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中編 知らない森
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辺りがすっかり暗くなったころ、アリスターの森が前方に見えてきた。一度、馬を止めて、外から森の様子を観察する。舗装はされていないが道はあり、特に変わったところのない普通の森に見える。
リセナが、黒馬の首筋をなでながら尋ねた。
「この子も、一緒に入れそうですね。ところで、この子はなんて名前なんですか?」
「……ない」
「ナイくんかぁ。よしよし」
グレイは、少しの間のあと「なら、それでいい」と言った。
リセナには、わけがわからない。
「え、なに、それでいいってなんですか?」
「……無いんだ。そいつには、名前が」
「えっ!?」
「指笛で来るからな。呼ぶ必要がない」
それは、そうかも知れないけれど。
――そっか……グレイにとって、名前って、あんまり重要じゃないのかな。じゃあ、やっぱり、名前で呼んでって言うのは鬱陶しいか……。
しかし、ここでしゅんとしている場合ではない。
グレイが、ゆっくりと、森の中へ馬を進める。
「行くぞ」
アリスターの森、その怪事件の調査が始まった。
◆
森の中は静かだった。馬のひづめの音と、リセナの声だけが響く。
「今回の件、はじめて聞くような現象だし、もしかすると誰かの魔法や魔物の仕業……じゃなくて、異星生物、かもしれませんね」
それは、昨今、隕石に乗ってやってくるようになった他の惑星からの生命体のことだ。最初は休眠状態で目に見えないほど微細だが、時間をかけて元の姿を形成して活動している。――異星生物のことは、それ以外、ほとんどなにもわかっていない。生き物に寄生する種類もいれば、金属を自分の体のように使って動く種類もいた。
今は隕石を見つけたら触れずに報告という手順が全国民に指示されているが、それでも、稀にこの惑星に上手く潜んでいる個体がいる。
グレイは「……ああ」とだけしか答えない。それはまあ、いつものことなのだが。
この時、ふと首をこちらに向けた黒馬が、突然怯えたように甲高く鳴いて前足を振り上げた。
「わ――!?」
落とされそうになるリセナを、グレイが抱えて馬から飛び降りる。
そのまま、黒馬は来た時と同じように、宙に開いた亜空間へ戻って行ってしまった。
グレイの腕の中で、リセナは呆然とそれを見送る。
「帰っちゃった……。えっ、よくあることなんですか?」
「いや……はじめてだ」
彼の声には、わずかに戸惑いがにじんでいた。
夜の森を、グレイと二人きりで進む。
彼はリセナの肩を抱き寄せて、自分のすぐ隣を歩かせていた。おそらく、そうしなくても、彼女の方から寄り添っていただろう――それほどまでに、この森を漂う空気は不気味だった。黒馬が逃げ出した以外はなにも起こらず、見た目にもおかしなところはないのに、なんとなく居心地が悪い。木々の隙間からのぞく月明かりで、真っ暗闇でないことだけが救いだ。
辺りを見回していたリセナが、黙ったままのグレイを見上げる。
「なにも起こりませんね。でも、さっきの、どうしたんでしょうか? あの子――えっと……」
あの黒馬の名前はなんだったか。
「あなたの馬の……」
名前は無いとか、言っていたっけ。
「あなたの……あれ……?」
リセナは、隣の彼を見つめて、目をまたたく。
――彼の名前、なんだったっけ……?
こんなことを、ど忘れするものなのか。怪訝な顔をしているリセナを、グレイもまた、怪訝そうに見つめ返している。
彼女は一旦、彼から視線を外す。周りにあるのは、名前も知らない木々。ここは、名前も知らない森。
――あれ。なんで、私、こんなところに……。
わからない。思い出せない。
混乱しながらも、必死に思考を巡らせて歩く。それでも、結局、わからない。
そして、自分の肩に、誰かの手が置かれていることに気付く。
「え……?」
隣には――知らない大男がいた。
「っ……!?」
彼女は驚愕した。自分がなぜここにいるのか思い出せないが、ひとつ確かなことがある。共にいる彼は、どう見ても一般人ではない。鎧をまとい、腰に剣を差し、美丈夫ではあるもののあまり人間味のない、ほとんど無表情の男だ。それも、その気になれば、こちらの肩など簡単に壊せそうなほど屈強な体つきをしている。
――誰……? 誘拐……!?
混乱する彼女を、隣の彼――グレイは、また怪訝そうに見る。それから、前方に魔物の気配を感じて立ち止まった。
リセナから手を離し、剣を構える。茂みの中からは、彼の身長の三倍ほどもある巨体――マーダーベアが、五匹も現れた。
凶暴な魔物を、彼は次から次へと仕留めていく。その様子を見ていたリセナは、グレイの背後から、一気に駆け出した。
――っ、逃げるなら、今……!
最後のマーダーベアを斬り倒したあと、グレイはひとつの疑問を持った。この魔物は、前にも倒したことがあるし、名前も知っているはずなのだが――。わからないのだ。これが、なんという魔物なのか。
周りに生えている木の名前も、この森の名前もわからない。しかし、まあ、それは彼にとって、わりとどうでもいいからであって――リセナのことは、しっかりと覚えていた。
そのリセナが、どこにもいない。戦いのあいだ隠れているとか、そんな様子でもない。
「おい。どこだ……!」
答える者はいない。そばには、誰もいない。
彼は理解する。彼女は魔力増幅の能力者だが、力を使わない時の素の魔力量はそう高くない。外界からの干渉――この森の異常に、耐えきれなかったのだろう。
――そうか、記憶を失って……おそらく、こちらを、危険人物だと認識した。
グレイは、目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませる。風の流れを読んで、この森の中で、動いているものの居場所を察知する――なんて、今まで一度もやったことがないけれど。なんとかして捜すしかないのだ。
この森の犠牲者で、重症の者は、自我を失ったかのように反応が希薄になるのだと言われている。
リセナが、黒馬の首筋をなでながら尋ねた。
「この子も、一緒に入れそうですね。ところで、この子はなんて名前なんですか?」
「……ない」
「ナイくんかぁ。よしよし」
グレイは、少しの間のあと「なら、それでいい」と言った。
リセナには、わけがわからない。
「え、なに、それでいいってなんですか?」
「……無いんだ。そいつには、名前が」
「えっ!?」
「指笛で来るからな。呼ぶ必要がない」
それは、そうかも知れないけれど。
――そっか……グレイにとって、名前って、あんまり重要じゃないのかな。じゃあ、やっぱり、名前で呼んでって言うのは鬱陶しいか……。
しかし、ここでしゅんとしている場合ではない。
グレイが、ゆっくりと、森の中へ馬を進める。
「行くぞ」
アリスターの森、その怪事件の調査が始まった。
◆
森の中は静かだった。馬のひづめの音と、リセナの声だけが響く。
「今回の件、はじめて聞くような現象だし、もしかすると誰かの魔法や魔物の仕業……じゃなくて、異星生物、かもしれませんね」
それは、昨今、隕石に乗ってやってくるようになった他の惑星からの生命体のことだ。最初は休眠状態で目に見えないほど微細だが、時間をかけて元の姿を形成して活動している。――異星生物のことは、それ以外、ほとんどなにもわかっていない。生き物に寄生する種類もいれば、金属を自分の体のように使って動く種類もいた。
今は隕石を見つけたら触れずに報告という手順が全国民に指示されているが、それでも、稀にこの惑星に上手く潜んでいる個体がいる。
グレイは「……ああ」とだけしか答えない。それはまあ、いつものことなのだが。
この時、ふと首をこちらに向けた黒馬が、突然怯えたように甲高く鳴いて前足を振り上げた。
「わ――!?」
落とされそうになるリセナを、グレイが抱えて馬から飛び降りる。
そのまま、黒馬は来た時と同じように、宙に開いた亜空間へ戻って行ってしまった。
グレイの腕の中で、リセナは呆然とそれを見送る。
「帰っちゃった……。えっ、よくあることなんですか?」
「いや……はじめてだ」
彼の声には、わずかに戸惑いがにじんでいた。
夜の森を、グレイと二人きりで進む。
彼はリセナの肩を抱き寄せて、自分のすぐ隣を歩かせていた。おそらく、そうしなくても、彼女の方から寄り添っていただろう――それほどまでに、この森を漂う空気は不気味だった。黒馬が逃げ出した以外はなにも起こらず、見た目にもおかしなところはないのに、なんとなく居心地が悪い。木々の隙間からのぞく月明かりで、真っ暗闇でないことだけが救いだ。
辺りを見回していたリセナが、黙ったままのグレイを見上げる。
「なにも起こりませんね。でも、さっきの、どうしたんでしょうか? あの子――えっと……」
あの黒馬の名前はなんだったか。
「あなたの馬の……」
名前は無いとか、言っていたっけ。
「あなたの……あれ……?」
リセナは、隣の彼を見つめて、目をまたたく。
――彼の名前、なんだったっけ……?
こんなことを、ど忘れするものなのか。怪訝な顔をしているリセナを、グレイもまた、怪訝そうに見つめ返している。
彼女は一旦、彼から視線を外す。周りにあるのは、名前も知らない木々。ここは、名前も知らない森。
――あれ。なんで、私、こんなところに……。
わからない。思い出せない。
混乱しながらも、必死に思考を巡らせて歩く。それでも、結局、わからない。
そして、自分の肩に、誰かの手が置かれていることに気付く。
「え……?」
隣には――知らない大男がいた。
「っ……!?」
彼女は驚愕した。自分がなぜここにいるのか思い出せないが、ひとつ確かなことがある。共にいる彼は、どう見ても一般人ではない。鎧をまとい、腰に剣を差し、美丈夫ではあるもののあまり人間味のない、ほとんど無表情の男だ。それも、その気になれば、こちらの肩など簡単に壊せそうなほど屈強な体つきをしている。
――誰……? 誘拐……!?
混乱する彼女を、隣の彼――グレイは、また怪訝そうに見る。それから、前方に魔物の気配を感じて立ち止まった。
リセナから手を離し、剣を構える。茂みの中からは、彼の身長の三倍ほどもある巨体――マーダーベアが、五匹も現れた。
凶暴な魔物を、彼は次から次へと仕留めていく。その様子を見ていたリセナは、グレイの背後から、一気に駆け出した。
――っ、逃げるなら、今……!
最後のマーダーベアを斬り倒したあと、グレイはひとつの疑問を持った。この魔物は、前にも倒したことがあるし、名前も知っているはずなのだが――。わからないのだ。これが、なんという魔物なのか。
周りに生えている木の名前も、この森の名前もわからない。しかし、まあ、それは彼にとって、わりとどうでもいいからであって――リセナのことは、しっかりと覚えていた。
そのリセナが、どこにもいない。戦いのあいだ隠れているとか、そんな様子でもない。
「おい。どこだ……!」
答える者はいない。そばには、誰もいない。
彼は理解する。彼女は魔力増幅の能力者だが、力を使わない時の素の魔力量はそう高くない。外界からの干渉――この森の異常に、耐えきれなかったのだろう。
――そうか、記憶を失って……おそらく、こちらを、危険人物だと認識した。
グレイは、目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませる。風の流れを読んで、この森の中で、動いているものの居場所を察知する――なんて、今まで一度もやったことがないけれど。なんとかして捜すしかないのだ。
この森の犠牲者で、重症の者は、自我を失ったかのように反応が希薄になるのだと言われている。
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