姉の婚約者と結婚する事になりまして

空谷玲奈

文字の大きさ
7 / 10

6.月明かりの勇者

しおりを挟む
 その少女は、まだ『少女』と呼ぶに相応しいあどけなさで、少女らしからぬ聡明さのままに微笑んだ。

 ――大丈夫ですわ、イヴ皇子。

 天使の祝福を夢想する、清く神聖な笑顔。真っ直ぐに前を見据える視線の頼もしさに甘えられないのは、冷たくなった指先が細かに震えていると知っているから。
 恐ろしくないはずないのだ。針の筵に立ち、笑い続ける痛みは、皇太子として生きてきたイヴにもよく覚えがある。あまりにも気安い殺意は、呼吸さえ許されていない気がするのだ。バクンバクンと音を立てる鼓動が周りに聞こえているのではないか、そのくらいに、自分の心臓の音が耳に障る。

「……どうして、アイレッタ様ではないの」

 小さな声で呟かれた、大きな不満。きっとここにいる多くの卒業生、そして在校生が同じ想いなのだろう。ベアトリーチェの姉であり、自分の元婚約者は、本当に多くの生徒に慕われていた。多くの人が『夢』を見る、妃であった。

「ビーチェ、そろそろ」
「はい、お兄様」

 挨拶を終えたタイミングで、レトランテがベアトリーチェを下がらせる。儚げな面差しの二人が並び立つと、まるで絵画を眺めている様な気分だ。その証拠に、不満の声が一瞬止んで誰もが二人に見惚れていた。レトランテは、そこまで計算して登場したのだろうか──やってのける男であると、イヴはよく知っている。
 スッと息を吸って、静かになった観衆へと声を吐く。レトランテの様な柔らかに溶かす優しさではなく、押さえ付け、言葉を許さない厳かさで。

「この佳き日に皆へと我が未来の伴侶を紹介出来た事、喜ばしく思う。在校生。多くを学び、経験し、学生と言う限られた時間を存分に謳歌せよ。そして卒業生。学び舎を巣立ち、庇護ではなく加護を、我が国を支える柱としての働きを期待している」

 今ここに居る者のほとんどは、国の為に働く未来が定められている。貴族として、騎士として、民を導く側となる者であり、その全てを統べるは皇帝となるイヴ。その妃となるベアトリーチェも、全ての者が傅くべき存在となる。
 アイレッタに傅きたかったと、夢見る希望が透けている。決定を覆せない事は理解していても、何も考えずに頷ける程大人ではないのだろう。だからこそ、アイレッタに“夢を見た”。

「とはいえ、祝いの席だ、大いに楽しむといい。──おめでとう、卒業生諸君」

 口角を少し上げただけの笑みは、果たしてどういう風に映っただろう。好意的か懐疑的か、どちらの目であっても、イヴの美しさが曇る事はないけれど。言葉を失う者達を背に、会場を後にした。
 
 人気のない廊下を少し歩いた所に、赤い目の少年がいた。美しい金髪が窓から差し込む月明かりによって更にその輝きを強めている。その姿はまるで、魔王に立ち向かう勇者の様。だとしたら、自分は魔王、若しくは悪辣な皇太子といったところか。
 
「わざわざこんな所まで来るとは……君のご主人はいないが?」
「アイレッタ様はご両親とお話をされている……よく、ご存じのはずだ」
「あぁ、勿論」

 何の躊躇もなく頷いたイヴに、アヴィの視線は一層鋭く磨かれる。本当なら思い付く限りの罵詈雑言を吐きたいだろうに、一応相手が皇太子であると理解はしているらしい。それでも敵意を隠し切れないのは彼の若さのせいか、それとも、それ程にアイレッタが大切か。

「どうして、貴方は、アイレッタ様を選ばなかったのですか」
「……質問の意図が分かりかねるな」
「しらばっくれないでください」
「そんなつもりは無いさ。事実、分からない。何故君がそんな事を言うのか」

 歯ぎしりの音が聞こえそうなくらい、唇がきつく結ばれる。苛立ちを抑えきれない様子のアヴィとは正反対に、イヴは平静そのもので。大人と子供という言葉が、あまりにしっくりくる余裕の差。

「何故アイレッタが選ばなかったのか、君が一番理解していると思っていたのだが」
「分かる訳ないだろッ‼」
 
 微かに残っていた理性すら捨てて、今にも噛み付かんとするその激情は一体どこから来るのか。ただの主従か、それとも恋か。救われたという恩が、アヴィの中でどんな変化を遂げたのかは、イヴには見当もつかない。
 ただ彼が、心の底からアイレッタに救われたのだと、彼女を聖女の様に崇拝している事だけは、理解出来た。

「……君にとってアイレッタが素晴らしい主である事は分かった。しかし、皇后に必要な素養はそれとはまた別だ。その点についてはアイレッタよりもベアトリーチェの方が優れている、そう判断しただけだ」
「アイレッタ様こそ、皇后になるべきお方だ。皆そう言っている。ベアトリーチェ様よりもずっと」
「──勘違いするな」

 アヴィの言葉を両断する一太刀が振るわれる。怒鳴るのではない、わざと声色を落とす訳でもない、ただ低く、美しい声が響いただけで、アヴィの喉は締め付けられた様に音を出せなくなった。
 アヴィにとっての主はアイレッタだけだと、どんなに心で決めていても。人間の心なんて、神の視線一つで簡単に押さえつけられるのだと、思い知る。

「俺の妃に、アイレッタは相応しくない──そう、『俺』が判断した」

 他でもない皇太子が、アイレッタの婚約者が、彼女に不合格の烙印を押して捨てたのだと。国の為なんて大義名分を掲げても、非道の謗りを免れない行いだろう。それでもイヴは躊躇わないし、いつだって天秤の傾く先は国である。
 言葉を失い、気圧されも尚、こちらを睨み付ける金髪の勇者。大切な主を蔑ろにされ、怒りを覚えるのは素晴らしき忠誠心だ。純粋で素直で、だからこそ幼く視野が狭い。

「君も彼女と共に行くのだろう。俺の所に来るより、やるべき事が山積みのはずだが」
「ッ……」
「君達の健闘を期待している」
 
 黙って俯いてしまったアヴィの横を通り過ぎても、何も言っては来なかった。握り絞められた拳が不満を語っていたけれど、イヴに言える事はもう何もない。
 
 自分は婚約者の妹に心変わりした卑しき皇太子、ベアトリーチェは、姉の婚約者を奪った悪女。アイレッタは、そんな二人の可哀想な被害者。アヴィにとって、そして多くの生徒にとっての認識はそんな所だろう。略奪愛か禁断の恋か、何処かの物語にでもありそうな話だが。
 事実は、そんなロマンスの話ではない。そもそも、恋や愛ですらない。
 アイレッタでは皇后は務まらず、ベアトリーチェにはその素質があった。
 アイレッタでは駄目だったからベアトリーチェになった、それだけの話。

(彼は、気付くのだろうか)

 会場にいた生徒達は、遅かれ早かれ気付くだろう。アイレッタでは駄目だった理由と、ベアトリーチェが選ばれた理由、この婚約、結婚の意味に。それでもアイレッタを選ぶ様なら喜んで彼女の下に送ってやるが、アイレッタ自身が今のままでいる保証はない。夢から覚めるのは、見せている方だって同じなのだから。
 その時、彼は……アヴィは、どうなるのだろう。気付くのか、気付かないのか、気付いた上で傍に居る事を望むのか、離れたいと思うか。

(……救えなくて、ごめん)

 離れられないと知った時、彼は、どうするのだろうか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢として断罪された聖女様は復讐する

青の雀
恋愛
公爵令嬢のマリアベルーナは、厳しい母の躾により、完ぺきな淑女として生まれ育つ。 両親は政略結婚で、父は母以外の女性を囲っていた。 母の死後1年も経たないうちに、その愛人を公爵家に入れ、同い年のリリアーヌが異母妹となった。 リリアーヌは、自分こそが公爵家の一人娘だと言わんばかりにわが物顔で振る舞いマリアベルーナに迷惑をかける。 マリアベルーナには、5歳の頃より婚約者がいて、第1王子のレオンハルト殿下も、次第にリリアーヌに魅了されてしまい、ついには婚約破棄されてしまう。 すべてを失ったマリアベルーナは悲しみのあまり、修道院へ自ら行く。 修道院で聖女様に覚醒して…… 大慌てになるレオンハルトと公爵家の人々は、なんとかマリアベルーナに戻ってきてもらおうとあの手この手を画策するが マリアベルーナを巡って、各国で戦争が起こるかもしれない 完ぺきな淑女の上に、完ぺきなボディライン、完ぺきなお妃教育を持った聖女様は、自由に羽ばたいていく 今回も短編です 誰と結ばれるかは、ご想像にお任せします♡

義母と義妹に虐げられていましたが、陰からじっくり復讐させていただきます〜おしとやか令嬢の裏の顔〜

有賀冬馬
ファンタジー
貴族の令嬢リディアは、父の再婚によりやってきた継母と義妹から、日々いじめと侮蔑を受けていた。 「あら、またそのみすぼらしいドレス? まるで使用人ね」 本当の母は早くに亡くなり、父も病死。残されたのは、冷たい屋敷と陰湿な支配。 けれど、リディアは泣き寝入りする女じゃなかった――。 おしとやかで無力な令嬢を演じながら、彼女はじわじわと仕返しを始める。 貴族社会の裏の裏。人の噂。人間関係。 「ふふ、気づいた時には遅いのよ」 優しげな仮面の下に、冷たい微笑みを宿すリディアの復讐劇が今、始まる。 ざまぁ×恋愛×ファンタジーの三拍子で贈る、スカッと復讐劇! 勧善懲悪が好きな方、読後感すっきりしたい方にオススメです!

悪意には悪意で

12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。 私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。 ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

婚約破棄したので、元の自分に戻ります

しあ
恋愛
この国の王子の誕生日パーティで、私の婚約者であるショーン=ブリガルドは見知らぬ女の子をパートナーにしていた。 そして、ショーンはこう言った。 「可愛げのないお前が悪いんだから!お前みたいな地味で不細工なやつと結婚なんて悪夢だ!今すぐ婚約を破棄してくれ!」 王子の誕生日パーティで何してるんだ…。と呆れるけど、こんな大勢の前で婚約破棄を要求してくれてありがとうございます。 今すぐ婚約破棄して本来の自分の姿に戻ります!

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

あの日々に戻りたくない!自称聖女の義妹に夫と娘を奪われた妃は、死に戻り聖女の力で復讐を果たす

青の雀
恋愛
公爵令嬢スカーレット・ロッテンマイヤーには、前世の記憶がある。 幼いときに政略で結ばれたジェミニ王国の第1王子ロベルトと20歳の時に結婚した。 スカーレットには、7歳年下の義妹リリアーヌがいるが、なぜかリリアーヌは、ロッテンマイヤー家に来た時から聖女様を名乗っている。 ロッテンマイヤーは、代々異能を輩出している家柄で、元は王族 物語は、前世、夫に殺されたところから始まる。

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った

五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」 8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

処理中です...