた騎士たちから帰還を大いに喜ばれ、そしてライルには叱られもした。
幼い頃のように、自分のために怒りながら泣く彼。
そして咽び泣く親友の奥には、安堵の色を浮かべる国王がいた。
エドワードは初めて生きていて良かったと思えた。
「殿下。……客人が来ています」
住まいとして与えられた、城の近くの離宮で執務に戻っていたエドワードの元に、ライルが来客を伝える。
普段ならば予定にない来客は追い返しているはずの彼が離宮の敷地内まで来客を許したことが意外で、書類から顔を上げる。
「ライル、突然の来客は対応しないんじゃなかった?」
不思議に思いながらそう問うと、ライルは手紙のようなものを取り出して、エドワードに手渡した。
「あの修道院からです。それが、その……」
歯切れの悪いライルが差し出した手紙を受け取る。
その手紙に触れた瞬間、またあの柔らかな魔力を感じる。
急いで封を切ると、綺麗な文字が綴られていた。
あの日エドワードを助けた少女、シレーヌ姫に会って欲しいと。
「……ライル、客人はどこだ」
「応接間にて待ってもらっています」
「今後は丁重にもてなすように。彼女は、僕をあの海から救ってくれた人だ。君が責任をもって面倒を見てくれるか?」
「! 承知しました。他の者にもそう伝えます」
「ひとまず僕も挨拶をしに行かなければ」
お供します、と言ったライルの耳が赤い。
そしてその謎は、客人であるシレーヌ姫に会った瞬間に解消された。
透きとおるような白い肌に、輝くブロンドの髪、海を閉じ込めたようなサファイアの瞳は大きく、こぼれ落ちそうだ。
「……王子さま……」
その声さえも、鈴が鳴るように美しい。
ライルだけでなく、他の騎士たちもその少女を見てうっとりと頰を染めている。
「君が、シレーヌ姫? 僕を助けてくれてありが――」
「王子さまっ! 好きです!」
「「「!」」」
座っていた椅子から立ち上がった彼女は、急に駆け出すと告白しながらエドワードに飛びついた。
腰あたりに巻きついたシレーヌを、当のエドワードも側近のライルもその他騎士たちも唖然とした表情で見つめる。
「……シレーヌ姫、申し訳ない。僕にはもう心に決めた人がいるんだ」
シレーヌの肩に触れ、そっと引き剥がしながらエドワードは告げる。悲しげに眉を下げる彼女の瞳を真っ直ぐに見る。
「君は僕の恩人だ。ここで好きに過ごしていい。このライルに何でも言ってくれ」
「……はい」
「僕は、あの修道院の彼女にもう一度会いたいんだ」
「ヘンリエッタお姉さま? 王子さまの好きな人って、お姉さまなんですか」
「うん、そうなんだ」
「まあ……!」
その後シレーヌ姫は離宮に滞在している内に、世話を任せたライルと親しい仲になっていた。
彼女は実は元は人魚で、ヘンリエッタの力でこうして人間としてここにいることを教えてくれた。そしてシレーヌも、ヘンリエッタのことをお姉さまとして慕っている。
「エドワード様、ヘンリエッタお姉さまを是非連れて来てくださいね!」
ヘンリエッタを迎えに行く日。
ライルと並んでエドワードを見送るシレーヌは、心からの笑顔でそう言った。
◇
「ヘンリエッタ姫、迎えに来たよ」
修道院にエドワードが赴いてそう言うと、ヘンリエッタの目が驚愕に見開かれる。
思ったよりも時間はかかったが、彼女を妃として迎える準備は整った。
エドワードを騙して呪いの魔道具をつけた一派も、きちんと片付けてきた。
そして彼女を虐げていた隣国王室とも話をつけてきた。
姉姫を妃に、と薦めてくる者たちに対応することに骨が折れたが、エドワードが魔力の片鱗を見せると大人しくなった。
困惑の表情を浮かべるヘンリエッタを、エドワードはそのままぎゅうと抱きしめる。
やはり温かく、柔らかい魔力だ。ひどく安心する。
なんとか脱出しようともがいていた彼女は、可愛らしい猫の姿へと変幻し、彼と距離を取った。
「――へえ。姫は追いかけっこがしたいんだね?」
(絶対に逃がさない)
彼女と同じように変幻し、狼の姿になったエドワードは、ぺろり、と赤い舌で舌なめずりをする。
ヘンリエッタは、とても厄介な王子さまに魅入られてしまったようだ。
「あらあら~うちのエドワードちゃんったら、本気ねえ」
「ちょっと深碧の。貴女一体どんな教育したのよ」
「あらあら、エメロードって呼んで欲しいわ。瑠璃のこそ、あの子随分とすごいわね?」
「私はラピス、よ。うちのヘンリエッタが付けてくれたんだから!」
猫と狼が追いかけっこをする様子を眺めながら、優雅に空に浮かぶのは2人の魔女。
ふたりの眼差しには、それぞれの慈愛の色が浮かんでいた。
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