大人の恋愛の始め方

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【第4部】浩輔編

17.虚無

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 夏につなぎは暑い。
 しかし仕事柄着用は仕方が無いことなのはわかっている。一応、夏用のつなぎではあるが、暑いものは暑い。
 しかし仕事を終えたあとの風呂とビールは最高に美味く感じる。
 自分の部屋で、ごろんとベッドの上に転がったいた。
 平日に一度ミサに呼ばれ、土曜出勤の日に舞衣の働くパン屋に行く。毎日代わり映えのない日々を過ごしている。
 しかし八月に入って、舞衣の姿を見なくなった。
(あー、試験? いや、でも夏休みだろ? 実家に帰ったのか……)
 ルーティーンが崩れてしまい、なんとなくぽっかり穴が空いてしまったようだ。
 最近は高虎のお供も減少した。高虎自身が出張で不在になったり、本業が忙しいようだ。人の金で飲みに行ってばっかりもな、と祐策を誘ってビアガーデンに行ったりもした。
(そういえば舞衣……二次試験終わったかな……)
 たまには遊びに誘ってみるか、とスマホを取り出す。
(いや……)
 いつも連絡は舞衣のほうからで、自分からしたことはない。
 いきなり誘うのは変かもしれない。
(もうすぐお盆だしな……確か今頃に二次試験の結果が出るって言ってたし……)
 合格発表のあとに誘うか、とスマホをしまった。
 合格すれば、祝いだと言って何かどこかで食事でも誘ってやればいい。
 いつの間にか必死に口実を作っていることに、自分自身が気づいていなかった。
(最近舞衣から連絡ないけど……何してんだろ……)
「会いた……」
 会いたいなあ、と言いかけた口を思わず噤んだ。
(俺は何を言ってるんだ……)
 舞衣に会いたいっておかしいだろ、と自分を戒めた。
 舞衣に会ったところで何かがあるわけでもない。
 ミサやマユカのように身体の関係を持っているわけでもないし、彼女と会って何のメリットもない。デメリットもないが。
(何浮かれてんだろー……)
 焼け木杭に火が点く。
(いや、そもそも俺ら付き合ってもなかったし)
 その諺は違うな、と一人で百面相をし、いろんなことを考えてしまった。
 しかし、パン屋に行って、舞衣に会えるのを楽しみにしている自分がいること、いなくてがっかりしている自分がいること、それらを否定することはできなかった。
 売り物にならないメロンパンを一つおまけしてくれたり、内緒だよ、と言って浩輔の好きそうなパンをこっそり袋に入れてくれたり。内緒だよ、という悪戯っぽい顔に癒やされてしまう自分がいる。
(昔から可愛かったけど、今も結構可愛いよな……)
 だから人に盗られてしまったのだし。
(俺のこと……いやちょっと待て)
 そもそもパン屋にいない理由が「実家に帰っている」だとは限らない。試験が終わって、彼氏と旅行に行っている可能性もある。デートに出かけているかもしれない。
 だいたい恋人がいない、とは聞いていない。いるとも聞いてはいないが。
(あー、そうか……前提が間違ってたかも)
 大学生の舞衣に恋人がいないほうがおかしい。
(別に俺を好きとも言ってないし)
 会いたかった、と言われて考えてもなかった。
 ミサとマユカの情事に溺れすぎて、自分がまともじゃないことを失念してしまっている。
「はあ……」
 今頃舞衣は誰かに抱かれてるのだろうか。
 今の自分は誘いがなくて、一人で部屋でごろごろしているというのに。
(あーなんかムカつく)
 舞衣はもう誰かのものになっているだろうし、こんなことなら、つきあう前でも一線を越えておけばよかったなと思ってしまう。
(……って、中学生の俺がそんなことするとは思えないけど)
 昔の自分はそれなりに生真面目だったよな、と苦笑した。
「はあ……ヤりてぇ……」
 そう思った時に限って、煽るものがある。
 隣の部屋から、男女の声が聞こえてきた。
 ……壁が薄い。
 ボロアパートなので仕方がないのだが、時々男女の行為の声が洩れてくるのだ。
 両隣とも時々聞こえてくるが、今日は向かって左側のほうだ。浩輔のベッドは部屋の左側に置いているので、寝転んでいれば特にこちらからはよく聞こえてくる。隣もこちら側に何もないのでベッドを置いているのだろう。
 隣は、神崎組の正構成員の男が住んでいる。どんな人だったかなあ、と考えて思い出したあとに首を振った。
「あの人かあ……女、いるんだな……」
 部屋に入っていく女性を何度か見かけたことがあるが、毎回同じ女性だった。
(ってことは彼女ってことだよな)
 いいなあ、と呟いてしまい、溜息をついた。
 ちょっと強面の身体のごつい男だが、きっと自分にはわからない、その女性にしかわからない魅力があるのだろう。
(セックスが上手とかもあるのかな)
 俺は何にもないや、と壁に背を向ける。
 聞こえてくる艶めかしい声に目を瞑った。
(はあ……)
 反応を示した自分の身体のその場所に手を当てる。
(やっべ……)
 しかし抑えることは出来ない。
(俺も……)
 下着を下ろし、右手で掴んだ。
(あー……やりてぇ……)
 その手が、自分の手ではなく、誰か女の手であるかのように脳内で再生する。
(咥えてほしいな……)
 隣の声が大きくなると、浩輔の手の動きも速くなった。
 脳内では、もう誰かの手ではなく、自分が女のナカに入っているイメージに切り替わっていた。
「舞衣……」
 小柄な彼女の顔が思い浮かんだ。
(いやいや、なんで舞衣なんだ……)
 大人しい顔をしているのに、浩輔の腰の動きに善がって卑猥な声で啼いている。
 隣の部屋からは、最高潮に達する声が届く。
(俺も……俺も……)
 絶頂が近づいていた。

(虚しい……)
 ミサでもマユカでもない、自分の手で、舞衣を想像して果てるとは。
(くぅー……)
 俺相当溜まってる、と肩で息を整えた。
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