伝えたい、伝えられない。

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13.訪問

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***

(彼女さんと住んでるって前に聞いたことあるけど、どうしよう彼女さんが出てきたら……。あ、でも、遊園地に一緒に行ったし……それは知ってるのかな)
 小夜子に、創平のアパートの住所を教えてもらい、スマホのナビに従いながら自転車で向かった。暗くなる前に行ったほうがいいから、と早く上がらせてもらった。
 社長に「荷物を持っていってやれ」と言われたものの、創平の荷物は少ない。ボディバッグ一つだし、それは山岡に連れて帰ってもらう際に持って行ってもらっていた。
 社長夫妻から、紙袋に入れられた衣類と、スポーツドリンクを持って、真緒はドアの前に立った。
(心配だけど……わたし、松浦さんに嫌われてるのに、迷惑じゃないのかな……)
 最近は睨まれなくはなったけれど。
 息を吸って、チャイムに手を伸ばした。

***

 ドアホンが鳴り、
「はいー……」
 とのろのろとスコープを覗くと、創平は目を見開いた。
「えっ、なんで!?」
 真緒がそこにいたからだ。
 小さくパニックになっていた。
(なんで倉橋さんが)
「お疲れ……」
『お疲れ様です。あの……具合はいかがですか?』
 真緒は電子メモを取り出し、急いで書くとそれを見せた。
「あ、うん、昼前に帰ってからずっと寝てるし、だいぶ楽になった」
 心配してくれたのか、と真緒を見下ろす。
 不安そうな表情だったが、創平の顔を見て泣きそうな顔になっていた。
「心配してくれた……とか」
 真緒は何度も頷いた。
「ありがと……」
(あんなにひどいことばっかり言ってきたのに、そんなヤツの心配までして……)
 みんなに好かれるよな、と彼女を見た。
 慌てて目を逸らした真緒は、手に持っていた紙袋を突き出した。
「これは?」
『社長と小夜子さんから預かりました』
 受け取った創平は、中に着替えやスポーツドリンクがあるのを見て、頷いた。
「着替え、昨日濡れから干して、置きっぱなしだったやつか……。小夜子さんが畳んでくれたのか」
『…………』
 真緒は頷かず、じっと創平の手元を見ている。
「もしかして、乾いたのを畳んでくれたのって、倉橋さん……とか」
 こくり、と彼女は頷いた。
 山岡が以前言っていた。
 気が利く、と。
(こんなところまで……)
「ありがと」
 いいえ、と真緒は首を振った。
「あの……散らかってるけど、上がる?」
 思わずそう口走っていた。
『えっ』
 真緒が仰け反って驚き、
『これを届けにきただけなので』
 と両手を胸の前で振った。
「お茶くらいなら出せるよ。寒かっただろ」
 と創平は笑った。
『でも……』
 真緒が再び遠慮をした時、

  ぐうぅ……

 盛大に腹の虫が鳴った。
「あ……」
 腹の虫なんてしょっちゅう鳴ってはいるが、今ここで鳴る必要はないのに、と俯いた。
「そういえば、朝も怠くて何も食ってなかったんだ。ずっと寝てたしな……」
 そう言うと、真緒はくすくすと笑ってくれた。
「腹が減るってことは、調子が戻りつつあるってことだよな」
『そう、ですね』
「あのさ、倉橋さん、何か……作れたりしない?」
 真緒の表情が固まった。
 自分で、何を言ってるのだと思ってしまうくらい、無茶な話だ。
 会社の後輩に食事を作らせようとしている、ハラスメントと言われても仕方のないことだと覚悟した。
『作れると思います』
「え、作れる……?」
 美味しくなくてもいいですか、とメモを見せられ、
「大丈夫、美味しくないはずない。じゃ、上がって。冷蔵庫勝手に開けていいから」
 真緒を部屋に招き入れた。
 ベッドの下に脱いだ服を放っていたが、慌ててベッドの上に投げた。
「ここ、台所。冷蔵庫……材料、そんなないけど……出来そうだったら、でいいし」
 真緒は小さく会釈して、冷蔵庫を開けた。
「いけそう?」
 少し考えたようだが、
『大丈夫です』
 と言ってくれた。
「やった……」
 心の声が洩れてしまっていることに、創平は気づかなかった。


 真緒は玉子丼を作ってくれた。
「マジで!  丼作る鍋ないのに!? こんなの作ってもらったことねぇ!」
 目の前に出された玉子丼に、舌鼓を打つ。
 冷蔵庫には碌なものが残っていなかったし、玉子と、きざみネギのパックがあったくらいだ。ストックしていた冷凍ごはんがあることを伝えると、真緒は調味料を確認したあとに作り始めたのだ。その時には何を作るのかはわからなかったのだが。
 創平は貪るように食べた。
「うんま……店の味みたい」
『お肉があれば、親子丼とか、カツ丼とか……出来たかもしれませんね』
「え? 何?」
 玉子丼に夢中で、真緒の手話を理解する余裕がなかった。
 真緒の手話がわからない創平は、すげえ、うめえ、というだけだ。
 照れくさそうに真緒は、創平が食べる様子を見ていた。
「うまっ……。マジでこんなの作ってもらったことねえな、あー幸せ」
『彼女さんに作ってもらったりはしないんですか』
「え? なんて?」
 かき込みながら、創平の視線が真緒の手に来た。
『いえ……』
「倉橋さん、絶対いいお嫁さんになるよな!」
 そう言ったあと、
「あ……」
 しまった、と創平は失言だと感じた。
 真緒は俯き、少し悲しそうな顔をした。 
「ごめん、セクハラだよな……」
 料理は男のためにするもの、と言っているようで、そんな決めつけるのは古い考えだと思ったからだ。そんな凝り固まった考えでは、悪いとは言わないが、良いとも思わない。
『大丈夫です……』
 大丈夫という手話を覚えてから、真緒が「大丈夫」をよく使うことに気付いた。
(そうやって、自分の感情や意見を我慢してんのかな)
「んでも……うめぇ、ホントうめぇ……」
 創平は完食した。
「ごちそうさまでした」
『彼女さん、は……』
「ん? なんて?」
 先程から真緒が何かを尋ねようとしていたが、躊躇っている様子だ。
「なになに、言いかけたなら言ってよ、気になる」
 真緒は、もじもじしていたが、
『彼女さんは、看病してくれないんですか?』
 と電子メモで質問してきた。
 思いがけない質問に創平は詰まってしまった。
「そんなの、いないよ」
『前に一緒に住んでいる彼女さんがいると聞きました』
 メモを書いて、創平に見せる。
「いつ頃聞いた話? とっくに別れてる」
 真緒がそんな質問をしてくるとは思わなかった。
『すみません……』
 手話で伝えてきたので、
「別に謝んなくてもいいよ」
 小さく笑った。
「傷ついてるわけでも、未練があるわけでもないし」
『そう、ですか……』
 上がり込んでしまって彼女さんに申し訳ないと思ったもので、とメモに書いて見せた。
「気にしなくても大丈夫だよ」
 こくり、と真緒は頷いた。
「じゃあさ、俺も質問していい?」
 と創平は真緒を見た。
 彼女はきょとんとして頷く。
「青葉の御曹司、いつ頃から?」
『?』
「言い寄られてんだろ?」
 彼女は驚いた顔をし、すぐに首を縦に振った。
 手話で「半年くらい前からです」と答える。
「えっと、半年? 半年くらい前っていうと、夏くらいからってこと!?」
『はい……』
 社長との打ち合わせで来た古川一真が、真緒に話しかけてきたのだという。その後ちょくちょく訪ねてくると、話しかけてくるようになったと言う。途中からは手話も使うようになっていたらしい。
「もしかして食事とか誘われたり?」
 おずおずと真緒が頷く。
「マジで!?」
『でも行ったことはないです。いつも断っています』
 必死な様子に、創平はそれが「断っている」という意味だと理解した。
(よかった……)
「あいつ、女に慣れてそうだし、もし行ってたら何されてたかわかんねぇ」
 俺らを見下してるの明らかだし、と個人的感情もぶつけた。
 メモ帳に、
『断ってもあきらめてくれなくて……どうしてわたしに執着するのかわかりません』
 そう書いた。
「まあ、倉橋さん、可愛いからさ。男がほっとかないんじゃないの……あ」
 言ったあとに「ゴメン」と謝った。
「セクハラになるか?」
『いえ、問題ないです。でも……可愛いとか言われたことないですよ……』
 恥ずかしそうに俯いた。
 創平がきょとんとすると、メモを見せる。
『そんなこと言われたことないです』
「あ、可愛いってこと? ……三流アイドルより、ずっと可愛いと思うけど……」
 創平の正直な気持ちだった。
『構わないでほしいんですけれど……』
「倉橋さんのこと狙ってるんだろうなあ」
『あの方にわたしは釣り合わないと思います。物珍しく思ってるだけです』
「ん、確かに倉橋さんにあいつは似合わないな」
(勿体ない)
 本当は取られたくない、と思うのだが、それは言えなかった。
「もし、また絡まれるようなことがあったら何とかしてやるから。山岡も、俺も」
『ありがとうございます』
 二人の間に沈黙が流れる。
 ふいに気まずくなり、お茶を飲み干すと、喉の音がやけに響いた。
『あのっ、片付けますね』
 真緒は洗い物もしてくれた。
 片付け終わると、真緒はすぐにそのまま玄関に向かった。
『そろそろ帰ります。長居してすみません』
「えっ、もう帰る?」
『はい』
「あ、いや、そう、だよな、暗くなるしな。送っていくよ」
『ダメです、安静にしていて下さい。大丈夫です、自転車で来ていますから」
 真緒が断っているのはわかった。
 外に出ようとする創平を、真緒が押し戻してきたのと、休めと言っていることはなんとなくわかったのだった。
「倉橋さん、今日はありがとう。美味い飯も食えて、すっげー嬉しかった。また作って……いや、なんでもねえ。えっと、今度ちゃんとお礼する。明日はちゃんと会社に行けそうだし」
『無理せず、ゆっくり休んでくださいね』
「ありがとう」
 それでは、と彼女は踵を返した。
「あ、待って!」
 真緒の細い手首をつかむと、真緒の動きが止まった。
「ありがと……見舞にきてくれて、ほんとにありがとう、すっげー……嬉しかった」
『はい』
 失礼します、と声は出ないが真緒の口が動いた。
「あのさ」
『?』
「あと……一人暮らしの男の部屋に、簡単にあがらない方がいいよ」
 真緒の顔が強ばる。
「……なんてな。社長には『おまえは送り狼の心配ない』って信頼してもらってるし。ほかの男の時は気をつけなよ。倉橋さん、帰り気をつけてな。送っていけなくてごめん」
『はい……また、明日。お大事に』
 真緒は上目遣いで、口許を緩めて言った。
(か、可愛い……)
 心臓がばくばくした。
(やばい……好きだ……倉橋さんが好きだ……手出しそうで危なかった……)

 翌朝出勤すると、もう真緒が出勤しており、創平を見た彼女は安堵した表情で挨拶をくれた。
「おはよ、昨日はありがとな」
『いえ……』
 二人の様子を山岡は見逃さなかった。
「昨日、真緒ちゃんが見舞に来てくれたんだろ」
「まあな」
「ヤった?」
 ペットボトルを口にしようとしていたところだったのが幸いだ。
「んなわけねーだろ!」
「身体から始まる恋もあるとか言ってたおまえが?」
「いつの話だよ!」
「ははは! 今のおまえはマジ恋中だったな」
 うるせえよ、と創平は言った。
「キスくらいはした?」
「するわけねえだろ」
「柔らかな身体を堪能したいだろ」
「なんで柔らかいって知ってんだよ」
「なんとなく。前に階段から落ちたとき言ってたよな。あ、おまえ今焦った?」
「……焦るだろ」
 昨日の出来事を話すと、山岡は驚いた。
「上がったんだ。飯まで作ってくれて?」
「最後に『一人暮らしの男の部屋に、簡単に上がるなよ』って言ってしまったから、もう二度と来てはくれないと思う」
「ふーん……」
 めちゃくちゃ進展してる、と山岡が呟くのが聞こえた。
「なあ……脈あると思う?」
「いや、ないな」
 山岡は言う。
 本気なのか、意地悪で言っているのか。
「青葉の御曹司に連れ去られるくらいなら、おまえが連れ去ってくれるほうが俺はいいと思ってる」
「連れ去りはしないけど」
「しないけど?」
「手ぇ出しそうでヤバかった……」
「…………」
 出す気はねえよ、と山岡を睨んだ。
「ンなことしたら、いろんな人間を敵に回すことになるし」
「確かに」
「倉橋さんに益々嫌われるだろうし」
「嫌われてはないだろ」
「どうだか」
「嫌ってる人間の、しかも男のアパート訪ねて、飯まで振る舞うもんかな」
「それは俺が頼んだから……」
 もごもごと口ごもると、山岡は苦々しい顔をした。
「会ったその日にヤれるおまえが、意気地なしだなあ。まあ、倉橋さんに本気ってことなのがわかるけど」
「協力してくれるんじゃないのかよ」
「するけどさ」
 じれったいんだよなぁ、と山岡は苦虫を噛み潰した顔になった。
「もうすぐ今年が終わるし……松浦、おまえ実家に帰るのか?」
「いや、アパートで年越し。まあ、正月くらいは帰るかもしんねえかな」
「だったらさ、クリスマスと初詣、真緒ちゃん誘えば?」
 山岡の思いがけない提案に、創平は真顔になった。

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