40 / 65
32.初恋の人
しおりを挟む
「そういえば昨日聞き忘れた、初恋の相手の話、今日聞かせてよ」
日曜日、また真緒を部屋に呼んで、今日はまたのんびりと過ごしている。
今日は午後に来てもらって、一緒にスーパーに買い物に出かけた。今夜の晩御飯は一緒に作って食べることしたからだ。食べずに真緒は帰っていくことも多い。送って行き、倉橋家でごちそうになることもあるが、こうして時折は一緒に食事をする。もちろん真緒の両親に咎められない時間までには送り届ける。
今日は、子供のようだが、ハンバーグを作ろうということになったのだった。
(もしかしたら、今日も……するかもしれないしな……)
淡い期待を抱いている創平だった。
買ってきた材料を冷蔵庫にしまうと、今度は冷凍庫からシャーベットを取り出した。以前真緒と食べようとコンビニで買って、そのままにしていた物だった。真緒と会わなくなって忘れていたが、昨日冷凍庫を覗いて思い出したのだ。
注いだ麦茶とシャーベットをローテーブルに置き、食べるよう勧めた。レモン味とソーダ味があり、真緒に選ばせると遠慮したが、再度選ばせるとレモン味を選んだ。
「よし、食べよう。食べながら聞かせて。あ、溶けない程度にな」
シャクシャクと小気味いい音が心地よい。
買ったのは真夏で猛暑続きの日だったが、今でもまだ暑い。喉を潤すにはいいスイーツだと思えた。
「俺、どこかであったことあったんだ?」
うん、と真緒は頷いた。
『二回……』
「二回、二回? ごめん、俺、全然覚えてなくて」
仕方ないですよ、と彼女は笑う。
『だって、一度目は小学生の頃ですし』
「そんなに前に……」
小学三年生になったばかりの頃、目を付けられていたガキ大将グループに川に突き落とされたことがあったと話してくれた。いつもは、森野圭太か柴村要が一緒だがその日に限って二人ともいなかったという。
(子供の頃から可愛かったんだろうし)
そこを通りがかった高校生二人が助けてくれたと真緒は嬉しそうに言った。
「それが俺」
『……はい』
だがその時は高校生がどこの学校で、どんな人なのか、子供の自分には全くわからず、その時は何の礼も言うことができなかったようだ。
「そのクソガキどもはどうなった?」
四人組の一人が、捕まえられた際にランドセルを置いて行き、当時の真緒は、親には話せなかったが圭太と要に相談したようだ。二人と二人の両親に相談し、さらに彼らが真緒の両親に報告をしたことで、ガキ大将の保護者達にも連絡が行く。結果、ランドセルを返す代わりに、真緒に怪我をさせたことを謝罪させた……治療費や教科書等の費用を弁償すると言ったが、圭太が、
『金で解決させるな! でも金払いたくないやつもいるから、そんな謝罪だけですませないでくれ、って三人の両親達に訴えて』
と真緒は可笑しそうに言った。創平には全く可笑しくないのだが、なぜか彼女には、当時のことを思い出すと可笑しいものだったようだ。
『小学生が、そんなこと言いませんよね。ガキ大将の保護者の一人が、ちょっとまずい人で、お金なんか払いたくないっていうタイプだったんです。あとの人は、お金で解決したい親たちで。だから圭ちゃんが……』
ぷっ、と真緒が吹き出した。
圭太は小さい頃から大人びていたらしい。両親の支えになっていたからだろう、ということは想像が出来た。
『真緒のサンドバッグになるのが条件だ、って』
「サンドバッグ……サンドバッグ? って、あのサンドバッグ?」
ボクサーがパンチするやつか、と創平は首を傾げた。
『……結局、二人の見えないところでの意地悪はなくならなかったんですけど』
「えー……クソかよ」
『一人が圭ちゃんに見つかって』
「え、どうなったの?」
『サンドバッグにされました』
「えっ!?」
真緒は、風が吹くような声で、くふふと笑っている。
(こっわ……)
『圭ちゃんは小学校二年生からサッカー続けていて』
そういえば圭太はサッカー部で、要はバスケ部だと言っていた。
『真緒がサンドバッグにしないなら俺がやる、って。実際はサンドバッグじゃなくて、サッカーボールの的代わりになってくれましたよ』
高校三年までずっと、と彼女はにっこり笑った。
「……そ、そう」
あの子そんな怖いんだ、と創平は身震いした。シャーベットの冷たさも相まって、少し寒くなった。
『圭ちゃんがサッカー上達したのは、あの子のおかげかもしれません』
「そ、そうかな、練習のおかげとか実力や努力だと思うよ……」
こわっ、と内心では叫ぶ創平だ。
『実際にサンドバッグにしたら、暴力って言われかねませんから』
(いや、ちょっとした暴力じゃ……?)
結局他の三人も……サンドバッグや的にはならなかったが、真緒にちょっかいを出すのは次第にやめていったという話だった。圭太と要に睨まれると恐ろしいことになるとわかったかららしい。
要も、子供の頃から長身で、格好も良く、何より女子の人気が高く、中学時代のバレンタインのチョコ受け取り数は、人気男子生徒並みだったそうだ。彼女に目を付けられると、当然多くの女子の評価を失うに等しく、真緒やその他のいじめの標的になりそうな生徒達に揶揄いや冷やかしはほぼなくなっていたという。
(かっこええ……)
何より二人の性格が菩薩のようで、仕打ちは悪魔だった。
真緒は嬉しそうに、何より自慢げに話してくれた。
なんだか、聞かない方が良いことまで聞いてしまった気がする創平だった。
「それが初恋? ではなさそうだよな」
はい、と彼女は頷いた。
『高校生の時に……また助けてもらったんです』
松浦さんと山岡さんに、と彼女は笑った。
学校帰り、自転車のチェーンが外れて困っているときに、通りがかった二人に助けてもらったということだった。
「ごめん記憶が……」
『そうですよね、そんなこと、覚えてないと思います』
「覚えてないだろ、って? うん、ごめん」
気にしないでください、と彼女は自分のレモン味のシャーベットを掬って創平の口に運んだ。自然と口が開いてそれを口に含む。
不意打ちの行動に創平は気恥ずかしくなった。真緒がこんなことをするとは思わなかったからだ。
「じゃあ、俺も」
自分のソーダ味のものを掬うと、真緒の口に運んだ。
同じようにぱくりと食べてくれた。
にこにこと笑う真緒は、話を続ける。
『昔、助けてくれた人だ、ってわかって』
五年くらい前の自分なら、間違いなくここで働いている。山岡と自分だとわかった。
(山岡と会った、ってのはこのことか)
創平が応急処置をしてくれたことがとても嬉しくて、この人は小学生の頃に助けてくれた人だと気づいたらしい。
(二度も、会ってたのか……)
『お礼をしたかったけど、そんなのはいい、って言われました』
──じゃあさ、誰か困ってる人がいたら、今度はあんたが力になってあげたらいいと思う。それでチャラだ。俺も、いろんな人に助けてもらったからな。
真緒は電子メモに、創平に言われたという言葉を書いてくれた。
「え、俺、そんなこと言ったの」
『はい』
「うっわ、はずっ。てか俺、馬鹿なの、そんなキザなこと言ったの」
『はい』
「カッコ悪……俺のどの口がそんなこと言うわけ……」
困っている真緒に露骨に暴言を吐いて悪態をつき、毛嫌いをしてきた自分が、だ。そんなことを言っていたなんて思わなかった。
穴があったら入りたい、とはこのことだ。
「俺、その時の俺を殴りてぇ……」
『すごく素敵だと思いました』
「いや全然だ……」
『また逢いたい、って思いました。たぶん、一目惚れだったと思います』
「ひ、と、め、ぼ、れ……一目惚れ!?」
これはもう消えてしまいたいくらい恥ずかしいと思った。
『ずっとお礼を伝えかったんです……。草野工業、って刺繍がしてあって……。まさか叔母夫婦の会社の社員さんだなんて、運命の王子様かも、って思いました』
真緒はゆっくり手話で伝えてくれた。
固有名詞は、指文字なので、創平も理解ができた。
「運命の王子様?」
そう言ったように見えたが、間違っているかもしれない、と創平は口にした。
『あっ……』
真緒の顔は「しまった」という表情だった。
自分の手話解釈は間違っていなかったようだが、彼女は焦っている。
「王子、様……」
そういえば圭太が言っていた。
──あの時の王子様なんだっけ?
(俺かよっ!)
どう見ても王子様というツラではないが。
(そんな柄じゃねえのわかってるし!)
「で、続き、早く聞かせて」
王子様はもういい、と話を急かした。
そのことに触れられなくてすんでほっとしたのか、真緒は頷いて続きを話してくれた。
『叔母夫婦の会社なら、いつかお礼を……伝えられるかもしれない、って思いました。休みの日の清掃作業の手伝いをしに行ったりしてました』
今も毎日やってくれているが、ヘルメットを磨いたり、安全靴の点検をしたり……この頃からやっていたようだ。
『その時はお名前も知らないし、情報も何もなかったですけど、間接的に何かお役に立ててるのかなって勝手に、自己満足で……。そしたら何年か後に就職することになって』
創平と会話をすることはできないが、会うことができて嬉しかった、と話してくれた。
『直接お礼なんて言えないから、仕事で恩返ししようと思って……』
「けど俺の態度は酷いもんだったよな」
と言うと、少し悲しげな表情になった。
『仕方ないです。ご迷惑ばかりおかけしてましたから』
創平以外の人間は、真緒にハンデがあることを知っていた、あるいは気づいていたのに、創平だけは気づこうともしなかった。
今でも自分の行いが恥ずかしい。
『松浦さんにお付き合いしている人がいるのも聞いていましたし』
山岡からの情報だろう。
『ただ見てるだけでよかったんですけど。嫌われてるって思っても、会えるのはとても嬉しかったですし』
「真緒ってドMなの、俺、かなりひどい態度だったよ? てっきり嫌われてると思ってたのに、俺を好きとかって……」
嫌いにはなれません、と真緒は笑った。
「……でもさ、結局は……俺が真緒に惚れた、んだよな」
『…………』
真緒は俯き、シャーベットを掬った。
シャクシャクシャク……二人がシャーベットを掬う音だけになった。
真緒は手話ではなく、電子メモにこう書いた。
《松浦さんには何度も助けてもらいました。ずっと伝えたかった》
『ありがとうございます』
手話でゆっくり伝えてきた。
創平が最初の頃に覚えた手話の一つだ。
何度も見聞きしてきた言葉だが、このありがとうが一番胸に沁みた。
「うん……どういたしまして」
にっかりと笑った。
「これからも、よろしくな」
『はい!』
「真緒の方が俺を先に好きだったんだな。ずっと……なんか、ごめん」
『いいえ、謝らないでください』
「俺を好きになってくれてありがとな」
創平は身を乗り出し、まだシャーベットを食べている真緒の後頭部に手をやり、引き寄せて唇をぶつけた。
驚き目を見開く真緒の身体が停止している。
すぐに離れ、その顔を覗き込んだ。
「レモン味だな」
ぺろりと唇と舐め、にやっと笑った。
『………もう』
不意打ちひどいです、と真緒は頬を膨らませる。その顔も可愛い。
「でも嫌いじゃないだろ、こういうの」
『……嫌いじゃ、ないです、けど』
「嫌いじゃないんだな」
よしよし、と創平は満足げに言った。
シャーベットを平らげ、まだそれと格闘している真緒を見つめた。
「ありがとな」
こくり、と真緒は頷いてくれたのだった。
日曜日、また真緒を部屋に呼んで、今日はまたのんびりと過ごしている。
今日は午後に来てもらって、一緒にスーパーに買い物に出かけた。今夜の晩御飯は一緒に作って食べることしたからだ。食べずに真緒は帰っていくことも多い。送って行き、倉橋家でごちそうになることもあるが、こうして時折は一緒に食事をする。もちろん真緒の両親に咎められない時間までには送り届ける。
今日は、子供のようだが、ハンバーグを作ろうということになったのだった。
(もしかしたら、今日も……するかもしれないしな……)
淡い期待を抱いている創平だった。
買ってきた材料を冷蔵庫にしまうと、今度は冷凍庫からシャーベットを取り出した。以前真緒と食べようとコンビニで買って、そのままにしていた物だった。真緒と会わなくなって忘れていたが、昨日冷凍庫を覗いて思い出したのだ。
注いだ麦茶とシャーベットをローテーブルに置き、食べるよう勧めた。レモン味とソーダ味があり、真緒に選ばせると遠慮したが、再度選ばせるとレモン味を選んだ。
「よし、食べよう。食べながら聞かせて。あ、溶けない程度にな」
シャクシャクと小気味いい音が心地よい。
買ったのは真夏で猛暑続きの日だったが、今でもまだ暑い。喉を潤すにはいいスイーツだと思えた。
「俺、どこかであったことあったんだ?」
うん、と真緒は頷いた。
『二回……』
「二回、二回? ごめん、俺、全然覚えてなくて」
仕方ないですよ、と彼女は笑う。
『だって、一度目は小学生の頃ですし』
「そんなに前に……」
小学三年生になったばかりの頃、目を付けられていたガキ大将グループに川に突き落とされたことがあったと話してくれた。いつもは、森野圭太か柴村要が一緒だがその日に限って二人ともいなかったという。
(子供の頃から可愛かったんだろうし)
そこを通りがかった高校生二人が助けてくれたと真緒は嬉しそうに言った。
「それが俺」
『……はい』
だがその時は高校生がどこの学校で、どんな人なのか、子供の自分には全くわからず、その時は何の礼も言うことができなかったようだ。
「そのクソガキどもはどうなった?」
四人組の一人が、捕まえられた際にランドセルを置いて行き、当時の真緒は、親には話せなかったが圭太と要に相談したようだ。二人と二人の両親に相談し、さらに彼らが真緒の両親に報告をしたことで、ガキ大将の保護者達にも連絡が行く。結果、ランドセルを返す代わりに、真緒に怪我をさせたことを謝罪させた……治療費や教科書等の費用を弁償すると言ったが、圭太が、
『金で解決させるな! でも金払いたくないやつもいるから、そんな謝罪だけですませないでくれ、って三人の両親達に訴えて』
と真緒は可笑しそうに言った。創平には全く可笑しくないのだが、なぜか彼女には、当時のことを思い出すと可笑しいものだったようだ。
『小学生が、そんなこと言いませんよね。ガキ大将の保護者の一人が、ちょっとまずい人で、お金なんか払いたくないっていうタイプだったんです。あとの人は、お金で解決したい親たちで。だから圭ちゃんが……』
ぷっ、と真緒が吹き出した。
圭太は小さい頃から大人びていたらしい。両親の支えになっていたからだろう、ということは想像が出来た。
『真緒のサンドバッグになるのが条件だ、って』
「サンドバッグ……サンドバッグ? って、あのサンドバッグ?」
ボクサーがパンチするやつか、と創平は首を傾げた。
『……結局、二人の見えないところでの意地悪はなくならなかったんですけど』
「えー……クソかよ」
『一人が圭ちゃんに見つかって』
「え、どうなったの?」
『サンドバッグにされました』
「えっ!?」
真緒は、風が吹くような声で、くふふと笑っている。
(こっわ……)
『圭ちゃんは小学校二年生からサッカー続けていて』
そういえば圭太はサッカー部で、要はバスケ部だと言っていた。
『真緒がサンドバッグにしないなら俺がやる、って。実際はサンドバッグじゃなくて、サッカーボールの的代わりになってくれましたよ』
高校三年までずっと、と彼女はにっこり笑った。
「……そ、そう」
あの子そんな怖いんだ、と創平は身震いした。シャーベットの冷たさも相まって、少し寒くなった。
『圭ちゃんがサッカー上達したのは、あの子のおかげかもしれません』
「そ、そうかな、練習のおかげとか実力や努力だと思うよ……」
こわっ、と内心では叫ぶ創平だ。
『実際にサンドバッグにしたら、暴力って言われかねませんから』
(いや、ちょっとした暴力じゃ……?)
結局他の三人も……サンドバッグや的にはならなかったが、真緒にちょっかいを出すのは次第にやめていったという話だった。圭太と要に睨まれると恐ろしいことになるとわかったかららしい。
要も、子供の頃から長身で、格好も良く、何より女子の人気が高く、中学時代のバレンタインのチョコ受け取り数は、人気男子生徒並みだったそうだ。彼女に目を付けられると、当然多くの女子の評価を失うに等しく、真緒やその他のいじめの標的になりそうな生徒達に揶揄いや冷やかしはほぼなくなっていたという。
(かっこええ……)
何より二人の性格が菩薩のようで、仕打ちは悪魔だった。
真緒は嬉しそうに、何より自慢げに話してくれた。
なんだか、聞かない方が良いことまで聞いてしまった気がする創平だった。
「それが初恋? ではなさそうだよな」
はい、と彼女は頷いた。
『高校生の時に……また助けてもらったんです』
松浦さんと山岡さんに、と彼女は笑った。
学校帰り、自転車のチェーンが外れて困っているときに、通りがかった二人に助けてもらったということだった。
「ごめん記憶が……」
『そうですよね、そんなこと、覚えてないと思います』
「覚えてないだろ、って? うん、ごめん」
気にしないでください、と彼女は自分のレモン味のシャーベットを掬って創平の口に運んだ。自然と口が開いてそれを口に含む。
不意打ちの行動に創平は気恥ずかしくなった。真緒がこんなことをするとは思わなかったからだ。
「じゃあ、俺も」
自分のソーダ味のものを掬うと、真緒の口に運んだ。
同じようにぱくりと食べてくれた。
にこにこと笑う真緒は、話を続ける。
『昔、助けてくれた人だ、ってわかって』
五年くらい前の自分なら、間違いなくここで働いている。山岡と自分だとわかった。
(山岡と会った、ってのはこのことか)
創平が応急処置をしてくれたことがとても嬉しくて、この人は小学生の頃に助けてくれた人だと気づいたらしい。
(二度も、会ってたのか……)
『お礼をしたかったけど、そんなのはいい、って言われました』
──じゃあさ、誰か困ってる人がいたら、今度はあんたが力になってあげたらいいと思う。それでチャラだ。俺も、いろんな人に助けてもらったからな。
真緒は電子メモに、創平に言われたという言葉を書いてくれた。
「え、俺、そんなこと言ったの」
『はい』
「うっわ、はずっ。てか俺、馬鹿なの、そんなキザなこと言ったの」
『はい』
「カッコ悪……俺のどの口がそんなこと言うわけ……」
困っている真緒に露骨に暴言を吐いて悪態をつき、毛嫌いをしてきた自分が、だ。そんなことを言っていたなんて思わなかった。
穴があったら入りたい、とはこのことだ。
「俺、その時の俺を殴りてぇ……」
『すごく素敵だと思いました』
「いや全然だ……」
『また逢いたい、って思いました。たぶん、一目惚れだったと思います』
「ひ、と、め、ぼ、れ……一目惚れ!?」
これはもう消えてしまいたいくらい恥ずかしいと思った。
『ずっとお礼を伝えかったんです……。草野工業、って刺繍がしてあって……。まさか叔母夫婦の会社の社員さんだなんて、運命の王子様かも、って思いました』
真緒はゆっくり手話で伝えてくれた。
固有名詞は、指文字なので、創平も理解ができた。
「運命の王子様?」
そう言ったように見えたが、間違っているかもしれない、と創平は口にした。
『あっ……』
真緒の顔は「しまった」という表情だった。
自分の手話解釈は間違っていなかったようだが、彼女は焦っている。
「王子、様……」
そういえば圭太が言っていた。
──あの時の王子様なんだっけ?
(俺かよっ!)
どう見ても王子様というツラではないが。
(そんな柄じゃねえのわかってるし!)
「で、続き、早く聞かせて」
王子様はもういい、と話を急かした。
そのことに触れられなくてすんでほっとしたのか、真緒は頷いて続きを話してくれた。
『叔母夫婦の会社なら、いつかお礼を……伝えられるかもしれない、って思いました。休みの日の清掃作業の手伝いをしに行ったりしてました』
今も毎日やってくれているが、ヘルメットを磨いたり、安全靴の点検をしたり……この頃からやっていたようだ。
『その時はお名前も知らないし、情報も何もなかったですけど、間接的に何かお役に立ててるのかなって勝手に、自己満足で……。そしたら何年か後に就職することになって』
創平と会話をすることはできないが、会うことができて嬉しかった、と話してくれた。
『直接お礼なんて言えないから、仕事で恩返ししようと思って……』
「けど俺の態度は酷いもんだったよな」
と言うと、少し悲しげな表情になった。
『仕方ないです。ご迷惑ばかりおかけしてましたから』
創平以外の人間は、真緒にハンデがあることを知っていた、あるいは気づいていたのに、創平だけは気づこうともしなかった。
今でも自分の行いが恥ずかしい。
『松浦さんにお付き合いしている人がいるのも聞いていましたし』
山岡からの情報だろう。
『ただ見てるだけでよかったんですけど。嫌われてるって思っても、会えるのはとても嬉しかったですし』
「真緒ってドMなの、俺、かなりひどい態度だったよ? てっきり嫌われてると思ってたのに、俺を好きとかって……」
嫌いにはなれません、と真緒は笑った。
「……でもさ、結局は……俺が真緒に惚れた、んだよな」
『…………』
真緒は俯き、シャーベットを掬った。
シャクシャクシャク……二人がシャーベットを掬う音だけになった。
真緒は手話ではなく、電子メモにこう書いた。
《松浦さんには何度も助けてもらいました。ずっと伝えたかった》
『ありがとうございます』
手話でゆっくり伝えてきた。
創平が最初の頃に覚えた手話の一つだ。
何度も見聞きしてきた言葉だが、このありがとうが一番胸に沁みた。
「うん……どういたしまして」
にっかりと笑った。
「これからも、よろしくな」
『はい!』
「真緒の方が俺を先に好きだったんだな。ずっと……なんか、ごめん」
『いいえ、謝らないでください』
「俺を好きになってくれてありがとな」
創平は身を乗り出し、まだシャーベットを食べている真緒の後頭部に手をやり、引き寄せて唇をぶつけた。
驚き目を見開く真緒の身体が停止している。
すぐに離れ、その顔を覗き込んだ。
「レモン味だな」
ぺろりと唇と舐め、にやっと笑った。
『………もう』
不意打ちひどいです、と真緒は頬を膨らませる。その顔も可愛い。
「でも嫌いじゃないだろ、こういうの」
『……嫌いじゃ、ないです、けど』
「嫌いじゃないんだな」
よしよし、と創平は満足げに言った。
シャーベットを平らげ、まだそれと格闘している真緒を見つめた。
「ありがとな」
こくり、と真緒は頷いてくれたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる