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第三話 五
しおりを挟む雨雲も夕刻にはまばらだった。昼間は顔を見せなかった太陽の代わりに欠けた月が宵を照らしている。ぽつ、ぽつ、ぽつ、一定の調子で聞こえる音は、屋根から滴り落ちる雨水だった。
百位は、全身に包帯を巻いた元九十三位のお付きだった三人の下女と向き合っていた。医者を呼び、一通りの手当てが終わるのを待っていれば、すっかり夕食の時間だ。医者は、一、二週間ほどは引き続き治療をしなければならないから、しばらくは仕事をさせるな、と報告してきた。怪我人を働かせるほど忙しい身分でもないし、休ませるに決まっている。
三人の着替えが無かったため、下女の着物をひとまず着せてある。一番背が高い下女には裾が短そうだが、仕方あるまい。寝具に腰かける百位に、三人の下女は額を床に擦りつけるように跪いていた。
いささか待ちくたびれた百位は、一つだけ溜息を吐いてから下女らに問いかけた。
「それで? あんたらがわたしに嫌がらせをしていた理由を教えて」
「それに関しては、自分が」
顔を上げたのは背が高い下女だ。右目は包帯で覆われている。左目も泣き腫らしたのか細目が真っ赤に充血していた。息を整えた下女が粛々と語り始める。
「昨年の秋が始まった頃でございます。百位様もご存じの通り、冬より食料制限が始まりました。食事量を一人分減らすというもの。それは、女帝らを揺するために行われました」
女帝ならば、下位の者を見捨てず、協力し、困難に立ち向かうべし。そんな姿こそ、帝位の妻にふさわしい。そんな目的のため、冬から予告なく些細なちょっかいをかけてきたのが宮殿だ。
「つまり女帝をふるいにかける。実際、帝位の人数に対し、あまりにも女帝が多すぎる。そこで、脱落者を作り、女帝を減らす。食料制限も一つの揺すりにすぎず、あらゆる揺すりが冬より始まりました。自分も把握はしきれていませんが、百位様のように嫌がらせを受ける女帝、明らかに許容範囲を超えた仕事量や仕事内容を指示される女帝。先日の毒騒ぎ、あれも宮殿の仕込みと自分は疑っております。いままではさほど気にならない揺すりのほうが多かった。しかし、これからは確実に脱落者を作るため、過激になる可能性がございます」
毒騒ぎは、ある意味宮殿からの警告ともとれるのか。しかし、万が一にも命に関わる毒だ。いくらなんでもやりすぎだ。
「もし脱落者が出なければ、下位の女帝から集中して揺するような計画がございます。その場合、まず百位様、次いで九十九位様、順番に蹴落とす計画でございます」
やけに内部事象に詳しいことが気になった。
「ちょっと、その情報どこから仕入れたのよ? 九十三位様も知っているの?」
「いえ、我が主も把握しておらないかと。帝都では、菊一族の活動も禁じられているゆえ、帝都外の情報は主も常に把握しておりますが、帝都内であれば把握していないことのほうが多いでしょう。自分らが、百位様にしたことのように」
自分も知らないことばかりだ。実際、女帝百位という最底辺であるため、ほとんど上位の女帝らと交流したことがない。馬小屋の仕事を請け負う七十位までの顔しか把握できていない。それより上位など誰が何位かもわからない。見ていないだけで自分のように裏で虐げを受けている女帝も居るのだろうか。
「主も把握していない事情を知っているのは、ある女帝の下女から打診を受けたからです」
「打診? 誰から?」
「……女帝十一位様でございます」
「十一位……」
記憶に問いかけてみるが、顔と位が一致してくれない。
「金髪の女帝でございます。財務大臣の孫娘様です」
「金髪……あ、ちょっとわかるわ」
帝都でまず見ない髪色は金髪だ。金髪の女帝は一人しか見たことがない。宮殿に努める財務大臣の奥様が外国の女性であるのは有名な話だ。
「これまでの話は女帝十一位様の下女から伺った話でございます。聞かされたのが昨年の秋。自分も半信半疑でしたが、実際に冬から突如食料制限が始まり、主も把握していなかった情報に、自分は信じざるを得ませんでした」
背が高い下女は、悔し気に包帯を巻いた手で拳を握った。
「自分は聞かされました。いずれ下位女帝から揺すられる。菊一族と言えど、下位女帝である。例外なく、仕打ちを受けるだろうと。揺すり計画の全ては知らないが、生死に関わることもある。おそらく、揺さぶられたものはすぐさま心身を病み、退官するだろう。だが、もし、主人に内密に協力してくれるのであれば、十一位様が主を保護してくれる、と」
――ああ、そういう、こと。
「つまりなに? あんたらは主を守るためにわたしに嫌がらせをしてきたってこと?」
「……仰る通りでございます。百位を虐げろという指示に従いました」
「主以外の女帝は、どうなってもいいってわけ?」
「左様です」
頭を下げながらもきっぱりと言い切った。部屋の隅で佇んでいた百位の下女は堪えるように唇を噛んでいる。
――ほんとに人柱にされていたのね、わたし。
この下女の気持ちが理解できないこともない。だが、主のためなら周りを見捨てても構わないという精神には、いくら忠誠のためでも無性に腹が立つ。
深く息を吸ってぐっと堪える。怒ったって仕方がない。九十三位の下女らは信じる道を突き進んだまでだ。それに、もう罰は受けている。しかし、九十三位は……。
「でも、それなら九十三位様も納得しなかったの? なんであんな事態に……」
背が高い下女は、なにかを思い出したのか大きく身震いし、ぎゅっと左目をきつく閉じた。
「主は、九十三位様は、信じてくれませんでした」
「なんで?」
「十一位の下女と名乗っていた女が、存在していなかったからでござい、ます」
「どういう、こと?」
「この事実をお伝えしたところ、主はすぐに諜報部隊で事実関係の確認をなされました。しかし、あの下女、あの女は、雲隠れしたかのように見つからなかったのです。主は十一位様とも接触し、事情を聞きました。ですが、十一位様はそんな下女を存じないと、あの、あの赤目の女など、知らないと!」
背が高い下女は強く床を殴りつけた。虚無な打音が部屋に響く。他二人の下女も、しくしくと涙を流している。
「えっと、その赤目の下女とは、ほんとに会ったのよね?」
「はい。間違いなく。始め、その赤目の下女は単独で接触してきたため、自分も疑っておりました。しかし後日、十一位様の下女として仕えている姿を確認しております。先日の食事会のときもおりました。わからないのです。なぜ、十一位様がそんな嘘を、なぜ、菊の諜報部隊でもその赤目の下女を見つけられなかったのか。帝都から出ることは、できない、のに……」
嗚咽しながら背が高い下女はうずくまった。三人の下女は外部からの指示で動いていた。そして指示を出した人物が行方をくらました。この話、果たして信用に値するのか――。
「百位様」
思慮に没頭していると、いつしか背が高い下女は血色の悪い顔を上げていた。
「……なに?」
「なぜ、我々をお救いになられたのですか。百位様への仕打ち、我々も覚悟の上、やったこと。それを咎め、罰を与える権利があなたにはある。あなたはおっしゃいました。我々を、下女として従わせると。なぜですか。救われたこと、感謝はします。しかし、忠誠は九十三位様にしか捧げません。正直なところ、この選択は正気の沙汰とは思えません。九十三位様を敵に回すなど、寿命を縮めるだけかと」
言われてみれば確かに後先考えない行動だったかもしれない。三人の下女を仕えさせるというのも咄嗟に出た言葉で本意ではなかった。欲しかったのは情報で、下女らの命ではない。
でも。
「こんなことで死んだって、命が勿体ないわ。あんたたちには利用価値がある。そう思っただけ。目の前で誰かが殺されるのも嫌だし、馬糞を投げられたからって、殺したいほど憎まないわよ。それに」
三人の下女は、納得していなさそうに目を伏せる。百位も、下女らの顔を直視することをためらった。
「……それに、ほんとに九十三位様に忠誠を誓っているのなら、生きて真実を知らせないといけないわ。九十三位様は忠誠を斬り捨てるところだった。あんたらにも考えはあるだろうけど、とりあえず死ぬことは許さないわ。傷が癒えるまでしばらく休みなさい。わたしも十一位様のこと、調べてみるわ」
下がりなさい。そう言えば、三人の下女は立ち上がりふらつく足で部屋を出ていった。三人とも、それぞれなにか言いたげだったが、聞かないように寝具に寝転んだ。これより先は、落ち着いてから話し合うべき、そう考えた。
「疲れた」
背の高い下女の言い分は半信半疑だ。確証を得るにはどうすべきか。赤目の下女。見たことない。五位に報告したいが、十六夜は帰ってしまった。次の機会になる。
ずぶ濡れの九十三位の顔が脳裏によぎる。必ず殺してやる帳簿に記載されたような感触があった。しばらく顔を合わせないようにするべきだろう。
自分の下女もなにか言いたげだったが、今日はもう一人になりたかった。寝るから、と伝えて部屋を出てもらう。一人、天井の染みにずれた焦点を投げつけていれば、おのずと夢の中に落ちていった。
三つの首と自分の首が転がる最悪な夢だった。
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