英雄は根に咲く

ぼん

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第二部:覚悟の種が揺れる

第6章:絆という名の盾 第4話:守るものがあるから

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 岩棚に沿って続く狭道は、すでに日暮れの闇に包まれていた。湿気を帯びた空気のなか、魔獣の気配がじわりと広がっている。

 その群れは、谷の奥で巣を構えていた。地形に溶け込むように息を潜め、餌を引き込むのを待っている。リリィの目がわずかに細まった。

「……いる。崖の下、四体。大型」

 ニコが頷く。

「先に動いたら、こっちがやられますね」

「抜け道はない。やるしかないか」

 カイが風と雷の精霊を同時に揺らす。

「なら、早めに仕掛けましょう。……でも、気をつけて。何か変な気配が混じっている」

 そして、その違和感はすぐに形を現した。

 リリィの矢が先制の一撃を放つ。命中。──だが動かない。

 次の瞬間、崖下の闇がうねった。

 地面が動いたようだった。泥のように広がる影から、尾を持つ魔獣が這い出してくる。

 ──五体目。

 他の個体とは明らかに異なる異形。皮膚は硬く、眼球が潰れている。《水潜蛇》の亜種か、あるいは奈落から這い出た混成種か──。

「ニコ、下がって!」

 クレアの声が届くが、敵の動きは速かった。

 斜面を滑るように突っ込む魔獣の体。

 ニコが回避しようとした瞬間、横からもう一体が跳びかかってきた。

 ──間に合わない。

「っ──!」

 そのとき、空気を切る音がした。

 盾が、割って入る。鈍い音とともに、ガルドが魔獣の突撃を受け止めた。

 その衝撃は岩壁にまで響いた。斧を振るうことすらできず、ただ身体ごと魔獣を止める。

「ガルドさん!」

 ニコが駆け寄ろうとした。

「来るな……!」

 初めて、怒気を含んだ声で叫ばれた。

 その一言に、ニコの足が止まる。直後、ガルドの背にもう一体が飛びかかった。

 斜め上からの尾の鞭。咄嗟に盾を上げたが、完全には防げなかった。

 鋭い音が走る。ガルドの肩口が裂かれ、血が岩に飛ぶ。

「クレア、援護を──!」

 カイの叫びとともに光が走る。回復の精霊術が発動する前に、ガルドは最後の一撃を振りかぶった。

「──ぅおおおっ!」

 その一声とともに、斧が敵の横腹に叩き込まれる。重さと勢いを乗せたその一撃は、ついに魔獣を退けた。

 残りの個体も、リリィとカイの連携によって殲滅された。

 ──戦いは終わった。

 だがガルドは、その場に膝をついていた。

 血が、止まらない。

「早く、治療を……っ!」

 クレアが駆け寄り、光の玉が彼の肩口に触れる。だが、傷は深く時間がかかる。

 ニコはその場に座り込み、拳を握りしめた。

 (僕のせいだ。僕が、突っ込まなければ……)

 ガルドがふいに顔を上げた。

 痛みの中、それでも目を開き、ニコを見つめた。

「……守れて、よかった」

 その言葉は、静かで、重かった。

 その夜、一行は谷の中腹にある浅い窪地で野営をとった。

 クレアの回復術で応急処置を終えたガルドは、岩に背を預けて座っていた。肩は包帯で巻かれていたが、傷は深く完治には時間がかかる。

 にもかかわらず、彼は一言も弱音を吐かなかった。焚き火の灯に照らされたその横顔は、ただ黙して、静かだった。

「……お湯、置いておきますね」

 ニコがそっと近づき、小さなカップを岩の横に置いた。

 ガルドは目線を動かしただけで、何も言わなかった。けれど、ふとわずかに視線を和らげたようにも見えた。

 しばらく沈黙が続いた。火の爆ぜる音だけが、ふたりのあいだを満たしていた。

 やがて、ガルドが低く、ぽつりとつぶやいた。

「……もう、守れないって思ってた」

 ニコは顔を上げた。

「仲間も、誓いも……全部、力が足りなかったから、失った。……だから、また守ろうなんて思う資格ないって……」

 その声は、いつになく、かすれていた。けれど、言葉を紡ぐその背中には、確かに、何かを越えようとする意志があった。

「でも──」

 言葉が途切れた。
 焚き火の音に混じるように、ガルドは再び口を開く。

「今日、あの時。……身体が勝手に動いた。迷いもなく立っていた」

 ニコは、目を見開いてそれでも何も言わず、聞いていた。

「お前を守ろうとしてた。それだけは、はっきりわかったんだ」

 その言葉に、ニコの胸がじんと熱くなる。炎の明かりが、彼の瞳に映っていた。

「ガルドさん……」

 ニコは、そっと言った。

「僕、信じていましたよ。ずっと」

 驚いたように、ガルドがわずかに目を見開いた。だが、ニコはそれ以上、何も言わなかった。

 信じていたという、その一言に、すべてを込めていた。

 ガルドはしばらく無言のまま、火を見つめていた。やがて、ほんの僅かに頬の力を緩め、深く一つ息を吐いた。

「……変な奴だな、お前は」

 ぽつりと呟かれたその言葉に、ニコは小さく笑った。

「そう言われたの、初めてじゃないです」

 ふたりの間に流れた沈黙は、もう重苦しいものではなかった。夜風がそっと焚き火を撫でる。光の玉が一つ、ふわりと浮かび、二人のあいだで穏やかに明滅した。

 翌朝、谷にかかる霧のなか、みんなの準備が進められていた。

「肩は、まだ無理しないでね」

 クレアが言いながら、ガルドの包帯を確認する。

「……歩ける」

 短く返すと、カイが笑った。

「やれやれ、さすが鉄のおっさん。身体まで石みてぇだな」

「でも、ちゃんと火には当たってた」

 リリィが言った。

「……優しいのね、意外と」

 そう言って、リリィはニコの方をちらりと見る。ニコは笑って肩をすくめた。

 ガルドは、その言葉には何も返さなかった。だが、その背は仲間たちの中に自然に立っていた。

 いつものように先頭に立ち、歩き出す。

 けれどその背には、ほんの少しだけ──重さではなく、温かさが加わっていた。
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