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第二章
第二十話
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◇◇◇
季節は巡り、夏が近づいてくる時期となった。
装いも爽やかになりつつある。
そんな中、蓮翠宮の妃である柳紗綾が病気の為に後宮を下がった。
また一人妃が減ったことを、彼は特段気にしている様子がない。
柳家との繋がりを減らし、他の外交に長けている家と繋がりを強めようと奔走している。
迎絳浜は侍女としての場所を無くしてしまったので、暇を出されている。
結局、紗綾の指示で事を起こしたのかは分かっていない。
紗綾が絳浜を異常に恐れていたこと、その裏に別の誰かがいることも確かだ。
でも、それが誰であろうと、別にいい。
私はすっかり、本を読まなくなっていた。
ただぼうっとするだけの日が増えて、部屋に籠りきりになっている。
何もすることがないわけではない。
手につかなくて、やろうと思ってもふつと集中が切れる。
そんな自分が嫌になってしまって、一人でいる時間が増えていく。
海沄様は忙しいのか、最近は姿も見ていない。
こんな姿を見せても心配をかけるだけだから、凌梁にも弦沙にも口止めをしている。
というかみんなにはいつも通りに接して、本を読み漁っている体を装っている。
目敏い二人には、内緒にしてほしいと頼んでいるだけで。
「はぁ…何もしたくない」
寝台に横になって、几に積み重なっている本たちを見つめる。
どうしてだか、全く読みたいという気持ちが湧かない。
不思議だ。続きが気になっていたはずの読みかけの本にも、手が伸びない。
目を閉じても眠れるわけじゃないし、眠っても疲れるし。
「散歩にでも、行こうかな…なんだか、息苦しいし」
凌梁を呼んで、ささっと着替えを用意してもらう。
必要最低限の化粧だけを施してもらって、室を出る。
「散歩に行くけれど、一人になりたいから…ついて来なくていいわ」
「しかし…」
「気配を消してくれるなら…いいわ」
微笑みかける気力もなくて、素っ気なくなってしまう。
「優しくできなくてごめんね。もう少しだけ一人にさせて、そうしたら…」
「気にしておりませんよ。娘娘にしか分からない事ですから、俺がどうこう言って貴女を追い詰めたくはありません」
「ありがとう…」
あまりにも優しい従者。
自分がどうしてこんなに無気力なのかを早く突き止めてしまおう。
頭の中で、幾重にも渦巻くもやもやを一つ一つ解そう。
いつもの自分が恋しい。
宮の裏手にある林に向かう。
弦沙はすっかり気配を消して、どこにいるのかすら分からない。
風に揺れる葉の音、小さな瀑声。
林を抜けた先には小さな滝が流れている。
サクサクと緑を踏みしめて、林を抜けんと足を進める。
道は整備されていないが、わりかし歩きやすい。
瀑声が近付く。
キラキラと反射する光に目を細める。
私の身長は優に超えるが、比較的小さい滝。
池には蓮の花。
石で囲まれたその場所に腰掛け、水に足を入れているのは宦官?だろうか。
線が細く、今にも透けてしまいそうな儚い感じ。
さらりと流れる長い髪、一つに結んでいるせいで首元が色っぽい。
蓮を足でつついては、くすくすと笑っている。
ぱっと思い浮かんだのは、天女という言葉。
「…きれい」
心の中で呟いたはずのそれが口から出ていたことに気が付いたのは、彼がこちらを向いて目を瞠ったからだ。
「へ、誰」
怯えるような眼差しに、自分が悪人になったような気持ちになる。
「梓涼宮の、妃です…一応…」
「…妃、あぁ…詩涵様」
恭しく礼を取る彼に、慌ててやめるように言う。
なんだかそんなことをさせてはいけないような気がしたのだ。天女だから。
「隣、座りますか?」
「あ…じゃあお邪魔します」
「私相手に畏まらないでください」
一緒になって石に座ると、またパシャパシャと水で遊び始める。
瀑声と天女の水遊び。
それをちらちらと見るだけでも、申し訳ないというか…畏れ多い。
「楽しいですよ。一緒にやります?」
盗み見ていた彼と目が合う。
こてん、と首を傾げている。
綺麗だなぁ…何をしても嫌味にならないんだろうなぁ…。
「…あの?大丈夫ですか?」
「あ!え?はい!」
「裙が濡れてしまいますよ。姫君」
甘くて低い優しい声で、姫君と呼ばれるこの破壊力。
鞋を脱いで、裙を持ち上げる。
「冷たくて気持ちがいいでしょう?姫君」
「姫君は…ちょっと、恥ずかしいので…やめて頂けると…」
「いえ、姫君と呼ばせてください。私はどこにも属さないので」
有無を言わせないような、美形の圧力。
私は何も言えなくて、黙り込む。
しばらく続いた沈黙の後、彼が息を整えて話しかけてきた。
まるで、何かを決したみたいに。
「姫君、あの木が見えますか?」
「…はい」
「あの木は連理の枝、永遠に離れたくないと願った夫婦の生まれ変わりだと言われています。瀞󠄀が出来る前の王朝の話ですけどね」
「…永遠に…」
「誰もが求めてしまいますよね。死が何もかもを別つせいです」
「……でも、死が別つからこそ、人を愛せると思います」
遠くに馳せられていた目線が、勢いよくこちらに向くのが分かった。
私の言葉に虚を突かれたような顔だ。
「どうか、しましたか?」
「……姫君は、なぜそのようにお思いで?」
「終わりがあるからこそ、人を大切に出来る。永遠に続く淡々とした時間を、終わりなく過ごすことが幸せだと思えますか?いつかきっと心が荒んで、何もかもを拒否したくなります。それが愛していた人であっても」
「…毎日が特別であり続ければいいのでは?淡々としないように、刹那でさえも眩いようなそんな日々に」
「…心は、幸せであってもすり減るものです。生きている限り、悪意にも善意にも触れるから。疲れるんですよ、善意に満たされていてもその裏を気にするから」
「優しさの裏、ですか」
不安そうな顔をする天女様。
優しいであろう彼には、理解が出来ないかもしれない。
「私も人に優しくしますけど、それは相手も同じだけ優しい場合に限ります。相手によって態度を変えるんです。そうしなければ、自分を守れませんから」
酷い人間だと思う。それは自分しか守れないから。
相手のことなんて一つも考えていない。
「酷いと思うでしょうが、それが一番楽なんです」
人は自分以外を理解出来ない。
人の気持ちを汲み取ることは出来ても、それは自分の経験則を応用しただけの代替品にしかならない。
優しさというのは云わば高等代替品のようなもの。
自分が無理をすれば自分だけがすり減っていく。
見返りを求めれば、相手も自分も同じだけ減って、同じだけ満たされる。
「優しい人間は、いつも損をする。そして勝手に消えていくんです。優しさだけを振りまいて、見返りなんか求めないから。不器用は命取りです」
「…じゃあ、姫君は命取りですね。貴女は優しい。僕の中の永遠を一気に黒くしてしまった。もう焦がれることは出来なさそうです」
「あ、ごめんなさい…」
「謝らないで。心残りが消えることは良いことです」
すい、と視線が逃げていく。
「まるでいなくなるみたいな言い方ですね」
彼は自虐をするように口元を緩めて、ふっと笑う。
目が伏せられて、光がなくなる。
「もうじき、死ぬんですよ。時間に迫られている人間は、永遠に焦がれやすい」
「…永遠を望んでいるのではなく、同じだけの時間を生きたいのでしょう?人はいつか死ぬ、という”いつか”に憧れている」
「そうですね、そうかもしれません。僕は…健康体でいたかった。病気なんかしないで、武術に耽っていられるような体が欲しかった」
ふる、と肩を震わせる。
「毎日疲れて、ぱったりと眠りに落ちるような…兄のようになりたかった」
「武術がお好きなんですか?」
「ええ、けれどこの身体では…激しい運動は出来ませんから」
「失礼を承知でお聞きしますが、もうじきというのはどれほど先なのですか」
「…このまま、療養を続ければ二年ほどでしょうか。無理をすればいつ悪化するか分かりません」
彼の肌の色を見る限り、そんなに重い病気ではなさそうなのだけれど…。
「医師、薬師はどなたですか?誰に付けて頂きましたか?」
「え…っと、なぜそのようなことを?」
「一応薬師の母を持っていますから、念のためです」
そう言って何となくの気持ちで名前を聞き出す。
知らない名だったが、どうやら宮廷の薬師らしい。
医師の方は名前くらいは知っている、程度の存在。
「付けてくれたのは、先帝の蓬袮様です」
「…先帝、というと海沄様のお父様ということですか?」
「ええ…そうです」
「そんなに前からここに?お若く見えるのに」
彼はそれ以上の追及をさせないためにか、曖昧に笑って黙り込んだ。
瀑声が耳に響くほど、沈黙が痛い。
「……詩涵様」
「っはい」
「…名前をまだ、言っておりませんでしたね」
「あぁ…そういえば伺ってないですね」
「畏まらず、気安く接してください。僕は勠と言います。勠と呼んでもらえますか?」
「り、く…さん」
「勠、とだけ呼んでくださればいいのですよ。姫君」
ふふ、と和らいだ表情に私は胸を撫で下ろした。
彼の名を口にすると、彼はなんだか少しだけ寂しそうに微笑んだ。
***
小さな手が、微かに震えている。
その瞳に怯えが宿っている。
気丈に振舞う彼女からは俺を拒む色しか見えない。
手を伸ばした、大きく揺れた肩と弾かれた自分の手。
彼女の顔が見えなくなって、遠ざかる。
カラカラに乾いた喉がヒュー、ヒューと音を立てて飛び起きた自分をより滑稽にする。
隣を見ても姿はない。
このところ、全く彼女に会っていない。
眠りについても似たような悪夢を見て飛び起きてしまう。
本当は彼女のところへ眠りにだけでも行きたい。
予定が詰まっているのは本当だが、時間を作れないほどではない。
それなのに会いに行けないのは、俺自身に迷いが生じているからだ。
上手く言い表せない迷い。
目にかかる髪が邪魔で仕方がない。
くしゃりと握りつぶすようにかき上げる。
「何なんだ…これは…」
カラカラに乾いた声が小さく落ちていった。
季節は巡り、夏が近づいてくる時期となった。
装いも爽やかになりつつある。
そんな中、蓮翠宮の妃である柳紗綾が病気の為に後宮を下がった。
また一人妃が減ったことを、彼は特段気にしている様子がない。
柳家との繋がりを減らし、他の外交に長けている家と繋がりを強めようと奔走している。
迎絳浜は侍女としての場所を無くしてしまったので、暇を出されている。
結局、紗綾の指示で事を起こしたのかは分かっていない。
紗綾が絳浜を異常に恐れていたこと、その裏に別の誰かがいることも確かだ。
でも、それが誰であろうと、別にいい。
私はすっかり、本を読まなくなっていた。
ただぼうっとするだけの日が増えて、部屋に籠りきりになっている。
何もすることがないわけではない。
手につかなくて、やろうと思ってもふつと集中が切れる。
そんな自分が嫌になってしまって、一人でいる時間が増えていく。
海沄様は忙しいのか、最近は姿も見ていない。
こんな姿を見せても心配をかけるだけだから、凌梁にも弦沙にも口止めをしている。
というかみんなにはいつも通りに接して、本を読み漁っている体を装っている。
目敏い二人には、内緒にしてほしいと頼んでいるだけで。
「はぁ…何もしたくない」
寝台に横になって、几に積み重なっている本たちを見つめる。
どうしてだか、全く読みたいという気持ちが湧かない。
不思議だ。続きが気になっていたはずの読みかけの本にも、手が伸びない。
目を閉じても眠れるわけじゃないし、眠っても疲れるし。
「散歩にでも、行こうかな…なんだか、息苦しいし」
凌梁を呼んで、ささっと着替えを用意してもらう。
必要最低限の化粧だけを施してもらって、室を出る。
「散歩に行くけれど、一人になりたいから…ついて来なくていいわ」
「しかし…」
「気配を消してくれるなら…いいわ」
微笑みかける気力もなくて、素っ気なくなってしまう。
「優しくできなくてごめんね。もう少しだけ一人にさせて、そうしたら…」
「気にしておりませんよ。娘娘にしか分からない事ですから、俺がどうこう言って貴女を追い詰めたくはありません」
「ありがとう…」
あまりにも優しい従者。
自分がどうしてこんなに無気力なのかを早く突き止めてしまおう。
頭の中で、幾重にも渦巻くもやもやを一つ一つ解そう。
いつもの自分が恋しい。
宮の裏手にある林に向かう。
弦沙はすっかり気配を消して、どこにいるのかすら分からない。
風に揺れる葉の音、小さな瀑声。
林を抜けた先には小さな滝が流れている。
サクサクと緑を踏みしめて、林を抜けんと足を進める。
道は整備されていないが、わりかし歩きやすい。
瀑声が近付く。
キラキラと反射する光に目を細める。
私の身長は優に超えるが、比較的小さい滝。
池には蓮の花。
石で囲まれたその場所に腰掛け、水に足を入れているのは宦官?だろうか。
線が細く、今にも透けてしまいそうな儚い感じ。
さらりと流れる長い髪、一つに結んでいるせいで首元が色っぽい。
蓮を足でつついては、くすくすと笑っている。
ぱっと思い浮かんだのは、天女という言葉。
「…きれい」
心の中で呟いたはずのそれが口から出ていたことに気が付いたのは、彼がこちらを向いて目を瞠ったからだ。
「へ、誰」
怯えるような眼差しに、自分が悪人になったような気持ちになる。
「梓涼宮の、妃です…一応…」
「…妃、あぁ…詩涵様」
恭しく礼を取る彼に、慌ててやめるように言う。
なんだかそんなことをさせてはいけないような気がしたのだ。天女だから。
「隣、座りますか?」
「あ…じゃあお邪魔します」
「私相手に畏まらないでください」
一緒になって石に座ると、またパシャパシャと水で遊び始める。
瀑声と天女の水遊び。
それをちらちらと見るだけでも、申し訳ないというか…畏れ多い。
「楽しいですよ。一緒にやります?」
盗み見ていた彼と目が合う。
こてん、と首を傾げている。
綺麗だなぁ…何をしても嫌味にならないんだろうなぁ…。
「…あの?大丈夫ですか?」
「あ!え?はい!」
「裙が濡れてしまいますよ。姫君」
甘くて低い優しい声で、姫君と呼ばれるこの破壊力。
鞋を脱いで、裙を持ち上げる。
「冷たくて気持ちがいいでしょう?姫君」
「姫君は…ちょっと、恥ずかしいので…やめて頂けると…」
「いえ、姫君と呼ばせてください。私はどこにも属さないので」
有無を言わせないような、美形の圧力。
私は何も言えなくて、黙り込む。
しばらく続いた沈黙の後、彼が息を整えて話しかけてきた。
まるで、何かを決したみたいに。
「姫君、あの木が見えますか?」
「…はい」
「あの木は連理の枝、永遠に離れたくないと願った夫婦の生まれ変わりだと言われています。瀞󠄀が出来る前の王朝の話ですけどね」
「…永遠に…」
「誰もが求めてしまいますよね。死が何もかもを別つせいです」
「……でも、死が別つからこそ、人を愛せると思います」
遠くに馳せられていた目線が、勢いよくこちらに向くのが分かった。
私の言葉に虚を突かれたような顔だ。
「どうか、しましたか?」
「……姫君は、なぜそのようにお思いで?」
「終わりがあるからこそ、人を大切に出来る。永遠に続く淡々とした時間を、終わりなく過ごすことが幸せだと思えますか?いつかきっと心が荒んで、何もかもを拒否したくなります。それが愛していた人であっても」
「…毎日が特別であり続ければいいのでは?淡々としないように、刹那でさえも眩いようなそんな日々に」
「…心は、幸せであってもすり減るものです。生きている限り、悪意にも善意にも触れるから。疲れるんですよ、善意に満たされていてもその裏を気にするから」
「優しさの裏、ですか」
不安そうな顔をする天女様。
優しいであろう彼には、理解が出来ないかもしれない。
「私も人に優しくしますけど、それは相手も同じだけ優しい場合に限ります。相手によって態度を変えるんです。そうしなければ、自分を守れませんから」
酷い人間だと思う。それは自分しか守れないから。
相手のことなんて一つも考えていない。
「酷いと思うでしょうが、それが一番楽なんです」
人は自分以外を理解出来ない。
人の気持ちを汲み取ることは出来ても、それは自分の経験則を応用しただけの代替品にしかならない。
優しさというのは云わば高等代替品のようなもの。
自分が無理をすれば自分だけがすり減っていく。
見返りを求めれば、相手も自分も同じだけ減って、同じだけ満たされる。
「優しい人間は、いつも損をする。そして勝手に消えていくんです。優しさだけを振りまいて、見返りなんか求めないから。不器用は命取りです」
「…じゃあ、姫君は命取りですね。貴女は優しい。僕の中の永遠を一気に黒くしてしまった。もう焦がれることは出来なさそうです」
「あ、ごめんなさい…」
「謝らないで。心残りが消えることは良いことです」
すい、と視線が逃げていく。
「まるでいなくなるみたいな言い方ですね」
彼は自虐をするように口元を緩めて、ふっと笑う。
目が伏せられて、光がなくなる。
「もうじき、死ぬんですよ。時間に迫られている人間は、永遠に焦がれやすい」
「…永遠を望んでいるのではなく、同じだけの時間を生きたいのでしょう?人はいつか死ぬ、という”いつか”に憧れている」
「そうですね、そうかもしれません。僕は…健康体でいたかった。病気なんかしないで、武術に耽っていられるような体が欲しかった」
ふる、と肩を震わせる。
「毎日疲れて、ぱったりと眠りに落ちるような…兄のようになりたかった」
「武術がお好きなんですか?」
「ええ、けれどこの身体では…激しい運動は出来ませんから」
「失礼を承知でお聞きしますが、もうじきというのはどれほど先なのですか」
「…このまま、療養を続ければ二年ほどでしょうか。無理をすればいつ悪化するか分かりません」
彼の肌の色を見る限り、そんなに重い病気ではなさそうなのだけれど…。
「医師、薬師はどなたですか?誰に付けて頂きましたか?」
「え…っと、なぜそのようなことを?」
「一応薬師の母を持っていますから、念のためです」
そう言って何となくの気持ちで名前を聞き出す。
知らない名だったが、どうやら宮廷の薬師らしい。
医師の方は名前くらいは知っている、程度の存在。
「付けてくれたのは、先帝の蓬袮様です」
「…先帝、というと海沄様のお父様ということですか?」
「ええ…そうです」
「そんなに前からここに?お若く見えるのに」
彼はそれ以上の追及をさせないためにか、曖昧に笑って黙り込んだ。
瀑声が耳に響くほど、沈黙が痛い。
「……詩涵様」
「っはい」
「…名前をまだ、言っておりませんでしたね」
「あぁ…そういえば伺ってないですね」
「畏まらず、気安く接してください。僕は勠と言います。勠と呼んでもらえますか?」
「り、く…さん」
「勠、とだけ呼んでくださればいいのですよ。姫君」
ふふ、と和らいだ表情に私は胸を撫で下ろした。
彼の名を口にすると、彼はなんだか少しだけ寂しそうに微笑んだ。
***
小さな手が、微かに震えている。
その瞳に怯えが宿っている。
気丈に振舞う彼女からは俺を拒む色しか見えない。
手を伸ばした、大きく揺れた肩と弾かれた自分の手。
彼女の顔が見えなくなって、遠ざかる。
カラカラに乾いた喉がヒュー、ヒューと音を立てて飛び起きた自分をより滑稽にする。
隣を見ても姿はない。
このところ、全く彼女に会っていない。
眠りについても似たような悪夢を見て飛び起きてしまう。
本当は彼女のところへ眠りにだけでも行きたい。
予定が詰まっているのは本当だが、時間を作れないほどではない。
それなのに会いに行けないのは、俺自身に迷いが生じているからだ。
上手く言い表せない迷い。
目にかかる髪が邪魔で仕方がない。
くしゃりと握りつぶすようにかき上げる。
「何なんだ…これは…」
カラカラに乾いた声が小さく落ちていった。
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