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1巻
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「GURUAAAAAAAA!!!」
背後に陣取っていた、赤い結晶を生やした方のゴーレムが、雄叫びとともに飛びかかってくる。
全長がゆうに5メルを超えるゴーレムの突進は、その速さともあいまって、シンに見た目以上の威圧感を与えた。
「ちっ!」
子狐に負担をかけないようにその場を飛びのく。大気を切り裂きながらふるわれた爪には赤々と燃える業火がまとわりつき、打ち付けられた大地は轟音とともに弾け飛んだ。
あまりの威力に土煙が上がり、ゴーレムの姿を一瞬隠す。
シンは赤いゴーレムを警戒しつつ、着地点を狙って飛んできた氷柱を槍で打ち払った。そして、改めて2体の動きを見る。
どちらも瘴気による強化によって、シンが知るゴーレムよりはるかに強力になっていた。とくに爪に炎をまとわせるような攻撃など初めてである。
(これは、厄介だな)
この状況でも、シンが本気を出せば苦戦らしい苦戦もしないだろう。だがそうなると、子狐の命が保障できない。今のシンが本気で動けば、その反動だけで子狐が死んでしまうからだ。
シン自身は本人の耐久力もあって何でもないように高速移動できるが、子狐からしてみれば尋常ではない負荷がその体にかかってしまう。
これはふざけた予想ではない。子狐の状態から予想されるシンとのステータス差は700以上ある。それはもはや、大気圏離脱用のロケットに、何の装備もない赤子を乗せたまま飛ばすようなものだ。
シン自身このような戦いに慣れていない――むしろ苦手といってもいい。かなりのやりにくさを感じていた。
使い捨ての防御アイテムを装備させることで、ダメージを肩代わりさせることもできるが、取り出すのに時間がかかるうえ、装備させたからといって放置するわけにもいかない。
現状、ゴーレムはシンを狙っているのか子狐を狙っているのかもわからないのだ。
魔術スキルを使う相手なので、離れた瞬間に遠距離攻撃される危険が高い。敵がスカルフェイスのような雑魚モンスターなら放置しても大丈夫だろうが、得体のしれない高レベルモンスターなので話は別だ。
もとより防御系のスキルが少ない【THE NEW GATE】では、守りながら戦うというのが難しかった。それだけに結界系スキルが使えないというのが辛い。
――とはいえ、もちろん戦う方法がないわけではない。
「こういうときのための魔術スキルってな!」
土煙を突き破って再度飛びかかってきた赤ゴーレムの胴体が、シンの目の前でくの字に曲がる。
赤ゴーレムの横腹に、スカルフェイス戦で設置していた光術系魔術スキル【スター・マイン】の光弾が突き刺さったのだ。設置場所を変更するときの移動を応用したのである。
前回の攻撃よりも速度を増した突進は驚異だったが、その巨体は的として十分すぎた。
2発、3発と続けざまに飛んでくる光弾に打ち据えられていた赤ゴーレムだったが、地面に着地すると同時に飛び跳ね、次いで飛来した光弾を口から吐き出した炎で焼き尽くす。
その後の光弾は俊敏にかわしていった。
青ゴーレムの方を見ると氷の壁を作って防御している。スカルフェイス用にと数を重視し、1発1発に魔力をあまり込めなかったので、高レベルのゴーレムの防御は破れなかったようだ。
赤ゴーレムのHPゲージはまだ1割も減っていない。
「防御力が高いのは、さすがゴーレムってとこか。魔術には弱いはずなんだけどなっ!」
悪態をつきつつもシンは動きは止めない。光弾による弾幕で2体のゴーレムをその場に釘付けにし、新たな魔術スキルを発動する。
「【シャドウ・バインド】!」
シンの声とともにゴーレムの足元の影が蠢き、その体を這い上がる。異変に気づき、とっさに飛び上がろうとしたゴーレムだったが、肝心の脚はすでに影に絡めとられ、身動きがとれなくなっていた。
闇術系魔術スキル【シャドウ・バインド】は、拘束系スキルの中でもとくに察知されにくいという特徴がある。
代償として拘束力が弱く、ボスクラスにはほとんど効果がないのだが、シンの魔力によって強化された【シャドウ・バインド】は、しっかりと高レベルのゴーレムを地面に縫い付けていた。
「念のためこいつを持ってろ」
ゴーレムの動きを封じたシンは、アイテムボックスを開いて一定量のダメージを肩代わりしてくれるアイテムを子狐に装備させる。
そしてまずは1体と、体力の削れている赤ゴーレムに魔術スキルの狙いを定める。
「あとはこいつで!」
放つのは貫通力のある光術系魔術スキル【アヴライド・レイ】だ。
槍を突き出した右手の先に光が集まる。今しがたゴーレムに突き刺さった光弾とは比べ物にならない魔力が、一点に集中していく。
危険を感じ取ったゴーレムも、束縛に対する抵抗を強めた。やがてゴーレムの口を覆っていた影にひびが入り、わずかな間をおいて口を動かすことに成功する。
「CAAAAAAAAaaaaaaa」
開かれた口から吐き出されたのはどす黒い霧。
1メル先すら見通せない無明の霧が、今まさにスキルを放とうとしていたシンの前に広がっていく。その勢いはすさまじく、瞬く間にシンの周囲を闇に閉ざしてしまった。
「目くらまし?」
慌てて魔術スキルを放つようなことはせず、発動したスキルを維持したまま、シンは様子を見る。ゲーム時代には煙幕のような攻撃をしてくる相手と戦ったこともある。
視界は閉ざされているが、目に見えずとも【策敵】を使用しているので、完全に敵の位置を見失うことはない。
周囲を満たす霧を放置してスキルを放ってしまってもいいのだが、瘴気に侵されたモンスターによる霧というのが気にかかる。
「ク、クゥ……」
「おい、どうした!? ちっ、やっぱり状態異常を引き起こすタイプか!」
苦しみ出した子狐のステータスには、はっきり【毒・Ⅶ】と表示されていた。どうやら視界を奪うと同時に相手を弱らせる効果も持っているようだ。
状態異常や状態異常によるダメージは、子狐に装備させたアイテムでは防げないので、しっかり効果を受けてしまっている。
「パワーアップしすぎだろ……」
子狐に神術系スキル【キュア】をかけ状態異常を回復させるが、数秒でまた毒状態へと戻ってしまう。この霧の中にいる間は、いくら回復しても意味がない。
霧から出ようにも、一体どれほどの範囲に広がっているのかわからない。ましてや動きに制限がかかったシンを、ゴーレムがむざむざ逃がすとは思えなかった。
シンにはこの程度では効果がないが、早々に決着をつけないと子狐が持たないだろう。
体力自体は【ヒール】で回復できるし、毒状態も【キュア】でどうにかできる。だが、毒を受ける度に回復を繰り返しておけば大丈夫と考えるのは、さすがにゲーム的発想すぎる。
そんなことを現実にすれば、いくら回復しようが最終的には死んでしまう可能性が高い。
「タイムリミットは長くない……な」
こうなった以上、多少の負荷には耐えてもらうしかないだろう。
「悪いな。ちょっときついが頑張ってくれ」
「ク、クゥ!」
「いい返事だ!」
子狐の力のこもった鳴き声に呼応するように、溜めていた【アヴライド・レイ】を放つシン。
マップ上でマーカーがある位置に向かって放たれた閃光は、進路上の霧を吹き散らし、目標に向かって突き進む。
しかし、ゴーレムはすでに【シャドウ・バインド】から離脱していた。自らに迫る閃光を身を捻るようにしてかわすと、霧の中へと姿をくらませる。
【アヴライド・レイ】の直撃した大地が爆散し、その衝撃で一瞬だけ霧が晴れるが、それもすぐに元に戻ってしまう。
シンはマップ上のマーカーを意識しつつも、少しずつその場から移動していく。ゴーレムにも遠距離攻撃がある以上、その場に留まり続ければただの的になりかねない。
ゴーレムを表すマーカーは、2体とも一直線にシンに向かってくる。どうやらゴーレムには霧による視界不良も問題ないらしい。
向かってくる2つのマーカーが重なる。
シンが訝しむ間もなく、霧を突き破って青ゴーレムがシンに牙をむいた。シンの上半身を丸呑みにできそうなほど大きく口を開き、その中に並んだ牙で血肉を求めて迫ってくる。
凶悪な噛み付きを身をそらしてかわしたシンは、続く爪の一撃を槍の柄で弾く。
しかし、それに続くはずの赤ゴーレムの姿がない。
次の瞬間、頭上に殺気――。
シンは槍を振った勢いそのままに体を空中に投げ出し、頭上に向かって無手系武芸スキル【木霊打ち】を放つ。
対空迎撃用の蹴り技は、シンの頭上から迫っていた赤ゴーレムの喉元に直撃し、その首を粉砕する。
頭部を失った胴体は受け身も取れずに地面に叩きつけられ、その自重で大地を大きく凹ませた。
蹴りつけた反動によって距離をとり、青ゴーレムのさらなる追撃から逃れるシン。
子狐に負担のかからない動きを意識しつつも、その瞳は地面に横たわる赤ゴーレムをしっかりと見すえていた。ゲーム時代なら、これで1体片付いたことになるのだが――。
そんな希望もあっさりと消えてしまう。首を失った胴体だけが起き上がり、何事もなかったかのように動き始めたからだ。
さすがに粉砕された首は元に戻っていないが、明らかにシンを認識した動きをとっている。
「まだ動くのかよ……」
そんな予感はしていたが、どうやら完全に粉々にしなければ倒せないらしい。
かなりの速度で動くマーカーを見ながら、シンは対策を考える。
相手はゴーレム。状態異常はもちろん効かない。
子狐のタイムリミットを考えれば、一撃粉砕がベストだろう。
問題は敵の速度だ。【シャドウ・バインド】より拘束力の強いスキルもあるが、霧の中では完全に捕捉するのが難しい。
加えてシンの周囲を覆う霧は、【暗視】スキルをもってしても見通せない。マップ頼りにスキルを使うこともできるが、確実性に欠けるうえ、そもそもこの世界での魔術スキルを完璧に掌握できているとは言いがたい。
「クゥ、クーウ!」
「どうした?」
霧の中から飛んでくる氷柱と炎弾を弾いていたシンの裾を、子狐が引っ張る。何か伝えたいことがあるようだ。
「クッ! クゥッ!」
子狐が顔を向けた先に、ぼんやりと光る何かがある。目を凝らして見れば、それが子狐の横たわっていた魔術陣だというのがわかった。
どうやらゴーレムの攻撃の余波で本殿が崩れ、外から見えるようになったようだ。
「あそこに行けばいいのか?」
「クゥ!」
毒と回復の連鎖でかろうじて命をつないでいる状態ながらも、しっかりとうなずく子狐。何があるのかはわからないが、このタイミングで教えるのだから、何かの役に立つのだろう。
子狐の意思を信じて、シンは魔術陣のある方へと移動する。仄かに光りを放っているのは、確かに子狐が横たわっていた魔術陣だった。近づいてみてわかったが、魔術陣の周りには霧が入りこんでいない。
「これは……入ればいいのか?」
うなずきを返す子狐を抱え直し、シンは魔術陣の中心に進む。
「……なるほど」
魔術陣の中に入ったシンは、子狐がここを示した理由を悟った。
理屈はわからないが、この陣の中からならば霧の中が問題なく見渡せたのだ。この状態ならば、運に任せてスキルを使用する必要はない。
ゴーレムもシンたちが魔術陣の内側に入ったのを察知したのか、高速で接近してくる。霧の闇に紛れて奇襲することができなくなったと理解しているのかもしれない。
だが、それももう遅い。魔術陣に入った瞬間、シンは理解していた。これは自分の力を高めてくれるものだということを。
「【アーク・バインド】!」
シンがスキル名を叫ぶのと同時に、シンたちに迫っていたゴーレムに、空中から光術系魔術スキルによって生み出された光の鎖が伸びる。
【シャドウ・バインド】よりも速度は劣るが、その強度は2倍以上。拘束系スキルの中でも1、2を争うほどの拘束力を持つ光の鎖が、かわそうと身をよじるゴーレムを捕らえ、地面に縫い付けていく。魔術陣の効果で操作性がはるかに向上した鎖を、ゴーレムは避けきれなかった。
ゲーム時とは違う、魔力操作という慣れない動作のせいで、本来の効果を発揮しきれていなかった魔術スキル。だがこの魔術陣にいる限り、その追尾性は今までの比ではない。
「手間をかけさせてくれたな」
2体のゴーレムが捕らえられた位置は、シンから見てちょうど直線状に並んでいた。
もはや子狐を抱いている必要も、動きを制限する必要もない。ただ一撃で粉砕するのみだ。
シンが槍を構えると同時に魔術陣がひときわ強く光り、その手に持つ槍が輝き始める。これで止めとでも言うように、槍に力が集まっているのがわかる。
「いいぜ。まとめて瘴気ごと吹き飛ばす!」
意思なき声に応じるように、シンは踏み出す。全力で駆けるシンの姿は、残像を残してその場からかき消えた。
次にシンが現れたのは、ゴーレムの目の前だ。
繰り出されるのは、今や聖槍と見紛うばかりの清らかな輝きを放つ槍の一撃。
槍術系武芸スキル【禍穿突き】。
禍事を穿つ――その名に恥じぬ光を放ちながら、【アーク・バインド】の上からゴーレムに突き刺さる。
まず標的となったのは赤ゴーレムだ。
瘴気によって強化されたその体を歯牙にもかけず、槍は突き進む。
外皮を砕き、内部を抉り、胴体から四肢の末端に至るまでを粉々に粉砕していく。
勢いは止まらず、その穂先はそのまま一直線に青いゴーレムへと向かう。
魔術による迎撃を試みたのだろう。耳障りな悲鳴がシンの鼓膜を震わせた。しかし、槍から放たれる光は空中に集まりかけた魔力すら吹き散らす。
ゴーレムに有利に働くはずの霧も、槍から放たれる光によって霧散していく。
赤ゴーレムを粉砕してもなお、まったく勢いの衰えぬ一撃は、残った青ゴーレムにも一切の抵抗を許さなかった。
†
「終わったか。これ、どうすっかな」
槍を手に周囲を見回しながら、シンはぽつりとつぶやいた。
瘴気によって姿を変えたゴーレムを倒したことで、周辺を覆っていた霧も完全に晴れ、今では周囲が見渡せるようになっている。
正直にいえばひどい、の一言だ。
スカルフェイスのドロップアイテムである剣や鎧が散乱し、神社の本殿は崩壊。魔術スキルによる余波のせいか鳥居は半分吹き飛び、地面は所々大きく抉れ、一部は表面がガラス状に変化しているところまである。
2メルはある氷柱が地面に立ち並び、その後ろには、氷柱の直撃を受け見事にへし折れた大木が転がっていた。
やむをえぬ事情があったとはいえ、まさに滅茶苦茶である。この光景を見て、ここが神社だと思う者はいないだろう。
だからと言って、シンに片づけをする気はないのだが。
「……瘴気はもうないし、スカルフェイスのことだけ報告しとくか」
どうやら今回の瘴気は、汚染源を断てば消滅するタイプだったようだ。
しかし、神社内の空気は森の中に近く、元の清浄な状態とは言えなかった。結界が消えたことで、そういった効果が消えてしまったのかもしれない。
局所的な瘴気発生イベントはゲーム時代もよくあり、瘴気に取りつかれたボスモンスターを倒すことでクリアとなっていた。よって、シンはもう問題ないと判断した。
少々強引にそう自己判断し、シンは残された問題に目を向け――。
「クー!!」
「おわっ! っとと、危ないことするなぁ、お前」
シンは子狐を優しく受け止めた。魔術陣の中からシンに向かってジャンプしていたのである。
顔を擦りつけてくる子狐を抱き、その様子を観察する。体調もすっかり良くなったようで、しきりに顔を舐めてくる子狐に、さっきまでのぐったりした様子は微塵も感じられない。
「もう大丈夫そうだな」
結局、今回の事態がどういう状況だったのか未だにわからないシンだが、子狐が無事だったのだから、頑張った甲斐があるというものだ。
自分の知らない、つまりはゲーム時代とは違った現象を自分の目で確認できたのも大きい。
元の世界に戻るための手掛かりとまではいかずとも、情報は何であれ知っていて損はない。何がヒントになるかなど今の状況ではわからないのだ。
「クー?」
考え事をしているシンが気になったのか、子狐が問いかけるような鳴き声を上げた。
「そう言えば、よくわからんのはお前もだったな」
脇に手を入れ、抱え上げながら子狐に話しかける。
ミリーに頼まれて助けたわけだが、この子狐も意外と謎が多い。
発見した当初から緊急事態で、まだ名前すら確認していなかった。HPゲージがあるのはプレイヤーかモンスターだけなので、この子狐もモンスターの一種だということはわかっているのだが。
「名前を見るのをすっかり忘れてたな。やっぱりリトルフォックスか?」
ペットとして人気のあるモンスターの名前を挙げながら、【分析】で子狐の情報を読み取る。
言葉の意味がわからないのか、子狐はシンに抱えられたまま首をかしげていた。エレメントテイルの領域内では小型の狐型モンスターをよく見かけるので、シンはそう予想したのだ。
「えーと、名前、なま…………え?」
シンの視線がモンスターネームの位置に釘づけとなる。そこに書かれていた名前は、シンの想像のはるか上を行っていた。
「エ、エレメントテイル………………マジでか……」
「クー!」
まるでその通り! と言わんばかりの反応をする子狐――もといエレメントテイル。
シンが硬直するのも無理はない。
エレメントテイルはプレイヤーの間で九尾の狐と呼ばれていたモンスターであり、レベル1000を誇る【THE NEW GATE】における最上級モンスターの一角なのだ。
その力はプレイヤーによって選ばれる【THE NEW GATE】最強モンスターランキングで常に上位にランクインしていたほどで、まさかそんなモンスターの名前が出てくるとは予想だにしていなかった。
表示に間違いがなければ、今シンのいる場所の支配者でもあるはずだ。
そもそもシンの知っているエレメントテイルといえば、人型か体長20メルほどの巨体かのどちらかである。子狐サイズのエレメントテイルなど聞いたことがない。
「どうしよう……マジでどうしよう……」
詳しく調べてみると、エレメントテイルのレベルは現在211。ボスモンスターとしては頼りないが、この世界の住人からすればすでに十分危険なレベルだった。
1匹でいたところを見ると、親はいないのかもしれない。
ついでに言うなら、いたらいたでシンの命が危ない。エレメントテイルは、カンストプレイヤーですら単独で挑むのは無謀と言える相手だ。【制限】を全解放したシンなら倒せるだろうが、少なくとも北の森は焦土と化すだろうし、余波だけで王国にも被害が出るだろう。
「なんでこんなにレベルが低いんだ? 子どものエレメントテイルなんて聞いたことないぞ……」
シンは強力なモンスターの情報は常に集めていたのだ。ことエレメントテイルに関してなら、自分が知らないことはない、といえるくらいの知識がある。
なにせ月の祠に来る客の半分以上はエレメントテイル関連のクエスト、通称「九尾クエスト」に挑むプレイヤーだったのだ。ある意味、店の売り上げに協力してもらっていたとも言える。
そんな理由もあり、エレメントテイルについては運営の身内かと疑われるほど詳しかった。
「まあゲームじゃないんだし、いきなり成体になるってのもおかしな話だが…………だめだ、わからん」
所詮シンの持っているのはゲームの知識。この世界では知らないことがあっても仕方ないと割り切ることにした。
だが、この後どうするのかという問題が残る。
「お前、これからどうするんだ?」
会話ができるとは思えないが、何となく言葉を理解しているような気がしたので、シンは声に出して問いかけてみた。
魔術陣はすでに光を失っている。役目を終えたような雰囲気であるこの場所に、エレメントテイルといえど子狐一匹を残していくというのは、何とも忍びなかった。
「クゥー……」
地面に下ろされたエレメントテイルは、本殿跡、そしてモンスターの残骸が散乱する境内をじっと見つめていたが、しばらくすると思いを振り切るかのように、くるりと体を反転させる。
そして、勢いよくジャンプするとシンによじ登り、頭の上にポテッとその身を預けた。
「なぜに頭の上?」
「ク~!」
「いやわからんから」
頭をペチペチ叩いてくるエレメントテイル。こいつなりにここから出ていく覚悟を決めたか、とシンは感じ、なんとなく思ったことを口にする。
「……一緒に来るか?」
「クゥー!」
それがシンには、「行く!」と言っているような気がした。
「そうか……ってこら暴れるな! 爪! 爪が痛えっての!」
何やらご機嫌な子狐の暴れっぷりに、視界がぐらぐらと揺さぶられる。
獲物を仕留める爪が全く隠されておらず、それがシンの顔をチクチク攻撃していて、歩きづらいことこの上なかった。
「ちょっと落ち着け!」
「クー?」
「何首かしげてんだ。絶対に言葉の意味わかってるだろ、お前!」
幼いといえども種族は最上級モンスター・エレメントテイル――賢くないわけがないのだ。もしかすると、子狐なりに寂しさを紛らわせようとしているのかもしれない。
(俺が元の世界に帰る前に、一人前になってくれるといいけどな)
放たれる肉球パンチ(爪つき)を両手で防ぎながら、シンは歩き始める。
頭上の子狐の相手をしつつも、シンは頭の中で、自分が今まで遭遇した出来事をリストアップしていた。
森の中で出くわした、特殊な装備を持つ異常なレベルのスカルフェイス。
突如出現したスカルフェイスの群れ。
支配領域内にもかかわらず瘴気に侵されたゴーレム。
そして、エレメントテイルの子ども。
自分の持っている知識ではわからないことが多く、答えが出ない。
だが、何かが起こっていることだけはわかる。
「とりあえずミリーに子狐のことを確認して、また情報収集だな。あと、シュニーが俺のこと、覚えてるといいが」
サポートキャラクターであるシュニーならば、多くのことを知っているはずだ。彼女の受けている依頼が早く終わることを祈りつつ、まずはギルド、次いで孤児院と行き先を決めた。
この世界に来てわずか数日で、異変とも呼べる複数の事件に巻き込まれたシン。
それは必然か、それとも偶然か。
シンを中心とした物語の幕は、まだ上がったばかりである。
背後に陣取っていた、赤い結晶を生やした方のゴーレムが、雄叫びとともに飛びかかってくる。
全長がゆうに5メルを超えるゴーレムの突進は、その速さともあいまって、シンに見た目以上の威圧感を与えた。
「ちっ!」
子狐に負担をかけないようにその場を飛びのく。大気を切り裂きながらふるわれた爪には赤々と燃える業火がまとわりつき、打ち付けられた大地は轟音とともに弾け飛んだ。
あまりの威力に土煙が上がり、ゴーレムの姿を一瞬隠す。
シンは赤いゴーレムを警戒しつつ、着地点を狙って飛んできた氷柱を槍で打ち払った。そして、改めて2体の動きを見る。
どちらも瘴気による強化によって、シンが知るゴーレムよりはるかに強力になっていた。とくに爪に炎をまとわせるような攻撃など初めてである。
(これは、厄介だな)
この状況でも、シンが本気を出せば苦戦らしい苦戦もしないだろう。だがそうなると、子狐の命が保障できない。今のシンが本気で動けば、その反動だけで子狐が死んでしまうからだ。
シン自身は本人の耐久力もあって何でもないように高速移動できるが、子狐からしてみれば尋常ではない負荷がその体にかかってしまう。
これはふざけた予想ではない。子狐の状態から予想されるシンとのステータス差は700以上ある。それはもはや、大気圏離脱用のロケットに、何の装備もない赤子を乗せたまま飛ばすようなものだ。
シン自身このような戦いに慣れていない――むしろ苦手といってもいい。かなりのやりにくさを感じていた。
使い捨ての防御アイテムを装備させることで、ダメージを肩代わりさせることもできるが、取り出すのに時間がかかるうえ、装備させたからといって放置するわけにもいかない。
現状、ゴーレムはシンを狙っているのか子狐を狙っているのかもわからないのだ。
魔術スキルを使う相手なので、離れた瞬間に遠距離攻撃される危険が高い。敵がスカルフェイスのような雑魚モンスターなら放置しても大丈夫だろうが、得体のしれない高レベルモンスターなので話は別だ。
もとより防御系のスキルが少ない【THE NEW GATE】では、守りながら戦うというのが難しかった。それだけに結界系スキルが使えないというのが辛い。
――とはいえ、もちろん戦う方法がないわけではない。
「こういうときのための魔術スキルってな!」
土煙を突き破って再度飛びかかってきた赤ゴーレムの胴体が、シンの目の前でくの字に曲がる。
赤ゴーレムの横腹に、スカルフェイス戦で設置していた光術系魔術スキル【スター・マイン】の光弾が突き刺さったのだ。設置場所を変更するときの移動を応用したのである。
前回の攻撃よりも速度を増した突進は驚異だったが、その巨体は的として十分すぎた。
2発、3発と続けざまに飛んでくる光弾に打ち据えられていた赤ゴーレムだったが、地面に着地すると同時に飛び跳ね、次いで飛来した光弾を口から吐き出した炎で焼き尽くす。
その後の光弾は俊敏にかわしていった。
青ゴーレムの方を見ると氷の壁を作って防御している。スカルフェイス用にと数を重視し、1発1発に魔力をあまり込めなかったので、高レベルのゴーレムの防御は破れなかったようだ。
赤ゴーレムのHPゲージはまだ1割も減っていない。
「防御力が高いのは、さすがゴーレムってとこか。魔術には弱いはずなんだけどなっ!」
悪態をつきつつもシンは動きは止めない。光弾による弾幕で2体のゴーレムをその場に釘付けにし、新たな魔術スキルを発動する。
「【シャドウ・バインド】!」
シンの声とともにゴーレムの足元の影が蠢き、その体を這い上がる。異変に気づき、とっさに飛び上がろうとしたゴーレムだったが、肝心の脚はすでに影に絡めとられ、身動きがとれなくなっていた。
闇術系魔術スキル【シャドウ・バインド】は、拘束系スキルの中でもとくに察知されにくいという特徴がある。
代償として拘束力が弱く、ボスクラスにはほとんど効果がないのだが、シンの魔力によって強化された【シャドウ・バインド】は、しっかりと高レベルのゴーレムを地面に縫い付けていた。
「念のためこいつを持ってろ」
ゴーレムの動きを封じたシンは、アイテムボックスを開いて一定量のダメージを肩代わりしてくれるアイテムを子狐に装備させる。
そしてまずは1体と、体力の削れている赤ゴーレムに魔術スキルの狙いを定める。
「あとはこいつで!」
放つのは貫通力のある光術系魔術スキル【アヴライド・レイ】だ。
槍を突き出した右手の先に光が集まる。今しがたゴーレムに突き刺さった光弾とは比べ物にならない魔力が、一点に集中していく。
危険を感じ取ったゴーレムも、束縛に対する抵抗を強めた。やがてゴーレムの口を覆っていた影にひびが入り、わずかな間をおいて口を動かすことに成功する。
「CAAAAAAAAaaaaaaa」
開かれた口から吐き出されたのはどす黒い霧。
1メル先すら見通せない無明の霧が、今まさにスキルを放とうとしていたシンの前に広がっていく。その勢いはすさまじく、瞬く間にシンの周囲を闇に閉ざしてしまった。
「目くらまし?」
慌てて魔術スキルを放つようなことはせず、発動したスキルを維持したまま、シンは様子を見る。ゲーム時代には煙幕のような攻撃をしてくる相手と戦ったこともある。
視界は閉ざされているが、目に見えずとも【策敵】を使用しているので、完全に敵の位置を見失うことはない。
周囲を満たす霧を放置してスキルを放ってしまってもいいのだが、瘴気に侵されたモンスターによる霧というのが気にかかる。
「ク、クゥ……」
「おい、どうした!? ちっ、やっぱり状態異常を引き起こすタイプか!」
苦しみ出した子狐のステータスには、はっきり【毒・Ⅶ】と表示されていた。どうやら視界を奪うと同時に相手を弱らせる効果も持っているようだ。
状態異常や状態異常によるダメージは、子狐に装備させたアイテムでは防げないので、しっかり効果を受けてしまっている。
「パワーアップしすぎだろ……」
子狐に神術系スキル【キュア】をかけ状態異常を回復させるが、数秒でまた毒状態へと戻ってしまう。この霧の中にいる間は、いくら回復しても意味がない。
霧から出ようにも、一体どれほどの範囲に広がっているのかわからない。ましてや動きに制限がかかったシンを、ゴーレムがむざむざ逃がすとは思えなかった。
シンにはこの程度では効果がないが、早々に決着をつけないと子狐が持たないだろう。
体力自体は【ヒール】で回復できるし、毒状態も【キュア】でどうにかできる。だが、毒を受ける度に回復を繰り返しておけば大丈夫と考えるのは、さすがにゲーム的発想すぎる。
そんなことを現実にすれば、いくら回復しようが最終的には死んでしまう可能性が高い。
「タイムリミットは長くない……な」
こうなった以上、多少の負荷には耐えてもらうしかないだろう。
「悪いな。ちょっときついが頑張ってくれ」
「ク、クゥ!」
「いい返事だ!」
子狐の力のこもった鳴き声に呼応するように、溜めていた【アヴライド・レイ】を放つシン。
マップ上でマーカーがある位置に向かって放たれた閃光は、進路上の霧を吹き散らし、目標に向かって突き進む。
しかし、ゴーレムはすでに【シャドウ・バインド】から離脱していた。自らに迫る閃光を身を捻るようにしてかわすと、霧の中へと姿をくらませる。
【アヴライド・レイ】の直撃した大地が爆散し、その衝撃で一瞬だけ霧が晴れるが、それもすぐに元に戻ってしまう。
シンはマップ上のマーカーを意識しつつも、少しずつその場から移動していく。ゴーレムにも遠距離攻撃がある以上、その場に留まり続ければただの的になりかねない。
ゴーレムを表すマーカーは、2体とも一直線にシンに向かってくる。どうやらゴーレムには霧による視界不良も問題ないらしい。
向かってくる2つのマーカーが重なる。
シンが訝しむ間もなく、霧を突き破って青ゴーレムがシンに牙をむいた。シンの上半身を丸呑みにできそうなほど大きく口を開き、その中に並んだ牙で血肉を求めて迫ってくる。
凶悪な噛み付きを身をそらしてかわしたシンは、続く爪の一撃を槍の柄で弾く。
しかし、それに続くはずの赤ゴーレムの姿がない。
次の瞬間、頭上に殺気――。
シンは槍を振った勢いそのままに体を空中に投げ出し、頭上に向かって無手系武芸スキル【木霊打ち】を放つ。
対空迎撃用の蹴り技は、シンの頭上から迫っていた赤ゴーレムの喉元に直撃し、その首を粉砕する。
頭部を失った胴体は受け身も取れずに地面に叩きつけられ、その自重で大地を大きく凹ませた。
蹴りつけた反動によって距離をとり、青ゴーレムのさらなる追撃から逃れるシン。
子狐に負担のかからない動きを意識しつつも、その瞳は地面に横たわる赤ゴーレムをしっかりと見すえていた。ゲーム時代なら、これで1体片付いたことになるのだが――。
そんな希望もあっさりと消えてしまう。首を失った胴体だけが起き上がり、何事もなかったかのように動き始めたからだ。
さすがに粉砕された首は元に戻っていないが、明らかにシンを認識した動きをとっている。
「まだ動くのかよ……」
そんな予感はしていたが、どうやら完全に粉々にしなければ倒せないらしい。
かなりの速度で動くマーカーを見ながら、シンは対策を考える。
相手はゴーレム。状態異常はもちろん効かない。
子狐のタイムリミットを考えれば、一撃粉砕がベストだろう。
問題は敵の速度だ。【シャドウ・バインド】より拘束力の強いスキルもあるが、霧の中では完全に捕捉するのが難しい。
加えてシンの周囲を覆う霧は、【暗視】スキルをもってしても見通せない。マップ頼りにスキルを使うこともできるが、確実性に欠けるうえ、そもそもこの世界での魔術スキルを完璧に掌握できているとは言いがたい。
「クゥ、クーウ!」
「どうした?」
霧の中から飛んでくる氷柱と炎弾を弾いていたシンの裾を、子狐が引っ張る。何か伝えたいことがあるようだ。
「クッ! クゥッ!」
子狐が顔を向けた先に、ぼんやりと光る何かがある。目を凝らして見れば、それが子狐の横たわっていた魔術陣だというのがわかった。
どうやらゴーレムの攻撃の余波で本殿が崩れ、外から見えるようになったようだ。
「あそこに行けばいいのか?」
「クゥ!」
毒と回復の連鎖でかろうじて命をつないでいる状態ながらも、しっかりとうなずく子狐。何があるのかはわからないが、このタイミングで教えるのだから、何かの役に立つのだろう。
子狐の意思を信じて、シンは魔術陣のある方へと移動する。仄かに光りを放っているのは、確かに子狐が横たわっていた魔術陣だった。近づいてみてわかったが、魔術陣の周りには霧が入りこんでいない。
「これは……入ればいいのか?」
うなずきを返す子狐を抱え直し、シンは魔術陣の中心に進む。
「……なるほど」
魔術陣の中に入ったシンは、子狐がここを示した理由を悟った。
理屈はわからないが、この陣の中からならば霧の中が問題なく見渡せたのだ。この状態ならば、運に任せてスキルを使用する必要はない。
ゴーレムもシンたちが魔術陣の内側に入ったのを察知したのか、高速で接近してくる。霧の闇に紛れて奇襲することができなくなったと理解しているのかもしれない。
だが、それももう遅い。魔術陣に入った瞬間、シンは理解していた。これは自分の力を高めてくれるものだということを。
「【アーク・バインド】!」
シンがスキル名を叫ぶのと同時に、シンたちに迫っていたゴーレムに、空中から光術系魔術スキルによって生み出された光の鎖が伸びる。
【シャドウ・バインド】よりも速度は劣るが、その強度は2倍以上。拘束系スキルの中でも1、2を争うほどの拘束力を持つ光の鎖が、かわそうと身をよじるゴーレムを捕らえ、地面に縫い付けていく。魔術陣の効果で操作性がはるかに向上した鎖を、ゴーレムは避けきれなかった。
ゲーム時とは違う、魔力操作という慣れない動作のせいで、本来の効果を発揮しきれていなかった魔術スキル。だがこの魔術陣にいる限り、その追尾性は今までの比ではない。
「手間をかけさせてくれたな」
2体のゴーレムが捕らえられた位置は、シンから見てちょうど直線状に並んでいた。
もはや子狐を抱いている必要も、動きを制限する必要もない。ただ一撃で粉砕するのみだ。
シンが槍を構えると同時に魔術陣がひときわ強く光り、その手に持つ槍が輝き始める。これで止めとでも言うように、槍に力が集まっているのがわかる。
「いいぜ。まとめて瘴気ごと吹き飛ばす!」
意思なき声に応じるように、シンは踏み出す。全力で駆けるシンの姿は、残像を残してその場からかき消えた。
次にシンが現れたのは、ゴーレムの目の前だ。
繰り出されるのは、今や聖槍と見紛うばかりの清らかな輝きを放つ槍の一撃。
槍術系武芸スキル【禍穿突き】。
禍事を穿つ――その名に恥じぬ光を放ちながら、【アーク・バインド】の上からゴーレムに突き刺さる。
まず標的となったのは赤ゴーレムだ。
瘴気によって強化されたその体を歯牙にもかけず、槍は突き進む。
外皮を砕き、内部を抉り、胴体から四肢の末端に至るまでを粉々に粉砕していく。
勢いは止まらず、その穂先はそのまま一直線に青いゴーレムへと向かう。
魔術による迎撃を試みたのだろう。耳障りな悲鳴がシンの鼓膜を震わせた。しかし、槍から放たれる光は空中に集まりかけた魔力すら吹き散らす。
ゴーレムに有利に働くはずの霧も、槍から放たれる光によって霧散していく。
赤ゴーレムを粉砕してもなお、まったく勢いの衰えぬ一撃は、残った青ゴーレムにも一切の抵抗を許さなかった。
†
「終わったか。これ、どうすっかな」
槍を手に周囲を見回しながら、シンはぽつりとつぶやいた。
瘴気によって姿を変えたゴーレムを倒したことで、周辺を覆っていた霧も完全に晴れ、今では周囲が見渡せるようになっている。
正直にいえばひどい、の一言だ。
スカルフェイスのドロップアイテムである剣や鎧が散乱し、神社の本殿は崩壊。魔術スキルによる余波のせいか鳥居は半分吹き飛び、地面は所々大きく抉れ、一部は表面がガラス状に変化しているところまである。
2メルはある氷柱が地面に立ち並び、その後ろには、氷柱の直撃を受け見事にへし折れた大木が転がっていた。
やむをえぬ事情があったとはいえ、まさに滅茶苦茶である。この光景を見て、ここが神社だと思う者はいないだろう。
だからと言って、シンに片づけをする気はないのだが。
「……瘴気はもうないし、スカルフェイスのことだけ報告しとくか」
どうやら今回の瘴気は、汚染源を断てば消滅するタイプだったようだ。
しかし、神社内の空気は森の中に近く、元の清浄な状態とは言えなかった。結界が消えたことで、そういった効果が消えてしまったのかもしれない。
局所的な瘴気発生イベントはゲーム時代もよくあり、瘴気に取りつかれたボスモンスターを倒すことでクリアとなっていた。よって、シンはもう問題ないと判断した。
少々強引にそう自己判断し、シンは残された問題に目を向け――。
「クー!!」
「おわっ! っとと、危ないことするなぁ、お前」
シンは子狐を優しく受け止めた。魔術陣の中からシンに向かってジャンプしていたのである。
顔を擦りつけてくる子狐を抱き、その様子を観察する。体調もすっかり良くなったようで、しきりに顔を舐めてくる子狐に、さっきまでのぐったりした様子は微塵も感じられない。
「もう大丈夫そうだな」
結局、今回の事態がどういう状況だったのか未だにわからないシンだが、子狐が無事だったのだから、頑張った甲斐があるというものだ。
自分の知らない、つまりはゲーム時代とは違った現象を自分の目で確認できたのも大きい。
元の世界に戻るための手掛かりとまではいかずとも、情報は何であれ知っていて損はない。何がヒントになるかなど今の状況ではわからないのだ。
「クー?」
考え事をしているシンが気になったのか、子狐が問いかけるような鳴き声を上げた。
「そう言えば、よくわからんのはお前もだったな」
脇に手を入れ、抱え上げながら子狐に話しかける。
ミリーに頼まれて助けたわけだが、この子狐も意外と謎が多い。
発見した当初から緊急事態で、まだ名前すら確認していなかった。HPゲージがあるのはプレイヤーかモンスターだけなので、この子狐もモンスターの一種だということはわかっているのだが。
「名前を見るのをすっかり忘れてたな。やっぱりリトルフォックスか?」
ペットとして人気のあるモンスターの名前を挙げながら、【分析】で子狐の情報を読み取る。
言葉の意味がわからないのか、子狐はシンに抱えられたまま首をかしげていた。エレメントテイルの領域内では小型の狐型モンスターをよく見かけるので、シンはそう予想したのだ。
「えーと、名前、なま…………え?」
シンの視線がモンスターネームの位置に釘づけとなる。そこに書かれていた名前は、シンの想像のはるか上を行っていた。
「エ、エレメントテイル………………マジでか……」
「クー!」
まるでその通り! と言わんばかりの反応をする子狐――もといエレメントテイル。
シンが硬直するのも無理はない。
エレメントテイルはプレイヤーの間で九尾の狐と呼ばれていたモンスターであり、レベル1000を誇る【THE NEW GATE】における最上級モンスターの一角なのだ。
その力はプレイヤーによって選ばれる【THE NEW GATE】最強モンスターランキングで常に上位にランクインしていたほどで、まさかそんなモンスターの名前が出てくるとは予想だにしていなかった。
表示に間違いがなければ、今シンのいる場所の支配者でもあるはずだ。
そもそもシンの知っているエレメントテイルといえば、人型か体長20メルほどの巨体かのどちらかである。子狐サイズのエレメントテイルなど聞いたことがない。
「どうしよう……マジでどうしよう……」
詳しく調べてみると、エレメントテイルのレベルは現在211。ボスモンスターとしては頼りないが、この世界の住人からすればすでに十分危険なレベルだった。
1匹でいたところを見ると、親はいないのかもしれない。
ついでに言うなら、いたらいたでシンの命が危ない。エレメントテイルは、カンストプレイヤーですら単独で挑むのは無謀と言える相手だ。【制限】を全解放したシンなら倒せるだろうが、少なくとも北の森は焦土と化すだろうし、余波だけで王国にも被害が出るだろう。
「なんでこんなにレベルが低いんだ? 子どものエレメントテイルなんて聞いたことないぞ……」
シンは強力なモンスターの情報は常に集めていたのだ。ことエレメントテイルに関してなら、自分が知らないことはない、といえるくらいの知識がある。
なにせ月の祠に来る客の半分以上はエレメントテイル関連のクエスト、通称「九尾クエスト」に挑むプレイヤーだったのだ。ある意味、店の売り上げに協力してもらっていたとも言える。
そんな理由もあり、エレメントテイルについては運営の身内かと疑われるほど詳しかった。
「まあゲームじゃないんだし、いきなり成体になるってのもおかしな話だが…………だめだ、わからん」
所詮シンの持っているのはゲームの知識。この世界では知らないことがあっても仕方ないと割り切ることにした。
だが、この後どうするのかという問題が残る。
「お前、これからどうするんだ?」
会話ができるとは思えないが、何となく言葉を理解しているような気がしたので、シンは声に出して問いかけてみた。
魔術陣はすでに光を失っている。役目を終えたような雰囲気であるこの場所に、エレメントテイルといえど子狐一匹を残していくというのは、何とも忍びなかった。
「クゥー……」
地面に下ろされたエレメントテイルは、本殿跡、そしてモンスターの残骸が散乱する境内をじっと見つめていたが、しばらくすると思いを振り切るかのように、くるりと体を反転させる。
そして、勢いよくジャンプするとシンによじ登り、頭の上にポテッとその身を預けた。
「なぜに頭の上?」
「ク~!」
「いやわからんから」
頭をペチペチ叩いてくるエレメントテイル。こいつなりにここから出ていく覚悟を決めたか、とシンは感じ、なんとなく思ったことを口にする。
「……一緒に来るか?」
「クゥー!」
それがシンには、「行く!」と言っているような気がした。
「そうか……ってこら暴れるな! 爪! 爪が痛えっての!」
何やらご機嫌な子狐の暴れっぷりに、視界がぐらぐらと揺さぶられる。
獲物を仕留める爪が全く隠されておらず、それがシンの顔をチクチク攻撃していて、歩きづらいことこの上なかった。
「ちょっと落ち着け!」
「クー?」
「何首かしげてんだ。絶対に言葉の意味わかってるだろ、お前!」
幼いといえども種族は最上級モンスター・エレメントテイル――賢くないわけがないのだ。もしかすると、子狐なりに寂しさを紛らわせようとしているのかもしれない。
(俺が元の世界に帰る前に、一人前になってくれるといいけどな)
放たれる肉球パンチ(爪つき)を両手で防ぎながら、シンは歩き始める。
頭上の子狐の相手をしつつも、シンは頭の中で、自分が今まで遭遇した出来事をリストアップしていた。
森の中で出くわした、特殊な装備を持つ異常なレベルのスカルフェイス。
突如出現したスカルフェイスの群れ。
支配領域内にもかかわらず瘴気に侵されたゴーレム。
そして、エレメントテイルの子ども。
自分の持っている知識ではわからないことが多く、答えが出ない。
だが、何かが起こっていることだけはわかる。
「とりあえずミリーに子狐のことを確認して、また情報収集だな。あと、シュニーが俺のこと、覚えてるといいが」
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