英雄は根に咲く

ぼん

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第三部:精霊との対話

第13章:雪に染まる祈り 第5話:祈るということ

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 雪原を渡る風が、ようやくやさしさを取り戻しつつあった。

 長い探索を終えたブルーミング・ルーツは、白銀の世界に刻まれた足跡を辿りながら、静かな余韻に包まれていた。

 地下六十一階層――凍結の氷原層。

 凍てつく寒さの奥で、小さな春の兆しが心のどこかに芽吹いている。

 探索の終わりは、いつも唐突だ。

 カイが「帰還路はこっちだぞ」と明るい声で指を差し、ガルドが黙って周囲を警戒している。リリィは矢筒を肩にかけ、最後まで足跡を確かめていた。

 ニコは荷物を抱え直し、振り向きざまにクレアへ微笑みかける。

「クレアさん、もう大丈夫? さっきのところ、ほんとに……」

「うん、平気よ。ありがとう、ニコ君」

 ニコの声には、少しだけ緊張が残っていた。それでも、仲間たちが無事であることを確かめるだけで、クレアの心にも安堵が広がった。

「みんな、お疲れさま」

 カイがわざとらしく両腕を伸ばして、背中を鳴らす。「あー……こういう空気、しみるなぁ」

「油断は禁物よ」

 リリィが冷静な口調で、視線を遠くに向けた。

 少し歩いた先、雪に包まれた古い祭壇が現れた。氷に閉ざされた台座と、誰かが積み上げた祈りの石。人の気配は遠く、雪だけが降り積もる静かな場所だった。

「ここで休もう」

 カイが腰を下ろし、リリィも祭壇の近くで雪を払い落とす。ガルドは背中を壁に預け、遠くの気配を探っていた。ニコは小さな雪玉を手のひらで転がしている。

 誰もが自分なりの方法で緊張をほぐし、地上での安堵とは違う、地下ならではの休息を味わっていた。

 クレアは自然と祭壇へと足を向けた。

 その表面には、祈りを捧げた痕跡が幾重にも刻まれている。雪の隙間に、小さな光の玉がそっと寄り添っていた。

(この場所に来ると、どうしてこんなに落ち着くんだろう)

 手袋を外し、そっと石に触れる。

 冷たさが指先を包み、同時に不思議な温かさが胸の奥に広がっていく。

 目を閉じると、教会で過ごしたあの日々が蘇る。石畳の廊下、木製の椅子、朝焼けに染まる祭壇――

 幼いころから「祈りは他人のため」と言い聞かされてきた。

 けれど今、自分がここで祈りたいことは、誰のためなのか、もう答えが出せなくなっている。

(私は……何を祈りたい?)

 仲間の無事を願い、自分の弱さに目をつむってきた。でも、いまこの瞬間――

「これは……誰のためでもない。私が、私に捧げる祈り」

 静かに両手を合わせ、祭壇の前でひと息ついた。白い息がふわりと空へ昇り、雪と混じって消えていく。

 心の奥に浮かぶのは、ここまで歩いてきた日々――

 傷つき、迷い、立ち止まり、また一歩を踏み出した自分自身の姿。

 祈りは、他人のためだけじゃなくていい。自分のために生きること、自分を認めてあげること。

(私は、私を許したい。私を守りたい。私の歩みが、私のものになるように)

 その思いが、白い息となって空へ昇っていく。

 光の玉が、クレアの傍らで柔らかく揺れた。そのぬくもりは、どこまでも静かで、やさしかった。

 雪の祭壇の前で、クレアは静かに両手を組み続けていた。

 指先の感覚は、じきに冷たさを越えて無になる。けれど胸の奥は、淡く灯る炎のようにぬくもっていた。

 祈ることは弱さでも、わがままでもない。歩いてきた日々すべてを肯定する、静かな意志なのだと、そう思える。

 遠くで仲間たちの声がかすかに聞こえてくる。

 リリィは黙々と矢筒を整え、カイは冗談を言いながら荷物をまとめている。ガルドは周囲を見回し、ニコは雪玉を転がしながら時々こちらを気にしている。

 クレアはその背中を眺め、ふいに胸元の光の玉に視線を落とす。

(この光も、私のものだ)

 ほんの少し、心が軽くなった気がした。

 静かな時間が流れる。

 雪の降る音、誰かの足音、吐息の白さ――そのすべてが、この場所に祈りの余韻を残していく。

 やがて祈りを終え、クレアはゆっくりと立ち上がる。手袋をはめ直し、冷えきった空気を大きく吸い込んだ。

(私は、私のためにも祈る。それはきっと、これからも変わらない)

 胸元の光の玉が、やわらかく輝く。

 そのぬくもりを頼りに、クレアは仲間たちのもとへ歩き出した。

「お待たせ」

 リリィが静かにうなずき、ガルドは軽く頷き返す。

 ニコが照れくさそうに笑う。

「クレアさん、なんだか表情がやわらかい気がする」

「そうかしら?」

「うん。……さっきの祈り、すごくよかったんだと思う」

 その言葉に、クレアは自然と微笑んだ。

「ありがとう、ニコ君」

 雪原に新しい足跡が刻まれていく。白い息が空へ消えていくたび、クレアの胸の奥に静かな自信が生まれていく。

(誰のためでもない。これは、私が私に捧げる祈り)

 傍らに寄り添う小さな光の玉が、そっと応えるように揺れていた。

 こうして、クレアの祈りは、新しい一歩へとつながっていく。
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