英雄は根に咲く

ぼん

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第三部:精霊との対話

第14章:灰の中の誓い 第1話:灰殻の谷、再び立つ影

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 凍結の氷原層での長い任務を終えて地上に戻った朝、僕はギルドの窓から差し込む光がまぶしくて、何度も瞬きをした。

 久しぶりに吸い込む外の空気はどこか懐かしいのに、胸の奥がざらついて落ち着かなかった。

 束の間の休息は、あっという間に終わる。

 ギルドのカウンターでマルタさんが新しい依頼を差し出したとき、僕たちはすでに、次の出発の準備を始めていた。

「八十一階層――古竜の墓場層。灰殻の谷の調査」

 マルタさんの声に、みんなが自然と背筋を伸ばす。

 クレアさんは資料に目を通し、リリィは探索バッグを整えている。カイさんは「また地下かよ」とぼやきつつも、武具の手入れに余念がない。ガルドさんは無言で装備を確認している。

 地上から地下へ向かう途中、僕は何気なく外を見た。

 白い雲、遠い空、街のざわめき。全部が夢みたいに遠ざかっていく。でも、誰も「戻りたくない」とは言わなかった。

 それが僕たちの“日常”になっていることが、どこか不思議に思えた。

 八十一階層――古竜の墓場層。

 地図で見ても想像できなかった場所が、いま目の前に広がっている。

 谷の入り口に立った瞬間、まず空気の匂いが違った。

 焦げたような苦いにおい、ざらつく灰が舞い、地面の砂も靴底に重くまとわりつく。

 遠くには巨大な竜骨が横たわり、崩れかけた石碑が谷間の影を作っている。

「……ここ、本当に竜がいたんだよね」

 思わず僕は口にした。

 クレアさんが僕の隣で小さくうなずく。

「ギルドの記録によると、昔、この谷で英雄たちが竜と戦ったそうよ。竜の骨も、まだ残っているはず」

 カイさんがため息混じりに言った。

「生きてる竜なんて見たことないけどな……ここは、伝説の残り香みたいなもんか」

 リリィは無言で足元の灰をすくい上げ、そっと指先で砕いている。

 ガルドさんは地面を突いて足場を確かめた。

「……灰が深い。みんな、慎重に」

 その声に、全員がうなずいた。

 僕も背中の探索バッグを握りしめて、一歩ずつ前へ進む。

 谷のなかは静かだった。僕たちの足音と、遠くで崩れる石の音だけが響く。

 灰を踏むたび、そこに“誰かの記憶”が眠っている気がして、自然と息が浅くなる。

「英雄って、どんな人たちだったのかな」

 僕は小さくつぶやいた。

 カイさんが肩越しに振り返る。

「昔の英雄も、俺たちと変わらないさ。やることをやって、生き残った奴だけが伝説になる」

「でも……戦い尽くして、ここに何が残るんだろう」

 クレアさんが石碑を見上げて言った。

 その声に、リリィも黙ってうなずく。

 谷の奥へ進むほど、空気が乾いて重くなっていく。

 どこまでも広がる灰色の景色。そこに刻まれた“進む”という意志だけが、僕たちを引っ張っていた。

 歩くうち、ふと谷の向こうに人影が見えた。

 剣を背負った細身の男。その後ろに、いくつかの影――虚ろの斜陽のメンバーたちだ。

「あれは……アレイド?」

 僕が立ち止まると、みんなも足を止める。

 ガルドさんが静かに身構え、カイさんが手を軽く上げた。人影はゆっくりとこちらに振り返った。

 その顔、目の奥の光――

 まぎれもなく、虚ろの斜陽のリーダー、アレイドだった。

「久しぶりだな」

 アレイドの声が、灰殻の谷の静けさを破る。

 あの背中には、僕たちがまだ知らないもの――戦い尽くして、なお“進む”ことを選んだ者の気配が、確かに漂っていた。

(僕は……この場所で、何を見つけるんだろう)

 胸元の光の玉をそっと握り、僕はアレイドの視線を正面から受け止めた。

 谷の奥でアレイドと虚ろの斜陽の仲間たちに再会したとき、僕の中の何かがふるえていた。

 前に会ったときのアレイドは、戦うことに迷いも疲れも滲ませていた。けれど今、谷に立つその背中には、ただ静かな決意があった。

 アレイドはゆっくりと僕たちの方へ歩いてきた。その足取りは灰を巻き上げるほど静かで、でも確かに重いものを感じさせる。

「また顔を合わせるとはな……お前たちも、まだ“進んで”いるんだな」

 その言葉に、カイさんが口元を緩める。

「俺たちは俺たちの道を歩いてるだけさ。アレイド、アンタは?」

 アレイドはわずかに肩をすくめて、谷の向こうを振り返った。

「もう戦わない――そう決めたはずだった。でも、灰の中で立ち止まるわけにもいかないらしい」

 その隣で、虚ろの斜陽の仲間たちも静かにうなずく。

 それぞれに傷や疲れが見えても、その表情にはどこか澄んだものがあった。

 リリィが小声で尋ねた。

「……また、誰かを守るため?」

 アレイドはしばらく沈黙し、やがて静かに首を横に振った。

「もう誰かのためだけに剣を振るうことはしない。俺は俺自身のために、進むと決めた」

 僕はその言葉を、胸の奥で繰り返す。

 “誰かのため”じゃなく、“自分自身のため”に進む――

 それは、氷原の祭壇でクレアさんが祈った言葉とも、どこか重なっていた。

 灰殻の谷の風が強くなり、遠くで崩れた骨が小さな音を立てる。

 カイさんが、軽く拳を握りしめてアレイドに向き直る。

「俺たちも……もう、ただ“前に進むだけ”じゃいられないんだろうな。迷いながらでも、立ち止まりながらでもさ」

 クレアさんは小さくうなずき、リリィは矢筒を握り直した。ガルドさんは、そっと空を仰いだ。

 アレイドの背中に、長い影が落ちていた。

 あの人は“英雄”だった。でも、その光も影も全部ここに溶けている。

「アレイドさん……もう剣は振らないって、怖くないんですか?」

 僕は気がつくと、そう問いかけていた。

 アレイドは灰の地面を見つめてから、僕にゆっくりと視線を合わせる。

「怖いさ。でも、俺はもう“戦い続けるだけの人生”をやめる。――ニコ、お前はどうだ?」

 僕は答えを探して、胸の玉を握りしめた。

「……僕は、まだ“進みたい”と思っています。たとえ怖くても、誰かと一緒に歩けるなら、それだけで――」

 アレイドがわずかに目を細めて、静かに笑った。

「それでいい。“英雄”は名乗るものじゃない。ただ、立って歩き続けるだけだ」

 灰の谷に、しばらく沈黙が満ちる。

 やがて、虚ろの斜陽の一人が口を開いた。

「先へ進むのか?」

「うん。僕たちも、自分たちの道を行きます」

 カイさんが合図を送り、ガルドさんが警戒を解いた。

 クレアさんが静かにアレイドを見つめる。

 光の玉が、胸の内で淡く明滅している。“進む”って、きっとこういうことなんだ――誰かの道をなぞるんじゃなくて、自分だけの一歩を積み重ねること。

 灰の谷の奥へと、虚ろの斜陽も僕たちブルーミング・ルーツも、ほとんど言葉を交わさず歩き出す。

 谷の静けさのなか、誰も「ここで終わり」とは思っていなかった。
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