3 / 4
二度目の夜
しおりを挟むどうしてこうなった――…
初夜のベッドの上。
遠い目をしながら、ディルスは考えた。
あの後、あれよあれよという間にディルスとミレイは結婚することになった。
次の日にはお互いの家に挨拶に行き、結婚の許可をもらった。
ディルスは彼女の父と兄にひどく怒られたが、「庶民風情が!」という怒りではなく「可愛い娘(妹)を奪いやがって!」という類の怒りだった。彼女が家でとても可愛がられていることはわかったが、父と兄の二人からケジメという名の鉄拳をもらったのはさすがにこたえた。
ミレイとミレイの母が二人を叱ってくれたが、ディルスは甘んじて受け止めた。これくらいは受けてしかるべきだと思ったのだ。そのおかげか、二人に認めてもらうことができ、最後には「ミレイを頼みます」と頭を下げられた。
ディルスの家は上を下への大騒ぎだった。冴えない息子が超ハイスペお嬢様を捕まえてきたのだ。それこそ可哀想になるくらいの慌てっぷりだった。
ミレイは礼儀正しく挨拶し、ディルスと結婚したいという旨を熱く語った。当のディルスですらグッと来るような真摯な語りだった。家族もそうだったらしく、「不束な息子をよろしくお願いします」と快諾してくれた。
妹だけは少し不満そうにしていたが、ミレイが誠意を尽くして語りかけたことで納得してくれた。いや、あれはもしかしたら、ミレイの美貌に陥落したのかもしれない。最後には「お兄ちゃんみたいな芋にミレイ様はもったいないと思うけど」とまで言っていた。だが、ディルスに対してツンケンしていた妹が意外とブラコンだったことが知れたので、ディルスとしてはうれしかった。
職場にも報告した。もちろんやっかみもあったが、思ったほどではなかった。みんなミレイに憧れてはいても、本気で付き合えるとは思っていなかったのだ。
ただ、あんな地味男がいけるなら自分もいけるだろうと、ミレイに擦り寄る輩は何人かいた。
だが、ミレイがそれらを一蹴したため、じきにおさまった。なにせ二人のなれそめは、『具合の悪くなったミレイをディルスが介抱し、恋に落ちたミレイが猛アタックした』ということになっていたのだ。本当のことは言えないので仕方がないが、心苦しかった。自分がミレイにアタックしたことにすると言ったのだが、ミレイは「いいんだ、これで」と譲らなかった。
おかげで彼女にはブサイク好きの噂が出てしまったのだが、本人はいたって堂々としていた。
「私の愛する男性を侮辱しないでくれ。どうか、私たちの恋を祝福してくれ」と言う彼女に、ディルスはできるかぎり報いたいと思った。
サーヤ嬢には二人そろって話をしに行った。時間が経って冷静になった彼女は、あの日の行いを丁重に謝り、結婚話に「そうですか」と頷いた。
「ミレイ様、貴女をお慕いしておりました。どうかお幸せに」
そう言った彼女の笑みは、胸が締め付けられるものだった。
初めから、叶わない恋だとわかっていたのだろう。同性の恋愛は今ではそう珍しくないが、それでも異性よりは圧倒的に少ない。けれど諦めきれず、一夜の夢を求めた。彼女の一世一代の賭けだったのかもしれない。
報われない恋の上に立つことに罪悪感はあったが、彼女のためにも自分は卑屈になるべきではないと思った。
そして、とんとん拍子に事は進み、わずか数か月でディルスとミレイは結婚した。そこそこ立派な結婚式を挙げ、侯爵家から二人で住む家をもらい、引越し、初夜を迎えた。
なんというスピード感。ディルスは時おり気が遠くなった。
そして今、二人はベッドの上で向かい合っている。お互い薄い夜着に身を包み、念入りに風呂で体を磨かれ、準備は万端だ。
緊張のせいで、心臓が早鐘を打っている。握りしめた手のひらはじっとりと汗ばんでいた。
一度したことはあるが、あの時とは状況が違う。あれは事故のようなものだったし、こんな展開になるなんて思ってもみなかった。
チラリとミレイを見ると、彼女は真剣な顔でこちらを見ている。
「すまなかった」
「へ?」
ふいに頭を下げられた。脈絡がなく、ディルスの頭上にハテナマークが浮かぶ。
……これはあれか? 「やっぱりお前とは無理だすまん」ということか?
「い、いやいや、大丈夫です。そうですよね、俺みたいな地味男と夫婦なんて無理ですよね、今からでも遅くありませんからこの結婚はなかったことに――」
「君を縛るような真似をして」
「え?」
縛る? そんなプレイをされた覚えはないが……
「本当は、責任をとらなければいけないのは私のほうだったのに」
「…………」
「なのに、処女を奪った責任などと言って、君を縛り付けた。本当にすまない」
頭を下げたミレイのつむじを見つめる。普段はきっちりと結っている黒髪は、今はサラリと背中に流れている。長い髪の毛に隠されて、彼女がどんな顔をしているかはわからない。ただ、細い肩が強ばっているのはよくわかった。
ディルスは「顔を上げてください」と囁く。
「俺が貴女の処女を奪ったことは事実です。責任を問われるのは当然でしょう」
「いや、君に責任などない。君は私を助けようとしただけだ。それを、私が無理矢理迫った。本当なら、君が私に慰謝料を請求するのが正しいくらいなのに」
「貴女は薬のせいでおかしくなっていただけです。望まぬ行為を求めなければいけなかったのだから、貴女だって被害者でしょう」
「処女でなければ結婚できないなんて時代でもないし、別に大切にとっていたわけでもない。でも、私はそれを脅迫材料に使ったんだ。君を繋ぎ止めておきたくて」
「繋ぎ止める……?」
なんだかやけに必死な響きだ。こちらを見つめるミレイの瞳が揺れる。彼女は気まずそうに視線を下げた。
「好き……なんだ」
「は?」
ディルスはポカンと口を開けた。彼の間抜け面を見て、ミレイがバツの悪い顔をする。
「すまない。こんなことを言われても、迷惑だな」
「いやいや迷惑とかじゃないですけど。えっ、好きって? 俺を? なんで?」
「なんで……か」
少し考え込むようにして、ミレイは宙を見つめる。
「君が優しいから、かな」
「優しい?」
女性が男性の好きなところを聞かれた時としては、あまりにも当たり障りのない答えだ。しかし、そんなふうに言ってもらえるほど自分は優しい人間だろうか?
そもそも、そこまで人となりを知るほど同じ時間を過ごしていない。知らないことのほうが多い。それなのに優しいとは……
「優しく触れてくれただろう」
ミレイが困ったように笑う。
「あの時、君は恋人でもない私に誠心誠意優しくしてくれた。言葉や態度はもちろん、優しく触ってくれた。欲望のままひどく抱いてもよかったはずなのに、そんな素振りを一度も見せなかった。今日に至るまでもそうだ。私は、君のそんな人間性に惹かれたんだ」
「…………」
穏やかに、照れたように頬を染めてミレイは言う。彼女のそんな顔を見たのは初めてだった。嘘を言っているようには見えない。
「……こう言ってはなんですが、貴女は俺以外の男性を知らないから、そんなふうに思うんじゃないですか?」
「”処女が男を知って舞い上がっている”ということか?」
「い、いや、そこまでは言いませんけど。でも、もっといろんな人と知り合っていれば、俺なんかを選ぶはずがないのに……」
ボソボソと呟くディルスに、ミレイは溜め息を吐いた。
「私だってこの歳までただ手をこまねいていたわけじゃない。気になる異性を食事に誘ったり、手紙を送ったり、それとなくしなだれかかったりしたさ」
(え、そうなんだ。意外……)
「けれど、皆、私の立場や身分に萎縮したり卑屈になったりして、結局はうまくいかなかった」
「ああ……それはそうかも」
並の男では恐れ多くて勇気が出ないかもしれない。現にディルスとてそうだった。
「ん? じゃあ、身分の高い男と付き合ったらよかったんじゃ……?」
「身分の高い男は、こちらを見下したり、支配しようとしてきたから苦手だ」
(えぇ……理想、高……)
まあ、このぶんだと、身分の高い男とも交流を持ったがろくな男に当たらなかったのだろう。高貴な男は高貴な男で、傲慢だったり上から目線だったりする者も多い。
「私はただ、等身大の自分を受け入れてくれて、共に肩を並べて歩いていける、そんな人と伴侶になりたいんだ」
「それが俺だと?」
コクリと頷く。
「貴女は俺を過大評価してますよ。俺はそんな人間じゃない。実際、俺はあんなことになるまで、貴女のことを高嶺の花だと思ってたし、近付くことすらしてませんでした。他の男と一緒ですよ」
「けれど、君はあんなことになった私に幻滅することなく、手を差し伸べてくれた」
「……正気を失った女性を前に、これ幸いと一夜の遊びを楽しむ――よくある話じゃないですか。俺がしたことはわりと最低ですよ」
「君がそんなふうに私に接していたら、好感など持たないさ。経験はないが、君が真摯に私に触れてくれたことはわかるつもりだ。私はそんな君の接し方にときめいたんだよ」
不覚にもディルスのほうがときめいた。至極真面目な顔をしていることからして、ミレイに茶化している様子はない。ディルスはぐぬぬと唇を噛んだ。
「ありのままのあなたを見てくれる人なんて、他にいくらでもいますよ」
「そうかもな。だが、今まで私はそんな相手に出会えなかった。君が初めてなんだ。そして、これから先も出会える保証はない。この機会を逃したくないんだ」
……もしかしてだけど、この人ってかなりチョロいんじゃないか? 高嶺の花と遠巻きにされてきたことで、あまり男に対する免疫がないように思う。自分に優しくしてくれた男にコロッといってしまっているだけなのでは……。
「ディルス、私のことが嫌いか?」
ミレイがじっとこちらを見つめる。
「はしたないところを見せ、君に関係を迫った。そのうえ、脅して君を自分のものにしようとする女は嫌か……?」
こうして聞いてみるとなかなかひどい話だ。これでディルスとミレイが男女逆だったら、もっと大事になっていたかもしれない。だが――
「ディル……んっ」
ディルスの唇がミレイの唇を塞いだ。彼女の細腰を引き寄せ、抱きしめる。騎士団の所属ではあるが、やはりその体は細く柔らかい女性のものだ。
「嫌だったら結婚しませんよ」
唇を離してディルスは言う。
「さすがにそこまでお人好しじゃないし……。憧れてた女性が相手だったからホイホイここまで来ちゃったんですよ」
「そうか。よかった。君に好いてもらえるのなら、この見た目に生まれた甲斐があったというものだ」
「くぅっ……!」
ミレイの言葉にディルスの胸がキューンと音を立てる。
「でも、いいんですか? 俺は見た目も家柄も、貴女に釣り合うような男じゃありません。後悔しませんか?」
「後悔などするものか。君を逃がすほうが後悔するさ」
ディルスは腕の中のミレイを覗き込む。彼女の瞳は熱く潤んで、ディルスだけを映している。
ここまで言われたら腹をくくろう。ミレイがこんなに言ってくれているのに、卑屈になったら男がすたる。この世にディルスより魅力的な男はたくさんいるが、今この瞬間、ミレイに選ばれたのはディルスなのだ。それがずっと続くよう、誠心誠意尽くせばいい。
ディルスはかけたままだった眼鏡をはずすと、ベッド脇の棚に置いた。そっとミレイを押し倒す。顔の横に手を付き、ディルスはしっかりと彼女と目を合わせた。
「後悔はさせません」
ミレイが微笑む。その目尻にうっすら涙が浮かんでいたような気がしたが、二人の距離はすぐにゼロになったため、ハッキリとはわからなかった。
応援ありがとうございます!
21
お気に入りに追加
103
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる