星恋月夜(ほしこいづくよ)

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8.泣き顔(後編)

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 先ほどから思っていたが、祐輔は、春名の呂律が回っていないと気づいた。
 酔っ払ってるのだろうか?
(そういえば少し、お酒臭い?)
 だから、あんな段で蹴躓いてしまったのか、と気づく。
 春名はずっと顔をあげないので、どんな顔つきなのかがわからない。
「あの、酔ってますか?」
 とストレートに言ってみた。
 当然春名は認めない。
 というより、頷かない。
「まぁいいですけど。気の済むまで、ゆっくりしてって下さい。僕はちょっとバタバタしますけど」
(けど彼氏はいいのかな)
 ふと、そんなことを思いながら、
「テレビのリモコンは横に立ててますから」
 と、何か音があったほうがいいかもしれない、とリモコンの場所を教えた。
「ごはんは? もう食べましたか?」
 酔っ払った様子からすると、もう食べただろうとは思ったが。
「うん」
 今度は春名は頷いた。
 麦茶と出すと、彼女は、ガッ、とコップを手に取り、勢いよく麦茶を飲み干した。
 祐輔は突然の動作にギョッとした。
 驚いた。
 正面から見た春名の顔は少し赤らんでいた。
 目が腫れている。
「ぷはー」
(やっぱり、さ、酒臭い……)
 今更だが、臭い……と祐輔は思った。
(酒飲めるってことは、二十歳すぎてる……僕より年上なんだ)
「お酒、飲みすぎたとかですか?」
 春名は据わった目で祐輔を見返した。
 頬がだんだん膨れ、口も上唇をかむようにつぐんでいる。
 目からだんだん涙があふれだした。
「えっ!? 僕は何も変なこと訊いてませんけどね!? 別にそれくらいで泣くなんて……あ、いや、泣かせるつもりじゃないんですよ、お酒飲まれてるんですね、って訊いただけじゃないですか……」
 祐輔は焦るが、春名の目からはぽろぽろと涙が零れ落ちる。
 男は女の涙に弱いとは本当かもしれない、と祐輔はぼんやり思った。
 心臓がバクバク言っていた。
 家族以外の異性が目の前で泣くのを初めて見た。いや、厳密には「泣いているのを見かけた」ことはあったが、泣き出すのを見たのは初めてのことだ。
(どうしたらいいのんだ!?)
 いつもの強気な春名の姿はなく、いや、強気な春名だからこそ唇をかみ締めているようだが、眉間にしわを寄せ涙をこぼす姿はあまりにも切なく思えた。
「あの、どうかされたんですか……? いえ、別に言わなくてもいいんですけど…。でも…そんなおっかない顔になるまで飲まなくてもいいんじゃないかな、と、僕は、思っただけで…」
 春名は堪えきれなくなったのか、嗚咽を漏らし始めた。
 呻き声に似たような、押し殺した声だ。
 強気で愛らしいいつもの春名の顔が、崩れている。
「あの、言わなくてもいいですし、それに、我慢しなくていいですよ。ここは僕しかしませんし。あっ、僕がいるのが嫌なら、僕は出ていきますから」
 僕なんかに見られたくないだろう、いや僕の部屋に来てるのだからいてもおかしくないだろう、と脳内でいろいろと考えた結果、すっくと立ち上がり、祐輔は部屋を出て行こうとした。
 だがその祐輔の右脚を、引っ張るように春名はすかさず掴んだ。
「うわっ」
 祐輔は脚を取られ、滑るように前につんのめった。

  どたん

 前に倒れ、膝をフローリングに打ちつける。
 祐輔は顔をしかめて痛がった。
「いたたたた……痛い……春名さん、急に脚を掴まないで下さいよ。信じられない人ですね春名さん……僕を殺す気ですか……」
 四つんばいになったまま、祐輔は顔だけ春名のをほうを振り返った。
 春名は目をぎゅっと瞑り、口をへの字にして泣いていた。
 小さな子供が泣くように、だ。
「春名、さん……」
 春名はどんな感情を押し殺して泣いているのかがわからない。
 そして祐輔の前で、堪えきれず泣いているのはなぜだろう。
(なんで僕の前で泣くんだ)
 初めて会った時は、こんな女がいるのか、と恐怖を感じるほど強烈な印象だったのに、今目の前にいるこの人は……どこにでもいる普通の女の子に見えた。寧ろか弱く見える。
 なんとか体勢を整え、春名の前に跪いて、
「髪、触れますよ」
 と、俯く彼女の前髪を掻き分けた。
 氷水と涙で濡れて、せっかくのさらさらの髪の毛はびしょびしょになってしまっている。
 ハンカチハンカチ、と祐輔は、タンスからハンドタオルを取り出し、再び春名の前に膝まづいた。
「はい、使って下さい」
 と差し出す。
「ティッシュよりはいいと思いますよ、どうぞ」
 彼女は素直に受け取り、ぎゅっと握り締めた。
「顔……拭いていいですよ……」
 一向に拭う気配のない春名の手から、祐輔はそっとハンドタオルを離すと、祐輔の手で春名の涙を拭った。
 そっと優しく、丁寧にだ。
 ひっくひっく、と嗚咽は小さくなった。
「あの、大丈夫ですか?」
 ひっくひっく、と春名は呻く。
 顔をあげた春名は、悲しげな瞳を祐輔に向けた。
 しかし、すぐに視線は反らされた。
「あっ、痛かったですか? すみません」
 左手で春名の前髪をかき分け、右手のハンドタオルで涙を拭う。
(よく見たら、目もひどく腫れてる……そんなにつらいことがあったんですか?)
 訊けない疑問を胸に押し込めた。
「はい、自分で拭けますよね」
 ハンドタオルを渡そうとするや否や、春名は祐輔に飛びついた。
「うぇっ!?」
 何が起こったのかがわからなかった。
 祐輔には、飛びつかれたように思えたのだ。
 一瞬そう思った後、祐輔は春名ごと後ろに倒れこんだ。
 ……頭は打っていない。
 さっきから転けたり、ひっくり返ったり、春名のせいで痛い目に遭っている気がした。
 祐輔に飛びついた……というか、これは抱きつかれているのでは、と思ったが、そのまま春名はまた大きな声で泣き始めた。
 祐輔の胸で、子供のように嗚咽を洩らし始めた。
「なっ……!?」
 動くこともできず、両手をどうすればいいのかもわからず、しばらくは大の字になっているしかなかった。
 祐輔の胸にしがみついて泣きじゃくる春名の身体を、気がつけば包むように両手を回していた。
(何があったんですか……僕にしがみつかなきゃいけないくらい嫌なことでもあったんですか……)
 何も訊けず、ただそうするしかなかった。

   ***

 ハッと気がついて、ここはどこだっけ、と祐輔は記憶を辿った。
 なんだか目が痛い。
 目をこすろうとしたが、
(ああそうだ、コンタクトにしたんだった、こすっちゃいけない)
 と慌てて手を止めた。
 コンタクトに慣れていないため、なんだか瞳に張り付いたような感覚があった。
 そして、やけに身体が重いことに気づく。
 ちらっと目をやると、春名の身体が俯せで乗っていた。
(えっと、そうだ……春名さんが泣いてたんだっけ……僕に飛びついて)
 いつの間にか、二人とも眠ってしまったらしい。
 腕時計を見ると、深夜二時を過ぎていた。
 春名を起こさないよう、ゆっくりと彼女ごと身体を起こし、春名を抱えてベッドに横たわらせた。
 彼女の目の周りはやはり腫れている。
 相当涙を流したのだろう。
 額にかかる前髪をはらってやり、タオルケットをかけてやる。
 すやすやと寝息を立てる春名は起きそうもない。
(ふう……)
 コンタクトをなんとかはずし、眼鏡をかけた。
(慣れるまで、まだまだかなあ…)
 点いたままだったエアコンの電源を切り、同じく点けっぱなしだった部屋の明かりを消して、静かに窓をあけた。
 ベランダに降り、星空を眺めた。
 祐輔のアパートの周りは田んぼだらけだ。
 明かりも少ない。
「みずがめ座……秋の四辺形……えーっとアンドロメダ大銀河は…と」
 しばらく星見に興じる祐輔だった。


 再び眠りについた祐輔が目を覚ますと、春名の姿はなかった。
 春名にかけていたタオルケットが、自分にかけられていた。
「春名さん……?」
 部屋には、春名の香りが微かに残っていた……。

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