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29.挑発
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九月の末だと言うのに、まだまだ暑い日が続いている。
長袖の作業服は毎日汗臭い。
一応は夏用だが、暑いものは暑い。
それでも真夏に比べれば幾分ましだと思えるようにはなったものだ。
「暑いのが和らげば、里佳子もちょっとは楽になるのかな」
現場から戻る車内で、山岡が言った。
猛暑は妊婦にも相当堪えるらしく、自宅では山岡ができる限りのことはしているらしい。お腹も目立つようになってきたし、それでも勤務はしているので、自宅では気を休めてほしいのだという。
再来月から産休を取るつもりらしい。随分ギリギリなんだなと創平は思ったが、山岡の妻の職場では出産ギリギリまで働く人が少なくないという。医療従事業だと心強いところがあるのだろうか? 創平にはわからないが、働ける環境があるのはいいと素直に思えた。
「あと三ヶ月くらいか」
「うん、あと三ヶ月、もう三ヶ月、どっちかわかんないけど、楽しみだなあ」
そう言う山岡の顔は、既に父親の顔のようだ。
「性別はもうわかってんの?」
「うん、女の子。里佳子が嘘言ってなければ」
「嘘なんか言うのかよ」
「言わないけど」
「名前とか考えてんの?」
「ちょっとずつ、な。直前になったらバタバタしそうだしさ、候補は考えておこうかなって。キラキラネームとかドキュンネームにはするなって里佳子に言われてるし、真面目に考えてるところ」
そうか、と創平は笑った。
山岡の顔を見やると、とても嬉しそうだ。長い付き合いだが、こんなに嬉しそうな顔を見たことはない気がした。子供が生まれたら、もっと嬉しそうな顔をするのだろう。正直、羨ましかった。
「妊娠出産って命がけだろ? これから死ぬような思いするのにさ、俺がのらりくらりしてらんないし。出来ることはしないとな」
「……そうだな」
「今日は金曜日だし、俺が晩御飯作るんだよね。金、土、日は俺なの。だいぶ料理の腕も上がったし、今日はね、オムライス。食べられそうなものって限られてきたんだけど、俺が作るオムライスが食べたいって言うからさ」
「そうか」
(惚気かよ)
「オムライスか……」
そういえば、誕生日に真緒に、オムライスが食べたいと言って作ってもらったことがあったのを思い出した。
「おまえの作るオムライスってどんなの? ふわーってするやつ?」
ふと創平は言った。
「え? 卵で包むやつだよ。洋食屋で見るような、ふわーとろーってやつ? 俺にそんな技術ねえわ。とろーってのは、今の里佳子にはきついみたいだし、シンプルなやつだよ。卵で包むのも俺には相当高度なレベルだわ」
卵破れるし、と彼は苦笑した。
「それでも美味しいって言ってくれるから」
「惚気んなっつーの」
山岡は妻と仲睦まじい様子だ。
「あ、それにな、妊娠中は食中毒に危険性も高まるから、どのみちふわとろオムライスはNGなんだって。ちゃんと加熱したものを食べないと駄目らしいよ」
妊娠中は浮気する男もいると聞いたことがあるが、山岡は違うと言える。自分の父親も噂のような男ではなかったようだ。
(ま、あの母親だしな。浮気したくもなるはずなのに、献身的だった気がする)
自分の時はわからないが、弟や妹が生まれる前は、ごはんを作ってくれたり、普段よりも多く遊びに連れ出してくれていた気がした。
「真緒ちゃんはふわとろオムライス作ってくれるんだっけ」
「あー……うん」
誕生日にオムライスを作ってもらったことは、山岡に話していた。
真緒が料理が上手な理由も、話したことがある。
「最近は? 一緒に作るんだろ?」
「……いや」
「どうした?」
「うん……」
自分に話を振られ、しまったと感じた。
「……別れた」
「わか……ふうん……別れた!? って言ったか!? はあ?」
山岡の冷たい声が突き刺さった。
「嘘だろ」
「……ほんと」
「ちょっと待って……」
重い沈黙が流れた。
ごくり、と山岡の息を飲む音が聞こえるほどに、だ。
つき先刻まで、山岡の嬉しそうな声を聞いていたのに、急に静まりかえった車内はさながら通夜か葬式のようだった。
「彼女から何も聞いてない?」
「……ない」
真緒は山岡に何か話していると思っていた。真緒から指輪と鍵を返されて、もうひと月近くになっている。
「真緒ちゃん、ここんとこ……っていうか随分長い間暗い顔してるし、最初は体調悪いのかなくらいに思ってたけど、おまえとも全然目を合わせないなって思って。最初は、ケンカでもしたかなあって。それにしても長いなーと思ってたんだけど」
ケンカしたのか、って言ったらおまえならいつも何か言ってくるしさ、と山岡が言う。
敏い山岡が言ってくると、つい状況を話して相談してきた。
それをしてこないので、単に自分の気のせいかと思っていたようだ。妻のことで浮かれているので自分だけ目出度い頭になっているだけだ、と考えていたようだ。そう言った山岡だが、自分に対してそんなことを思えるあたりが、人への気遣いが自分より遙かに勝っているという証拠だった。
「で、理由は? 原因は? 浮気した?」
「してない。でも、疑われた」
「え? どういうこと?」
かつて付き合っていた園田茜が、訪ねてきた日の出来事を話して聞かせた。創平自身、真緒に何を言ったか一言一句はもう覚えてはいないが、概ねのやりとりを話した。
「面倒くさいって、言ったんだな」
「ああ」
「おまえが面倒くさいわ」
「……わかってる」
わかってる、と創平は外のほうを向いた。
「そんなのわかってんだよ」
「それに真緒ちゃんが、幼馴染の男の子か、俺を好きだったって言ったわけじゃないだろ」
初恋の相手、が森野圭太か山岡のどちらかで、あぶれたから仕方なく自分と付き合っているのだろう、創平は内心そう思っている。
だが、山岡は否定した。
「絶対に俺はない。俺に恋愛感情持ったことなんて絶対ないから」
「なんでそんなこと言える?」
「前も言っただろ。あの子の性格じゃ、そんな相手と話せないって。幼馴染の子のことは俺も会ったことないからわからねえけど、でも違うって言える」
「なんで断言できるんだ」
「俺はその初恋の相手を知ってるからな」
「……え?」
「本人から聞いたから」
「は?」
窓の外を見ていたが、山岡の横顔を見た。
山岡の表情は強ばっている。
惚気ていた先程の表情はもうどこにもない。
強ばっているというより、怒りを抑えているようにも見えた。怒りの相手はもちろん創平だろう。
誰だよ、って聞きたかった。
そして、山岡でも森野圭太でもないなら安心したかった。
ふと、創平の頭に過った。
──あの時の王子様なんだっけ?
森野圭太、柴村要と一緒に食事をした時、圭太が真緒に言った言葉だ。
真緒は、圭太の言葉に黙るように言っていた。
(王子様……俺?)
そして、真緒と言い争いのようなことになった時のことも。
──ずっと好き……。
ずっと好き、のあとに何か手話で言っていたが、その部分しか一瞬ではわからなかった。内を言っているのか後に続く言葉はもう覚えていないし、理解をしようともしなかったあ。
(ずっと好き……なんとか……って、俺に何か伝えようとしていた?)
「待って……」
思わず口元を手で覆った。
(真緒ちゃんの初恋の相手って……俺……?)
しかし、二十歳を過ぎての初恋?
嘘だろ、と呟いた。
しかも彼女が中途入社して半年も酷い態度だったのだ。そんな相手が初恋の相手だとは信じがたい。
(待て、森野君は「あの時の王子様」って言ったよな。てことは、最近じゃなくて以前にどこかで会ってるってことになるよな? どこかで会ったか? 全然わからん)
一人顔で七変化をしている創平に、山岡は冷ややかな視線を送ってきた。
(山岡とは会ったことがあるって言ってた。高校生の頃に助けてもらったって……。俺のことは話題に出てないってことは、それは俺は関係ないし)
今度は、わかんねー、と呟いた。
「あのさ、なんか必死で考えてるところ悪いんだけど」
「あ?」
「初恋の相手のとかそんなもんどうでもいいんだよ。結局のところ、今、おまえが真緒ちゃんをどう思ってるのか、ってとこが大事なわけよ。別れたっていうけど、どっちも『別れよう』って言ったわけじゃないし、真緒ちゃんが鍵と指輪を置いてっただけだろ」
「置いてっただけだろ、って、それは別れるってことだろ」
「あのなあ!?」
山岡が声を張った。
温厚な山岡がそんなふうになるときは、本気で怒っている。真緒に対して悪態をついてなかりいた時、山岡が激昂した時のようだ。
「お、ま、え、は! おまえはどうしたいんだよ!? 真緒ちゃんが別れるつもりて置いてったとして、おまえはすんなり受け入れるのか!? 好きなら縋れよ。かっこ悪いとか、みっともないとかそんなくっそつまんねえプライドなんかどうでもいいわ! フラれたらおんなじ会社で気まずいかもしんねえけど、そんなこと思う前に、自分の気持ちに正直になってみろよ。うじうじうじうじ……マジでうっざいわ!」
グサグサと突き刺さっていく。
「ダッサ……マジでおまえダッサ。初恋の相手に負けてるって思ってんだろ。もうその時点で負けてるわ。過去なんかどうでもいいだろ。おまえが本気なら、真っ向から勝負しろや。ほんとクソみたなやつ。性格悪いだけじゃなくて、女々しいよな」
「おまえ……そこまで言うか。なんでおまえにそんなこと言われなきゃいけねえんだよ」
「ホントのことだろ。いつまでたっても真緒ちゃんに手ぇ出せないし、意気地無しもいいところだよな」
「はぁ!? それはあの子を大事にしてたからで」
「そんなの言い訳だろ。とっとと押し倒して、抱けばいいものを。毎日ヤりたいの我慢してんだもんなあ」
「はああああ!? ムカつく!」
運転をしている山岡の横っ面をはたいてやろうかとすら思う。
「おまえ、殴られてえのかよ」
「殴ればいいだろ? 事故って一緒にあの世に行くか」
山岡は挑発をしてくる。
しかし、本当にそんなことをして事故を起こせば、二人とも危険な目に遭うかもしれない。自分だけならまだしも、妊娠中の妻がいる山岡にそんな目に遭わせるわけにはいかない。
「行くかよ!」
「じゃあ、どうにかしろ」
「うるせえわ」
ふんっ、と創平はまた外を見た。
「おっかしいと思ったんだよなー。最近やたら青葉の御曹司と話してるみたいだしさ、おまえと付き合って余裕できたんだなー真緒ちゃんも、って思ってたら、そういうことか。おまえみたいなクソヤローやめて、御曹司と付き合うことにしたのかなあ。美味しいお店の検索してたしなー」
「は?」
もう乗り換えたのかよ、と創平は歯がみした。
「まあ、性格の悪いおまえより、さっさと手え出してくる男のほうが気概あるかもなー。誰かさんなんて、当たっても来ないから砕けようもないわな」
ムカつく、と創平は山岡の台詞を黙って聞いていた。
本当は言い返したくてたまらない。
「真緒ちゃんもほんとはま……」
「うるせえよ、男らしく当たって砕けてやるから見とけ!」
会社に戻るまで、苛苛が収まらなかった。
山岡がにやりと笑ったことにも気づかない創平だった。
長袖の作業服は毎日汗臭い。
一応は夏用だが、暑いものは暑い。
それでも真夏に比べれば幾分ましだと思えるようにはなったものだ。
「暑いのが和らげば、里佳子もちょっとは楽になるのかな」
現場から戻る車内で、山岡が言った。
猛暑は妊婦にも相当堪えるらしく、自宅では山岡ができる限りのことはしているらしい。お腹も目立つようになってきたし、それでも勤務はしているので、自宅では気を休めてほしいのだという。
再来月から産休を取るつもりらしい。随分ギリギリなんだなと創平は思ったが、山岡の妻の職場では出産ギリギリまで働く人が少なくないという。医療従事業だと心強いところがあるのだろうか? 創平にはわからないが、働ける環境があるのはいいと素直に思えた。
「あと三ヶ月くらいか」
「うん、あと三ヶ月、もう三ヶ月、どっちかわかんないけど、楽しみだなあ」
そう言う山岡の顔は、既に父親の顔のようだ。
「性別はもうわかってんの?」
「うん、女の子。里佳子が嘘言ってなければ」
「嘘なんか言うのかよ」
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「名前とか考えてんの?」
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そうか、と創平は笑った。
山岡の顔を見やると、とても嬉しそうだ。長い付き合いだが、こんなに嬉しそうな顔を見たことはない気がした。子供が生まれたら、もっと嬉しそうな顔をするのだろう。正直、羨ましかった。
「妊娠出産って命がけだろ? これから死ぬような思いするのにさ、俺がのらりくらりしてらんないし。出来ることはしないとな」
「……そうだな」
「今日は金曜日だし、俺が晩御飯作るんだよね。金、土、日は俺なの。だいぶ料理の腕も上がったし、今日はね、オムライス。食べられそうなものって限られてきたんだけど、俺が作るオムライスが食べたいって言うからさ」
「そうか」
(惚気かよ)
「オムライスか……」
そういえば、誕生日に真緒に、オムライスが食べたいと言って作ってもらったことがあったのを思い出した。
「おまえの作るオムライスってどんなの? ふわーってするやつ?」
ふと創平は言った。
「え? 卵で包むやつだよ。洋食屋で見るような、ふわーとろーってやつ? 俺にそんな技術ねえわ。とろーってのは、今の里佳子にはきついみたいだし、シンプルなやつだよ。卵で包むのも俺には相当高度なレベルだわ」
卵破れるし、と彼は苦笑した。
「それでも美味しいって言ってくれるから」
「惚気んなっつーの」
山岡は妻と仲睦まじい様子だ。
「あ、それにな、妊娠中は食中毒に危険性も高まるから、どのみちふわとろオムライスはNGなんだって。ちゃんと加熱したものを食べないと駄目らしいよ」
妊娠中は浮気する男もいると聞いたことがあるが、山岡は違うと言える。自分の父親も噂のような男ではなかったようだ。
(ま、あの母親だしな。浮気したくもなるはずなのに、献身的だった気がする)
自分の時はわからないが、弟や妹が生まれる前は、ごはんを作ってくれたり、普段よりも多く遊びに連れ出してくれていた気がした。
「真緒ちゃんはふわとろオムライス作ってくれるんだっけ」
「あー……うん」
誕生日にオムライスを作ってもらったことは、山岡に話していた。
真緒が料理が上手な理由も、話したことがある。
「最近は? 一緒に作るんだろ?」
「……いや」
「どうした?」
「うん……」
自分に話を振られ、しまったと感じた。
「……別れた」
「わか……ふうん……別れた!? って言ったか!? はあ?」
山岡の冷たい声が突き刺さった。
「嘘だろ」
「……ほんと」
「ちょっと待って……」
重い沈黙が流れた。
ごくり、と山岡の息を飲む音が聞こえるほどに、だ。
つき先刻まで、山岡の嬉しそうな声を聞いていたのに、急に静まりかえった車内はさながら通夜か葬式のようだった。
「彼女から何も聞いてない?」
「……ない」
真緒は山岡に何か話していると思っていた。真緒から指輪と鍵を返されて、もうひと月近くになっている。
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ケンカしたのか、って言ったらおまえならいつも何か言ってくるしさ、と山岡が言う。
敏い山岡が言ってくると、つい状況を話して相談してきた。
それをしてこないので、単に自分の気のせいかと思っていたようだ。妻のことで浮かれているので自分だけ目出度い頭になっているだけだ、と考えていたようだ。そう言った山岡だが、自分に対してそんなことを思えるあたりが、人への気遣いが自分より遙かに勝っているという証拠だった。
「で、理由は? 原因は? 浮気した?」
「してない。でも、疑われた」
「え? どういうこと?」
かつて付き合っていた園田茜が、訪ねてきた日の出来事を話して聞かせた。創平自身、真緒に何を言ったか一言一句はもう覚えてはいないが、概ねのやりとりを話した。
「面倒くさいって、言ったんだな」
「ああ」
「おまえが面倒くさいわ」
「……わかってる」
わかってる、と創平は外のほうを向いた。
「そんなのわかってんだよ」
「それに真緒ちゃんが、幼馴染の男の子か、俺を好きだったって言ったわけじゃないだろ」
初恋の相手、が森野圭太か山岡のどちらかで、あぶれたから仕方なく自分と付き合っているのだろう、創平は内心そう思っている。
だが、山岡は否定した。
「絶対に俺はない。俺に恋愛感情持ったことなんて絶対ないから」
「なんでそんなこと言える?」
「前も言っただろ。あの子の性格じゃ、そんな相手と話せないって。幼馴染の子のことは俺も会ったことないからわからねえけど、でも違うって言える」
「なんで断言できるんだ」
「俺はその初恋の相手を知ってるからな」
「……え?」
「本人から聞いたから」
「は?」
窓の外を見ていたが、山岡の横顔を見た。
山岡の表情は強ばっている。
惚気ていた先程の表情はもうどこにもない。
強ばっているというより、怒りを抑えているようにも見えた。怒りの相手はもちろん創平だろう。
誰だよ、って聞きたかった。
そして、山岡でも森野圭太でもないなら安心したかった。
ふと、創平の頭に過った。
──あの時の王子様なんだっけ?
森野圭太、柴村要と一緒に食事をした時、圭太が真緒に言った言葉だ。
真緒は、圭太の言葉に黙るように言っていた。
(王子様……俺?)
そして、真緒と言い争いのようなことになった時のことも。
──ずっと好き……。
ずっと好き、のあとに何か手話で言っていたが、その部分しか一瞬ではわからなかった。内を言っているのか後に続く言葉はもう覚えていないし、理解をしようともしなかったあ。
(ずっと好き……なんとか……って、俺に何か伝えようとしていた?)
「待って……」
思わず口元を手で覆った。
(真緒ちゃんの初恋の相手って……俺……?)
しかし、二十歳を過ぎての初恋?
嘘だろ、と呟いた。
しかも彼女が中途入社して半年も酷い態度だったのだ。そんな相手が初恋の相手だとは信じがたい。
(待て、森野君は「あの時の王子様」って言ったよな。てことは、最近じゃなくて以前にどこかで会ってるってことになるよな? どこかで会ったか? 全然わからん)
一人顔で七変化をしている創平に、山岡は冷ややかな視線を送ってきた。
(山岡とは会ったことがあるって言ってた。高校生の頃に助けてもらったって……。俺のことは話題に出てないってことは、それは俺は関係ないし)
今度は、わかんねー、と呟いた。
「あのさ、なんか必死で考えてるところ悪いんだけど」
「あ?」
「初恋の相手のとかそんなもんどうでもいいんだよ。結局のところ、今、おまえが真緒ちゃんをどう思ってるのか、ってとこが大事なわけよ。別れたっていうけど、どっちも『別れよう』って言ったわけじゃないし、真緒ちゃんが鍵と指輪を置いてっただけだろ」
「置いてっただけだろ、って、それは別れるってことだろ」
「あのなあ!?」
山岡が声を張った。
温厚な山岡がそんなふうになるときは、本気で怒っている。真緒に対して悪態をついてなかりいた時、山岡が激昂した時のようだ。
「お、ま、え、は! おまえはどうしたいんだよ!? 真緒ちゃんが別れるつもりて置いてったとして、おまえはすんなり受け入れるのか!? 好きなら縋れよ。かっこ悪いとか、みっともないとかそんなくっそつまんねえプライドなんかどうでもいいわ! フラれたらおんなじ会社で気まずいかもしんねえけど、そんなこと思う前に、自分の気持ちに正直になってみろよ。うじうじうじうじ……マジでうっざいわ!」
グサグサと突き刺さっていく。
「ダッサ……マジでおまえダッサ。初恋の相手に負けてるって思ってんだろ。もうその時点で負けてるわ。過去なんかどうでもいいだろ。おまえが本気なら、真っ向から勝負しろや。ほんとクソみたなやつ。性格悪いだけじゃなくて、女々しいよな」
「おまえ……そこまで言うか。なんでおまえにそんなこと言われなきゃいけねえんだよ」
「ホントのことだろ。いつまでたっても真緒ちゃんに手ぇ出せないし、意気地無しもいいところだよな」
「はぁ!? それはあの子を大事にしてたからで」
「そんなの言い訳だろ。とっとと押し倒して、抱けばいいものを。毎日ヤりたいの我慢してんだもんなあ」
「はああああ!? ムカつく!」
運転をしている山岡の横っ面をはたいてやろうかとすら思う。
「おまえ、殴られてえのかよ」
「殴ればいいだろ? 事故って一緒にあの世に行くか」
山岡は挑発をしてくる。
しかし、本当にそんなことをして事故を起こせば、二人とも危険な目に遭うかもしれない。自分だけならまだしも、妊娠中の妻がいる山岡にそんな目に遭わせるわけにはいかない。
「行くかよ!」
「じゃあ、どうにかしろ」
「うるせえわ」
ふんっ、と創平はまた外を見た。
「おっかしいと思ったんだよなー。最近やたら青葉の御曹司と話してるみたいだしさ、おまえと付き合って余裕できたんだなー真緒ちゃんも、って思ってたら、そういうことか。おまえみたいなクソヤローやめて、御曹司と付き合うことにしたのかなあ。美味しいお店の検索してたしなー」
「は?」
もう乗り換えたのかよ、と創平は歯がみした。
「まあ、性格の悪いおまえより、さっさと手え出してくる男のほうが気概あるかもなー。誰かさんなんて、当たっても来ないから砕けようもないわな」
ムカつく、と創平は山岡の台詞を黙って聞いていた。
本当は言い返したくてたまらない。
「真緒ちゃんもほんとはま……」
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