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61.父と娘

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「これは――?」

 焼失面積は約三分の一余り。
 広範囲にまるまると焼け焦げた王宮の前で、ワーグマン公爵はただ呆然と立ち尽くしていた。

「ミランダが、うっかり燃やしてしまったそうだ」
「うっかり……?」

 クラウスの言葉に、ヨアヒム侯爵がゴクリと喉を鳴らす。
 戦勝凱旋式は、ジャゴニ首長国に出征した第五王子の帰還後に改めて行うものとし、現状確認と今後の方針検討のため、急ぎ招集したまでは良かったのだが。

 建国以来、圧倒的な存在感を以て佇んでいた豪奢な王宮は、その燦然たる輝きを失い、黒灰色に染まる焼失部には雨が入らないよう最低限の補修だけが施されている。

「……なるほど」

 ヴァレンス公爵が目を眇めると、視線に気付いたミランダが、にっこりと輝くばかりの微笑みを浮かべた。

 もはや何も言う気になれず、長い補修計画の説明をザハドが終えたところで、凱旋したばかりの三人へとクラウスが言を発する。

「今回の一件、ジョセフが洗いざらい自白した。レティーナと属国アサドラについては別途処分を検討するが、内通者もあらかた炙り出し、じき収束に向かうだろう」
「ジョセフが!?」

 あの狡猾な男がすべてを話すなど、果たして有り得るのだろうか。

 三人は訝し気に眉を顰め、そして吸い寄せられるようにミランダへと視線を向けると、またしてもニコニコと微笑んでいる。

 触らぬ神に、なんとやら。
 今回の件で嫌というほど思い知った彼らは、それ以上何も言わず、顔を見合わせ溜息を吐いたのだが――。



「あれから数日と空かず、顔を合わせる事になろうとはな」

 クラウスが、やれやれと独り言ちる。

 何かあればザハドから連絡が来るだろうと、もう一晩、領主館で身体を休めた翌昼過ぎ頃、シェリルの父ヴァレンス公爵が到着した。

「当家の愚女がご迷惑をお掛けし、大変申し訳ございませんでした」

 深く頭を下げたヴァレンス公爵へ、クラウスは構わないとでも言うように、小さく頷いた。

「容態も安定し、後は体力の回復を待つのみです」
「殿下も……申し訳ありません」
「いえいえ、好きでした事ですから何も問題はございません。詳しくはシェリル様から伺って下さい」

 ミランダへ向き直り、申し訳無さそうに再度頭を下げるヴァレンス公爵へと、優しく声を掛ける。

 疲れの取れぬ身体で駆け付けたのだろう。
 目の下が窪み、心なしか頬がこけているようだ。

 ミランダはその姿を見つめたまま、何かを考えこむように押し黙り……思いついたように、可愛らしく小首を傾げた。

「ときに陛下。凱旋式の後、叙勲式を行うことと存じますが、一点ご相談がございます」
「……なんだ?」
「頃合い良くヴァレンス公爵もいらっしゃいますので、この後お時間を頂いても宜しいですか?」

 クラウスが頷いたのを確認し、公爵閣下も宜しいですね? と重ねて問いかけるミランダ。

 何を相談されるのかと不安気に、少々顔を引き攣らせながら、ヴァレンス公爵はゆっくりと頷いたのである。


 ***


 あれから四年。
 憎しみは、燻る火のように熱を持ち、決して消える事は無かった。

 いつか王の隣に立つのだと、幼い頃から努力を惜しまず、そして相応しく成長したシェリル。

「……お父様。ご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」

 復讐の炎に駆り立てられ、狂ったような憎悪に身を焦がす彼女を四年もの間、包み込むように見守り続けてくれたのは、他でもない父である。

 小さな蝋燭がわずかに音を立てて燃え、揺らめく光はぼんやりと、浮き上がるように室内を照らし出した。

「何もかも……何もかもすっかり、殿下が治してしまわれました」

 寝台の上に座し、ぽつりと漏らした彼女の手には、小さな手鏡が握られている。

「顔に残った熱傷の痕……動かなかった右手まで、なにもかも」

 死の淵にいたシェリルを救うため、力の制御が出来なくなり、彼女の一切を癒してしまったミランダ。

 揺らぎそうになる弱い自分を奮い立たせるため、爛れた自分の醜い顔を、毎朝手鏡で眺めるのが日課だったのに。

「ですがそれも、もう必要無くなってしまいました」

 自嘲めいた微笑みが、シェリルの口元を掠める。
 ヴァレンス公爵は傍へと歩み寄り、その顔を確かめるように覗き込んだ。

「……弔いを終えたら死ぬつもりだと言っていたが、どうする?」

 それは、父と娘、二人だけの秘密の会話。
 事件後、死に向かおうとした娘へ、「無駄死にするくらいなら、その命を懸けて成し遂げろ」と言い聞かせたのは他でもない、ヴァレンス公爵である。

「そうですね」

 父からの問い掛けに、シェリルは揺らめく陰影をぼんやりとその瞳に映した。

「……もう少し」

 加護を受け、誰よりも尊ばれる立場であるはずの彼女は、こんな自分を、命懸けで救ってくれた。

「…………もう少しだけ、生きてみようと思います」

 淡く光の滲んだ室内で、シェリルは困ったように目を逸らし、顔を伏せる。
 そのまま押し黙る彼女の身体へ、ふと影が差した。

 身を乗り出すように寄せられる大きな身体。
 少し躊躇うように伸ばされたヴァレンス公爵の腕が、シェリルの身体を包み込む。

 険しく寄せられた眉間の皺が、何かに苦悩するようにさらに深まった。

「そうか」

 抱き締める父の肩に顔を預けるようにして、シェリルはゆっくりと凭れかかる。

 その背中へと、伝うようにしてそっと手を這わせ、震える父の身体をぎゅっと抱きしめた。

 こんなにも、小さかっただろうか。

 落ちた雫に気付いて小さく身動ぎ、視線を上向けると、見られたくないのかシェリルの頭を自分の肩口へと押し付ける。

「……そうか」

 消え入るように小さな声で「はい」とシェリルが答えると、自分を抱くその腕に、ぐっと力が籠った。

 ――揺らめく灯りとともに、心が震える。



 かすかに浮かび上がる父と娘は、心を分け合うように身を寄せ合い、静かに肩を震わせるのだった――。




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