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6.アパート(後編)
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「ねえ、答えはわかってるけど、彼女いないの?」
ブッ、と祐輔は口から吹き出しそうになる。
「きったなっ。飛ばさないでよ」
「飛ばしてないじゃないですか」
失敬な、と顔をしかめて春名を睨む。
「……そんなにダサけりゃ無理もないか」
「答えがわかってるなら聞かないで下さい」
ほっといて下さい、と祐輔は心底から腹を立てるところだった。
「星が恋人とか?」
「……余計なお世話ですっ」
「ふーん……図星。彼女いない歴イコール年齢、ってやつね」
「ほんとにほっといてくださいっ」
祐輔はカレー皿を奪ってやろうかとすら思った。
ねえ、と春名は言う。
「昨日わたしを見て『ミユキさん』って言ったよね。ミユキさんって誰? 元カノ? じゃないって言ってたっけ。アルバムにはそれらしき人、まだ出てこないし」
(よく覚えてるなあこの人……)
祐輔は言おうかどうか迷った。
どうせ春名はバカにするに決まっているのだ。
「中学の時の、一つ上の先輩ですよ。同じ天文部だったんです。写真はないですよ」
「ふーん」
ごくごく、と麦茶を飲み干す祐輔だ。
「んで? それだけ?」
「それだけです」
「なんだぁ、てっきり好きだったんです、とか言うのかと思った。つまんない」
「ご期待に添えなくてすみませんね。でも美幸さんは、みんなの憧れの人でしたよ。可愛いし、頭はいいし、運動だってできるのに、なぜか地味な天文部で、不思議な人で、みんな親しみを持ってましたよ」
美幸さんについてはそれだけです、と答えた。
「その人はその後どうなったの?」
「さあ……僕は一つ下でしたから、進路とかもさっぱりですねえ……。美幸さんには部員は星のことを色々教わりましたしね。美幸さんは今で星を見ているのかなあ……なんて思ったりもしますよ」
ごちそうさまでした、と祐輔は手を合わせた。
おっとっと、と春名は慌ててカレーを口に運んだ。
一気に食べてしまった春名は、同じように手を合わせた。
「ごちそうさま。ねーえ、わたしと似てるの?」
「うーん、どうでしょうね。似てるような、似てないような。中学時代の記憶ですしねえ……。僕は女性が苦手なので、誰でも同じように見えるのかもしれません」
「ふーん……」
僕の話はつまらなくてすみませんね、と祐輔は立ち上がる。
二人分の皿を下げ、炊事場に運んだ。
「ゆっくりして下さいね。一息ついたら、送りますから」
すぐ動くと胃に悪いですからね、と祐輔は言った。
卓袱台を布巾で拭くと、アルバムを乗せた。
「続き、見ていいですよ」
「あ、洗い物くらいはわたしがする」
春名は立ち上がった。
「いいですよ、ゆっくりして下さい」
「やるって。何から何までしてもらうのもなんだかね」
祐輔を押しのけ、春名がシンクの前に立った。
じゃあお願いします、と祐輔は春名に任せた。
春名はカチャカチャと食器を洗い始める。
「洗ったのはこっちに置いていいのよね」
「うん、そこにお願いします」
結構手際がよさそうだ。
我侭放題言っているわりには、結構家庭的なのかもしれない。
まあそんなことどうでもいいか、と祐輔は笑う。
洗い物を終えた春名は、祐輔のアルバムを返した。
「また今度機会があったら見して」
「あ、うん、はい」
返したアルバムだったが、春名はもう一度手に持ち、元の位置に戻した。
(そんな機会あるのかな)
「そのままでもいいのに」
「元に位置に戻しとくわ」
意外に律儀なのかな、と思った。
すると、いきなり春名は壁に耳を当てた。
「な、なにやってんですか、春名さん!」
「盗み聞きよ」
いけしゃあしゃあと彼女は言う。
「やめて下さいよ、そんな悪趣味なこと」
「聞こえきたら、でしょ」
春名の腕をひっぱる祐輔だったが春名は「うるさいわね」と祐輔の手を振り払った。
ややあって何も聞こえなかったのか、春名は壁から耳を離した。
「もう……やめて下さいよ。春名さんっていつもそんなことしてるんですか」
「んなわけないでしょ。ここのアパートの壁は薄いのかなーと思っただけよ」
うっさいわね、と春名は毒づいた。
やっぱり嫌な人だ、と祐輔は心のなかで呻く。
「ねえ、隣の部屋から声が聞こえてきたりする?」
なんでそんな質問を、と言うと、もう一度同じことを言った。
「聞こえるの?」
この人には何を言っても無駄かも。
「別に聞こうと思って聞いたことはないし、特に聞こえてきたこともないですよ」
「ふーん」
「たまーに、音楽かけてるのか、重低音が響くときはありますね。あー、これは上のほうからですけど」
「ふうん……女の声とかは?」
「さあ……どうかな?」
春名は、祐輔の答えに不満足そうな顔をした。
要するに情事の声が聞こえるかどうかを知りたいのだと察した。本当は聞こえてきたことはある。だが察して敢えて聞かないように、部屋内を移動したりすることはあった。
「聞こえたとしても、ぼくは聞きませんよ。誰かさんみたいに悪趣味じゃありませんから」
「誰かさんって誰よ、えっえっ?」
春名は祐輔をきっ、と睨んだ。
誰かさん、が誰なのかわかったらしい春名は、いきなり祐輔の足を引っ掛けて倒した。
「うわっ」
「柔道だったら技あり、ってとこかしらね」
ふんっ、と春名は鼻をならした。
(怖いよこの人……我侭な上に悪趣味で乱暴だなんて……あんまりだよ)
と祐輔は正直泣きそうになった。
今の音は隣近所に響いただろうなあ、と祐輔は騒音の心配をした。
早く起きてよ、と春名は手を差し出した。
祐輔はその手を借りずに自ら立ち上がった。
「帰るから送ってよ」
「はいはい、送りますよ。忘れ物はないですか」
祐輔は、夜道を、春名に腰を小突かれながら自転車を走らせた。
そのうち自分のほうが振り落とされるんじゃないか、と内心冷や冷やしたりもした。
「……ありがとね」
自転車の荷台から降りた春名は言った。
「……いえ。それじゃ。気をつけて帰って下さいね」
「鈴木君もね」
あっさりした別れだ。
引き留めることも、引き留められることもない。何よりその必要も無い。
(早く帰ろう)
「それじゃあ」
踵を返してペダルを踏み始めた祐輔を、
「あっ、待って!」
春名は呼び止めた。
キィィ、と小さくブレーキの音が響く。
呼び止めたかと思うと、春名はいきなり祐輔の前に回り込み立ちふさがった。
「あっぶ……」
危ないじゃないですか、と言いかけて口を噤んだ。
すぐにぐいっと顔が近づけてきたからだ。
ドキリ、と心臓が大きく一拍する。
手を祐輔の左頬に当てた。
突然の行動に、祐輔は戸惑うしかない。
「……昨日は、ごめん。まだ痛む?」
そこは、昨日春名にぶたれた所だった。
「あ、え……いえ……今はあんまり。腫れてもないですし。も、もう大丈夫ですから気にしないで下さい」
本当は、少し抑えると奥にじんじんとした痛みは残っているのだが、気にしなければ痛みを感じることもない。
まさか彼女が謝罪の言葉を言うとは思わなかった。
「ゴメンね……」
手を下ろすと、じゃ、と春名は背を向け小走りに消えていった。
謝るんなら最初ってから殴らなきゃいいのに、と祐輔は小さく笑った。
胸のほうが……少し痛む気がする祐輔だった。
ブッ、と祐輔は口から吹き出しそうになる。
「きったなっ。飛ばさないでよ」
「飛ばしてないじゃないですか」
失敬な、と顔をしかめて春名を睨む。
「……そんなにダサけりゃ無理もないか」
「答えがわかってるなら聞かないで下さい」
ほっといて下さい、と祐輔は心底から腹を立てるところだった。
「星が恋人とか?」
「……余計なお世話ですっ」
「ふーん……図星。彼女いない歴イコール年齢、ってやつね」
「ほんとにほっといてくださいっ」
祐輔はカレー皿を奪ってやろうかとすら思った。
ねえ、と春名は言う。
「昨日わたしを見て『ミユキさん』って言ったよね。ミユキさんって誰? 元カノ? じゃないって言ってたっけ。アルバムにはそれらしき人、まだ出てこないし」
(よく覚えてるなあこの人……)
祐輔は言おうかどうか迷った。
どうせ春名はバカにするに決まっているのだ。
「中学の時の、一つ上の先輩ですよ。同じ天文部だったんです。写真はないですよ」
「ふーん」
ごくごく、と麦茶を飲み干す祐輔だ。
「んで? それだけ?」
「それだけです」
「なんだぁ、てっきり好きだったんです、とか言うのかと思った。つまんない」
「ご期待に添えなくてすみませんね。でも美幸さんは、みんなの憧れの人でしたよ。可愛いし、頭はいいし、運動だってできるのに、なぜか地味な天文部で、不思議な人で、みんな親しみを持ってましたよ」
美幸さんについてはそれだけです、と答えた。
「その人はその後どうなったの?」
「さあ……僕は一つ下でしたから、進路とかもさっぱりですねえ……。美幸さんには部員は星のことを色々教わりましたしね。美幸さんは今で星を見ているのかなあ……なんて思ったりもしますよ」
ごちそうさまでした、と祐輔は手を合わせた。
おっとっと、と春名は慌ててカレーを口に運んだ。
一気に食べてしまった春名は、同じように手を合わせた。
「ごちそうさま。ねーえ、わたしと似てるの?」
「うーん、どうでしょうね。似てるような、似てないような。中学時代の記憶ですしねえ……。僕は女性が苦手なので、誰でも同じように見えるのかもしれません」
「ふーん……」
僕の話はつまらなくてすみませんね、と祐輔は立ち上がる。
二人分の皿を下げ、炊事場に運んだ。
「ゆっくりして下さいね。一息ついたら、送りますから」
すぐ動くと胃に悪いですからね、と祐輔は言った。
卓袱台を布巾で拭くと、アルバムを乗せた。
「続き、見ていいですよ」
「あ、洗い物くらいはわたしがする」
春名は立ち上がった。
「いいですよ、ゆっくりして下さい」
「やるって。何から何までしてもらうのもなんだかね」
祐輔を押しのけ、春名がシンクの前に立った。
じゃあお願いします、と祐輔は春名に任せた。
春名はカチャカチャと食器を洗い始める。
「洗ったのはこっちに置いていいのよね」
「うん、そこにお願いします」
結構手際がよさそうだ。
我侭放題言っているわりには、結構家庭的なのかもしれない。
まあそんなことどうでもいいか、と祐輔は笑う。
洗い物を終えた春名は、祐輔のアルバムを返した。
「また今度機会があったら見して」
「あ、うん、はい」
返したアルバムだったが、春名はもう一度手に持ち、元の位置に戻した。
(そんな機会あるのかな)
「そのままでもいいのに」
「元に位置に戻しとくわ」
意外に律儀なのかな、と思った。
すると、いきなり春名は壁に耳を当てた。
「な、なにやってんですか、春名さん!」
「盗み聞きよ」
いけしゃあしゃあと彼女は言う。
「やめて下さいよ、そんな悪趣味なこと」
「聞こえきたら、でしょ」
春名の腕をひっぱる祐輔だったが春名は「うるさいわね」と祐輔の手を振り払った。
ややあって何も聞こえなかったのか、春名は壁から耳を離した。
「もう……やめて下さいよ。春名さんっていつもそんなことしてるんですか」
「んなわけないでしょ。ここのアパートの壁は薄いのかなーと思っただけよ」
うっさいわね、と春名は毒づいた。
やっぱり嫌な人だ、と祐輔は心のなかで呻く。
「ねえ、隣の部屋から声が聞こえてきたりする?」
なんでそんな質問を、と言うと、もう一度同じことを言った。
「聞こえるの?」
この人には何を言っても無駄かも。
「別に聞こうと思って聞いたことはないし、特に聞こえてきたこともないですよ」
「ふーん」
「たまーに、音楽かけてるのか、重低音が響くときはありますね。あー、これは上のほうからですけど」
「ふうん……女の声とかは?」
「さあ……どうかな?」
春名は、祐輔の答えに不満足そうな顔をした。
要するに情事の声が聞こえるかどうかを知りたいのだと察した。本当は聞こえてきたことはある。だが察して敢えて聞かないように、部屋内を移動したりすることはあった。
「聞こえたとしても、ぼくは聞きませんよ。誰かさんみたいに悪趣味じゃありませんから」
「誰かさんって誰よ、えっえっ?」
春名は祐輔をきっ、と睨んだ。
誰かさん、が誰なのかわかったらしい春名は、いきなり祐輔の足を引っ掛けて倒した。
「うわっ」
「柔道だったら技あり、ってとこかしらね」
ふんっ、と春名は鼻をならした。
(怖いよこの人……我侭な上に悪趣味で乱暴だなんて……あんまりだよ)
と祐輔は正直泣きそうになった。
今の音は隣近所に響いただろうなあ、と祐輔は騒音の心配をした。
早く起きてよ、と春名は手を差し出した。
祐輔はその手を借りずに自ら立ち上がった。
「帰るから送ってよ」
「はいはい、送りますよ。忘れ物はないですか」
祐輔は、夜道を、春名に腰を小突かれながら自転車を走らせた。
そのうち自分のほうが振り落とされるんじゃないか、と内心冷や冷やしたりもした。
「……ありがとね」
自転車の荷台から降りた春名は言った。
「……いえ。それじゃ。気をつけて帰って下さいね」
「鈴木君もね」
あっさりした別れだ。
引き留めることも、引き留められることもない。何よりその必要も無い。
(早く帰ろう)
「それじゃあ」
踵を返してペダルを踏み始めた祐輔を、
「あっ、待って!」
春名は呼び止めた。
キィィ、と小さくブレーキの音が響く。
呼び止めたかと思うと、春名はいきなり祐輔の前に回り込み立ちふさがった。
「あっぶ……」
危ないじゃないですか、と言いかけて口を噤んだ。
すぐにぐいっと顔が近づけてきたからだ。
ドキリ、と心臓が大きく一拍する。
手を祐輔の左頬に当てた。
突然の行動に、祐輔は戸惑うしかない。
「……昨日は、ごめん。まだ痛む?」
そこは、昨日春名にぶたれた所だった。
「あ、え……いえ……今はあんまり。腫れてもないですし。も、もう大丈夫ですから気にしないで下さい」
本当は、少し抑えると奥にじんじんとした痛みは残っているのだが、気にしなければ痛みを感じることもない。
まさか彼女が謝罪の言葉を言うとは思わなかった。
「ゴメンね……」
手を下ろすと、じゃ、と春名は背を向け小走りに消えていった。
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