鬼の鳴き声

白鷺雨月

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第二十ニ話 清風亭の会談

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 喪服すがたの女性こと白蓮梅と名乗る人物は、茶碗を手に取るとそれを数口飲んだ。
 懐紙で飲んだところを拭き取り、畳におく。
 彼女も動作に無駄がない。手慣れたものだ。
 左目が義眼の男は、無造作に茶碗をもつと、それを一気に飲み干した。
「なかなかうまいものだ」
 ぼそりと義眼の男は低い声で言った。
 義眼の男は無作法だが、不思議と嫌味がなかった。
「すまんな、なにせ大陸での生活がながかったもので。無作法は許してほしい」
 義眼の男は頭を下げる。
「なに、かまいませんわ」
 厚化粧の主人は答えた。
 化粧の下は絶世の美男子といってもいいほど秀麗であったが、ぬりたくったおしろいのせいで、表情がまったく読めなかった。
「それで、ご用件のほうは……わたくしは善悪かかわらず、お客様はもてなす方針なのであしからず」
 屋敷の主人時昌は言った。

「そうですね。百聞は一見にしかずともうします。まずは、こちらをご覧下さい」
 白蓮梅はそう言い、指をパチンと鳴らした。
世界が一変した。


 警報が鳴り響いている。耳がいたいほどだ。
 轟音が空を支配していた。
 何か黒い物体が雨あられと降っている。
 それらが地上にぶつかるとあらゆる建物を破壊し、燃やしていく。
 驚いたことに川ですら燃えていた。
 瓦礫の下敷きになって死ぬ人がいる。
 爆風で吹き飛び死ぬ人。
 水でも消えない火で焼け死ぬ人。
 街はことごとく焼かれ、死が機械的に大量生産されていく。
 時昌は空を見た。
「ここは、幽界か。夢渡りの術か」
 彼なりの分析である。
 これは梅が見せている夢である。
 しかし、ここまで現実的な夢を他人にみせるとは、かなりの術者とみてまちがいない。
 時昌はそう推測した。
 時昌自身も並々ならぬ術者であるから、その推測が成立した。
 炎の熱さ、ものが焼ける匂い。
 すべてが本物として感じられた。
 空には無数の鉄の船が浮遊していた。
 飛行機とよばれるものであろうが、時昌が知るものよりはるかに巨大であった。
 科学知識には疎い時昌であったが、それがこの大正の時代のものでないということは、理解できた。
 陸軍内でも屈指の秀才小野寺なら、何か分かるかもしれないが。
 炎に焼かれた人がたまらず川に飛び込むが、その炎は水の中でも燃え続けた。川の中で燃え死ぬという奇妙な現象がおきていた。
「これがこの国のそう遠くない未来の姿です」
 悲しそうな声で白蓮梅は言った。
 その大きな瞳は涙で潤んでいた。
「何度見ても凄まじいものだな」
 地面のこげた石ころを蹴りながら、北一輝は言った。義眼に炎が不気味に反射していた。
「資本主義のいきつく結末だ。富を奪いあい、負けたものの末路がこれであろう。おそらくこの国は西欧列強と覇権争いをし、敗北したのだ。世界戦争のさらに上をいく戦争がおこなわれれば、敗戦国はこのようになるだろう」
 そう言い、北一輝は胸ポケットからタバコをとりだした。舞い散る火の粉で火をつける。ふうっと紫煙を吐き出した。
「私は未来予知というのは信じない。だが、確率的にこのような未来は充分あり得ると思われる」
 と北一輝は言った。 
「私の計算では、現在の国家体制をとるかぎり、このような未来は避けられない。ならば、どうするのか。革命が必要なのである」
 そう言い、北一輝は煙草を火の海に投げ捨てた。煙草は一瞬にして燃えつきた。
「だから依代の二人が必要なのです。彼と彼女には、新しい王を産んでもらわなければいけないのです。新しき王の治世こそ、このような未来をさける唯一の方法なのです。故に彼と彼女を我らのもとに渡していただきたい」
 白蓮梅は言った。その言葉は熱をおびている。酔っているといってもいいかもしれない。
「それで私に弟子や友人を裏切り、あなた方に協力せよと」
 笑いを含みながら、時昌は言った。
「それはできません」
 と時昌は吐き捨てる。
「臨兵闘者皆陣列在前」
 時は九字の呪法を唱え、複雑な手印を結んでいく。
空間がぐにゃぐにゃと歪んでいく。
 バリバリとガラスにひびが入るように空間が割れていく。
 クェーという甲高い奇声をあげ、黒い翼の八咫の烏が空間をこじ開け、侵入してきた。
 時昌かわ使役する影王である。
 その雄美な翼を広げ、空を駆ける。
 影王が駆ける度に空間がひび割れ、砕かれていく。
ガラスの破片が飛び散るように世界は崩れ、闇だけが広がっていく。
 時昌は目を閉じた。
 次に開けたとき、もとの茶室に戻っていた。
変わったところといえば、時昌の肩に影王が身を休めていることである。
「交渉は決裂というわけか」
北一輝は言った。

「どれだけ可能性がたかくともあなた方がしめした未来は、可能性のひとつにすぎません。それだけのために私は大事なものを捨てることはできません」
 美しい笑みを浮かべながら、時昌は言った。

「未来よりも現在をとるというわけですね。もっと大義をとられるかただと思っていましたが、残念でなりません」
 白蓮梅は言った。
「かいかぶりですよ、私は存外、俗物なのです」
 時昌は答えた。
「かしこまりました。我らは一度、引きましょう。次に会うのは戦場とこころえてくどさい」
 白蓮梅はそう言い、北一輝とともに茶室を出た。
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