英雄は根に咲く

ぼん

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第二部:覚悟の種が揺れる

第6章:絆という名の盾 第3話:盾は言葉を持たない

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 水音が絶え間なく耳に届く。頭上には岩肌に落ちる水の雫。足元には滑りやすい苔がこびりついていた。

「……こっちだと思います」

 ニコがつぶやくように言った。

 その声に、誰も否定はしなかった。けれど、それは“同意”とも少し違っていた。

 この層──渓谷と清流の谷は分岐と隠された流路が複雑に交差する。リリィが事前に記録していた地図でも、現在地の正確な把握は難しくなっていた。

「俺が確認してこようか? 先に風を通してみるのもありだぜ」

 カイが前に出ようとした瞬間、ニコはふと一歩、前に出た。

「僕が行きます」

 皆の視線が、静かに集まった。

「……ほんとに、大丈夫?」

 クレアが尋ねる。

「はい。道を確かめて、すぐ戻ります。危なかったら、引き返します」

 その言葉に、リリィが小さくうなずいた。

「ニコ、無茶すんなよ」

 カイが最後に肩をぽんと叩く。

 そして、ニコは一人、水の通路へと足を踏み入れた。

 苔と水が交互に現れる滑る足場を、慎重に進む。照らす光の玉は、自身の集中の精霊によって保たれている。壁をなぞりながら、ニコは感覚を研ぎ澄ませていた。

(風の流れは……止まってない。空気は繋がってる。きっと、この先──)

 次の角を曲がった、その時だった。

 ──ヒュッ。

 鋭い風切り音。足元を何かが駆け抜けた。同時に、水の中から黒い影が飛び出す。

「っ──!」

 魔獣の群れだ。三体、いや──四体。

 ニコは身を翻すように構えるが、狭い通路では十分に展開できない。しかも、精霊の光が広がるには空間が狭すぎた。

「──くそっ!」

 火の玉が瞬く。けれど湿気に阻まれて着火が鈍い。一体が跳躍した──。

 その瞬間、風を割るように音が響いた。

 ──ガンッ!

 重厚な音。盾が斜め後方から飛び込んできた。

 地面が揺れ、泥が跳ねる。そして、そこに立っていたのは──

「……ガルド、さん……」

 無言の盾だった。ニコの前に立ち、左腕の盾で一体の突撃を弾き返す。

 そのまま、斧を横に振るう。狭い空間でのその一撃は、まるで壁が動いたようだった。

 魔獣が二体、後退する。その隙に、クレアとリリィ、カイが次々と駆けつけた。

「後衛は任せて!」

「……矢、通る」

「雷、行くぞ!」

 光と音が交差する中、ガルドは一言も発さない。ニコを庇うように動き、敵の進行を止める。ただ、その背中が──すべてを語っていた。

 戦いの渦中、ガルドはただひたすらに立ち続けた。敵の牙も爪も、すべて彼の盾に向かっていた。まるでそこに、引き寄せられているように。

 ニコは息を呑みながら、その背を見つめていた。以前と、何かが違う──そう思った。

 かつてのガルドなら、仲間の動きに合わせるようなことはしなかった。守ることに徹していた。だが今、彼は“合わせて”いた。

 クレアの回復が届く位置に立ち、リリィの矢が通るように敵を誘導し、カイの攻撃に連携するように動いた。

 その一連の動きには、何の言葉もなかった。だが、はっきりと“信じている”という意志があった。言葉ではなく、行動で交わされた信頼の感覚。

 盾は──言葉を持たない。けれど、すべてを語っていた。

「左、いけるよ」

 リリィの矢が一本、敵の喉に吸い込まれるように突き刺さった。

「ナイス、リリィ!」

 カイが爆風で後続を吹き飛ばす。

 最後の一体が尻尾を振り上げた時、ガルドが前に出て、真正面からそれを受け止めた。泥が跳ね、水が弾け、衝撃が地面を揺らす。

 ──だが、崩れなかった。

 ニコは見ていた。

 あの背中が、まるで山のように動じないことを。

 やがて、魔獣たちは逃げ出し、岩の隙間へと消えていった。

 静けさが、戻ってくる。

「……終わった、か」

 カイが肩を回す。

「傷は浅い。……回復するわ」

 クレアが光を手に近づき、皆の状態を確認していく。

 リリィは最後まで警戒を解かず、岩陰を見張っていたが、やがて矢を収めた。

 その間、ガルドは一度も言葉を発しなかった。盾を背に戻し、ニコの前に立っていた。

 しばらくの沈黙のあと──ニコが、そっと言った。

「……ありがとうございます」

 ガルドは何も答えなかった。けれど、ほんの一瞬だけ、その視線がニコと交わった。それだけで、十分だった。

 一行は少し開けた岩場で休憩をとることにした。

 火を焚くことはできなかったが、ランタンの光と光の玉が、ほんのり温もりを与えていた。

「戦い方が、変わったね」

 ぽつりと、クレアが呟いた。

 カイが顔を上げる。

「ん? 誰が?」

「ガルドさんよ。……前より、柔らかくなった気がする」

「ふむ……確かに。前は“鉄壁”って感じだったけど、今は“鉄の背中”って感じだな。……いや、何言ってんだろ俺」

 ニコが苦笑する。リリィは何も言わないが、ガルドの背を見る目が、わずかに変わっていた。

 誰も気づかないような場所で、誰よりも重たい一撃を受け、誰よりも言葉なく動く人。でも今の彼は、その“盾”を、一人で支えてはいなかった。

 ニコは火の灯りのそばで、自分の光の玉を見つめた。やわらかな揺らぎの中に、仲間たちの姿が重なっていく。

「……ガルドさん」

 名前を呼ぶと、彼は振り向かずに少しだけ頷いた。それが、この夜のすべての“会話”だった。
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