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新しい日々と皇女の憂鬱
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ほんの数か月前まで、私、アイリスは隣国プルプレア王国でバルヒェット伯爵家令嬢と呼ばれていた。愛人の連れ子として育てられた私は、とても冷ややかな扱いを受けていた。
独りぼっちの生活は寂しいものだったけれど、そのことに疑問は持っていなかった。貴族の血を一滴たりとも引いていないのだから仕方がない、と。
全てがひっくり返ったきっかけは、婚約者から婚約破棄を切り出されたこと。血の繋がらない妹に私はイジメの犯人として告発までされた。
……それを助けてくれたのが、今の婚約者である、フィンリー殿下だ。
そして、どうやら私は、一度滅びた、ここアーテル帝国生き残りの皇女だったらしい。フィンリー殿下は私のいとこにあたり、私を迎えに来るために帝国を復興させたのだ。
幼い頃に交わした約束を守って、彼は私にプロポーズしてくれた。初恋の人から持ちかけられた婚約話に乗らないはずもなく、無事に婚約者の椅子におさまったというわけだ。
そこからは目まぐるしいほどの変化だった。
使用人にも雑に扱われていた私なのに、今や誰もが私を褒めそやす。
「さすがは皇女殿下。礼儀作法はもちろん基本教養も完璧だとは」
「美しい御髪です。まるで夜空のようだ」
卑しい血を引いているだけあって、礼儀作法がなっていない。真っ黒な髪なんて気味が悪い。今まではずっとそう言われてきた。
周りだけが変わっていく。私は何も変わっていないのに。
舞い上がって受けてしまった婚約も、身の丈に合わないように思えてたまらなかった。あんなに完璧なフィンリー殿下に、私なんかはふさわしくない。
お優しい方だから、前の婚約者との婚約がダメになってしまった私を放っておけなかっただけではないのか。
……もしかしたら、私そのものではなく、皇女であるアイリスと結婚したかったのかもしれないが。
「皇女殿下、フィンリー殿下からお手紙です」
物思いに沈んでしまっていたらしい。私はハッとして声のした方を振り返る。
「ありがとう、ポピー。見せてくれるかしら」
「はい、もちろんです!」
ポピーは私付きに新たに用意された侍女だ。他にも専属の侍女は数人いるのだが、彼女が一番年も近くて接しやすい。
私が声をかけるだけで、花が咲くような笑顔を見せてくれる。今までそんな人は周りにいなかったから、くすぐったくて変な心地だけど。
フィンリー殿下からいただいた手紙の封を切る。中には小さな紙が一枚だけ。
『アイリス殿下、今日は少しお茶の時間がとれそうです。もし良ければ貴女と共に時間を過ごす栄誉をいただけますか?』
美しい字で走り書きされた紙を丁寧に封筒に戻す。
悩んでいることを見透かされたようで、少し恥ずかしくなる。
毎日、フィンリー殿下は本当に忙しそうだ。来月、正式に皇帝に即位すると言っていたから、その準備があるのだろう。
帝国に移ってきてから一ヶ月近くたつが、まともに顔を合わせるのは初めてかもしれない。気持ちが上向く。
身分的に釣り合っていたところで、どうしたって不相応な婚約話だとわかっている。それなのに、フィンリー殿下に恋をしている自分の存在を否定できなくなってきている。
だって、こうやって短い手紙をもらえるだけで、こんなに気分がふわふわする。
「ポピー、便箋をお願いしても? お返事を書くから」
「承知致しました。……こちらでいかがでしょう?」
「ありがとう。それで十分よ」
受け取って机に移動すると、手紙を書き始める。
使用人を使うという癖がなかった私は、つい何でも自分でしようとしては侍女長に叱られていた。最近になってようやく慣れてきたけれど、まだ少し罪悪感は残る。
お誘いへの感謝と、是非一緒に過ごしたい、という旨の文章を短く書きつづる。最後にまだ慣れない名前、アイリス・アーテルと署名してペンを置く。
書き上げた手紙に丁寧に封をして、ポピーに渡す。ポピーはベルを鳴らして別の侍女に手紙を渡し、彼女は一礼して部屋を去った。
私がポピーを気に入ったのはどうやらすぐにバレたようで、なるべく彼女は私の側から離れないように配慮されているらしい。
「でも、皇女殿下は本当に愛されておいでですね」
「そ、そうかしら。そうだといいのだけれど」
まさにさっき悩んでいた話をされて、肩を震わせてしまった。ポピーは目をパチクリさせる。
「だって、側室候補の令嬢のところにお手紙を寄越されたなんて話、聞いたことないですよ? 皇女殿下は皇后になるお方ですから、特別です」
「……それは、私が皇女だから。きっと気を遣っておいでなのよ」
フィンリー殿下だって先代皇帝陛下の甥なのだから、十分に皇位につく資格はある。
でも、地位をさらに安定させるには、直系の私を正妻にしておいた方が、何かと都合がいいのだろう。
幼い頃の初恋が実ったことはうれしい。私はすっかり忘れかけていた約束を覚えていてくださったことも。
だけど、考えずにはいられないのだ。
もし、私が皇女じゃなかったら? 私がアイリスではなく、イーリス・フォン・バルヒェットだったら、フィンリー殿下は私を選ばなかったのでは?
考えても仕方のないことだ。実際私はアイリスで、今ここにいるんだから、それで十分だ。
そう考えようとしても、この考えが影のように私につきまとう。
「皇女の名が泣ければ愛されなかったお前に、皇女である以外の価値があるとでも?」
「うぬぼれるな。お前そのものが愛されているのではないのだから」
誰もそんなことは言わないのに、誰かがずっと背後からささやく。声を聞くたびに真実をつきつけられるようだ。
わかってる。わかってるから、もうやめて。私に価値がないことなんて、私が一番知ってるから。
独りぼっちの生活は寂しいものだったけれど、そのことに疑問は持っていなかった。貴族の血を一滴たりとも引いていないのだから仕方がない、と。
全てがひっくり返ったきっかけは、婚約者から婚約破棄を切り出されたこと。血の繋がらない妹に私はイジメの犯人として告発までされた。
……それを助けてくれたのが、今の婚約者である、フィンリー殿下だ。
そして、どうやら私は、一度滅びた、ここアーテル帝国生き残りの皇女だったらしい。フィンリー殿下は私のいとこにあたり、私を迎えに来るために帝国を復興させたのだ。
幼い頃に交わした約束を守って、彼は私にプロポーズしてくれた。初恋の人から持ちかけられた婚約話に乗らないはずもなく、無事に婚約者の椅子におさまったというわけだ。
そこからは目まぐるしいほどの変化だった。
使用人にも雑に扱われていた私なのに、今や誰もが私を褒めそやす。
「さすがは皇女殿下。礼儀作法はもちろん基本教養も完璧だとは」
「美しい御髪です。まるで夜空のようだ」
卑しい血を引いているだけあって、礼儀作法がなっていない。真っ黒な髪なんて気味が悪い。今まではずっとそう言われてきた。
周りだけが変わっていく。私は何も変わっていないのに。
舞い上がって受けてしまった婚約も、身の丈に合わないように思えてたまらなかった。あんなに完璧なフィンリー殿下に、私なんかはふさわしくない。
お優しい方だから、前の婚約者との婚約がダメになってしまった私を放っておけなかっただけではないのか。
……もしかしたら、私そのものではなく、皇女であるアイリスと結婚したかったのかもしれないが。
「皇女殿下、フィンリー殿下からお手紙です」
物思いに沈んでしまっていたらしい。私はハッとして声のした方を振り返る。
「ありがとう、ポピー。見せてくれるかしら」
「はい、もちろんです!」
ポピーは私付きに新たに用意された侍女だ。他にも専属の侍女は数人いるのだが、彼女が一番年も近くて接しやすい。
私が声をかけるだけで、花が咲くような笑顔を見せてくれる。今までそんな人は周りにいなかったから、くすぐったくて変な心地だけど。
フィンリー殿下からいただいた手紙の封を切る。中には小さな紙が一枚だけ。
『アイリス殿下、今日は少しお茶の時間がとれそうです。もし良ければ貴女と共に時間を過ごす栄誉をいただけますか?』
美しい字で走り書きされた紙を丁寧に封筒に戻す。
悩んでいることを見透かされたようで、少し恥ずかしくなる。
毎日、フィンリー殿下は本当に忙しそうだ。来月、正式に皇帝に即位すると言っていたから、その準備があるのだろう。
帝国に移ってきてから一ヶ月近くたつが、まともに顔を合わせるのは初めてかもしれない。気持ちが上向く。
身分的に釣り合っていたところで、どうしたって不相応な婚約話だとわかっている。それなのに、フィンリー殿下に恋をしている自分の存在を否定できなくなってきている。
だって、こうやって短い手紙をもらえるだけで、こんなに気分がふわふわする。
「ポピー、便箋をお願いしても? お返事を書くから」
「承知致しました。……こちらでいかがでしょう?」
「ありがとう。それで十分よ」
受け取って机に移動すると、手紙を書き始める。
使用人を使うという癖がなかった私は、つい何でも自分でしようとしては侍女長に叱られていた。最近になってようやく慣れてきたけれど、まだ少し罪悪感は残る。
お誘いへの感謝と、是非一緒に過ごしたい、という旨の文章を短く書きつづる。最後にまだ慣れない名前、アイリス・アーテルと署名してペンを置く。
書き上げた手紙に丁寧に封をして、ポピーに渡す。ポピーはベルを鳴らして別の侍女に手紙を渡し、彼女は一礼して部屋を去った。
私がポピーを気に入ったのはどうやらすぐにバレたようで、なるべく彼女は私の側から離れないように配慮されているらしい。
「でも、皇女殿下は本当に愛されておいでですね」
「そ、そうかしら。そうだといいのだけれど」
まさにさっき悩んでいた話をされて、肩を震わせてしまった。ポピーは目をパチクリさせる。
「だって、側室候補の令嬢のところにお手紙を寄越されたなんて話、聞いたことないですよ? 皇女殿下は皇后になるお方ですから、特別です」
「……それは、私が皇女だから。きっと気を遣っておいでなのよ」
フィンリー殿下だって先代皇帝陛下の甥なのだから、十分に皇位につく資格はある。
でも、地位をさらに安定させるには、直系の私を正妻にしておいた方が、何かと都合がいいのだろう。
幼い頃の初恋が実ったことはうれしい。私はすっかり忘れかけていた約束を覚えていてくださったことも。
だけど、考えずにはいられないのだ。
もし、私が皇女じゃなかったら? 私がアイリスではなく、イーリス・フォン・バルヒェットだったら、フィンリー殿下は私を選ばなかったのでは?
考えても仕方のないことだ。実際私はアイリスで、今ここにいるんだから、それで十分だ。
そう考えようとしても、この考えが影のように私につきまとう。
「皇女の名が泣ければ愛されなかったお前に、皇女である以外の価値があるとでも?」
「うぬぼれるな。お前そのものが愛されているのではないのだから」
誰もそんなことは言わないのに、誰かがずっと背後からささやく。声を聞くたびに真実をつきつけられるようだ。
わかってる。わかってるから、もうやめて。私に価値がないことなんて、私が一番知ってるから。
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