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【第一章】 乙女ホラーゲームの悪役なんて願ってない!

◆side story ナッシュ

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 お嬢様はお屋敷にいた頃とはずいぶんと変わりました。
 友人を作り、剣術に興味を持ち、悪事に手を染めようとなさっています。

 私はこの現象を何と言うか、知っています。


 学園デビューです!!


 お嬢様はお屋敷を離れて学園に来たことで、今までの自分を脱いで新たな自分になろうとしているのです。

 ああっ!?
 今思うと、登校初日に遅刻をしたのも、学園デビューの一つだったのかもしれません。
 初日から遅刻をすることで、「タダ者ではない令嬢」を演出しようとしていたのでしょう。

 申し訳ございません、お嬢様。
 浅慮な私はそのことに気付かず、遅刻を覆い隠してしまいました。

 これからは、あまりにも危険なことを行なう場合は止めますが、それ以外はなるべくお嬢様のご意見に従いましょう。
 お嬢様には、私ごときには計り知れない深いお考えがあるかもしれませんので。


 ですが……ご友人に関しては、どうかと思うのです。
 お嬢様はご友人を作ることに慣れていないため、仕方がないのかもしれませんが……変な人に引っかかってしまったようです。

 お嬢様に危害を加えたり、騙したりしようとしているわけではなさそうなのは不幸中の幸いですが……お嬢様がご友人に選ばれたのは、純粋に変な人でした。

 その上、やたらと私に突っかかってくるのです。
 お嬢様に対しては犬のように尻尾を振っているので、私に対する態度などどうでもいいことと言えばどうでもいいことなのですが。

 嫌味を言っても負けずに向かってくるので、少し厄介です。
 それにご友人はお嬢様と同じ特進科クラスのため、私よりもお嬢様と一緒にいる時間が長く、私はお嬢様の付き人としてのプライドが踏み躙られる思いです。
 それでもお嬢様がご友人に選んだ相手ですので、追い払わずに受け入れましょう……歯を食いしばりながら。


 さらにお嬢様は剣術部にご興味を持たれました。
 お嬢様はこれまで剣術を習ったことがありませんが、やろうと思えば剣術を身に着けることも可能だと、私は思っています。
 お嬢様は昔から身体を動かすことが得意でしたから。
 事実、昔からお嬢様は乗馬がお上手で、勢いよく走る馬を見事に乗りこなしていました。

 しかし剣術で万が一にもお嬢様のお身体に傷が付くようなことがあったらと考えると、私は心配になってしまうのです。
 お嬢様がナミュリー家の令嬢である以上、顔に傷を作ったとしても不遇な扱いを受けることなどありえません。
 しかし、妬みとは恐ろしいものなのです。
 全てを兼ね備えているお嬢様に欠点が出来た途端に、そのことを嘲笑のネタにするジャガイモがたくさんいるのです。
 彼らはお嬢様が羨ましいばかりに、お嬢様をけなす理由を常に探しているのです。

 「黒薔薇の令嬢」という呼び名もその一環なのでしょう。
 黒色のイメージを使って、まるでお嬢様が悪い魔法を使う令嬢のように噂しているのです。
 そして薔薇のように棘があるかの如く……まあ、これは事実ですが。
 しかしその棘は、貴族社会で生き抜くために必要なものであり、ジャガイモどもに嘲笑されるいわれはないのです。

 閑話休題。
 お嬢様が怪我をする恐れがあるのなら、治療を行なうのは私の役目です。
 もちろんお嬢様が怪我をしないように全力でサポート致しますが、あれは駄目これも駄目では、お嬢様の息が詰まってしまいますから。
 お嬢様には自由に過ごしてもらって、私は何かが起こった際のサポートをする程度に留めておくのが良いでしょう。
 それが、お嬢様と私との付き合い方です。



 私は使用人一家の息子として生まれた瞬間からナミュリー家に仕えることが決定していましたが、小さな頃にはお嬢様は私と一緒に遊んでくださいました。
 まるで、対等な友人かのように。

 そんな優しいお嬢様に使えることができて、私は幸せです。
 お嬢様のためなら、どんな憎まれ役でも引き受けましょう。
 必要であれば、毒でも飲みましょう。魔物のエサにもなりましょう。

 お嬢様が幸せに暮らすためにあらゆる尽力をすることが、私の幸福なのですから。


   *   *   *


「わあ、いい天気」

「お待ちください、お嬢様」

「ナッシュ、早く早くー!」

 広い庭を自由に走り回るお嬢様を追いかけて、私も走りました。
 私はお嬢様が転ばないかとハラハラしていたのですが、大人の目にはお嬢様と私が一緒に遊んでいるように見えていたのでしょう。
 誰もお嬢様を止めることはせずに、私たち二人を放置していました。

「ねえ、ナッシュ。お嬢様って呼ばないでって何回も言ってるよね? その呼び方だとお仕事みたいなんだもん。ナッシュはお仕事中なの?」

「いいえ、私はまだ仕事を任されてはいませんので」

「だったら一緒に遊んでよ。あたし、お友だちがいないの」

 お嬢様は私に向かって走ってくると、私の手を握りました。
 私とさほど変わらない小さな手には、まるで太陽のような温かさがありました。

「お嬢様はもう少し成長したら、様々なお茶会に招かれるようになりますよ」

「そういうのじゃなくて、追いかけっこしたり、川で水を掛け合ったりしたいの」

 お嬢様は可愛らしい見た目に反して、意外と活発です。
 運動神経が良いため、身体を動かすことが楽しいのでしょう。

「一緒に遊ぼうよ」

「ですが、私は使用人で、お嬢様は雇い主ですから」

「違うよ。ナッシュは子どもで、あたしも子ども」

 そう言ってお嬢様は、私の手を握ったまま、走り出しました。
 そして手を引っ張られた私も、お嬢様の隣で走ることになりました。

「この前、ボールをもらったのよ。投げっこしない?」

「お嬢様は私がしないと言っても、無理やりするのでしょう?」

「さすがナッシュ。あたしのことをよく分かってるわね!」



 お嬢様は私から少し距離を取り、ボールを構えました。

「ナッシュは、あたしのお友だち第一号ね。ほら、一号、ボールを投げるわよ」

「お嬢様。友人のことを第一号と呼ぶようでは、友人は出来ませんよ」

 だってこれでは、まるで犬を相手にしているようです。
 ですが、お嬢様に悪気はないのでしょう。
 単純に友人との接し方が分からないのです。

「むう。じゃあお友だちのことは名前で呼ぶ」

「それがよろしいかと」

 お嬢様は大きく振りかぶると、私に向かってボールを投げました。
 大きなフォームに反して勢いの弱いボールは、私に届く前に地面に落ちてしまいました。

「あれ。あんまり飛ばなかったなあ」

「お嬢様の運動神経なら、練習をすればすぐに遠くまで飛ぶようになりますよ」

「お嬢様って呼ばないでって言ったでしょ。ナッシュもあたしのこと、名前で呼んでよ」

「それは出来ません」

 お嬢様の頼みでしたが、私はこれを頑なに拒みました。
 実のところ、この頃の私は、お嬢様の名前を呼ぶことが気恥ずかしかったのです。

「まあいいや。呼び方がどうだったとしても、ナッシュはあたしのお友だちだからね」

「ありがとうございます」

 お嬢様のお願いを断る不届きな私のことを、お嬢様は友人と呼んでくださいました。
 本当にありがたいことです。

「あたしに他にもお友だちが出来たら、ナッシュにも紹介してあげるね!」

「ふふっ。期待せずに待ってます」

「んもう、期待してよお!?」


   *   *   *


 さんさんと輝く太陽を見ていたら、うっかり昔のことを思い出してしまいました。
 そういえばあれから十年以上も経ったのに、私はいまだにお嬢様のことを「お嬢様」と呼んでいます。

 気恥ずかしさは無くなりましたが、名前を呼ぶことで起こる事態を避けるためです。
 名前には不思議な力があります。
 呼ぶことで愛着が増してしまうのです。

 そのため私は、これからもお嬢様のことを名前では呼ばないでしょう。
 お嬢様のお傍にいるためには、あの感情が表に出てきては困りますから。
 そう、あの感情は、胸の奥深くにしまっておくべきなのです。

 あの頃芽生えた、ほんの少しの恋心は。



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