英雄は根に咲く

ぼん

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第一部:冒険の根を張る

第4章:砂に沈む約束 第2話:幻に惑う声

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 砂の遺跡層は、歩を進めるほどに静寂を増していった。

 乾いた風が吹き込み、粉塵が視界を削り取る。僕らは言葉を交わすことなく、慎重に通路を進んでいた。

 ──そのときだった。

 不意に、胸を締めつけるようなざわめきが走る。

 耳の奥で囁く声。目の前がぐにゃりと揺れ、視界が赤に染まった。僕の眼前に広がっていたのは、砂の遺跡ではなかった。

 燃え落ちる家。泣き叫ぶ声。崩れゆく人影。

 ──幼い頃、魔獣に襲われ、全てを失ったあの村の光景だった。

「やめろ……ここじゃない……!」

 叫ぼうとしても声が震え、剣を構えた腕が動かない。

「ニコ!」

 クレアさんの声が遠くから届く。だが耳には、幻の中の悲鳴が絡みついて離れない。

 足が砂に縫いつけられたように動かず、ただ炎に呑まれていく人影を見てしまう。

 伸ばしたはずの手は届かない。

 あの日と同じだ。

 守れない。救えない。

 視界の端で、崩れ落ちる誰かの姿が重なった。今度は──クレアさんだった。

「いやだ……僕はもう──!」

 喉の奥で声が潰れる。

 その瞬間。

 乾いた矢の音が空気を裂いた。

 目の前の炎を、幻そのものを貫くように、一本の矢が突き立った。燃え上がる景色が揺らぎ、赤が崩れ落ちる。

「……そんな目じゃ、誰も救えない」

 低く、静かな声がした。

 振り返ると、砂塵の奥にひとりの少女が立っていた。黒髪に砂を被り、弓を構えたままの姿。リリィだった。

 彼女の瞳は冷たい。けれどその視線は、僕の心を真っすぐ射抜いていた。

「リリィ……」

 呟いた声は震えていた。

 彼女は表情を変えないまま言葉を重ねる。

「前を見ろ。幻なんてどうでもいい。ここで立たないなら、本当に失う」

 その一言が、胸の奥に突き刺さった。

 炎の幻は消え、目の前にあるのは砂に埋もれた遺跡の石壁だけだった。

「ニコ君!」

 クレアさんの駆け寄る足音が聞こえる。

 幻の焼け跡に縫いつけられていた足が、ようやく動いた。

 膝が折れ、地に手をついた。乾いた砂が指の隙間に流れ込む。だがその感触は、確かに“今”のものだった。

「……ごめん、大丈夫。僕、ちゃんと戻った」

 震える声を押し出すように答える。

 クレアさんはそっと手を伸ばし、ニコの背に触れた。

「戻ってきてくれてよかった。……無理しないで」

 その声に、ようやく胸の奥の火が消えていく気がした。

 幻は終わった。けれど、心にはまだ余熱のようなざらつきが残っていた。

「……まさか、あの規模の幻を発する罠があるとは」

 背後から、ガルドさんの低い声が響いた。

 彼は近くの壁を見上げ、崩れた彫像の奥を確認していた。

「この遺跡、心を……試してくる」

 僕の呟きに、ガルドさんは小さくうなずいた。

 そして──その視線の先。

 少し離れた位置に、リリィが背を向けたまま立っていた。彼女は、もう弓を下ろしていたが、構えたままのような鋭さを背中に残している。

「……どうして、ここに?」

 思わず問いかけると、彼女はわずかに振り返る。だが表情は変わらない。

「偶然。そっちと同じ任務を受けただけよ。邪魔しないから、気にしないで」

 淡々とした口調。それでも、あの幻を断ち切ってくれた矢の意味は、間違いなく“助ける”意志だったはずだ。

「さっきのは……ありがとう」

 僕が言うと、リリィは眉をひそめた。

「……助けた覚えはない。ただ、あんたがそこで潰れてたら、巻き込まれると思っただけ」

 語尾にほんのわずか躊躇が混じっていた。

「それでも、僕は……救われたよ」

 はっきりとそう言った。

 リリィはしばらく沈黙し、やがて、何も言わず踵を返して歩き出す。砂の上に小さな足跡が続いていく。その背中に、目を細めた。

 クレアさんが隣で微笑む。

「渓谷で別れたきりだったのに、また会えるなんて。もしかして、気にしているのかもね」

 僕は何も答えず、ただ砂にうずもれた道を見つめた。

 あの背中は、どこか寂しげで、でも確かに強かった。

 クレアさんが淡く光を灯し、ガルドさんが先頭に立ち、僕はその後を歩く。幻は消えても、心の奥に残った火は完全には消えていなかった。けれど、その火を焼き尽くすのではなく、照らす光へと変えたい──

 そんな願いが、胸のどこかで芽吹き始めていた。

「……リリィ。君の言葉、ちゃんと届いたよ」

 小さく呟いた声は、誰にも聞こえなかった。だが、僕の肩先に浮かぶ光の玉が、ふっと明滅していた。
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