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7.二度目の天体観測
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翌日、家庭教師のアルバイトが終わったのは午後九時を過ぎた頃だった。
自転車に跨り、家路を急ぐ祐輔。
空を見上げると、満天の星。
昨日よりももっとたくさん星が見えているような気がする。
「春名さんに、今日見せてあげたかったなあ」
雲ひとつない夜空に、月がくっきりと浮かんでいる。
もうすぐ夏期休暇に入るが、祐輔は実家には帰らないつもりだった。
(家庭教師のアルバイトもするし、天体観測もしようと思うし……)
実家にいるより、ここのほうが星がよく見える。
はっきり言って田舎、と呼ぶに相応しい場所に大学があるため、サークル活動のメインである天体観測も学校の屋上からできるし、かなり融通がきく。
少し出かければ……川の土手を降りれば絶好の観測場所もある。
少しだけ実家に帰って顔を出せばいいかな……というつもりでいた。
現実は、帰るお金に余裕がない。
祐輔にはその理由がいちばん大きかったのだが。
遠すぎる場所ではないのだが、頻繁に帰省するほどの資金が潤沢にあるわけではない。
気にかかることもあるが、次回にしようと思っていた。
──駐輪場に自転車を止め、暑い暑い、とアパートの自分の部屋の前に来ると。
「あれっ……春名……さん?」
昨日と同じ場所に春名が座り込んでいた。
祐輔の声に彼女は顔をあげる。
暗くてあまりよくは見えないが、暗い蛍光灯に照らされた春名の顔は、なんだか目が腫れているように見えた。
「どうしたんですか? こんなところで」
「……うーん、なんとなくね」
祐輔に気がつくと立ち上がり、お尻をパンパンとはらう。
「星が見たいなって」
「はあ?」
彼女が何を言っているのか、と呆れた。
「もうすぐ十時ですよ。僕はバイトから帰ってきたばっかりですし……今むちゃくちゃ汗かいてますし、今日はむ……」
「ん、ならいいや。じゃあね」
無理ですよ、と言う前に春名は自分からそっけない応えを返し、手をひらひらと振って背を向けた。
こんなにあっさり引き下がるとは祐輔は思ってはいなかった。
我侭娘のことだから、てっきり駄々をこねると思っていたのだ。
「あっ、春名さん、夜道は危ないですよ!」
祐輔は春名を追いかけた。
こんな気の強い女の子でも、女の子なのだ。
ちょっと待って下さい、と祐輔は春名の横に追いついた。
春名は祐輔を見上げ、口をへの字にして睨んだ。
「な、なんで僕が睨まれなきゃいけないんですか…」
「べっつに。いるかなーと思って来ただけだから」
「それなら、その前に連絡下さいよ…。まさか春名さんが来るなんて思ってないから……メッセージでもくれればよかったのに…」
だって僕のほうはもう用はないし。
その言葉をグッと飲み込む。
「だってわたし、鈴木君の連絡先知らないもん」
「あ、そっか。でも電話番号は知ってるでしょ? かけてくれればよかったじゃないですか」
「したわよー。でも、あんた出ないんだもん」
えっうそっ、と祐輔は慌ててカバンからスマホを取り出す。
「あ」
本当だった。
着信が三件、そのうち八時過ぎに二回、八時半に一回。
生徒に指導中の時間帯なので、気づいてなかった。
よく見たら電話番号でやりとりできるメッセージも一通届いている。
「すみません……」
しかも、今の今まで一度も携帯を見ていない。
(アタタタ……うわあ殴られるかな、かけたらよかったのにだなんて、藪蛇だったかな)
「じゃ、春名さん、まさかずっと待ってたんですか?」
こくん、と春名は頷いた。
ずっと大人しく待っていたことに驚いた。
帰れば済む話なのではないだろうか。
本当に星が見たかったなら、一度帰るなどして、祐輔の連絡を待つという方法もあったのではないだろうか。
「あの……すみません……ホントに……」
祐輔は頭を下げた。
(なんで僕が謝る……?)
「でも今日は遅いから、星が見たいのなら明日にしませんか? 明日は土曜日ですし。夜は僕は空いていますし。今日は昨日より星がたくさん見えるんですけど……でもこの様子だと、明日のほうがもっと多く見えると思いますよ。月も満ちてるし…。今日は送りますから」
こくん、とまた春名は頷いた。
やけに素直だ。
しおらしいとすら思ってしまう。
「じゃあ……ちょっと待って下さいね。荷物だけ置いてきます」
一度自分の部屋に入り、テキスト類の入ったリュックを玄関に置いた。
必要最低限だけボディバッグに入れ替え、身につける。
「お待たせしました」
二人は昨日一昨日と同じように、二人乗りをした。
昨日は、春名は祐輔の腰に手を添える程度だったが、今夜は祐輔の腰にぐるっと手をまわした。
背中に、春名の上半身が預けられているのを感じた。
昨日一昨日の様子とは何か違う気がした。
「……あのう、不躾かもしれないんですけど、何か、あったんですか? 昨日や一昨日に比べたら、なんだか元気がないように思えるんですけど」
「ほんとに不躾ね」
「すみません」
不躾、と思うようなことがあったのだと感じた。
「気のせいならいいんです、僕の思い過ごしなら。春名さんと初めて会った時の印象が強すぎて、なんだか今日は大人しく見えまして。……おっと失言ですね」
脇腹捻られる!と祐輔は覚悟した。
しかし、春名は何も言わず、腰にまわす腕に力を入れた。
「あんまりくっつくと、汗臭いですよ。自転車こいで帰ってきたんですから」
「……いい、気にならない。平気」
祐輔の背中で、春名はそう答えた。
(どうしたのかなあ……)
女性とこんなに密着していることに、少しドキドキしていたが、それよりも春名の元気のなさのほうが気になる祐輔だった。
春名のアパートの近くになると、春名はすっと自転車を降りた。
「ありがと」
「いえ……気をつけて帰って下さいね」
お決まりの台詞を言う。
春名が踵を返すまで見送るつもりの祐輔だが、春名は立ち尽くしたまま帰ろうとしない。
「?」
春名が一歩、祐輔に近づいた。
春名が祐輔にぐいと顔を近づける。
「な、なんっすか」
「…………」
春名は据わった目で祐輔の目をじっと見た。
まだ殴った場所を気にして……?
やおら、手で眼鏡を取る。
「何するんですか」
「……眼鏡じゃないほうが男前だと思うけど」
「は……」
「じゃ」
「……はぁ?」
「またね」
そう言い残して、春名はすたすたと帰って行ってしまった。
「な、なんのこっちゃ……」
祐輔は呆然とその場に立っていた。
自転車に跨り、家路を急ぐ祐輔。
空を見上げると、満天の星。
昨日よりももっとたくさん星が見えているような気がする。
「春名さんに、今日見せてあげたかったなあ」
雲ひとつない夜空に、月がくっきりと浮かんでいる。
もうすぐ夏期休暇に入るが、祐輔は実家には帰らないつもりだった。
(家庭教師のアルバイトもするし、天体観測もしようと思うし……)
実家にいるより、ここのほうが星がよく見える。
はっきり言って田舎、と呼ぶに相応しい場所に大学があるため、サークル活動のメインである天体観測も学校の屋上からできるし、かなり融通がきく。
少し出かければ……川の土手を降りれば絶好の観測場所もある。
少しだけ実家に帰って顔を出せばいいかな……というつもりでいた。
現実は、帰るお金に余裕がない。
祐輔にはその理由がいちばん大きかったのだが。
遠すぎる場所ではないのだが、頻繁に帰省するほどの資金が潤沢にあるわけではない。
気にかかることもあるが、次回にしようと思っていた。
──駐輪場に自転車を止め、暑い暑い、とアパートの自分の部屋の前に来ると。
「あれっ……春名……さん?」
昨日と同じ場所に春名が座り込んでいた。
祐輔の声に彼女は顔をあげる。
暗くてあまりよくは見えないが、暗い蛍光灯に照らされた春名の顔は、なんだか目が腫れているように見えた。
「どうしたんですか? こんなところで」
「……うーん、なんとなくね」
祐輔に気がつくと立ち上がり、お尻をパンパンとはらう。
「星が見たいなって」
「はあ?」
彼女が何を言っているのか、と呆れた。
「もうすぐ十時ですよ。僕はバイトから帰ってきたばっかりですし……今むちゃくちゃ汗かいてますし、今日はむ……」
「ん、ならいいや。じゃあね」
無理ですよ、と言う前に春名は自分からそっけない応えを返し、手をひらひらと振って背を向けた。
こんなにあっさり引き下がるとは祐輔は思ってはいなかった。
我侭娘のことだから、てっきり駄々をこねると思っていたのだ。
「あっ、春名さん、夜道は危ないですよ!」
祐輔は春名を追いかけた。
こんな気の強い女の子でも、女の子なのだ。
ちょっと待って下さい、と祐輔は春名の横に追いついた。
春名は祐輔を見上げ、口をへの字にして睨んだ。
「な、なんで僕が睨まれなきゃいけないんですか…」
「べっつに。いるかなーと思って来ただけだから」
「それなら、その前に連絡下さいよ…。まさか春名さんが来るなんて思ってないから……メッセージでもくれればよかったのに…」
だって僕のほうはもう用はないし。
その言葉をグッと飲み込む。
「だってわたし、鈴木君の連絡先知らないもん」
「あ、そっか。でも電話番号は知ってるでしょ? かけてくれればよかったじゃないですか」
「したわよー。でも、あんた出ないんだもん」
えっうそっ、と祐輔は慌ててカバンからスマホを取り出す。
「あ」
本当だった。
着信が三件、そのうち八時過ぎに二回、八時半に一回。
生徒に指導中の時間帯なので、気づいてなかった。
よく見たら電話番号でやりとりできるメッセージも一通届いている。
「すみません……」
しかも、今の今まで一度も携帯を見ていない。
(アタタタ……うわあ殴られるかな、かけたらよかったのにだなんて、藪蛇だったかな)
「じゃ、春名さん、まさかずっと待ってたんですか?」
こくん、と春名は頷いた。
ずっと大人しく待っていたことに驚いた。
帰れば済む話なのではないだろうか。
本当に星が見たかったなら、一度帰るなどして、祐輔の連絡を待つという方法もあったのではないだろうか。
「あの……すみません……ホントに……」
祐輔は頭を下げた。
(なんで僕が謝る……?)
「でも今日は遅いから、星が見たいのなら明日にしませんか? 明日は土曜日ですし。夜は僕は空いていますし。今日は昨日より星がたくさん見えるんですけど……でもこの様子だと、明日のほうがもっと多く見えると思いますよ。月も満ちてるし…。今日は送りますから」
こくん、とまた春名は頷いた。
やけに素直だ。
しおらしいとすら思ってしまう。
「じゃあ……ちょっと待って下さいね。荷物だけ置いてきます」
一度自分の部屋に入り、テキスト類の入ったリュックを玄関に置いた。
必要最低限だけボディバッグに入れ替え、身につける。
「お待たせしました」
二人は昨日一昨日と同じように、二人乗りをした。
昨日は、春名は祐輔の腰に手を添える程度だったが、今夜は祐輔の腰にぐるっと手をまわした。
背中に、春名の上半身が預けられているのを感じた。
昨日一昨日の様子とは何か違う気がした。
「……あのう、不躾かもしれないんですけど、何か、あったんですか? 昨日や一昨日に比べたら、なんだか元気がないように思えるんですけど」
「ほんとに不躾ね」
「すみません」
不躾、と思うようなことがあったのだと感じた。
「気のせいならいいんです、僕の思い過ごしなら。春名さんと初めて会った時の印象が強すぎて、なんだか今日は大人しく見えまして。……おっと失言ですね」
脇腹捻られる!と祐輔は覚悟した。
しかし、春名は何も言わず、腰にまわす腕に力を入れた。
「あんまりくっつくと、汗臭いですよ。自転車こいで帰ってきたんですから」
「……いい、気にならない。平気」
祐輔の背中で、春名はそう答えた。
(どうしたのかなあ……)
女性とこんなに密着していることに、少しドキドキしていたが、それよりも春名の元気のなさのほうが気になる祐輔だった。
春名のアパートの近くになると、春名はすっと自転車を降りた。
「ありがと」
「いえ……気をつけて帰って下さいね」
お決まりの台詞を言う。
春名が踵を返すまで見送るつもりの祐輔だが、春名は立ち尽くしたまま帰ろうとしない。
「?」
春名が一歩、祐輔に近づいた。
春名が祐輔にぐいと顔を近づける。
「な、なんっすか」
「…………」
春名は据わった目で祐輔の目をじっと見た。
まだ殴った場所を気にして……?
やおら、手で眼鏡を取る。
「何するんですか」
「……眼鏡じゃないほうが男前だと思うけど」
「は……」
「じゃ」
「……はぁ?」
「またね」
そう言い残して、春名はすたすたと帰って行ってしまった。
「な、なんのこっちゃ……」
祐輔は呆然とその場に立っていた。
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