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15 竹原城。燃える
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一刻(約二時間)ほどで物見が戻ってきた。
「佐竹勢は、空の片倉砦を通り過ぎました。その数おおよそ八百。鉄砲も百を数えます」
片倉砦は竹原城の二里(約八キロ)ほど北にある小幡城の砦である。
小幡城が落城し砦兵は逃げ出したようだ。
佐竹は自落した砦に入らず武装したまま竹原城に向かって来る。
「門を閉じよ。全員、一の館に上がれ」
義国は家臣に鎧を着るよう命じたが、己は直垂のままだった。
佐竹が野盗のような振る舞いに出るはずがないと、ここに至っても捨てきれずにいたのだ。
義国は一の舘の庭に家臣を集め、配置を取り決めた。
「府中に知らせを走らせませぬのか!」
「戦になるかどうかも分からぬ。佐竹の動きを見てからでなければ、知らせは出せぬ」
大掾は佐竹に平伏したのだ。
こちらから先に手を出す訳にはいかない。
家臣らは不満の表情を浮かべたものの、異議を唱えず持ち場に散った。
義国は三の郭に陣取った。
大手道が見渡せる土手の端に床几を置き腰を落とした。
「来だぞ! 佐竹だ!」
櫓からの声に大手道を凝視した。
だが、誰も居ない。
確認しようとした時、兵士らが東を見ているのに気がついた。
黒い塊が二町(約二百二十メートル)先の森の中から現れ、わらわらと湿地に広がっていた。
塊は三つに分かれると隊伍を組んだ。
背旗は紺地に五本骨扇の丸。
佐竹の本隊だ。
遅れて崩れって赤土むき出しになった小丘の上に、金の三盛り扇の大旗がそそり立つ。
佐竹義重だ。
「使者を送れ」
義国は家臣に命じ佐竹義重に使者をたてた。
籠城か、開城か、義重の答え次第だ。
使者は馬を駆り大手門をでると、一度北に向かい、道を外れて湿地に降りた。
足元は以外に固いようで、ゆっくりではあるが真っ直ぐに進んでいた。
使者は湿地の真ん中を流れる小川の前で、鐙を外し太刀を抜いて頭上で振り回した。
戦場での使者を報せる合図だ。
ド、ドドン。 ──
銃声が響き渡った。
使者は馬ごと吹き飛ばされ動かなくなった。
「も、門の兵を退かせよ。二の郭の兵もここに呼べ」
膝が震えていた。
佐竹義重は使者を撃ち殺した。
血気に逸った足軽の軽挙ではない。
複数での射殺である。
武家の流儀に反し名を落とす行為を平気でやってのけたのだ。
佐竹義重の明確な意志だ。
大掾を生かすつもりは無いのだ。
「二の郭、三の郭に火をつけろ!」
家臣らは一様に驚いたが、響き渡る佐竹軍の鯨波に、後がない状況になったことを悟った。
(誰かが、府中に報せてくれるかも知れぬ)
義国は一の郭に続く坂道で、濛々と煙をあげる建屋を見た。
知らせを怠ったことが悔やまれてならなかった。
一の郭に入ると義国は甲冑を着こんだ。
妻や娘、嫡男が不安げに控えている。
「一の館だけでもやすやすとは落ちぬ。二日もあれば御屋形様が駆けつけて来るわ」
無理に笑顔をつくり妻子を励ました。
「わたくしも甲冑を着けとうございます」
嫡男はまだ十三歳の元服前、役に立つとは思えないが家臣らの士気は高まるだろうと、西側を任せた。
大手門や二の郭、三の郭がある東側と違い、西側は高さ九間(約十六メートル)もある赤土剥き出しの斜面だ。
下は深い沼となっており、ここをよじ登ってく敵はいないと思ったからだ。
「城に火をかけたか。さすがは竹原四郎左衛門。窮地に迷いが無いのぉ」
高台に押し立てた紺地金三つ盛佐竹扇の大陣旗が風に吹かれてバタバタと鳴った。
「使者を射殺したための所業かと」
東義久が床几を差し出し咎めるように言った。
義久は佐竹の一族で、本家と区別するため東と名乗らせている重臣で、大掾を滅ぼし府中を任せることになっていた。
「山城。ワシら親子だけが畜生に落すつもりか」
佐竹常陸介義重は床几に腰掛けると、炎上する竹原城を睨み己の肩を何度も叩いた。
「なおのこと、入城してから事を起こせば宜しかったのでは」
黒毛虫の前立てが大きく揺れた。
義重が声を押し殺し笑ったのだ。
「そうか。鬼さえ尻込みする畜生に、なる気になったか」
「わたしだけではありませぬ。家臣みな、畜生に落ちる覚悟です」
義重は改めて義久を見入った。
揶揄ではないようだ。
思慮深い義久が、この騙し討ちを是としている。
いや、義久だからこそ、やらねばならないと思ったのかもしれない。
「なら、教えよう。竹原の者どもを天辺の館に押し込めるためだ。下で騒ぎを起こせば逃げられる」
義久の目が大きく見開かれた。何かを言いかけたが、短い返事のあと押し黙った。
(無理もない)
江戸重道が逃げるのを見逃したのは、畜生に成り切れない己がいたからだ。
頭では分かっていたが、非情に徹することができなかった。
(だが、やらねばならぬ。あの夜、誓ったのだ。秀吉が恐れるような畜生になると)
ひと月前なる。大阪に金を届けに行った田中庄左衛門が帰ってきた。
庄左衛門は登城し義重に面会を申し出た。政庁への報告を後回しにした異例のことだ。
義重は己の書斎で合うことにした。
政庁の官士らに聞かせられない至急の事体。
つまり、倅義宣の金の使い道だろう。
不足か、不正か、いずれにしても良い事ではないと思ったからだ。
差し出された手紙を読み、義重は愕然とした。
「意也」義宣花押 ── たった二文字。
挨拶もなければ工面してやった金の礼もない。
「なんだ、これわっ」
「それがしの口から説明するようにとの、御命令です」
待ち構えたように顔を上げた庄左衛門が言った。
「意也」とは庄左衛門の話しは、義宣の意中だという事だろう。
「こ、この、ワシにそれをやれと」
話しを聞き終えた義重は、怒りを通り越し情けなくなった。
虫のように縮こまる庄左衛門をさがらせ、文机に向かい目を瞑った。
(今更、反故などできるか!)
臣従を願い出た国人衆に対し、義宣の許可を得てこれを許している。
大掾や鹿島など佐竹に敵対した国衆の領地を没収することもできたがやらなかった。
領地没収となれば兵をあげ抗うことは目に見えていたし、大掾に謀を騒ぎ立てられるわけにはいかなかった。
家臣を入れる事を条件に承諾したのは、家臣に監視をさせるためだ。
不穏な動きをすれば粛清する。
例え兵を動かしても家中のことである、総無事令(私闘禁止)は破ってはいない。
時を必要とするが穏便なやり方だった。
だが、義宣は約定を反故にして常陸平定を急げと言ってきた。
文字として残すことを嫌い家臣に言わせているのだから、約定反故を軽く見ている訳ではない。
秀吉、三成の指嗾なのだろうが、狙いがわからない。
「金山‥‥ 佐竹潰し!」
思わず声が出た。
義宣は秀吉気に入られようと、上方の大名に負けぬ豪奢な屋敷を造り、茶や連歌など高名な師につき惜しみもなく金銀を使っている。
国主に相応しい振舞いがある以上仕方がない事だと金を送っていたが、それに目をつけられたのかもしれない。
(最初からおかしかった)
秀吉は常陸一国安堵をあとから土浦と牛久を除外した。
減らした分は下野の地で補ってくれたが、なんとも歯がゆい恩賞であった。
そのわざわざ変更した土浦を与えたのが、家康が証人として差し出した次男で、秀吉の養子となっている秀康だったのだ。
義宣が唱える「徳川家康の押さえとして佐竹を選んだ」に、疑問を持ったのはその時だ。
秀吉は北条征伐の後、秀康を下総の結城晴朝に縁つかさせ結城家を継がせた。
秀吉の養子であったとはいえ家康の子である。
太田と江戸の間に、敵とも味方ともつかない者の領地があっては、押さえなど出来るとは思えなかったのだ。
早々に悪い芽は摘み取れと三成は言ったそうだが、土浦に結城秀康、牛久に由良国繁。他国生まれの大名がいるのだ。
政のやり方によっては、国人衆から不満がでるのは必定だ。
不満は一揆になり挙兵になる。すなわち統治の失敗だ。
佐々なる大名は肥後統治で失敗し腹を切ったという。
今、肥後を治めているのは加藤主計頭と小西摂津守、秀吉股肱の家臣だ。
二人に比べ佐々なる大名が劣っていたとは思えない。
平定を急がされ止む負えず強硬策にでたのだろう。
国人衆は反発し爆発した。佐々は処分され肥後は股肱の家臣に与えられた。
(我が佐竹も同じか‥‥)
言葉さえ違う他国生まれの大名が統治を成功裏に進めるには、意に沿わない国人衆を排除することだ。
しかし、何百年とその地に君臨していた国人を取り除くのは容易な事ではない。
国人衆の繋がりは複雑で、思わぬ方向から横槍が入る可能性があるのだ。
だが、旧領主に逆らった過去があれば別だ。武力で攻め滅ぼしてしまえばいい。
さぞや加藤、小西の統治は楽だったことだろう。
そうなるように秀吉が仕向けたのだ。
「舐められてたまるか!」
義重は怒声を上げると、文机に向かい紙を広げ、ひと摺り、ひと摺り、丁寧に墨を磨った。
硯の発する音は、名門の誇りや矜持を磨り潰す音だ。鬼から畜生に落ちる音。
義重は一気に筆を走らせた。迷いなど無い。
書き終えると近習を呼び、一族の重臣の名を告げ呼びよせるように言った。
臣下した国人衆に計るつもりはない。
佐竹の名を貶めるなら、佐竹の名を持つ一族であたらなければならないと思ったからだ。
夕刻、一族の重臣、北左衛門、南三郎兵衛、東山城守が駆けつけてきて、軍議となった。
「これから話すことに否応はない。やらねば佐竹は潰される」
義重は凄まじき謀略を打ち明けた。
当初は血相を変えた重臣らも、聞けば聞くほど義重の策が恐ろしいほど完全なもので、秀吉の圧力もあり渋々ながらも賛同した。
まずは、水戸の江戸と府中の大掾。
石田三成が佐竹を利用する切っ掛けとなった両家を佐竹一族だけで攻め滅ぼさねばならない。
知行安堵を与えた江戸通重は、佐竹進軍に警戒すらしなかった。
大掾家訪問のため水戸城附近を通ると使いを出した時、同行を願ったほどだ。
佐竹軍が城を取り巻いても道重は戦仕度さえしていなかった。
家臣を置き去りに城を捨て逃げ出したのだ。
あとは投降した江戸の家臣らを捕らえ、無傷で水戸城を手に入れた。
しかし、骨のある武者はどこにでもいる。支城の小幡城は逃げ出した兵の知らせを受け、南下する佐竹軍に敢然と立ち向かってきたが、少兵では相手にもならず半日で城を焼き尽くした。
当然、竹原四郎左衛門の耳にも届いていると思ったが、竹原城も無防備であった。
やはり佐竹が汚い真似をするとは思わなかったのだろう。
城の中段の建屋に火をつけるのが、精々の抵抗なのだ。
皆殺しを目論む敵に、まんまと城の頂上の建屋に籠ってしまった。
憐れであるが、畜生になると決めたのだ。やるしかない。
「山城。薗部らに使いを出したか」
義重は傍らに控える義久に言った。竹原城の黒煙に小川城で待つ国人衆も気付くころだろう。
「大掾謀反。急ぎ城に戻りて、兵を率いて参陣せよ。と伝えましたが」
薗部正孝の小川城には、玉造、手賀、大高ら近隣の国人が府中に同道しよう待っている。
この計画を思い立ったとき、怒りにまかせ書き記した手紙は、薗部に近隣の国人衆と共に府中に同道するよう命じたものだった。
小川城に近い竹原城で合流することにすれば、大掾の家老の竹原を府中から切り離せる。
それに、国人衆の目がある以上、佐竹が騙し討ちなどのおかしな振舞いにでないだろうと、竹原四郎左衛門に警戒させないためだ。
「うむ。薗部は近い。駆けつけてこられてもまずい。アレを使ってみよ」
「はっ」
義久が立ち去ると、義重は竹原城の大手門に目をやった。
中々大きな城だが、本来は佐竹兵が取り囲んでいる湿地は本来は水堀だろう。
山林から流れ出した土を掻き揚げ水を満たしておけば、佐竹の接近を防げたはずだ。
それに右手の高台は、城と地続きだったものを切り離し水堀を設けて防御としたのだろうが、高台に矢倉はなく朽ち果てた柵が見えるだけだ。
騙し討ちとはいえ、ここまで無防備な城を見たことがない。
(これなら、秀吉の耳に入る前にけりがつく)
法螺の音の中、背旗を靡かせた兵士らが城めがけ駆け降りていく。
義重は采を握る手に力を込めた。
「佐竹勢は、空の片倉砦を通り過ぎました。その数おおよそ八百。鉄砲も百を数えます」
片倉砦は竹原城の二里(約八キロ)ほど北にある小幡城の砦である。
小幡城が落城し砦兵は逃げ出したようだ。
佐竹は自落した砦に入らず武装したまま竹原城に向かって来る。
「門を閉じよ。全員、一の館に上がれ」
義国は家臣に鎧を着るよう命じたが、己は直垂のままだった。
佐竹が野盗のような振る舞いに出るはずがないと、ここに至っても捨てきれずにいたのだ。
義国は一の舘の庭に家臣を集め、配置を取り決めた。
「府中に知らせを走らせませぬのか!」
「戦になるかどうかも分からぬ。佐竹の動きを見てからでなければ、知らせは出せぬ」
大掾は佐竹に平伏したのだ。
こちらから先に手を出す訳にはいかない。
家臣らは不満の表情を浮かべたものの、異議を唱えず持ち場に散った。
義国は三の郭に陣取った。
大手道が見渡せる土手の端に床几を置き腰を落とした。
「来だぞ! 佐竹だ!」
櫓からの声に大手道を凝視した。
だが、誰も居ない。
確認しようとした時、兵士らが東を見ているのに気がついた。
黒い塊が二町(約二百二十メートル)先の森の中から現れ、わらわらと湿地に広がっていた。
塊は三つに分かれると隊伍を組んだ。
背旗は紺地に五本骨扇の丸。
佐竹の本隊だ。
遅れて崩れって赤土むき出しになった小丘の上に、金の三盛り扇の大旗がそそり立つ。
佐竹義重だ。
「使者を送れ」
義国は家臣に命じ佐竹義重に使者をたてた。
籠城か、開城か、義重の答え次第だ。
使者は馬を駆り大手門をでると、一度北に向かい、道を外れて湿地に降りた。
足元は以外に固いようで、ゆっくりではあるが真っ直ぐに進んでいた。
使者は湿地の真ん中を流れる小川の前で、鐙を外し太刀を抜いて頭上で振り回した。
戦場での使者を報せる合図だ。
ド、ドドン。 ──
銃声が響き渡った。
使者は馬ごと吹き飛ばされ動かなくなった。
「も、門の兵を退かせよ。二の郭の兵もここに呼べ」
膝が震えていた。
佐竹義重は使者を撃ち殺した。
血気に逸った足軽の軽挙ではない。
複数での射殺である。
武家の流儀に反し名を落とす行為を平気でやってのけたのだ。
佐竹義重の明確な意志だ。
大掾を生かすつもりは無いのだ。
「二の郭、三の郭に火をつけろ!」
家臣らは一様に驚いたが、響き渡る佐竹軍の鯨波に、後がない状況になったことを悟った。
(誰かが、府中に報せてくれるかも知れぬ)
義国は一の郭に続く坂道で、濛々と煙をあげる建屋を見た。
知らせを怠ったことが悔やまれてならなかった。
一の郭に入ると義国は甲冑を着こんだ。
妻や娘、嫡男が不安げに控えている。
「一の館だけでもやすやすとは落ちぬ。二日もあれば御屋形様が駆けつけて来るわ」
無理に笑顔をつくり妻子を励ました。
「わたくしも甲冑を着けとうございます」
嫡男はまだ十三歳の元服前、役に立つとは思えないが家臣らの士気は高まるだろうと、西側を任せた。
大手門や二の郭、三の郭がある東側と違い、西側は高さ九間(約十六メートル)もある赤土剥き出しの斜面だ。
下は深い沼となっており、ここをよじ登ってく敵はいないと思ったからだ。
「城に火をかけたか。さすがは竹原四郎左衛門。窮地に迷いが無いのぉ」
高台に押し立てた紺地金三つ盛佐竹扇の大陣旗が風に吹かれてバタバタと鳴った。
「使者を射殺したための所業かと」
東義久が床几を差し出し咎めるように言った。
義久は佐竹の一族で、本家と区別するため東と名乗らせている重臣で、大掾を滅ぼし府中を任せることになっていた。
「山城。ワシら親子だけが畜生に落すつもりか」
佐竹常陸介義重は床几に腰掛けると、炎上する竹原城を睨み己の肩を何度も叩いた。
「なおのこと、入城してから事を起こせば宜しかったのでは」
黒毛虫の前立てが大きく揺れた。
義重が声を押し殺し笑ったのだ。
「そうか。鬼さえ尻込みする畜生に、なる気になったか」
「わたしだけではありませぬ。家臣みな、畜生に落ちる覚悟です」
義重は改めて義久を見入った。
揶揄ではないようだ。
思慮深い義久が、この騙し討ちを是としている。
いや、義久だからこそ、やらねばならないと思ったのかもしれない。
「なら、教えよう。竹原の者どもを天辺の館に押し込めるためだ。下で騒ぎを起こせば逃げられる」
義久の目が大きく見開かれた。何かを言いかけたが、短い返事のあと押し黙った。
(無理もない)
江戸重道が逃げるのを見逃したのは、畜生に成り切れない己がいたからだ。
頭では分かっていたが、非情に徹することができなかった。
(だが、やらねばならぬ。あの夜、誓ったのだ。秀吉が恐れるような畜生になると)
ひと月前なる。大阪に金を届けに行った田中庄左衛門が帰ってきた。
庄左衛門は登城し義重に面会を申し出た。政庁への報告を後回しにした異例のことだ。
義重は己の書斎で合うことにした。
政庁の官士らに聞かせられない至急の事体。
つまり、倅義宣の金の使い道だろう。
不足か、不正か、いずれにしても良い事ではないと思ったからだ。
差し出された手紙を読み、義重は愕然とした。
「意也」義宣花押 ── たった二文字。
挨拶もなければ工面してやった金の礼もない。
「なんだ、これわっ」
「それがしの口から説明するようにとの、御命令です」
待ち構えたように顔を上げた庄左衛門が言った。
「意也」とは庄左衛門の話しは、義宣の意中だという事だろう。
「こ、この、ワシにそれをやれと」
話しを聞き終えた義重は、怒りを通り越し情けなくなった。
虫のように縮こまる庄左衛門をさがらせ、文机に向かい目を瞑った。
(今更、反故などできるか!)
臣従を願い出た国人衆に対し、義宣の許可を得てこれを許している。
大掾や鹿島など佐竹に敵対した国衆の領地を没収することもできたがやらなかった。
領地没収となれば兵をあげ抗うことは目に見えていたし、大掾に謀を騒ぎ立てられるわけにはいかなかった。
家臣を入れる事を条件に承諾したのは、家臣に監視をさせるためだ。
不穏な動きをすれば粛清する。
例え兵を動かしても家中のことである、総無事令(私闘禁止)は破ってはいない。
時を必要とするが穏便なやり方だった。
だが、義宣は約定を反故にして常陸平定を急げと言ってきた。
文字として残すことを嫌い家臣に言わせているのだから、約定反故を軽く見ている訳ではない。
秀吉、三成の指嗾なのだろうが、狙いがわからない。
「金山‥‥ 佐竹潰し!」
思わず声が出た。
義宣は秀吉気に入られようと、上方の大名に負けぬ豪奢な屋敷を造り、茶や連歌など高名な師につき惜しみもなく金銀を使っている。
国主に相応しい振舞いがある以上仕方がない事だと金を送っていたが、それに目をつけられたのかもしれない。
(最初からおかしかった)
秀吉は常陸一国安堵をあとから土浦と牛久を除外した。
減らした分は下野の地で補ってくれたが、なんとも歯がゆい恩賞であった。
そのわざわざ変更した土浦を与えたのが、家康が証人として差し出した次男で、秀吉の養子となっている秀康だったのだ。
義宣が唱える「徳川家康の押さえとして佐竹を選んだ」に、疑問を持ったのはその時だ。
秀吉は北条征伐の後、秀康を下総の結城晴朝に縁つかさせ結城家を継がせた。
秀吉の養子であったとはいえ家康の子である。
太田と江戸の間に、敵とも味方ともつかない者の領地があっては、押さえなど出来るとは思えなかったのだ。
早々に悪い芽は摘み取れと三成は言ったそうだが、土浦に結城秀康、牛久に由良国繁。他国生まれの大名がいるのだ。
政のやり方によっては、国人衆から不満がでるのは必定だ。
不満は一揆になり挙兵になる。すなわち統治の失敗だ。
佐々なる大名は肥後統治で失敗し腹を切ったという。
今、肥後を治めているのは加藤主計頭と小西摂津守、秀吉股肱の家臣だ。
二人に比べ佐々なる大名が劣っていたとは思えない。
平定を急がされ止む負えず強硬策にでたのだろう。
国人衆は反発し爆発した。佐々は処分され肥後は股肱の家臣に与えられた。
(我が佐竹も同じか‥‥)
言葉さえ違う他国生まれの大名が統治を成功裏に進めるには、意に沿わない国人衆を排除することだ。
しかし、何百年とその地に君臨していた国人を取り除くのは容易な事ではない。
国人衆の繋がりは複雑で、思わぬ方向から横槍が入る可能性があるのだ。
だが、旧領主に逆らった過去があれば別だ。武力で攻め滅ぼしてしまえばいい。
さぞや加藤、小西の統治は楽だったことだろう。
そうなるように秀吉が仕向けたのだ。
「舐められてたまるか!」
義重は怒声を上げると、文机に向かい紙を広げ、ひと摺り、ひと摺り、丁寧に墨を磨った。
硯の発する音は、名門の誇りや矜持を磨り潰す音だ。鬼から畜生に落ちる音。
義重は一気に筆を走らせた。迷いなど無い。
書き終えると近習を呼び、一族の重臣の名を告げ呼びよせるように言った。
臣下した国人衆に計るつもりはない。
佐竹の名を貶めるなら、佐竹の名を持つ一族であたらなければならないと思ったからだ。
夕刻、一族の重臣、北左衛門、南三郎兵衛、東山城守が駆けつけてきて、軍議となった。
「これから話すことに否応はない。やらねば佐竹は潰される」
義重は凄まじき謀略を打ち明けた。
当初は血相を変えた重臣らも、聞けば聞くほど義重の策が恐ろしいほど完全なもので、秀吉の圧力もあり渋々ながらも賛同した。
まずは、水戸の江戸と府中の大掾。
石田三成が佐竹を利用する切っ掛けとなった両家を佐竹一族だけで攻め滅ぼさねばならない。
知行安堵を与えた江戸通重は、佐竹進軍に警戒すらしなかった。
大掾家訪問のため水戸城附近を通ると使いを出した時、同行を願ったほどだ。
佐竹軍が城を取り巻いても道重は戦仕度さえしていなかった。
家臣を置き去りに城を捨て逃げ出したのだ。
あとは投降した江戸の家臣らを捕らえ、無傷で水戸城を手に入れた。
しかし、骨のある武者はどこにでもいる。支城の小幡城は逃げ出した兵の知らせを受け、南下する佐竹軍に敢然と立ち向かってきたが、少兵では相手にもならず半日で城を焼き尽くした。
当然、竹原四郎左衛門の耳にも届いていると思ったが、竹原城も無防備であった。
やはり佐竹が汚い真似をするとは思わなかったのだろう。
城の中段の建屋に火をつけるのが、精々の抵抗なのだ。
皆殺しを目論む敵に、まんまと城の頂上の建屋に籠ってしまった。
憐れであるが、畜生になると決めたのだ。やるしかない。
「山城。薗部らに使いを出したか」
義重は傍らに控える義久に言った。竹原城の黒煙に小川城で待つ国人衆も気付くころだろう。
「大掾謀反。急ぎ城に戻りて、兵を率いて参陣せよ。と伝えましたが」
薗部正孝の小川城には、玉造、手賀、大高ら近隣の国人が府中に同道しよう待っている。
この計画を思い立ったとき、怒りにまかせ書き記した手紙は、薗部に近隣の国人衆と共に府中に同道するよう命じたものだった。
小川城に近い竹原城で合流することにすれば、大掾の家老の竹原を府中から切り離せる。
それに、国人衆の目がある以上、佐竹が騙し討ちなどのおかしな振舞いにでないだろうと、竹原四郎左衛門に警戒させないためだ。
「うむ。薗部は近い。駆けつけてこられてもまずい。アレを使ってみよ」
「はっ」
義久が立ち去ると、義重は竹原城の大手門に目をやった。
中々大きな城だが、本来は佐竹兵が取り囲んでいる湿地は本来は水堀だろう。
山林から流れ出した土を掻き揚げ水を満たしておけば、佐竹の接近を防げたはずだ。
それに右手の高台は、城と地続きだったものを切り離し水堀を設けて防御としたのだろうが、高台に矢倉はなく朽ち果てた柵が見えるだけだ。
騙し討ちとはいえ、ここまで無防備な城を見たことがない。
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bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
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