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第2話 派手な男
第2話 派手な男(前編)
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北へ向かう街道は、泥の海だった。
連龍の草履は、とうの昔に鼻緒が切れている。だが、代わりはない。紐で無理やり足に縛り付け、泥濘を踏み抜いていく。
息が上がる。肺が焼けるように熱い。
寺での修行で足腰を鍛えていないわけではない。だが、軍列の歩みは別物だった。一定の速度で、休むことなく、ただひたすらに地面を食らっていく。遅れれば置いていかれる。置いていかれれば、野垂れ死ぬか、脱走兵として斬られるかだ。
「おい、坊主。足が止まっているぞ」
頭上から声が降ってきた。
馬上から見下ろしているのは、前田利家だ。この男は、戦場でもないのに派手な格好を崩さない。朱塗りの鞘、虎の皮の鞍。そして、六間はあるかと思われる長大な朱槍を、従者に担がせている。
どこにいても目立つ。それは「俺の首を狙ってみろ」という、自信と狂気の裏返しにも見えた。
「……遅れては、おりませぬ」
連龍は喘ぎながら答えた。喉からひゅうひゅうという音が漏れる。利家は鼻で笑った。
「口だけは達者だな。だが、体は正直だ。貴様、刀が邪魔だろう」
図星だった。
密使から借りた帯が緩んでいるのか、それとも差し方が悪いのか。歩くたびに、錆びた太刀の鞘が腰骨に当たり、がつがつと不快な音を立てる。時には鞘尻が地面を擦り、足を取られそうになる。ただの鉄の棒が、これほど重く、厄介なものだとは思わなかった。
「貸してみろ」
利家が馬を降りた。
泥の中に立っても、その派手さは汚れない。連龍が反応する前に、利家の太い指が伸び、連龍の帯を掴んだ。強引に引き寄せられる。
「うっ……」
「力が抜けている。腰が入っていないから、刀に振り回されるんだ」
利家は連龍の帯を乱暴に締め直した。内臓が圧迫されるほどの強さだ。そして、刀を差し直す。角度が変わった。地面と平行に近く、それでいて柄が自然と手の届く位置に収まる。
「侍の歩き方は、僧侶のそれとは違う。すり足は止めろ。泥を蹴れ」
「泥を……」
「そうだ。地面を憎んで踏みつけろ。そうすれば、刀は踊らん」
利家は連龍の胸をどん、と突き飛ばし、再び馬上の人となった。
「覚えろ。刀は飾りじゃない。貴様の牙だ。牙が重くてどうする」
連龍は帯の位置を確かめた。痛いほどきつい。だが、歩き出してみると、不思議と太刀が腰に吸い付いていた。体の一部になったような感覚。これが、武士か。
日が暮れる頃、一行は越前との国境近くで野営に入った。
雨は上がっていたが、北からの風が冷気を運んでくる。焚き火の匂いが漂い始めた。兵たちは慣れた手つきで干し飯を戻し、暖を取っている。
連龍には、特定の陣場所がない。利家の隊の末席、馬繋ぎ場の近くに座り込み、泥だらけの足を投げ出した。足の裏は血豆だらけだ。潰れて、泥と混じり合っている。
「酷い足だ」
影が落ちた。利家だ。
手には、酒が入っているらしい竹筒を持っている。連龍は慌てて座り直そうとしたが、足が痙攣して動かない。
「そのままでいい。……貴様、今日は一度も泣き言を言わなかったな」
「泣き言など、ありませぬ」
「強がるな。足軽でも、初日の行軍では三人は脱落する。坊主上がりにしては、しぶとい」
利家は連龍の隣にどかりと腰を下ろした。身分差を考えればあり得ない距離だ。だが、この男には常識という枠がないらしい。竹筒を差し出される。酒の匂いがした。
「飲め。血が巡る」
「……私は、酒は」
「戒律か? 仏は殺したと言っていなかったか」
連龍は言葉に詰まる。そうだ。もう僧侶ではない。だが、長年染み付いた習慣は、そう簡単には消えない。利家はにやりと笑い、竹筒を押し付けた。
「飲め。これは酒じゃない。気付け薬だ。明日も歩くなら、体を騙せ」
連龍は震える手で竹筒を受け取った。口に含む。強烈な酒精が喉を焼き、胃の中で爆発した。咳き込む連龍を見て、利家が声を上げて笑う。
「いいざまだ。……それでこそ、教え甲斐がある」
利家の目が、焚き火の炎を映して赤く光った。笑ってはいるが、その瞳は冷徹に連龍を観察している。
「長九郎左衛門。上様は貴様を『死を運ぶ道具』として買った。だがな」
利家が声を低めた。周囲の喧騒がかき消えるほどの、低い、凄みに満ちた声。
「道具なら、手入れのされていない錆び刀はいらん。俺は、使えん道具は捨てる主義だ」
「……捨てられれば、拾うまでだ」
「口は達者だ。だが、能登に入れば口など役に立たん。斬れるか? その錆び刀で」
連龍は腰の刀に手を置いた。帯がきしむ。
斬れるか。人を。生きている人間を、肉と骨の塊に変えることができるか。わからない。だが、やらねばならない。
「斬る。……斬らねば、先に進めぬ」
「いい答えだ。迷いがあるうちは、半人前だがな」
利家は竹筒を取り返し、自身も一口煽った。そして、ふと北の夜空を見上げる。
「明日は国境を越える。……灰の国だぞ。覚悟はいいか」
灰の国。連龍の脳裏に、七尾城の光景がよぎった。
いや、想像することさえ許されない。まだ見ていないのだ。現実を見るまでは、怒りさえも保留にしておかなければならない。
連龍の草履は、とうの昔に鼻緒が切れている。だが、代わりはない。紐で無理やり足に縛り付け、泥濘を踏み抜いていく。
息が上がる。肺が焼けるように熱い。
寺での修行で足腰を鍛えていないわけではない。だが、軍列の歩みは別物だった。一定の速度で、休むことなく、ただひたすらに地面を食らっていく。遅れれば置いていかれる。置いていかれれば、野垂れ死ぬか、脱走兵として斬られるかだ。
「おい、坊主。足が止まっているぞ」
頭上から声が降ってきた。
馬上から見下ろしているのは、前田利家だ。この男は、戦場でもないのに派手な格好を崩さない。朱塗りの鞘、虎の皮の鞍。そして、六間はあるかと思われる長大な朱槍を、従者に担がせている。
どこにいても目立つ。それは「俺の首を狙ってみろ」という、自信と狂気の裏返しにも見えた。
「……遅れては、おりませぬ」
連龍は喘ぎながら答えた。喉からひゅうひゅうという音が漏れる。利家は鼻で笑った。
「口だけは達者だな。だが、体は正直だ。貴様、刀が邪魔だろう」
図星だった。
密使から借りた帯が緩んでいるのか、それとも差し方が悪いのか。歩くたびに、錆びた太刀の鞘が腰骨に当たり、がつがつと不快な音を立てる。時には鞘尻が地面を擦り、足を取られそうになる。ただの鉄の棒が、これほど重く、厄介なものだとは思わなかった。
「貸してみろ」
利家が馬を降りた。
泥の中に立っても、その派手さは汚れない。連龍が反応する前に、利家の太い指が伸び、連龍の帯を掴んだ。強引に引き寄せられる。
「うっ……」
「力が抜けている。腰が入っていないから、刀に振り回されるんだ」
利家は連龍の帯を乱暴に締め直した。内臓が圧迫されるほどの強さだ。そして、刀を差し直す。角度が変わった。地面と平行に近く、それでいて柄が自然と手の届く位置に収まる。
「侍の歩き方は、僧侶のそれとは違う。すり足は止めろ。泥を蹴れ」
「泥を……」
「そうだ。地面を憎んで踏みつけろ。そうすれば、刀は踊らん」
利家は連龍の胸をどん、と突き飛ばし、再び馬上の人となった。
「覚えろ。刀は飾りじゃない。貴様の牙だ。牙が重くてどうする」
連龍は帯の位置を確かめた。痛いほどきつい。だが、歩き出してみると、不思議と太刀が腰に吸い付いていた。体の一部になったような感覚。これが、武士か。
日が暮れる頃、一行は越前との国境近くで野営に入った。
雨は上がっていたが、北からの風が冷気を運んでくる。焚き火の匂いが漂い始めた。兵たちは慣れた手つきで干し飯を戻し、暖を取っている。
連龍には、特定の陣場所がない。利家の隊の末席、馬繋ぎ場の近くに座り込み、泥だらけの足を投げ出した。足の裏は血豆だらけだ。潰れて、泥と混じり合っている。
「酷い足だ」
影が落ちた。利家だ。
手には、酒が入っているらしい竹筒を持っている。連龍は慌てて座り直そうとしたが、足が痙攣して動かない。
「そのままでいい。……貴様、今日は一度も泣き言を言わなかったな」
「泣き言など、ありませぬ」
「強がるな。足軽でも、初日の行軍では三人は脱落する。坊主上がりにしては、しぶとい」
利家は連龍の隣にどかりと腰を下ろした。身分差を考えればあり得ない距離だ。だが、この男には常識という枠がないらしい。竹筒を差し出される。酒の匂いがした。
「飲め。血が巡る」
「……私は、酒は」
「戒律か? 仏は殺したと言っていなかったか」
連龍は言葉に詰まる。そうだ。もう僧侶ではない。だが、長年染み付いた習慣は、そう簡単には消えない。利家はにやりと笑い、竹筒を押し付けた。
「飲め。これは酒じゃない。気付け薬だ。明日も歩くなら、体を騙せ」
連龍は震える手で竹筒を受け取った。口に含む。強烈な酒精が喉を焼き、胃の中で爆発した。咳き込む連龍を見て、利家が声を上げて笑う。
「いいざまだ。……それでこそ、教え甲斐がある」
利家の目が、焚き火の炎を映して赤く光った。笑ってはいるが、その瞳は冷徹に連龍を観察している。
「長九郎左衛門。上様は貴様を『死を運ぶ道具』として買った。だがな」
利家が声を低めた。周囲の喧騒がかき消えるほどの、低い、凄みに満ちた声。
「道具なら、手入れのされていない錆び刀はいらん。俺は、使えん道具は捨てる主義だ」
「……捨てられれば、拾うまでだ」
「口は達者だ。だが、能登に入れば口など役に立たん。斬れるか? その錆び刀で」
連龍は腰の刀に手を置いた。帯がきしむ。
斬れるか。人を。生きている人間を、肉と骨の塊に変えることができるか。わからない。だが、やらねばならない。
「斬る。……斬らねば、先に進めぬ」
「いい答えだ。迷いがあるうちは、半人前だがな」
利家は竹筒を取り返し、自身も一口煽った。そして、ふと北の夜空を見上げる。
「明日は国境を越える。……灰の国だぞ。覚悟はいいか」
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