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最終章 契約終了ってことで

第58話

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私は出勤してきて直ぐにトイレに駆け込むと、鏡で念入りに首元をチェックする。

「まずいわ……これは何案件かしら……」

私の左の耳たぶに一つと、右側の首筋には誰かさんの噛み痕が赤くしっかりとついている。私は意地悪な顔をしたワンコを思い出しながら、首元の部分にだけ絆創膏を張り付けた。

(もう……ばかワンコ……)

翌日の日曜日にはすっかり元気になった世界は病み上がりにも関わらず私をベッドに二回も押し倒していた。

(噛むなら噛むで……もう少し見えないとこ噛めないのかしら……)

その噛み痕は、うれしいような恥ずかしいようなこの年になるとどうしたらいいのか分からないのが実情だが、世界の素直な愛情表現はやっぱり嫌じゃない。

「ふぅ……耳たぶは……髪の毛を耳に掛けなきゃわかんないわよね……」

私はしっかりと長い髪で耳たぶを隠すとトイレを後にする。トイレをでて見積課の方へ角を曲がれば、真向かいから長身の男が歩いてくるのが見えて心臓がドキッとした。

(ええっと……どんな顔して……)


「おはよう」

「殿村、おは、よ……」

いつもと変わらないトーンと口調に、私もなんとか挨拶の言葉を口にする。頭のなかには勝手に殿村との自宅でのことが脳内再生されてきてしまう。

直ぐに殿村がクククッと笑った。

「どうした?顔赤いぞ。なにかあったかな?」

殿村が飄々とした態度で私を揶揄うようにのぞき込んでくる。

「ちょ……近……」

「……なるほどね」

「え?」

「いや、ちょっと渡したいものあって。ここ邪魔だからこっちきて」

殿村はあんなことがあったとは思えないほどに、いつもの殿村で同期の殿村だ。そして人気ひとけのない通路の脇へとついていけばすぐに書類の束を渡される。

「はい、これ」

「え?」

すぐにざっと目を通せば中規模の現場図面だ。

「悪いな。梅子これ今日中金庫20時で宜しく」

「な……嘘でしょ。ちょっと私だって忙しいのよっ」

「だよな、でもこれでどう?」

口を尖らせた私に、すかさず殿村が暴れすぎ将軍最新DVDを差し出した。

「嘘!先週発売されたばっかりの暴れすぎ将軍最新DVD。初回特典の缶バッチつきじゃない!わぁ!!嬉しいっ」

「いつもながら喜んでもらえてなにより。それ見積りのお礼と誕生日のお祝い兼ねてるからな」

(あ……)

私は殿村がこのDVDを誕生日の食事の際に渡そうとしてくれてたんじゃないかとふと頭に過ぎった。

殿村が唇を引き上げた。

「だから、同期としてだよ。そんな顔するな、わかったか?」

頷いた私に殿村が頭を撫でようとして、すぐに手を引っ込めた。

「良かったな、梅子」

「え?」

「幸せそうだ。だから僕も嬉しい、末永く大事にしてもらえよ」

やっぱり殿村の優しさに目の前がぼやけてきて、私は殿村に背を向けると袖で拭った。

「……殿村……ありがとう」

「どういたしまして。ていうか……あいつはほんとに噛み犬だったんだな」

「え……なんで噛み犬って……」

「ま、元々おすわりも待てもできない子犬くんだからな。しっかりしつけとけよ」

殿村があきれたように私の耳たぶを指さして、私は真っ赤になって俯いた。そして殿村が私の背後に目をやった。

「ん?朝から梅子は人気者だな。じゃあ僕はこれで」

「え?殿村?」

殿村がもう一度、私の背後に視線だけ向けると自身は背を向け営業課へ向かって歩き出す。


──「源課長」

後ろを振り返った私は思わず目を見開いた。
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