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第2章
初試合
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ああ、正直に手を挙げてしまったものの、この空気は辛いです。
今、私はうろたえている最中です。
初めての試合で対戦相手を決める際に、思わずダニエル先輩の相手に名乗りを上げてしまったのです。先輩はこのグループでは別格ともいえる強さがあり、いつも試合ではものの数分も経たないうちに先生から試合終了の合図が出されるのです。恐らく最上級の学年が所属するグループにあと半年もしないうちに移ると思われます。
そんな先輩の相手は、最近の試合の授業ではなかなか決まらない状態だったのです。
刺客の人たちを想定して、私はできる限り強い人との経験を積みたくて、つい、名乗りを上げたのですが、会場の空気が重いのです。固いのです。
「初試合でいきなり…」
「あの癒しの力だから、死ぬことはないだろうけど…」
「誰か止めろよ」
ささやきが聞こえます。審判を務める先生は無言でいらして下さるのですが、お顔がいつもより硬い気がします。試合を観るのもするのも大好きなアリスは身を乗り出して顔を輝かせています。隣のジェニーは無表情ですが、眉がほんの少し寄っています、心配をかけています。
ごめんなさい、ですが経験を積むための機会は逃せないのです。刺客の人たちがいつ襲ってくるか分からないのです。
私の考えを読んだかのように、助手を務めるシャーリーは、他の生徒に気づかれないように微かに頷いてくれました。
気が付けば、ダニエル先輩が目の前に立っていました。5歳年上の先輩は、お父様の肩ぐらいまでの背の高さがあります。学園では珍しい鍛えた体つきの精悍な雰囲気を持つ方です。私を見下ろす黄色の瞳がどことなく鷲を思い起こさせる鋭さを秘めています。
「今までの授業で、俺の試合をちゃんと観ていたのか?」
「はい、もちろんです。どの試合も格の違いを感じる強さでした」
先輩はさっと私から視線を外しました。うっすら頬が染まっています。褒められるのが苦手な方なのでしょうか。私としては褒めたつもりはなく、ただ事実を言ったという気持ちなのですが。
「私が先輩に適うなど欠片も思っていません。ですが」
声を強めて、彷徨っていた先輩の視線をとらえました。先輩の目が見開かれます。
「お願いします、相手をしてください。全力を尽くします」
しばらく先輩は私の目を探るように見つめていました。
断られてしまうのでしょうか、緊張で胸の鼓動がうるさいぐらいで、気持ちの高ぶりから目も潤んでしまいましたが、私は必死に先輩を見つめ返しました。
やがて、先輩は頭を掻きながら
「分かったよ。どうせ、相手が決まらなかったんだ」
ぼやくように呟いて、試合の始めの立ち位置に歩き出しました。
優しい方です。感謝の思いを込めて背中に向かってお辞儀をしました。
なぜだか「あの頼み方は反則じゃないのか?」というささやきが聞こえましたが、何か悪かったのでしょうか…。
「それでは、始め!」
号令とともに、先輩の右手から赤い炎が放たれました。いつも先輩はこの攻撃から始めます。相手と自分の調子を探る様子見の攻撃です。
私は結界を盾替わりに張り、はじき返します。結界に受ける衝撃は、シャーリーが練習で投げるものより少し重いです。様子見でこの重さなら、結界はもっと強く張りなおさなければいけません。
弾き返した炎は、先輩が左手に張った結界で薙ぎ払われ、即座に右手から次の攻撃が放たれます。
炎は大きく、色も青色です。威力も速さも先ほどの倍はあるでしょう。
盾の大きさでは結界が足りず、私は自分を覆う球形の結界に切り替えます。
攻撃を防ぐことはできますが、これでは自分から攻撃することができません。
炎は結界の周りを覆っています。
先輩のいつもの次の手は、ここから氷の攻撃を加え結界を弱める戦略です。
これでは試合がもう終わってしまいます。
私は結界の形を変え、先輩の手前まで一部を伸ばし、先輩の攻撃魔法を出させる時間を遅らせました。
その隙に、結界の種類を炎の結界へと変化させ、先輩の氷の攻撃を消そうとしました。
強い攻撃が来るでしょう。
私は体の中にある魔力を瞬時に集めて強い結界を張ろうとしました。
――っ!
その瞬間、銀色の光が輝き体の全てが抑え込まれる感覚に浸されたのです。
私の強い魔力の放出に叔父様の封印石が発動したのです。
私の放った魔力がすべて私に跳ね返り、息が止まりそうな衝撃を受けました。
見事なまでの惨敗です…。
私の意識はそこで途切れてしまいました。
ふと目を開けると、見覚えのない天井が見えました。
どこなのでしょうか。
「保健室よ」
静かなジェニーの声が聞こえてきました。私はベッドに寝かされていたようです。起き上がろうとすると、ジェニーが首を振って止めさせます。
「あれだけの魔力を結界なしに浴びたのよ。寝ていなさい。シャーリー先生がもうしばらくしたら、貴方の部屋へ転移させてくれるとおっしゃっていたわ」
「本当にすごい魔力だったよ!シルヴィがあんなに強い魔力を持っていたなんて気が付かなかった!ダニエルなんか、とっさに球形結界を張っていたんだから!ダニエルの球形結界なんて何年ぶりだろう?」
興奮したアリスをジェニーが眼差し一つで黙らせます。さすがジェニーです。
しゅんと項垂れるアリスを見ていると、何となく可愛く感じて、少し笑いが漏れてしまいました。
その瞬間、二人の顔が、ぱっと明るく和らぎました。ああ、本当に心配をかけてしまったようです。
「ごめんなさい」
ジェニーは肩をすくめ、服のポケットから取り出したものを私に握らせました。
「返すわね」
セディのイヤリングです。壊れないように試合前、ジェニーに預けていたのです。
淡い緑色が今の私には染み込むような優しい色に感じます。
「よほど、その人と絆があるのね。貴方が倒れた時、身に着けていなかったのに、少し魔法が発動していたのよ」
私は握りしめた手を胸に当て、目を閉じました。涙は隠せたでしょうか。
「今度、たっぷりその人の話を聞かせてね」
茶目っ気がたっぷり含まれた声とともに頭を撫でられ、二人が部屋から出ていく音がしました。
それを待っていたかのようなタイミングで、ノックが響きます。
「どうぞ」
涙を袖で慌てて拭って返事をかけるや否や、ドアが開けられました。
ダニエル先輩とシャーリーです。
私は体を起こしました。先輩は苦虫をかみ潰したような顔をなさっています。
無理を言って相手をお願いして、全く相手にならず意識をなくしてしまう失態を演じてしまったのです。先輩のお顔も当然です。
「申し訳…」
「謝罪なんか求めていないし、必要ない。俺だって謝るつもりはない」
硬い声で先輩が遮ります。黄色に近い茶色の髪をかき乱しながら、先輩がこちらを見ます。
「大丈夫そうに見えるが、調子はどうなんだ?」
「はい、すっかり大丈夫です。」
あ、シャーリーの眉がピクリと動きました。信じていないし恐らく怒っています。
ごめんなさい。後で謝りましょう。
先輩はあちこち視線を彷徨わせ、言葉を続けました。
「どうして、あんな封印を身に着けているんだ」
先輩が初めて明確な怒りを見せました。
「あれがなければ、俺の攻撃なんて軽く片手で受け止められただろう」
私は自分の間違いに気が付きました。先輩はこのことで気分を害されていたのです。
私は息を吸い込んでから、話し始めました。
「『軽く』は無理だったと思いますが、受け止めることはできたと思います。ですが、先輩との試合に全力を尽くしたことは分かっていただきたいのです」
先輩はさらに顔をこわばらせました。
「私は実戦を考えて試合に臨んだのです。ですからあれが全力になるのです」
戸惑う先輩に私は、自分の困った魔力の作用で封印を身に着けることになったこと、幼いころ殿下を治癒して刺客に狙われる立場になったことを話しました。
先輩は微動だにせず、私の話に耳を傾けて下さいました。
最後に私は付け加えました。
「刺客が封印を外す時間を与えてくれるとは思えないのです」
その瞬間、先輩は目を閉じました。
しばらく部屋に沈黙が訪れました。
先輩は踵を返し、頭を掻きながらドアに向かいました。
ノブに手をかけ、ドアに顔を向けたまま先輩は呟きました。
「お前は、技の切り替えに時間がかかりすぎだ。次――は無理か、いつか、試合中に封印を外せる時間を作って『全力』で来い」
先輩はドアを開けながら、頭を掻いて続けました。
「いくらでも相手になるから、鍛えて上達しろよ」
ドアはゆっくりと閉まりました。私は目に感じる熱いものを堪えながら、思いを込めてドアに深く頭を下げました。
今、私はうろたえている最中です。
初めての試合で対戦相手を決める際に、思わずダニエル先輩の相手に名乗りを上げてしまったのです。先輩はこのグループでは別格ともいえる強さがあり、いつも試合ではものの数分も経たないうちに先生から試合終了の合図が出されるのです。恐らく最上級の学年が所属するグループにあと半年もしないうちに移ると思われます。
そんな先輩の相手は、最近の試合の授業ではなかなか決まらない状態だったのです。
刺客の人たちを想定して、私はできる限り強い人との経験を積みたくて、つい、名乗りを上げたのですが、会場の空気が重いのです。固いのです。
「初試合でいきなり…」
「あの癒しの力だから、死ぬことはないだろうけど…」
「誰か止めろよ」
ささやきが聞こえます。審判を務める先生は無言でいらして下さるのですが、お顔がいつもより硬い気がします。試合を観るのもするのも大好きなアリスは身を乗り出して顔を輝かせています。隣のジェニーは無表情ですが、眉がほんの少し寄っています、心配をかけています。
ごめんなさい、ですが経験を積むための機会は逃せないのです。刺客の人たちがいつ襲ってくるか分からないのです。
私の考えを読んだかのように、助手を務めるシャーリーは、他の生徒に気づかれないように微かに頷いてくれました。
気が付けば、ダニエル先輩が目の前に立っていました。5歳年上の先輩は、お父様の肩ぐらいまでの背の高さがあります。学園では珍しい鍛えた体つきの精悍な雰囲気を持つ方です。私を見下ろす黄色の瞳がどことなく鷲を思い起こさせる鋭さを秘めています。
「今までの授業で、俺の試合をちゃんと観ていたのか?」
「はい、もちろんです。どの試合も格の違いを感じる強さでした」
先輩はさっと私から視線を外しました。うっすら頬が染まっています。褒められるのが苦手な方なのでしょうか。私としては褒めたつもりはなく、ただ事実を言ったという気持ちなのですが。
「私が先輩に適うなど欠片も思っていません。ですが」
声を強めて、彷徨っていた先輩の視線をとらえました。先輩の目が見開かれます。
「お願いします、相手をしてください。全力を尽くします」
しばらく先輩は私の目を探るように見つめていました。
断られてしまうのでしょうか、緊張で胸の鼓動がうるさいぐらいで、気持ちの高ぶりから目も潤んでしまいましたが、私は必死に先輩を見つめ返しました。
やがて、先輩は頭を掻きながら
「分かったよ。どうせ、相手が決まらなかったんだ」
ぼやくように呟いて、試合の始めの立ち位置に歩き出しました。
優しい方です。感謝の思いを込めて背中に向かってお辞儀をしました。
なぜだか「あの頼み方は反則じゃないのか?」というささやきが聞こえましたが、何か悪かったのでしょうか…。
「それでは、始め!」
号令とともに、先輩の右手から赤い炎が放たれました。いつも先輩はこの攻撃から始めます。相手と自分の調子を探る様子見の攻撃です。
私は結界を盾替わりに張り、はじき返します。結界に受ける衝撃は、シャーリーが練習で投げるものより少し重いです。様子見でこの重さなら、結界はもっと強く張りなおさなければいけません。
弾き返した炎は、先輩が左手に張った結界で薙ぎ払われ、即座に右手から次の攻撃が放たれます。
炎は大きく、色も青色です。威力も速さも先ほどの倍はあるでしょう。
盾の大きさでは結界が足りず、私は自分を覆う球形の結界に切り替えます。
攻撃を防ぐことはできますが、これでは自分から攻撃することができません。
炎は結界の周りを覆っています。
先輩のいつもの次の手は、ここから氷の攻撃を加え結界を弱める戦略です。
これでは試合がもう終わってしまいます。
私は結界の形を変え、先輩の手前まで一部を伸ばし、先輩の攻撃魔法を出させる時間を遅らせました。
その隙に、結界の種類を炎の結界へと変化させ、先輩の氷の攻撃を消そうとしました。
強い攻撃が来るでしょう。
私は体の中にある魔力を瞬時に集めて強い結界を張ろうとしました。
――っ!
その瞬間、銀色の光が輝き体の全てが抑え込まれる感覚に浸されたのです。
私の強い魔力の放出に叔父様の封印石が発動したのです。
私の放った魔力がすべて私に跳ね返り、息が止まりそうな衝撃を受けました。
見事なまでの惨敗です…。
私の意識はそこで途切れてしまいました。
ふと目を開けると、見覚えのない天井が見えました。
どこなのでしょうか。
「保健室よ」
静かなジェニーの声が聞こえてきました。私はベッドに寝かされていたようです。起き上がろうとすると、ジェニーが首を振って止めさせます。
「あれだけの魔力を結界なしに浴びたのよ。寝ていなさい。シャーリー先生がもうしばらくしたら、貴方の部屋へ転移させてくれるとおっしゃっていたわ」
「本当にすごい魔力だったよ!シルヴィがあんなに強い魔力を持っていたなんて気が付かなかった!ダニエルなんか、とっさに球形結界を張っていたんだから!ダニエルの球形結界なんて何年ぶりだろう?」
興奮したアリスをジェニーが眼差し一つで黙らせます。さすがジェニーです。
しゅんと項垂れるアリスを見ていると、何となく可愛く感じて、少し笑いが漏れてしまいました。
その瞬間、二人の顔が、ぱっと明るく和らぎました。ああ、本当に心配をかけてしまったようです。
「ごめんなさい」
ジェニーは肩をすくめ、服のポケットから取り出したものを私に握らせました。
「返すわね」
セディのイヤリングです。壊れないように試合前、ジェニーに預けていたのです。
淡い緑色が今の私には染み込むような優しい色に感じます。
「よほど、その人と絆があるのね。貴方が倒れた時、身に着けていなかったのに、少し魔法が発動していたのよ」
私は握りしめた手を胸に当て、目を閉じました。涙は隠せたでしょうか。
「今度、たっぷりその人の話を聞かせてね」
茶目っ気がたっぷり含まれた声とともに頭を撫でられ、二人が部屋から出ていく音がしました。
それを待っていたかのようなタイミングで、ノックが響きます。
「どうぞ」
涙を袖で慌てて拭って返事をかけるや否や、ドアが開けられました。
ダニエル先輩とシャーリーです。
私は体を起こしました。先輩は苦虫をかみ潰したような顔をなさっています。
無理を言って相手をお願いして、全く相手にならず意識をなくしてしまう失態を演じてしまったのです。先輩のお顔も当然です。
「申し訳…」
「謝罪なんか求めていないし、必要ない。俺だって謝るつもりはない」
硬い声で先輩が遮ります。黄色に近い茶色の髪をかき乱しながら、先輩がこちらを見ます。
「大丈夫そうに見えるが、調子はどうなんだ?」
「はい、すっかり大丈夫です。」
あ、シャーリーの眉がピクリと動きました。信じていないし恐らく怒っています。
ごめんなさい。後で謝りましょう。
先輩はあちこち視線を彷徨わせ、言葉を続けました。
「どうして、あんな封印を身に着けているんだ」
先輩が初めて明確な怒りを見せました。
「あれがなければ、俺の攻撃なんて軽く片手で受け止められただろう」
私は自分の間違いに気が付きました。先輩はこのことで気分を害されていたのです。
私は息を吸い込んでから、話し始めました。
「『軽く』は無理だったと思いますが、受け止めることはできたと思います。ですが、先輩との試合に全力を尽くしたことは分かっていただきたいのです」
先輩はさらに顔をこわばらせました。
「私は実戦を考えて試合に臨んだのです。ですからあれが全力になるのです」
戸惑う先輩に私は、自分の困った魔力の作用で封印を身に着けることになったこと、幼いころ殿下を治癒して刺客に狙われる立場になったことを話しました。
先輩は微動だにせず、私の話に耳を傾けて下さいました。
最後に私は付け加えました。
「刺客が封印を外す時間を与えてくれるとは思えないのです」
その瞬間、先輩は目を閉じました。
しばらく部屋に沈黙が訪れました。
先輩は踵を返し、頭を掻きながらドアに向かいました。
ノブに手をかけ、ドアに顔を向けたまま先輩は呟きました。
「お前は、技の切り替えに時間がかかりすぎだ。次――は無理か、いつか、試合中に封印を外せる時間を作って『全力』で来い」
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